遠島
「たく……どうなって。」
「は、半兵衛! 次はこちらに」
「くっ……鵲丸さん!」
「うむ!」
幻――のはずの大きな化け蟹を前に、半兵衛らは逃げ回る。
海賊らとの、戦にて。
これまでの一度、二度の戦を経て、大きくその妖の数を減らされしと思われる海賊衆は。
そのまま元の海賊衆でもある水軍へ、力添え――ひいては、静氏一門への裏切りを持ちかけたのであるが。
水軍はこれをすげなく断る。
こうして半兵衛ら妖喰い使いらと水軍の合わさりし軍、そして妖を使う海賊衆との三度の戦が幕を上げたのである。
そのさなか姿を現しし、海賊衆の根城と思しき島。
そして、それを霧を吐いてそれにて覆っていた妖・蜃までも数多動かし、海賊衆は死にものぐるいの抗いを見せんとしておる。
そして今、その蜃が吐く霧により作られし幻――のはずの大蟹により何故か船が斬られてしまい場は混迷の極みである。
「まったく……どんな仕組みなんだよ! 幻が物を斬れるなんざ!」
半兵衛は大蟹を睨みつつ吐き捨てるが、八つ当たりでは何も変わらぬ。
「くっ……またあの蟹が!」
広人が叫ぶ通り、大蟹はさして速く動くこともなく。
むしろ、ゆったりと周りを見渡して獲物を見定めている。
「あのゆとり……苛つかせるねえ!」
半兵衛は怒り混じりに漏らす。
こちらには所詮何もできぬと、高を括っているのか。
しかし現に、半兵衛らは"幻"たるこの大蟹には手も足も出ぬ。
「しかし半兵衛様! 誠に幻である妖が、我らに傷などつけられるでしょうか?」
「ああ……できねえはず、なんだけどな……っと!」
半兵衛は頼庵の言葉に耳を傾けつつ、大蟹の攻めを躱させる。
「(あいつが幻ではない……とか? いや、それはないか。)」
半兵衛は考えを巡らせる。
あれが幻でないならば、つい先ほど鋏を水面に叩きつけても何も変わらなかった様はどういう訳なのか。
しかし。
「おっと!」
出来れば脇目もふらずに考えたき所であるが、それはさせじとばかりに大蟹は鋏を振るう。
あと少しズレていれば、間違いなく真っ二つであろう。
「やれやれ……こりゃあ容易くは逃してくれないってかい?」
半兵衛は言葉返るはずもなき問いを、妖に向け放つ。
無論、大蟹はこちらを見るばかりで何も答えぬ。
いや、そうでもあるまいか。
「うおっと! ……こりゃあご丁寧に、答えてくれたってかい!」
大蟹は再び、その鋏を振り下ろしたり。
それはさながら、"逃さぬ"と先ほどの問いかけに答えしがごとし。
「くっ……この!」
痺れを切らししか、頼庵が雷纏う殺気の矢を大蟹の身に向け放つ。
「お、おい頼庵!」
「半兵衛様! 我らはまだ、あの蟹めを直には攻めておりませぬ! もしやあやつ、幻ではないのでは」
しかし、頼庵の言葉を嘲笑うがごとくその言い切り待たれずして。
大蟹の身を、虚しく雷纏う矢の数々はすり抜ける。
「くっ、やはり……」
「あれは幻か? いや……もしかしたら!」
「な……半兵衛?」
先ほどまで、珍しく及び腰であった半兵衛だが。
にわかにいつものごとく、熱り立つ。
「半兵衛殿!」
「鵲丸さんよお! すまねえ。……あいつに斬られかけてくれねえか?」
「なっ!?」
鵲丸は我が耳を疑う。
いや、鵲丸ばかりではない。
「な、何を言うか半兵衛!」
「そうです! これより自ら斬られに」
広人や頼庵も、ひっくり返りかねぬほど驚く。
しかし。
「まあすまねえ! 誹りは後にして、今はこれしかねえんだ!」
「……承知した!」
「いや、承知するのか!!」
半兵衛の有無を言わさぬ有様に、鵲丸はあっさり折れ広人、頼庵は突っ込む。
そして鵲丸は、敢えて大蟹に近づく。
「さあさ……こいや蟹坊!」
半兵衛が煽る。
大蟹もそれに応え、鋏をまた振り上げる。
「さあ来いっての!」
そのまま大蟹は振り上げし鋏を、次には振り下ろす。
半兵衛は、その鋏を受け止めんして。
「行くぜえ!」
紫丸を抜き、そのまま水面に刃をつける。
勢いをつけるためである。
そして、大蟹の鋏が今にも半兵衛を斬らんと迫り――
「!? へっ?」
「は、半兵衛!」
半兵衛の体を、大蟹の鋏がすり抜ける。
半兵衛は鋏を、受け止められなかったのである。
と、いうのも。
「な、何か……巻き上げたぞ!」
「あれは……なんだ!」
半兵衛は鋏を受け止めんと、水面より刃を振るうさなか。
思わぬ手ごたえを覚え、かと思えば何やらその勢いにより水より何かが、踊り出たのである。
「……鮫?」
半兵衛は首をかしげる。
それは、鮫のごとき姿の妖――磯撫で。
そして、次には。
「!? ……ぐわっ!」
「は、半兵衛!」
広人や頼庵が、驚きしことに。
半兵衛は何故か、何かに引っ張られしがごとく海へと、引かれる。
「半兵衛!」
「あ、案ずるな! ……しっかし、分かったぜ!」
半兵衛は、先ほどまでの大蟹の仕組みにようやく気づく。
船を斬りしは、この磯撫でだったのである。
大蟹が鋏を振り下ろす時に、息を合わせ。
磯撫でが海の中より船を、二つに斬り裂いていたのであった。
「ようし、仕組みが分かれば……わっぷ!」
「半兵衛!」
磯撫でに引き寄せられし半兵衛は、そのまま磯撫でにくっつき、水の中へと引きずり込まれし。
「何じゃ! 私にはあのように言っておきながら、自らは夏殿と同じか!」
「ははは……そうだな、面目ない。」
広人の誹りに、半兵衛は苦笑いを浮かべ謝る。
しかし、無論それにて片付くことではない。
さて、どうしたものか。
「よいしょ! ……背に、捕まりゃあ! 思いの外そこまでは悪くないぜえ!」
半兵衛は磯撫での背に捕まり、磯撫ではそれを振り落とさんと速さを増す。
「くっ、妖が!」
「鵲丸殿!」
「今避ける!」
再び、自らの船に向かいつつある妖を。
広人らは何とか避けんとして足掻く。
「おうおう! こいつあまずいなあ、どうにかしねえと!」
「笑い混じりに言っておる場合か!」
場違いに呑気である半兵衛を、広人は咎める。
「慌てて片付くことかよ! ……かくなる上は!」
半兵衛は前を見る。
今にも磯撫では、広人らが乗る船へ迫っておる。
「鵲丸殿!」
「やっておる! しかし」
「くっ、半兵衛様!」
船からは広人、頼庵、鵲丸の叫びが聞こえる。
このままでは――
と、その刹那であった。
――半兵衛?
――頼庵?
――広人?
「!?」
半兵衛らは声を、聞いた。
たちまち時の流れが遅くなる様を、感じる。
「ひ、広人……これは」
「ああ、夏殿の」
それは、夏の声である。
さながら、前に広人のみに聞こえし時と同じ。
「なるほど……声が聞こえたってのはこのことかい! でかしたよ夏ちゃん!」
半兵衛は高らかに、叫ぶ。
速かりしはずであった磯撫での動きは、もはや鈍い。
かくなる、上は。
「いくぜ……今行くぜ夏ちゃん!」
半兵衛は前を見る。
すると。
「気合いで凌げ!」
「半兵衛様!」
「……はっ?」
見ると、広人は紅蓮を、頼庵は翡翠の矢を半兵衛――ひいては妖に向けていた。
「紅蓮!」
「翡翠!」
「ちょ! 待て落ち着け」
「剣山!!」
「うわあ!」
半兵衛の止めも虚しく、たちまち殺気の剣山が伸び。
それは妖と半兵衛の、すぐ前の水面に刺さる。
「ふう……ひやひやさせなさんな! まあいいや。これで」
そのまま半兵衛は、磯撫での速さ――もとい流れに。
棹を差すがごとく、紫丸の刃を櫂のごとく使う。
「そのまま殺気の剣山は保っておけよお!」
「言われずとも!」
「はっ!」
「行くぜえ!」
そのまま、水面に斜めに刺さりし殺気の剣山を道にし。
「おりゃあ!」
半兵衛と磯撫では、宙を舞う。
「おお……こりゃあいい眺め……たあいかねえな。霧しかねえ。」
半兵衛は、ため息を吐き。
その次には。
「喰らええ!」
たちまち紫丸の刃に、殺気の雷を纏わせ。
それを繭のごとく紡ぐ。
殺気の、雷の玉だ。
雷の玉はいくつか、宙を舞い。
半兵衛と磯撫でを取り囲み。
次には、その輪の外に向かい弾ける。
「くっ!」
「まっ、眩しい!」
たちまち雷鳴が、目を潰しかねん勢いにて光り輝く。
それは霧など、ものともせず。
霧は、晴れていく。
そして、それは霧の吐き出したる源たる蜃にも当たり、打たれし蜃は血肉となる。
「眩しい! な、なんだあれは!」
「おやおや! こらあえらいもんを。」
「呑気に言っておる場合か!」
その眩き光は、戦場の後ろ――あの島の近くにいる、向麿や定陸のいる船幽霊の中にも降り注ぐ。
「そやな……少し遅きに失するようやが、蜃共お! 危ないから、島の辺りまで下がるんや!」
向麿も少しは慌て、蜃を下がらせる。
たちまち戦場を前にて仕切りし蜃共はその言葉に従い、次々と戻る。
「少しばかり数は減らしたが……今日はこれくらいがええやろ。」
「しかし! 水軍衆は」
「焦らんといてや! ……言うとるやろ? 手えは打ってあるって。」
焦る定陸であるが、向麿の笑い顔を――笑顔と言い表すには醜い――眺めて口ごもる。
「な、何じゃ……いつもいつも」
「そなたらは……それがしらに黙ってついて来る。それが最もええこと……な? 間違いやないやろ?」
「……ふん! うまくいかねば、その時は責を負ってもらう!」
定陸は今一つ、納得できしわけではないが。
どちらにせよ今は攻めきれぬからと、渋々退くこととした。
「! 海賊衆が」
「ああ……引いていく。」
頼庵、広人が見渡す、霧の晴れし海の上にて。
妖たちが、島へと引いていく。
と、そこへ。
「! あ、これは」
「そ、空より……血肉?」
頼庵、広人の目の前に。
赤きものが、数多落ちる。
いや、赤きものだけではない。
「よいしょ!」
「うお!」
「は、半兵衛様!」
半兵衛もであった。
しかし、半兵衛が妖と飛び上がりしはそれなりに高き所。
そこより船に、降り立てば。
その勢いにて自然、船は大きく揺れる。
「あ、阿呆! 船に落ちる奴がどこにいるか!」
「す、すまん……鵲丸さん!」
「な、何の……これしき!」
が、どうにか鵲丸の腕により。
事無きを得る。
「はあ、はあ……あの妖は、斬ったのだな?」
「ああ、あたぼうよ!」
半兵衛は得意げに、右手の紫丸の刃を見せる。
その刃は、紫に染まっていた。
「! そ、そうじゃ鵲丸殿! 早くあの島を」
「いや……すまぬ。」
「!? そ、そんな……」
広人は勇み、島を攻めんとするが。
鵲丸が止める。
「何故じゃ、奴らは弱って」
「広人! 弱っておるは我らとて、同じであろう?」
「うっ……」
食い下がる広人だが、頼庵の言葉により口ごもる。
先ほどの妖らの害にて、船は数多斬り伏せられてしまった。
そして、それだけではない。
「くっ、島が!」
島――恐らくは海賊衆の根城である――は既に、再び霧に覆われつつある。
今攻めるは、賢くはなかろう。
「広人! ……あんたの言うことはやはり正しかった。夏ちゃんは生きてて、あの島にいる! ……だから今は、信じて退くぞ。」
「……うむ。」
半兵衛のその言葉により広人も、折れる。
たちまち、水軍衆の船らはその場を離れていく。
「……ふふふ」
「ん? 何だよにわかに、笑い出しやがって。」
「……いや、何でも。」
にわかに笑い出しし広人を、半兵衛は訝しむ。
広人は、考えていた。
船に魚――此度は、半兵衛――が飛び込み。
そして今、また断腸の思いにて夏を救えるかもしれぬ場を、離れねばならぬ。
まさに、あの静氏の宴船の時と同じであると。
そして、その思いが。
――夏殿、待っていよ。必ずや救い出す。
その思いを、より強くしていた。




