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京都の王  作者: 宇井九衛門之丞
第2章 喰宴(水上兄弟編)
12/192

兄弟

「来るぞ、頼庵!」

 兄が声を上げる。既に手負いであるはずの犬のごとき妖は未だ勢い衰えぬまま、兄弟に向かって来る。


「任せよ、兄者は三の矢に力を!」

 頼庵は殺気を纏わせし小刀にて妖と相対す。


「うむ、板についてきおったな頼庵!」

 兄は嬉しげに弟に言う。

 言いながらも忘れず、三の矢をつがえ待つ。


「戦のさなかであろう!」

 頼庵は照れつつ、妖と向き直る。


 妖は姿こそ犬のごときであるが、そのなりは二つの脚にて立ち、前脚を腕のごとく上げし鬼のごとし。


 既に胴には二つの風穴が開いておるが、妖は今や痛みに悶える様はなく、あるとすれば、痛みによる怒りと、その傷を負わせし者へ報わんとする様である。


 妖は目の前の頼庵を掴まんと右の腕を伸ばすが、頼庵は難なく躱す。更に伸ばせし左腕も、躱されし挙句に小刀を突き刺される始末である。


 やはり刺されし周りの肉は殺気にて抉られ、左腕にも風穴が開く。が、その小刀を刺し肉が抉れるまでの僅かな隙を、妖は見逃さぬ。


 そのまま右の腕にて頼庵を掴む。が、頼庵はこれも待っていたとばかり、もう一つの小刀をも取り出だし右の腕に刺す。殺気により、右の腕も抉れる。


「これでしまいよ!」

 頼庵は両の腕を抉り、もはや勝ち誇りし顔を隠しもせぬ。

 そうした心のまま、妖に止めを刺さんとして。


「もらう!」

 妖の頭を狙う。が、妖はそれを恐れず、牙を剥き。


「な、何!」

 妖はにわかに口を開き、鋭き牙の並びを見せる。

 その口は大きく、既に迫る頼庵を飲み込まんとする勢いである。


「頼庵!」

 兄の叫びを頼庵は聞く。と、その刹那、妖は口を開けし顔を逸らす。頼庵は好機とばかり、妖の逸らせし顔の頬を足場とし、素早く後ろに飛ぶ。


「大事ないか!」

 兄より身を案ぜられし弟。

 見れば妖の後ろに、光の矢の刺さりしが見える。

 咄嗟に兄は、頼庵を救うため矢を放ったのである。

 しかしその矢は、妖の頬をかすめ、外れてしまったのである。


「兄者すまぬ!  不覚をとった。まだ矢の力たまらぬ内に……」

 頼庵は肩を落とす。

 自らの奢り故――頼庵は自らの行いを悔いるが、その暇はない。


 妖は既に顔を兄弟に向け、今にもこちらへ向かわんとしておる。


「兄者、四の矢を――」

 頼庵は振り返るが、そこにはすぐ近くまで来し兄が。


「兄者……」

「頼庵、よくやっておる! 次は私があやつを引きつける故、お前は四の矢をつがえておけ! あやつを喰うのだ!」

 兄は素早く、自らの弓を弟に渡し、自らは小刀を弟の手より取り上げ、妖に向かいながら言う。


「兄者!」

 その兄の様は、有無を言わさぬといった様である。


「私では、引き止められなかったが故か……」

 頼庵はまたも肩を落とす。兄より任せられし役目、全うできぬとは――


「何をしておる! 呆けておる場ではなかろう、頼庵!」

 妖に小刀にて傷を負わせながら、兄が叫ぶ。

 ようやくその声に頼庵も、気がつく。


 だが、兄は声を上げる時には振り返っておった。その僅かな隙を、妖はやはり見逃さぬ。


「兄者、後ろ――」

 頼庵の叫びも虚しく、兄は妖の腕に取られてしまう。

 手負いでありながら妖の勢いは、やはり衰えておらぬ。


「兄者、今助ける!」

 頼庵は言ったものの、妖は腕に取りし兄を振り回す。

 未だ力たまらぬ四の矢でも、兄を助けることはできようが、今妖に放てば兄を貫くことにもなりかねぬ。


「兄者あああ!」

 頼庵は叫ぶ。何としても兄を助けねば、しかしいかに? 

 答えの出ぬこの問いを前に、今はただただ叫ぶしかない。


 と、刹那。

 妖の身が、真ん中より二つに引き裂かれる。

 兄の身は握られし妖の腕ごと投げ出されるが、兄はこの機を逃さず、すかさず妖の指を小刀にて斬り地に足をつける。


「な、誰が……」

 頼庵が見れば、妖の斬られし身の後ろには刃を振り下ろせし人影が。


「誰ぞ、そなた!」

 頼庵は問う。すると男は、妖の後ろより進み出て自らの刃を振り上げる。


 その様に、思わず身構える頼庵と、兄であるが。

「一国、半兵衛! あんたらと同じく妖喰いの使い手だ!」

 男――半兵衛は構わず、高らかに声を上げる。


「妖喰い、だと……?」

 頼庵は半兵衛の振り上げし刃を見る。

 その刃は紫の光を放っておる。


「む、紫の刃……!」

 頼庵はにわかに身構える。この紫の刃、もしや――


「そなたか、我らを救いしこと、かたじけない。」

 兄の言葉に、頼庵は兄の方を見やる。


 兄も気付かぬ訳ではなかろうが、そのような様はおくびにも出さぬ。

 兄は未だ刃を振り上げし半兵衛に、自らは小刀を下ろしたまま近づく。


 が、半兵衛は。

「……いや、まだだ!」

 そう言うや後ろを振り返り、再び刃を構える。


「な、何……?」

 半兵衛の言葉が分からぬ頼庵であるが、次の刹那それを解す。


 二つに引き裂かれし妖の身は、それぞれで膨らみ。爛れし肉の塊になったと思えば、またそれぞれに形を変える。


 先ほどと同じく犬頭鬼身の妖が、二つに増える。

「な、何! 既に息の根は……」

 頼庵の叫びに、

「仕組みは知らんが、こうして妖を作り変え、操ってる札が、どこかにあるはずだ!」

 半兵衛が答える。


「札、だと?」

 半兵衛の近くに寄りしままの兄も、問う。


「ああ、肉と紛れて分かりづらいが、目えこらしゃ見えるはずだ、札を狙うんだ!」

 半兵衛は言うが早いか、妖の一つに向かって行く。


「心得た!」

 兄も小刀を構え直し、妖のもう一つへと向かって行く。


「あ、兄者! そやつの言うこと、信ずるのか!」

 頼庵も弓を構え直しながら、兄に問う。そやつは紫の刃を持っておる。あれは――


「頼庵! 今は札を狙うことのみを考えよ!」

 今度は振り返らず、ただ妖の方を向きしまま兄は弟に言う。


「札、とは……」

 もはややむを得ぬ。頼庵は弓を構えながら、目をこらし二つに分かれし妖を見る。


 札は――やはり見えぬ。

「やはり、あの半兵衛なる男は――」

 我らを誑かしているのではないか。もしやあの妖を操りしも、あの男では――


 そんな考えが巡るが。

「頼庵、あったぞ!」

 兄が叫ぶ。頼庵が見れば、兄は妖の身を抉り、中より、札が。


「! 誠であったか。」

 頼庵は驚嘆する。が、今度は気を取り直し、まだ力は満ちておらぬが、つがえし光の矢を放つ。


 矢が札に当たるや、札は血と肉へと崩れ、兄の向かいし妖も、血肉へと崩れ。それらは緑色の光に染まり、矢の刺さりし所へと吸い込まれていく。


「へえ、妖の血に染まるんじゃなく、妖を自らの色に染めるってか!」

 半兵衛が声を上げる。


 兄と頼庵が見れば、半兵衛の向かいし方の妖は既に、血肉となり、その紫の刃に吸い込まれておるさなかであった。


「そなたも、妖喰いを……」

 妖の血肉が吸い尽くされし後。

 頼庵は兄と、半兵衛の元へ駆け寄り、半兵衛に問う。


「ああ、改めて俺は、一国半兵衛。こいつは俺の妖喰い、紫丸だ。どうぞよろしく。」

 半兵衛は二人に、手を取り合うを求めて手を伸ばす。


 それを影より見つめし者、否、者たちがいる。

「……兄上、あの者たちは都に着きしようです。」

 男はもう一人の男に、言う。


「うむ高无(たかなし)。これによりようやく、我らもこの三月あまりの沈黙を破れそうじゃな。」

 もう一人の男は、自らに声をかけし男――弟に声をかける。


「……父上、ご覧じていらっしゃいますか? この伊末(これすえ)、高无。我ら長門一門の先を担う者として、この身を尽くす次第にございます。」

 この二人は長門道虚の息子たち、女御冥子の兄たちである。


 父への誓いを二人は、闇夜の空に向け立てる。





 弓使いの兄弟が都に来しより、三日あまり後。

 帝と兄弟との対面は、これまでと同じく内裏の謁見の間にて執り行われた。


「……なるほど、そなたらは"侍"であったか。」

 帝は目の前の兄弟に、声をかける。


「はっ! 我らは水上(みなかみ)と申す一族の出。私は兄の義常(よしとこ)! そしてこちらは――」

「頼庵と申します。弟にございます。」

 兄弟は揃って、名乗る。


「水上義常、頼庵と申すか……そなたらはいずこより来た?」

 帝は尚も、問う。


「我らは尾張の国(現愛知県西部)の出であります故、そこより参りました。」

 兄義常が答える。


「ふうむ、何故京の都に?」

「妖が長き伏したる時を経て、再び現れしと風の噂に聞き、お力添えできればと思い参りました。」

 またの帝よりの問いには、またも義常の方が答える。


「ふむ、やはり集められし妖喰いは全てにあらずであったか……長き旅にて都に馳せ参じてくれしこと、誠に大義である。」

 帝は水上の兄弟に、改めて礼を言う。


「は、もったいなきお言葉、身に余る光栄にございます。」

 兄弟は揃い、頭を下げる。


「この弓のごとき妖喰い……翡翠と言ったか。これは水上の家に受け継がれしものなのだな?」

 帝が次に問うは、妖喰いの由縁である。


「は、この妖喰いの弓・翡翠は我が家に代々受け継がれしものなれば。今は私が継いでおりますが、いずれ殺気の高まりて果てし後には。この弟に継がせる所存でございます。」

 義常は返す。

 頼庵は兄の言葉に合わせ、帝へ頭を下げながらも、どこか決まり悪き様である。


「水上の家はさぞ、由緒ある家であったのであろう。その世継ぎとならん二人が揃いもそろって出て来るなど、それでよいのか?」

 帝はより、踏み込んで聞く。


 すると義常は、これまでの淀みなき話し方とはうって変わり、やや躊躇いがちに話す。

「……身内の恥を晒すようでお恥ずかしき限りですが、今水上家は、我らが父が死に叔父に乗っ取られし有様でございます。故に、都でひと旗上げ、父の頃の力を取り戻さんとしたのです。」

 頼庵も頷く。


「何と……! さようか、それは何とも……」

 帝は返す言葉もない。


 すると、今度は義常の方より、

「帝、私よりお聞きしたいこともございます。よろしいでしょうか?」

 帝に問う。


「ああ、構わぬ。そういえば、私より聞いてばかりであったな。」

 帝も問われるを許す。


「ありがたきお言葉。では、お聞きします。……今都の外がどうなっているか、ご存知でしょうか?」

 義常より出でしこの言葉は、帝にとりては思いもよらぬ言葉であった。


「……都の外、とな?」

 帝はそう返すより他ない。


「……ご存知ありませぬか……。では私よりお知らせいたします。都の外では、地方に下りし貴族の方々が私腹を肥やさんと民たちより絞りとっております。それに対し、我ら侍は自らの地・民を守らんと、身を鎧い、刀を取り抗っております。」

 義常は滔々と述べる。


 たちまち騒めくは、謁見の間にて同席せし公家たちである。

「そ、そなた! 我らを愚弄するのか、侍ごときが!」

 公家の一人より声が上がる。


 謁見の間はそれを皮切りとし、公家たちによる野次の嵐と化す。


「帝、騙されてはなりませぬ! むしろ地方を荒らし回っておるは侍たちでは? 戦などに明け暮れおって……」

「そうじゃ、この者たちの言うこと、戯言に他ならぬ。」

「おのれ、そのしたり顔! たかがぽっと都に現れ妖の一つや二つ喰らいしくらいで……」

「皆、静かにせぬか!」

 それを諌めたるは、やはり帝である。


「……この者たちは遠き道をはるばる都へと来てくれた。それのみにても、信ずるに値するとは思わぬか?」

 帝のこの問いには、先ほどまで騒ぎし公家たちも静まるより他ない。


「……半兵衛、この者たちは命を賭し妖と戦っておった。違いないな?」

 帝はこれまた同席しておる半兵衛にも言葉を求める。


「ああ、それは疑いようのねえ。この目でしかと見たからな。」

 半兵衛はいつもの言葉遣いにて答える。


 帝への言葉とは思えぬ半兵衛の物言いに、

「な、なんと半兵衛殿! そのような言葉遣い……」

 水上の兄弟は揃って、声を上げる。


「ああ、よいのじゃ! そなたらも、ちと堅苦しさが過ぎるというもの。もう少し解きほぐしてみよ。」

 帝は事も無げに答え、兄弟たちを気遣う。


 その様にはむしろ兄弟も、ますます恐れ入る。

「と、とんでもございませぬ帝!」

 しかし、次には帝も一つ、咳払いをするや

「……して、やはり誠であるな? 都の外がよもやそのようなことに……」

 頭を抱え、ただ恥じ入ったように目を落とす。


「は、恐れながら誠のことに! 故に帝、我らはこの都にその様を伝えるためにも参りし次第にございます。何卒――」

「うむ、分かっておる。そなたらは勇ましき妖喰いの使い手である! 故に此度の武勲を讃え、半兵衛と同じくこの都を守る任についてもらいたく存じる。」

 義常の言葉に、帝は讃える言葉を贈る。


「はっ、ありがたき幸せ! このご恩に報いるべく我ら兄弟、精進いたす所存にございます!」

 兄弟はまたも口を、動きを揃え。帝へ報わんとする様を全身にて表す。


「ははは、苦しゅうないぞ、義常よ、頼庵よ! こちらからも何卒、よろしく頼む!」

 帝は笑みを浮かべ、兄弟たちに声をかける。


 謁見の間にての面通しはこれにてお開きとなり、半兵衛が向かいしは――

「半兵衛、またもそなたから来てくれようとは。」

 やはり、中宮――無論、侍女のなりであるが――である。


「……ああ。そろそろ答えなければ、と思ってな。」

 中宮を見、半兵衛は答える。


「ああ、すまぬ。……それは私の方より、断らせていただく。」

 半兵衛の切り出すを遮らんばかりに、中宮は早く切り出す。


「……え?」

 半兵衛も戸惑いを隠せぬ。


「……今はその、やはり皇子を産むことに力を入れたいと考えておる。まあ、未だ身籠もらぬが……すまぬ半兵衛、私より頼んでおきながら……」

 中宮は声を絞りながら答える。


「……分かった。俺も同じこと言おうとしてたから、手間が省けたってやつだな。」

 半兵衛は尚も戸惑うを押し殺し、努めて静かに返す。


「……かたじけない、それでは。」

 それのみ言うや、中宮は長居は無用とばかり、踵を返す。


 中宮の背中を見送りながら、半兵衛はため息を漏らす。

「……これで良かったのさ。」

 ある日の、あの氏式部の言葉が蘇る。

 ――中宮は帝のお后――


「……だよな、浮かれてすらいたかもしれない。まったく俺というやつは。」

 半兵衛は自嘲気味に笑う。



 その夜。

「兄者、昼に言いしことは――」

「……嘘ではない。ただ、心の中ではもう諦めたる望みよ。」

 水上兄弟は半兵衛と同じく、氏原の屋敷にて床についておる。


「あの半兵衛という男の刃――」

「ああ、間違いなかろう。」

 頼庵が皆まで言うより前に、兄が声を上げる。

 やはり、気づいておったか。


「……だが頼庵。半兵衛という男は我らには気付かぬようであった。又は気付かぬふりをしておるかも知れぬが、今は我らの本願のため、ならば我らも気付かぬふりをしようぞ。」

 義常は続けて、弟に言うた。


「……やはり、変わらぬのか?」

 頼庵が問う。


「ああ。」

 義常は頷き、更にこう返す。


「我らがこの都に来し今、本願はただ一つ。そしてその本願を果さんためにはまず――帝に近づくことからせねばならなかった。それができたのであれば、次には――」

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