蜃気
「さあ、お聞かせ願いたい! 同じく海賊衆、互いに手を再び取り合わんか!」
船幽霊より、海賊衆が棟梁・定陸の声が相変わらず響き渡る。
海賊衆が清栄の、宴の船を襲い。
そうして、夏が船を救い自らは行方知れずとなるきっかけとなり。
その後二度の戦を、半兵衛らは海賊衆と交えることとなる。
始めの戦にて浅からぬ傷を負いしはずの海賊衆は、その傷塞がらぬ内に再び戦を仕掛けた。
それを半兵衛は訝っていたのだが。
それは始めの戦にて静氏一門にも浅からぬ傷を負わせ、水軍を差し向けさせる算段があったためと分かる。
水軍を差し向けさせし訳は、かつての海賊であった者らと手を組まんと海賊衆が欲ししためである。
そうして、再びの戦が終わりし後。
水軍の棟梁・鵲丸に見回りへの同行を申し出、海賊衆と手を組むつもりかと問い質したのであるが。
そこへ、あたかも機を伺いしように、海賊衆が現れしということである。
「さあ、水軍の棟梁殿! こちらは問うておる。答えを求める!」
いつものごとく船幽霊に乗り深き霧の中より現れし海賊衆の棟梁の声が、響き渡る。
「……だそうだが。さあて鵲丸さん、どうするかい?」
未だ向けられし刃を小刀にて受け止めつつ、半兵衛が鵲丸に問う。
「ふうむ……私の、答えは!」
すかさず鵲丸は、半兵衛の小刀より刃を勢いよく離す。
かと思えば、そのまま刃を振り上げる。
「……止むを得んてかい!」
半兵衛は身構える。
小刀をより、握りしめる。
そのまま鵲丸は、刃を下ろし――
「……んあ?」
半兵衛が、思わず間抜けな声を上げ驚きしことに。
そのまま鵲丸は、刃を鞘へ納める。
「……どういう」
「……こうする!」
鵲丸はそのまま、近くに置かれし矢筒より矢を取り出だし弓を持ち。
矢を弓につがえ、鉉を引き絞る。
そのまま矢は、船幽霊めがけ飛ぶ。
「……これが答えだ! 私が一番槍を、いや、一番矢を入れたと覚えておくがよい!」
「……ああ。しかとな!」
弓を持ちしまま半兵衛に微笑む鵲丸に、半兵衛も笑みを返す。
「ほほう……さような小舟で刃向かわんとは、その心意気だけは褒めてやろう!」
「誰が、小舟だけだって?」
定陸の声に応えるがごとく繰り出されし火の玉に、どこからともなく湧いて出し雷纏う矢がぶつかり、爆ぜる。
「何!?」
「まあこんなことも、あろうかとな!」
「半兵衛!」
「半兵衛様!」
驚く定陸の声が響く中、次は半兵衛の声に応えるがごとく彼らの乗る船の後ろより、頼庵や広人を乗せし船が。
「くっ、なんと!」
「多くはないが……清栄さんが、兵を少しは動かしていいって言うんでな!」
船の上で半兵衛は、胸を張る。
「くう、薬売り!」
「案じなさんなや……さあて、蛟共も蟹共もぎょうさんやられましたやさかい、ここは誠に出し惜しみしとる暇ないわ! 来るんや、蜃共!」
向麿も心なしか、いつになく慌てし様にて。
霧に向かい叫ぶ。
「何! あ、あれを動かせば」
「じゃかあしゃあ! 出し惜しみしとる場合ちゃう言うとるやろが!」
果たして向麿の、命じし通りに。
そのまま霧の中より数多の影が。
しかし、影が躍り出る時と、時同じくして。
心なしか、霧が薄まりし様が見て取れる。
「!? な、何だ」
「これは……どうなっておる半兵衛!」
「いや、俺が聞きたいわ!」
霧が薄れる中、踊り出しものは。
「あれは……?」
「蛟、か……?」
「あんなに多く……奴らめ、ついに勢いを取り戻しおったか!」
半兵衛・広人・頼庵が口々に、言葉を紡ぐ。
その妖らは、形こそ蛟のようであり、背に屋形も負うが。
これまで蛟が現れし時に霧が薄まりしことなど、ただの一度もない。
「こいつら、蛟なのか……?」
半兵衛は諸々のことを鑑み、訝る。
と、その時である。
「! 蛟? が何か吐いた!」
「火の玉! ……ではありませぬな、あれは」
「なっ……き、霧だ!」
半兵衛らが、驚きしことに。
蛟、に似し妖らは諸共に、霧を吐く。
たちまち先ほどまでは薄らいで行く有様であった霧が、再び濃くなって行く。
いや、霧の濃し所が先ほどよりも、手前になりしというべきか。
先ほど霧の濃くかかりし所――今、蛟に似し妖らがいる所の後ろの霧は、薄らいで行く。
さらに、薄らいで行くばかりではない。
「!? な、何やら……お、大きな影が見える!」
「あ、あれは……」
「し、島だと!?」
半兵衛らは再び、驚く。
そこには、先ほどまで影も形もなきはずであった島がある。
「まさか……ずっと霧に隠されてたのか!」
「島……隠されていた? ならば……もしや!」
「ああ。……間違いなかろうな。」
半兵衛の声に、広人・頼庵は――早合点の誹りを免れぬであろうが――何故か確信を得ていた。
あれこそ、夏が今いる島であろうと。
「おいおい……広人も頼庵も、まだそう決まったわけじゃないってのに! あの島に夏ちゃんがいるなんて」
「いや、必ずいる!」
「半兵衛様、此度ばかりは広人が正しくありましょう!」
半兵衛の言葉も虚しく、この二人の男らは目を輝かせる。
「まったく……しかし、あながち的外れって訳でもなさそうだな! ありゃあ前に広人の言っていた、霧の向こうの声にも当てはまる。」
「お、おお……なるほど。」
半兵衛は呆れつつも、終いには広人と頼庵の弁を認める。
「何だよ! にわかに呆けやがって。」
「い、いや」
「まあいい。さあてと、早いとこあの島に至りたいところだが……こりゃあ、あの蛟みたいな奴らが許してくれなさそうだな。」
半兵衛は広人に声をかけつつ、周りを見渡す。
すっかり味方の船は、辺りを霧に覆われし様になってしまった。
「これは……」
「あの蛟もどき……あいつらが離れた島の辺りは霧が薄くなって、攻めて来たこの辺りは霧が濃くなったか。こりゃあ」
言うまでもなく、あの蛟もどき――蜃らが島の周りを固めていたということである。
「みんな、気をつけろ! こう霧が深くちゃ、どこから何が来るか」
「!? くっ、火の玉が!」
「おっと、頼庵!」
半兵衛の言葉を遮るかのごとく霧の中より迫る火の玉を、頼庵の放ちし雷纏う矢が迎え討つ。
迎え討ちし、はずなのだが。
「? おや。」
「ど、どうした頼庵?」
「いや、どうにも。手ごたえが」
と、まだまだ隙を見せぬとばかり。
次は霧の中より、何と。
「なっ、ば、化け蟹!?」
「おいおい……どれだけ切羽詰まっているんだい海賊衆って人たちは!」
先の戦いにて数多葬りしはずの、化け蟹である。
無論、狩り尽くししとは思えないので、出て来るそのものはおかしくないのだが。
「この数は……何故!?」
先の戦いで減ったとは思えぬほどに、その数は多い。
いや、見ようによっては増えてすらいるやもしれぬ。
「奴ら、ついに立て直しを」
「たあ思えないが……あるんだったら迎え討つっきゃないよなあ!」
広人の声に答えつつ、半兵衛は紫丸を抜き。
そのまま刃先より、殺気の雷を放つ。
化け蟹は相変わらず、軽やかに躱す。
「雷では、心許ない!」
「なら、剣山だよ! ほら広人、頼庵!」
「仰せのままに!」
「言われるまでもない!」
半兵衛、広人、頼庵は船の上より。
迫る化け蟹を睨む。
そうして。
「紫丸!」
「翡翠!」
「紅蓮!」
「剣山!!!」
一息に三人が叫ぶと、たちまち数多の殺気の刃が、槍が、矢が生えて化け蟹に刺さる。
これで――
しかし。
「!?」
「なっ!」
「おいおい……さっき頼庵が、火の玉迎え討った時みたく。こりゃあ。」
まるで手ごたえが、ない。
その、刹那。
「!? 半兵衛!」
「くっ、霧が! さらに濃く」
たちまち、刺されし化け蟹の後ろより霧が、さらに前へ前へ迫り。
そのまま化け蟹らを、覆い尽くす。
「濃くなったてえことは……こりゃ、蛟もどきがさらに近づいたのかもしれねえ! 皆、気い抜くな!」
「応!」
水軍らも広人も頼庵も、半兵衛の声に答える。
今はまだ、それほどにはならぬとはいえ。
そのうち蜃らは、より深き霧を出すであろう。
それほどに深き霧の中では、声のみが互いを確かめ合う頼みの綱となろう。
「半兵衛、どうすれば」
「ひとまず、様子見……って言っている場合でもなさそうだな!」
広人の問いに答えかけし半兵衛が、驚きしことに。
霧の中には、再び。
「くっ、化け蟹か!」
「ああ、しかし……一つだけか? ……って!」
半兵衛らが、さらに驚きしことに。
霧の中に見えし一つの化け蟹の影は、みるみる大きくなっていき、その大きさたるや見上げるほどである。
いや、影ばかりではない。
その影より思い浮かぶ通りの、大きな蟹が霧より踊り出る。
「なっ……!? 海賊衆め、かような隠し玉を」
「いや……妖が大きくなるなんざ……これは」
半兵衛が話す間にも、大化け蟹はその鋏を水面に叩きつける。
しかし。
「幻だ!」
半兵衛のその叫びを肯んじるがごとく、水面には何も起こらぬ。
「なっ……まさか!」
「ああ……あの霧は、島一つを隠すこともできた。つまり……あるものをないように見せられるってこたあ」
再び大化け蟹は、鋏を水面に叩きつける。
しかし、やはり何も起こらぬ。
「ないものもあるように見せられるってこった!」
半兵衛は高らかに、叫ぶ。
「何と! よし、仕組みさえ分かれば」
「ああ……霧を生み出してやがるはあの蛟もどき共! だから、早く見つけ出して」
しかし、こう半兵衛と広人が話す間にも。
性懲りもなく幻の大化け蟹は、三度鋏を振り上げ。
次には水軍の船の一つに、振り下ろす。
「は、半兵衛!」
「案じなさんな! あれは」
幻、と半兵衛の言う通りの、はずなのだが。
たちまち鋏を振り下ろされし水軍の船は、斬られる。
「うわああ!!!」
乗りし者たちは、海へ投げ出される。
「な……半兵衛!」
「おいおい……見ただろさっきのを! 幻、だよな!」
「は、はい。手ごたえなきことも幻ならば納得が。……しかし。」
広人、半兵衛、頼庵は話すが。
現に目の前では、船が斬られているのである。
"幻"であるはずの、化け蟹の手――もとい、鋏にて。
「かーっ、ははは! さぞ一杯食わされた心持ちやろうなああいつらは!」
「うむ……しかし」
「分かっとるさかい。すでに二の矢は、番えてありますに。」
霧に覆われし妖喰い使いと水軍を見つつ。
向麿は高らかに、笑う。




