父兄
「戻ったか、妹よ。……薬売りは?」
「はい、こちらに。」
「……ふん!」
「痛っ!」
海賊衆との戦が終わり、すぐ後のこと。
長門屋敷にて冥子に引き立てられし向麿は、待ち受けし伊末により頭を掴まれる。
「離して下さいな! 何なさるんや」
「何をするだと? なるほど、誠の愚か者とは自らの立場さえ分からぬ者を言うのだな!」
向麿を引き立てし伊末は、そのまま向麿を床へと放り出す。
「痛た!」
「さあて……どう処断してくれようか! 打ち首か、はたまた吊るし首か……」
「そうでございますねえ、兄上!」
伊末は床に転がる向麿に向かいにやりとする。
高无も兄を立てる。
と、その時であった。
――待たぬか、息子たちよ。
「!? ち、父上!」
「あ、兄上! 父上が!」
「兄上方、何を慌てておられるのですか? ここは早く頭を低くせねばなりますまい?」
「くっ、妹よ! そんなことはわかっておるわ!」
道虚の言葉が頭に響き、長門兄妹は跪く。
「父上! お休みを妨げてしまい誠に申し訳ございませぬ。しかし、この薬売りめは我らにも内密に、頗る大きな妖を従えていたのでございます。我らをも欺くなどと、これは謀反の意を疑われて然るべき行い! さすれば」
伊末は落ち着きを取り戻し父に訴える。
しかし、その父・道虚の言葉が返る。
――ううむ、それは我が意によるもの。すまぬ息子たちよ、そなたらを試すがごとき真似をしてしまった。
「な、なんと!」
これには伊末・高无は慌てる。
まさか、他ならぬ父の意であったとは。
「も、申し訳ございませぬ! 父上の意も汲み取らず……この愚かなる息子たちをどうか!」
「お、お許しください父上!」
「ええ父上……この不甲斐なき兄たちをどうかお許しください。」
「おい! どさくさに紛れて何を言っておる!」
慌てて謝る長門兄弟であるが、妹・冥子の言葉には怒る。
やがて、父よりまた言葉が返る。
――いや、私こそすまぬ。しかし息子たちよ、すまぬついでではあるが……この父の頼み、果たしてはくれぬか? その向麿と力を合わせてな。
「は、ははあ! ……!? なっ、この薬売りとですか!」
伊末はまたも驚かされる。
この薬売りと?
「ははは、鬼神様! このそれがし、身に余る光栄ですわ……しかし、お子らはどう思われるかなあ。」
「ぐっ!」
白々しくも自らに悲しげな目を向けし向麿に、伊末は歯噛みする。
まったく、こやつを廃する千載一遇の機と思えば――
しかしそこで伊末は、ふと考えを変える。
そうか、ならば。
「……かしこまりました父上、この伊末めにお任せくださいませ!」
「なっ、兄上!」
「……ほう?」
にわかに素直になりし伊末を、弟も妹も訝しむ。
――よくぞ言った、伊末! では……私が命じし、あの鎮西八郎のことは覚えておるな?
「はっ! 父上の仰せのままにこの伊末、あの男にあれを渡しましてございます!」
――うむ、よい。では……どうか次にはこれを奪ってほしい!
「はっ……なっ! こ、これは……?」
伊末は父の示ししそれに、驚く。
いや、驚きしは彼ばかりではない。
「ち、父上!」
「もしや……いよいよ、京都の王となられるべく!」
伊末の弟・妹、ひいては道虚の息子・娘も驚く。
――ああ、そうであるな……しかし、今は京都の王となる時ではまだない。今は……堕ちる時である!
「お、堕ちるですと?」
この父の言葉には、長門兄妹は揃い首を傾げる。
堕ちるとは?
――それは……こういうことである。
「!? な、ち、父上え!」
「そ、そんな!」
「……誠になさるおつもりですか? 父上。」
父がはっきりと示しし、"堕ちる"の意に長門兄妹は揺らぎを隠せぬ。
――案ずるな、息子たちよ娘よ! 全ては京都の王となるため……そのために、堕ちるだけじゃ!
「……はっ、父上!」
しかし道虚のこの言葉には、伊末らはその意が誠であることを感じ再び頭を下げる。
もとより父の正気を疑ってなどいない。よって、父がそう言うならば従う他ないのである。
「我ら、長門一門! 父上が京都の王となられる日の為この身、捨てることも辞さぬ想いでございます!!!」
長門兄妹は、改めて父に意を明かす。
――ふふふ、よいぞ、可愛い子らよ! だが、その身を捨てるということは間違いであるな……我らは一身同体、その身がなければ我らは成し遂げられぬ! ゆめゆめ忘れるでないぞ!
「ははあ!!!」
改めて長門兄妹は頭を下げる。
「いやーしかし! 此度ばかりは驚きましたなあ……伊末様。なして、それがしに改めて手を貸してくれようと?」
先ほどの部屋を出るなり、向麿は伊末に尋ねる。
「ふん、薬売り! これで許されたなどと思うな……だがそなたに、今は頼みたきことがあってな。」
「ほう、なんや?」
嫌味の次にはしおらしくも頼み事とは。
見ようによっては訳が分からぬ流れである。
「まあ、そこまで差し迫りしことという訳でも……いや、差し迫っておるな。」
「話が見えませんなあ。」
向麿は伊末の意を計りかねる。
「……私を、妖が無くとも戦える身にしてはくれぬか?」
「……ほう。」
向麿は伊末のこの言葉に、ちらりと彼を見遣る。
その面持ちは、誠の想いを感じさせる。
「そうやなあ……やとしたら、それは出来かねますなあ。」
「な、おのれ!」
伊末はこの言葉に憤り、向麿に掴みかかる。
「痛た……伊末様、せやかて。要は、剣術でも身につけたいやおっしゃりたいんやろ? しっかし剣術が、そんな一朝一夕に身につくもんなんか?」
「くっ……しかしであればこそ! 術か何かを使えぬのか?」
向麿の此度ばかりは真っ当な言葉に伊末は押されつつも、尚も食い下がる。
「ふうん……まあ、ないこともないでえ。しかし、妖が無くとも、いうんはちいと難しいなあ。」
「……私はやはり、妖が無ければ何もできぬのか……」
伊末は向麿の言葉に、へたり込む。
「おやおや、伊末様? なんや、いつもの威勢はいづこへ? ……まあ、そうがっかりしなさんなや! 妖を使いつつも、あんた様が御自ら戦えるようにはできる。」
「何、誠か!」
伊末はこの言葉に、望みを感じる。
「しかし……やるからにはお一つ、覚えてもらわんといかんことがある。……それはずばり、場合によっては命を落としかねんいうことや!」
「……構わぬ。この身、父上のためならば……」
「おやおや、いいんか? お父上がおっしゃって下さったこと、破ることになるでえ。」
向麿は伊末に覚悟を問うが、伊末より返りし言葉に問いを再び返す。
「ああ、父上はああおっしゃって下さったが……いざとなればこの私が、父上の刀にも盾にもならねばなるまい?」
「ふふふ……まったく、親孝行なんやら不孝なんやらよう分からんなあ。……まあええ。ほんならええわ!」
「……頼むぞ。」
伊末は向麿に、覚悟を決めし目を向ける。
「兄上……」
「かような所でお怠けになっていてよろしいのですか? 高无兄上。」
「……冥子か。」
長門屋敷の屋根にて佇みし高无を、冥子が咎める。
「まあ、怠けにはなるな……しかし、私には父上と兄上の御心が分からぬのだ。何故……」
「父上については、"堕ちる"とおっしゃっていたこと。伊末兄上については……妖無しでも戦いたいとおっしゃっていたことですか?」
「ああ、そうだ……!? そなた、さては兄上と薬売りのお話を立ち聞きしたな……」
妹の言葉に、高无は睨みを返す。
しかし、冥子はさして動じぬ。
「あら? 高无兄上こそされたのでは?」
「まあ、そうであるな……なるほど、私も人のことは言えぬか。」
高无は次には、自嘲気味に笑う。
「まあ、よろしいのではないですか? 伊末兄上の志は、認めるに値すると思いますよ。」
「ううむ……しかし! 下手を打てば」
「それは……伊末兄上が御自ら責を負われることでございましょう?」
「……くっ。」
高无の言葉に、冥子は事も無げに返す。
いつものことながら父・兄・妹と、自らの他にいる一門の考えは解せぬ。
やはり自らが、愚鈍ということか?
「……まあ何にせよ、高无兄上もお覚悟を決めなさった方がよろしいのでは?」
「……そうであるな。父上が、『京都の王』となられる日は近かろうし。」
「はい。」
冥子は微笑む。
高无は目の前の、傾く日を悲痛な眼差しにて見つめる。
時は、あの海賊衆との終いの戦のさなか。
伊末と高无が戦場を退きし後に遡る。
「これはこれは。お初にお目にかかります。」
翁の面を被りし伊末が、挨拶をする。
「何だ、そなたらは! この鎮西八郎に、何か用か?」
その男――鎮西八郎。泉八郎為暁は、訝しげに伊末を見る。
ここは為暁が流されし、伊豆の島。
伊末は次なる策のため、ここを訪れていた。
「ううむ、一度は弓を引けぬよう斬られし肘。癒つつある頃にございますな?」
「ああ、そうであるが……そなたは何者か?」
為暁は痛々しくも未だ傷跡の残る自らの肘を見遣り、言う。
「……そなたが望めば、ここから出して差し上げられる。」
「何!?」
為暁はにわかなることに、仰天する。
「嘘ではなかろうな?」
「ええ。……これをお使い下さい。」
「? これは、剣か?」
伊末が差し出ししそれは、剣であった。
こうしてまたも、火種は撒かれし。
次回より、第8章 剣璽(神器探求編)が開始。




