紅蓮
「えい、やー!」
水上の兄弟が都に着きし夜が明け。一人氏原の屋敷の庭にて、自らを鍛えたる者がいる。
四葉広人――道中の従者のうち、かつて妖により殺されし従者・隼人の友であり、その仇を討たんとする男である。
竹刀を振り回し、汗を多くかき。これほどまでに苦しき思いをしながらも自らを鍛えたるは、亡き友の恨みを晴らさんとする執念故である。
「待っておれ、隼人! 私は必ず妖喰いを手にし、そなたの仇を――」
言いかけて、広人は頭の後ろに殴られたるを感ずる。
「ぐはあ!」
倒れし広人であるが、自らを倒せし"仇"を睨みつけてやらんと、すぐに目を開ける。
「半兵衛! やはりそなたか!」
広人が声を上げると、次には半兵衛より拳が、飛ぶ。
「くっ!」
頭を殴られ、広人は痛みに悶える。
「うるさいだろう! 今何どきだと思ってやがる?たく、俺だからいいようなものの、摂政様に見つかれば首が飛ぶぞふわあ…」
啖呵は切りしものの、叩き起こされし眠気による欠伸でまったく締まらぬ半兵衛であった。
「ふん、そなたごときに! 見ておれこの広人、今に妖喰いを手にし、そなたになどふわあ…」
欠伸が移りしか、こちらもまったく締まらぬ広人である。
あの妖・山猫に襲われし折。
この男は、広人を救いし者であり、そして広人が半兵衛の手を煩わせしが故に、半兵衛を傷つけ、中宮を危うき目に合わせた。
広人はそれについて長らく謝りたき心持ちであったが、それに勝るはこの心。
――妖となりし自らの友。それを救うべきは自らであったに、自らを差し置き、友を救いしこの男は許せぬ。――
「はあ?何寝ぼけちゃってんの?あんたなんか妖喰いに耐えられずにすぐ…」
半兵衛は先ほどの広人の言葉に言い返す。
広人も言い返し、言葉の合戦となる。
「私を愚弄するな! 今に見ておれ早く妖喰いを!」
「へえ、早くっていつ?何の月?何日?何どき?」
「おのれえ、子供のごとき屁理屈をこねおって!」
「とにかく朝っぱらから騒ぐなって言ってんだろ!」
「何を、この…」
「騒ぐなはそちら二人ともじゃ、たわけ!」
埒のあかぬ二人に割って入りしは、屋敷の主人・道中である。
「せっ、摂政様! も、申し訳ございませぬ! い、いえ違うのです! こやつが私にガミガミとうるさくて…」
「何を言ってやがる! 違うんだ、摂政様! 元はといえば…
」
「やめぬか…」
「聞くまでもなきこと! そなたらは喧嘩両成敗! どちらが悪しきも良きもなし!」
尚もお互いに相手のせいにする二人に、道中が諌めんとするを遮り諌めるは、水上兄弟の弟・頼庵である。
「あ、ありゃ――。あんたまで…」
さすがの半兵衛も、決まり悪き様にて頷く他ない。
ひとまずこれで手打ち…と安堵せしもつかの間。
「わ、私は悪くない! ひとえにこの半兵衛が!」
広人はまったく汲み取らぬ様にて、再び声を上げる。
「やめぬか――――――! ! !」
ついに声を上げしは、道中であった。
「まったく、誠にあのような者があの紫の刃の使い手なのか?」
一夜を過ごせし部屋へ戻るや、頼庵は既に起きておる兄・義常に声をかける。
「お前も見たであろう?あの男の刃の紫に光りたるを。」
義常は、弟が今更何を言っておるのかといった様で、冷めし口調にて言う。
「兄者、そういうことではなく、かつて我らを襲いしあの紫の刃のことである!」
頼庵は声を上げる。が、その様に義常は何やら慌てし様である。
「大きな声を出すでない、頼庵! あの男に気取られんことになればどうなるか…」
義常の心配せしは、半兵衛に自らの疑いを悟られることであった。
「…すまぬ、兄者。」
頼庵は兄に謝る。
「…いや、私こそすまぬ。頼庵。私も気になってはおる。あの紫の刃のこと…」
翻って、中宮の部屋にて。
「ふふふ、ふふふ…」
苦しげに笑いを漏らすは、中宮である。
「中宮様、少し笑いが過ぎてございます。」
氏式部が止めるも、
「ふふふ、式部よ、そんな…無理に決まっておろうはははは!」
自ら堪えきれぬと見し中宮は、堪えるを諦め高らかに笑う。
中宮が笑いしことは言うまでもなく、今朝の広人と半兵衛の諍いである。
「ふふふ、あの半兵衛も、父上には勝てぬのだな…!」
中宮は嘲る風でもなく、とても楽しげにこう言う。
「…とても楽しそうでいらっしゃいますね、中宮様。…まるで、好きな方のことを楽しげに話していらっしゃるかのようです。」
氏式部は敢えて踏み込む。
その言葉には、笑っておった中宮もふと笑いを止め、顔を赤らめながらもやや恥じ入りし様にて目を伏せる。
「…そなた、私の心が…?」
見えるのかと聞かんとする中宮の肩に、そっと手を添える。
「いいえ、ただ幼き日よりお仕え申し上げる身。中宮様が何かに心乱されるようなことがあれば、私も心乱されるのみにございます。」
氏式部は優しく、諭すかのごとく答える。
中宮は、胸を庇うかのごとく胸のまえで手を組み、回せし両の手にて、両の二の腕を掴み、摩る。
「…よもや、既に后となりし後にこのような乱れがあろうとはな。しかし、案ずるな。私は氏原の出。帝の皇子を産むことこそ私や帝、そして父上の願いであれば、私は…!」
言いながらも中宮は、尚も俯きを増し。その目には、涙が。
ふと、氏式部は中宮を抱きしめる。
「式部…?」
中宮が戸惑うと、
「…申し訳ございませぬ、中宮様を苦しめたき訳ではなかったのです。…言葉が過ぎましたわ。」
氏式部は中宮に、自らの言葉を悔いる。
「…いや、そなたに悪き所は何らない。もう私はそのことでも腹を決めたのだ、案ずるな。」
自らを抱きしめし氏式部の右腕に自らの腕を回し、中宮は諭すかのごとく氏式部に言う。
「ほら、広人! 何やってんだ! あんただけ遅れてんだぜ、そんなんで妖喰い使いになれると思ってんのか!」
妖喰いにならんとする者たちを鍛える所において飛び交うは半兵衛の怒声である。
「ま、待て…私は…」
広人は息も絶え絶えにて、既に走り込みを終えておる他の者と合流する。
「何だ?言い訳があるってか?」
半兵衛は問い詰める。怒りに顔を歪ませながらも、どことなく笑いし様である訳は――察するに難くなし。
件の朝の諍いの後。
頼庵の言葉通り、諍いし二人ともが罰せられることとなった。尤も、位を取り上げるなどではない。半兵衛に課せられしは朝飯抜き、そして広人に課せられしは、いつもよりも厳しき鍛えである。
しかし、この二つの罰何やら釣り合わぬ気もするが、さておき。
「まったく摂政様は、半兵衛に甘い!」
既に苦しき思いをしながら広人は、尚も喰らいついていく。
「ああ?何か言ったか?」
半兵衛は広人のぼやきを聞き逃さぬ。
「…何でもないわああ!」
広人は踏ん張り、更に喰らいつく。
「…なるほど、こりゃあ思いの他腹が決まってきたじゃねえかああ!」
この広人の力の入れようには半兵衛も、少しは兜を脱ぎたき気にはなる。
とはいえ。
「じゃ、次はよりきつい鍛えを…」
「ひ、ひええ! お、お助け!」
広人にもさすがに、度というものはある。
「…よし、帝からのお達し何だが、そろそろ誠の妖喰いを触らせて耐えられるか見てもいいのではないかとのことだ!」
半兵衛のこの言葉に、使い手の候補たちは騒めく。その中には無論、広人もいる。
「はい、静かに! …ほら、こっちだ、ゆーっくりな…」
半兵衛は騒めく使い手の候補たちを宥め、横を向き何やら手招きをする。使い手の候補たちがその方を眺めると、そこには。
「も、もしや妖喰い…!」
驚嘆の声を漏らせしは広人である。
見れば、何やら黒塗りの箱を二人の従者が。両方の端を担いてゆっくりと運ぶ。
従者たちは両方の腕にそれぞれ一つ、合わせて二つの枕木を持ち。それにて箱を挟み込み、息を合わせつつゆっくりと歩み進み、半兵衛の前に着くや、これまたゆっくりと下ろし、従者たちは去る。
「おほん! …聞いて驚くなあ、これぞ妖喰いの槍、紅蓮のお目見えよ!」
半兵衛は声を上げ、置かれし黒塗りの箱を足にて蓋を開けると、中より件の槍を掴み出だす。
先ほど持って来し従者たちの慎ましやかなる様が嘘のごとき豪快さである。
「あ、妖喰い…!」
半兵衛が掲げし妖喰いの槍を前に、それを見し妖喰いの使い手候補たちは叫ばんとして息を呑む。既にその槍より、風とも人の呻きとも知らぬ声が響いておる。これもまた、妖喰いの証である。
「さーて…誰がこれを最も早く触りたい?」
半兵衛は槍を掲げつつ、問う。
先ほどまでは、妖喰いに騒めきしこの者たち。妖喰いを触れるとあらば、我先にと手を伸ばすはずである。
が、半兵衛のその読みとは裏腹に、誰も名乗り出ぬ。
「何だあんたら、さっきまであんなに目え輝かしてた癖して…」
半兵衛がその様に呆れ返りし、その時。
にわかに土が線を描き盛り上がり、中より尾のごときものが出でる。驚きし使い手の候補たちは、一目散に逃げ惑う。
「あ、妖か!」
広人は叫ぶ。そして思う。
目の前に妖、そして妖喰い。これは自らこそ、新たなる妖喰いにふさわしいと認めさせるに絶好の機。
すぐさま駆け出す。そして妖喰いの槍を取り、妖に向け――
し、はずであったが。
はっと我に返り。既に妖の尾が、自らを引き裂かんと振り上げられしことに気づく。
「あ、あ――」
広人はへたり込む。先ほど自らが動きしように思えたは、幻である。こうなればいいと、広人が願っていたのみであった。
「し、死ぬのか――」
広人は呪う。自らの力無き様を。友の仇どころか、妖を前に動くことすら能わず。自らはこのまま――
広人が死を悟りし刹那。
何やら風を頬に感ずる。
「…来ると思ったぜ。」
そしてこの声は。
広人が目を開くと、目の前には半兵衛が。
見れば、広人を引き裂かんとせし尾は斬られ、半兵衛の紫丸をその名のごとく、紫に染まる。
「は、半兵衛――」
広人が声を上げかけし時。
半兵衛のおらぬ方、広人の後ろより、新たに尾が。
広人は怯える。半兵衛は何故か、動かぬ。
「は、半兵衛! ついに私を!」
見殺しにするか。そう言葉を紡がんとする間にも、尾は再び振り上げられ。
広人と半兵衛を、引き裂かんとし――引き裂かれしは、尾である。
「な、何と!」
見れば、飛び散りし血肉は緑の光に染まり、尾の引き裂かれし辺りに吸い込まれる。
「お――う、そちらも! 来ると思ったぜ!」
半兵衛が手を上げし先に。妖喰いの弓・翡翠を掲げし男、水上義常が。
「半兵衛! 我らを当てにしようなどと…来ぬ時は何とするつもりであったのか!」
半兵衛と広人に駆け寄りつつ、水上頼庵が声をかける。
「だから、来ると思ってたって言ったろ?今こうして来てんだから、いいってことよ。」
半兵衛は笑みを浮かべつつ、事も無げに言う。
「まったく、そなたは…」
下手を打てば人が死にかけるも厭わぬ。やはりこの男が我らを――
そう頼庵が考えに沈み始めし頃。
「まだ、宴は続くようだぜ!」
半兵衛は紫丸の騒めきを感じ言う。
「頼庵、来るぞ!」
離れし所の兄・義常も、弓を再び構えつつ声を上げる。
頼庵が振り返るや。
ごうごうと土煙を上げ、鎌首を持ち上げしは大きななりの蛇――大蛇である。
「まるで、血肉の塊だぜ!」
半兵衛が叫ぶ。
よくよく見れば、その大蛇はよく聞く鱗に覆われし肌ではなく、肉の剥き出したかのような生々しき姿である。
「これはもしや――」
半兵衛は考える。これまでに見た妖には、これに当てはまるであろう妖は、多く思い当たる。
「おのれ妖!」
半兵衛が考える間に、頼庵は待っていたとばかり、小刀にて斬りかかる。
「! よせ!」
半兵衛が気づき止めるも間に合わず、頼庵の刃により斬られし大蛇は。
傷口より血肉が噴き出せしと思えば、傷を境に身体が二つに裂け、たちまち双頭となり襲いかかる。
「くっ、だからよせって言って!」
半兵衛は唸るが、躊躇いなく大蛇へと向かう。
「…兄上、ここであの新たなる妖喰いを潰してしまわねば。」
「そうであるな、高无。そして、あの水上という者たちの腕も今一度この目に入れねばな。」
物陰より長門伊末、高无の兄弟が見つめる。
未だ尻込む広人を尻目に、妖喰いたちの戦はまた始まらんとしている。