兄意
「あ、兄者! 何故……」
頼庵が戸惑う。
振り返れば、式神・刃白に乗り込みし義常が。
兄・義常は今、京の都にて留守を預かっているはずであったが。
今こうして毛見郷の近くにて繰り広げられし戦いに馳せ参じる。
「何故? それは無論……出来悪き弟を思えば、いても立ってもいられなかったからよ!」
「ああ、なるほど……いや、出来悪きとは何か!」
義常の言葉に頼庵は、目くじらを立てる。
「あ、兄上! 何故……」
「何故? それは無論……愚鈍なる弟が戦を取り仕切るなどと、心配でたまらぬ有様であったからよ!」
「……申し訳ございません。」
こちらは高无の所にて。
にわかに妖と合わさりし姿にて現れし兄の言葉に、高无は言葉を失う。
盗まれし神器・剣を巡り。
剣が持ち込まれし所と目されしは、出雲と九州。
そのうち、出雲に向かう半兵衛・夏・頼庵ら妖喰い使い。及び、百余年前に鬼・酒呑童子を打ち破りし武将・泉頼松とその家臣たる四天王たちの子孫はその道中にて。
高无と、茨木童子に率いられし鬼の軍勢に阻まれてしまい戦を繰り広げているさなかである。
しかし、この前の戦である都の正門・羅城門の戦いにて敗れ傷を負いし兄・伊末の仇を早く討たんとする高无は。
はじめこそ同じくその戦にて討たれし兄・羅城門の鬼の仇討ちに燃えていたが次第に、戦そのものを楽しみ出しし茨木童子に業を煮やす。
そして茨木童子を全て傀儡とし更に、出雲よりかの酒呑童子が子・鬼童丸に"剣"の力を茨木童子に注ぎ込ませ妖喰い使いらに差し向ける。
しかし、与えられし力により大蛇のごとく数多の首を背より生やしし茨木童子は見境なく暴れ、頼庵を今にも襲わんとし、剰え操り主であるはずの高无すら襲わんとした。
そしてそこに現れしが、頼庵が兄・義常。
そして高无が兄・伊末であった。
共に現れし訳は無論、自らの弟を助けんがため。
「誠のことであろう? ……さあ頼庵! 呆けている場合ではない、今こそあやつを倒さねばな!」
言いながらも義常は、乗りし刃白の左の舷にある弩より殺気の矢を数多放つ。
「があああっ!」
茨木童子は矢を受けつつも、尚も大蛇の首を二つ頼庵に差し向け続ける。
「ううむ! これは、中々に厄介な」
「兄者! 半兵衛様より留守を命じられていたであろう? 何故」
「それは、先ほど言いし通りである!」
「答えになっていないぞ!」
義常の答えに、頼庵は膨れる。
しかし。
「弟よ、今その怒りぶつけるべき仇は私ではない! あやつであろう?」
「……そうであるな。」
頼庵は尚も膨れつつ、翡翠より殺気の矢を放ち続ける。
兄への怒りを乗せしためか、心なしか先ほどよりは少し威力を増しているようである。
「さあ頼庵! この式神に乗れ。主人様らをお助けせねば!」
「お、応!」
自らに答えぬ兄には、未だ蟠りがあるが。
ここはそうも言ってはおられぬと、頼庵は刃白に飛び乗る。
「ん? 阿江殿はどちらに?」
「私に代わり留守を預かってくれている! この式神も阿江殿が遠くより御してくれているのだ。」
「う、うむなるほど……」
いつになく周りを頼り、兄はここまで出て来たようである。
「そうだな……兄者。ここは力を貸してもらう。ただで返せば今、兄者の穴埋めをしてくださっている阿江殿や他の皆に申し訳が立たぬからな!」
「うむ! さあ、行こうぞ!」
頼庵もようやく納得しし有様にて、義常と共に歩み出す。
刃白は素早く、動き始める。
「高无。私の代わりを務めるなどと大口を叩いておきながら、それが務まらぬ体たらくとは! 恥じるべきぞ。」
「は、兄上。申し開きのしようもございませぬ……」
高无は兄の言葉に、深きため息を吐く。
そもそも、こうして兄に足労を願わんようにとその代わりに出陣することにしたのである。
それをみすみす、こうして兄自ら出陣させてしまうとは。
兄の言う通り、実に体たらくである。
何より。
「何より。兄上に左様に妖を再び取り憑かせてしまうなどと……私が最も避けんとししこと、避けられなかったとは……誠に、面目もございませぬ。」
高无は再び謝る。
しかし。
「行くぞ、高无。」
「え? ど、どちらにでございますか?」
伊末はにわかに、高无を自らの、妖が合わさりし腕にて抱える。
「決まっておろう。かような所で話をするつもりか?」
「う、うわ!」
伊末が高无を抱えその場を離れし刹那。
茨木童子の大蛇の首より放たれし攻めが、そこに当たり爆ぜる。
「かような所では話もできまい。であろう?」
「は、はい……誠にその通りにございます!」
高无は先ほど自らのいし所を見、震え上がる。
「何だい、義常さん……自らくたばりに来ちまったかい?」
「お生憎ですが主人様、まだくたばる訳にはございませぬ!」
大蛇の首の一つに絡め取られし、半兵衛が軽口を叩く。
それには義常も、軽口にて返す。
「そうかい……なら情けねえが助けてくれ! この首思いの外強くて、抜け出せそうにねえんだ。」
半兵衛は叫ぶ。
絡まりし大蛇の首の力に、彼は今ただ抗うのみにても力を頗る使ってしまっている。
「言われるまでもありませぬ! さあ、頼庵!」
「お、応!」
たちまち刃白の両の舷より、数多の殺気の矢が放たれる。
「がああっ!」
茨木童子の大蛇の首に当たり、それらは妖喰いの殺気の色に染められていく。
そうして、血肉に――
「!? な、何!」
とはならず。
頼庵が驚きしことに、なんと大蛇の首は一時喰われかけたかに思えば、みるみる殺気が引いて行き弾かれる。
「妖喰いに、喰らわれることにも抗い見せるとは……さすがであるな!」
「感心しておる場合か!」
義常は場違いに感心する。
頼庵はそんな兄に叫ぶが。
「……ん?」
その時兄を見、あることに気づく。
それは、兄の手が――
「頼庵、何を呆けておる! ここは戦場であるぞ!」
「!? あ、ああすまぬ!」
頼庵は兄の言葉にはっとし、すぐに前へ向き直る。
見れば、自らが受け持つ右の舷に、大蛇の首が迫りつつある。
「頼庵!」
「ぐっ!」
義常の意を受けてか、刃白は素早く大蛇を躱す。
「頼庵! 忘れるな、ここは戦場であるぞ!」
「……すまぬ、兄者。」
頼庵は兄の叱咤に、恥じ入る。
兄の手を煩わせまいと、勝手に出て来し彼に先ほど怒っていたのにこの体たらくとは。
頼庵は気を引き締め直し、弩を握り直す。
「分かればよい。行くぞ!」
「応!」
その兄の呼びかけと共に刃白は立て直し、今一度茨木童子に向かっていく。
「があああ!」
茨木童子はまたも咆哮し、背より生える八つの大蛇の首を滾らせる。
「くっ、さっきよりも!」
「これは、強い……!」
首に巻き取られ囚われの身となりし半兵衛・夏は苦しむ。
「半兵衛様、夏殿!」
「くっ……しかし、どうすればよい? 喰いきれぬ妖など……」
水上兄弟は攻めあぐぬく。
「兄者! 殺気に雷を」
「阿呆! 主人様らまで巻き込んでしまうであろう?」
「う、うむそうか……」
このままでは、埒が明かぬ。
「兄上、どうやら奴ら困らされているようですぞ?」
「ははは……くっ、かはっ!」
「あ、兄上!」
離れし所より戦の行方を見し長門兄弟であるが。
やはり伊末は妖が取り憑き妖力が増ししためか、苦しむ。
「これっきり大事ない! それより高无……何としても、あやつらを倒せ!」
「はっ、ははあ!」
苦しみつつも伊末は、自らの弟に命を下す。
「しかし兄上! このまま行けば」
「侮るな! これまでとて、苦境を潜り抜けし奴ら。これからも何か仕掛けて来ぬとは限らぬであろう?」
「は、はあ……」
既に勝ちし気でいる高无を、伊末が諌める。
「くっ、こうなれば……頼庵! 今より策を話す。よおく聞くのじゃ!」
「! ……兄者、心得た。」
攻めあぐぬく刃白の背の屋形にて、動きながら義常は頼庵に策を話す。
そして。
「主人様あ!」
「うおう! 義常さん……」
半兵衛を縛り上げし大蛇の首に、刃白が迫る。
「主人様! 今より刃白の尾にお触れ下さい!」
「……へ?」
「それから尾より紫丸の殺気の刃をお伸ばし下さい! そうすれば恐らくその首は斬れます! さあ、行きますよ!」
「え? ……おおっと!」
にわかに策を授けられし半兵衛であるが、呆けている暇などないとばかり。
刃白は今にも、半兵衛を縛り上げし大蛇の首の傍らを通り過ぎんとする。
「うおお!」
半兵衛は縛られつつも刃白の尾に触れる。
すると。
「主人様!」
「……鬼が出るか蛇が出るか、やってみるか!」
試すのみとばかり、そのまま半兵衛は刃白の尾より伸びし刃を振るう。
そして――
「主人様!」
「……よおし、斬れた!」
殺気の刃は、大蛇の首を切り捨てる。
半兵衛はそのまま刃白へ飛び乗る。
そして。
「次は、夏殿!」
「うむ……策は既に!」
「おお……これは話が早い!」
そのまま夏を縛り上げし首に迫る刃白であるが、夏は既に策を知っている。
そしてそのまま。
「夏殿!」
「……はっ!」
そのまま、またも自らを縛り上げし大蛇の首の傍らを、刃白が通り過ぎんとしし刹那。
夏は刃白の足に触れ、そのまま刃白の足は殺気の爪を生やし大蛇の首を切り捨てる。
「よし!」
「! 皆、大蛇の首が迫っておる!」
「!? ちっ!」
そのまま刃白に乗り込みし夏は、後ろより大蛇の首が迫りしことを告げる。
半兵衛が慌てて、その大蛇の首を再び刃白の尾の刃にて切り捨てる。
「半兵衛様!」
「一度離れよう!」
半兵衛らを乗せし刃白は、一度茨木童子より間合いを取る。
「まだ、頼松さんたちが!」
「ええ、助けねば……」
半兵衛の叫びに、義常が返す。
「兄者。その手は……」
「うむ。もう、隠せまいか……」
頼庵の言葉に、義常は右手を皆に見せる。
「! 義常殿!」
夏は叫ぶ。
半兵衛は知っていたため、物も言わずこれを見つめる。
「私はもう、妖喰い使いとしての器が保たず長くない。」