誘引
「ん……? ここは……」
夏はふと、目を覚ます。
見れば、祠の中だ。
「私は……あれ?」
夏は、首をかしげる。
宴の船より投げ出され、海人によりこの島に引き上げられ。
祠に移り、飯をもらい水浴びをし。
いつの間にか寝てしまい。
目覚めは、これが初めてではない。
と、思えるのだが。
前に目覚めし時がいつか、思い出せないのである。
「あ、夏。起きたかえ?」
「お、海人。」
そこへ祠の扉を開け、海人が入って来る。
手には、また握り飯が。
「ほら、朝飯食うだ。」
海人は握り飯を、差し出す。
「ああ、すまぬな。いつもいつも。」
夏は握り飯を受け取ると、頬張る。
空きっ腹には、身体に染み渡る思いである。
「うまいかえ?」
「ああ。とても。」
夏は頬張りつつ、答える。
「ところで……海人よ。その……昨日、海賊衆らがこの島を再び出ていったが」
「ああ、また夏のお仲間とやり合いに行っただ。……で、さっき帰ってきた。」
「そうか……」
海人の言葉に、夏は頷く。
海賊衆が再び帰ってきたと聞けども、夏は身構えぬ。
洞穴に隠れていた時とはえらい違いである。
そのくらい、この祠の周りには海賊衆が寄り付くことがない。
「じゃあ……そろそろ戻らんと。」
「ああ。すまぬな、いつもいつも面倒を見てもらって。」
立ち上がりし海人に、夏は改めて礼を言う。
「いや、そんなこたあねえ。……早く、仲間んところへ帰らねえと。」
「うむ。……そうだな。」
海人の言葉に夏は、少し寂しげな顔をする。
「夏?」
「あ、ああ……すまない。もうよいから、海人は行っていい。」
「そうかえ? じゃ、またな。」
夏の顔を海人は訝しむが。
海人は手を振り、祠を出る。
「ああ、すまぬ。……またな。」
海人を見送り、夏はため息をつく。
仲間の元へ――半兵衛らの元へ、帰る。
それは願っていることのはずであるが、それを考えれば何故か、一抹の寂しさを感ずる。
「この島の暮らしに……未練でも湧いたか。まったく、私とししことが。」
夏は自嘲気味に、笑う。
「うむ。では、伊尻夏は……まだ取り戻せぬと。」
「はっ! 申し訳ございませぬ、帝。」
清涼殿にて。
清栄は帝の前で頭を下げる。
海賊衆との三度の戦より一夜明けて。
清栄と半兵衛は、帝に報をもたらしていた。
無論、その報は決して良いものではないが。
「ううむ……私も、あの夏という娘。半兵衛らと数多、戦を制しし者故、信じておるが」
「いや、帝。夏ちゃんは……確かに強者だが、やはり年頃の女子だ。」
「ほう?」
帝はにわかに響きし声に、目をその声の主へ移す。
それは無論、半兵衛である。
「珍しいのう。……そなたが、さようなことを言うとは。」
「言うまでもなく、夏ちゃんを信じていない訳じゃねえ。だがな……夏ちゃんは育ちも……くっ!」
「半兵衛?」
言いかけて半兵衛は、口ごもる。
無論育ちが悪い、などと言わんとした訳ではない。
ただ、親に見捨てられ、唯一人頼れる者も失ったという育ち。
これを見れば、夏は。
人よりも更に、寂しがり屋にはなろう。
こう、言わんとしたのであるが。
これでは、まるで育ちが悪いと言わんばかりではないかと思われそうで、口を噤んだのである。
「半兵衛、どうした?」
「すまねえ……夏ちゃんは育ちが悪い、なんて言っているように聞こえたんじゃないかって。」
「……ふふふ。」
「? 帝?」
半兵衛の言葉に、帝はにわかに笑い出す。
半兵衛は、いや半兵衛のみならず。
その場の誰もが、首をかしげる。
「いや、すまぬ。……半兵衛、そなたも変わったのう!」
「へ……え?」
帝は次には、感慨深げに言う。
ますます場は、混乱するばかり。
「いや何。素直に喜んでおるのだ。そなた、前ならば……さようなことを気にしつつ話すような者ではなかったろうに!」
「ええ!?」
半兵衛は仰天する。
帝が、さようなことに喜ぶとは。
「いやはや、立場は人を変えるとは先人の弁であるが……そなたも変わったのう。」
「それは……どうも。」
帝は半兵衛に笑みを向ける。
帝には未だ子はないが、その目はどこか息子を讃える父のようでもあり。
半兵衛は決まり悪く感じ、赤くなる。
「ま、まあ……とにかく! 夏ちゃんは実のところ寂しがり屋だ。だから……早く救い出してやりたい!」
「うむうむ。……清栄よ、まだ静氏一門は動かせぬか?」
半兵衛に笑顔を向けし帝は、真顔にて向き直り、清栄に尋ねる。
「はっ、恐れながら。……未だ万全とは。」
「ううむ……次に何があってもよいよう、支度はしておくよう命じよ。」
「はっ!」
これにて、清涼殿での謁見はお開きとなる。
「半兵衛……殿。」
「! あ、ち……氏式部さん。」
清涼殿を出て少し進みし渡殿にて。
氏式部――もとい、そのなりをしし中宮と会う。
「久方ぶりだな。」
「私を……忘れた訳ではあるまいな?」
中宮は、半兵衛を上目遣いにて睨みつける。
その様が少しおかしく、半兵衛は吹き出す。
「笑うな。」
「これはすまねえ。……氏原のお家や、摂政様は」
「ああ、案ずるな。……皆、まだまだ衰え切るほどには年を食っておらぬ。」
中宮は、胸を張る。
「そうか、よかったよかった。……えっと、その……こっちは」
「聞いておる。夏殿は、何事もなければよいが……」
「ああ。すまねえ、この頃はそっちにかかりきらなきゃならなくて。その、中宮様を」
「……よい。私は、別に構ってもらいたい訳ではないのだからな!」
「……へ?」
半兵衛が顔を上げる。
心なしか、顔は幾ばくか赤らめられていた。
「……ああ〜、すまねえ! 重ね重ね」
「よいと言っておろう! ……そなたはくれぐれも早く夏殿を救い出せ。」
「あ、ああ……」
そう言うと、中宮はすたすたと行ってしまう。
「……何を、怒ってんだろう?」
先ほど帝より、『変わった』と言われし半兵衛であるが。
かようなところは、変わらぬ所である。
さておき。
「なるほど……何故海賊衆が、支度もとりあえず三度攻め寄せしか、と。」
「ああ。」
屋敷の下にある池を前に、刃笹麿と半兵衛は並びて話す。
刃笹麿の屋敷に半兵衛はいた。
用向きは無論、あのこと――海賊衆の腹の内についてである。
「それほどに切羽詰まっていた……のであろうな。」
「そんなことを」
「うむ……そうだな。」
問いをはぐらかさんとする刃笹麿に、半兵衛は苦言を呈しかけるが。
すぐに刃笹麿が考え込み、口を噤む。
「……静氏一門が出られず、水軍衆――かつて、海賊でありし者たちを動かさざるを得ぬようにさせるため……であろうな。」
「……そうか。なら、何で水軍の人らを出させるんだ?」
「うむ、半兵衛……そなたのさような所は誠に関心せぬな。」
「……おや?」
自らの問いに、思いがけぬ苦言が返り。
半兵衛は、首をかしげる。
「そなた、分からずに聞いておるのではなく、分かっていて確かめるために聞いておろう? それは、試されているがごとく感じられる。誰も、快く思う者はおそらくおらぬぞ。」
「……ご心配どうも。」
刃笹麿の言葉に、半兵衛は少し拗ねたように返す。
「まあ、よい。……分かっておろう? 海賊が、同じく海賊でありし水軍を誘き出す訳など。」
「……ああ。」
その言葉を終いに黙りし半兵衛と刃笹麿だが。
その黙りを嫌うがごとく、目の前の池を泳ぐ蛟が二人に水をかける。
「目当ては果たしたとはいえ……誠にあの水軍らは乗って来るのだろうな?」
定陸は尋ねる。
海賊の島の、館にて。
定陸がこのことを尋ねしは、薬売り・向麿である。
果たして、水軍らは誘いに乗るか。
いや、乗ってもらわねば困る。
それがなくば、此度無理を押して攻めしことは全て水泡に帰してしまう。
「ははは……なあに、案じなさんなや! これから、海賊衆ののさばっとった頃を取り戻すやいうのに、そげな弱気なことでどうするんですかい?」
向麿はにやりと笑う。
「う、うむ……そうだが。」
「それとも……それがしが信じられんと?」
「!? い、いや……さようなことは」
先ほどまでえへらえへらと笑いし顔より、にわかに鋭き目を向ける向麿に。
定陸はたじろいでしまう。
「ほっほっほ……何や? そんな怯えなさんなや! それが、瀬戸内の王になるや息巻く男ですかい? 小心な!」
再び向麿は、笑う。
「む……何を」
「まあ、そんなにご心配なんなら……聞いてみりゃあええ。」
「何?」
向麿のこの言葉には、定陸は目を丸くする。
「半兵衛殿、まさか見回りに同行とは……かような時に攻められては」
「いや、いい。……鵲丸さん。実のところ、あんたとお話ししたくてな。」
「……わしと?」
水軍の棟梁・鵲丸の船に乗り。
見回りに同行しし半兵衛は、鵲丸と話す。
「ああ。なあ、鵲丸さん。……帝や、清栄さんがどう思うかは知らねえけどさ。そういうことは抜きにして、鵲丸さん自らはどう思う?」
「……何のことやら。」
半兵衛の話に鵲丸は、困惑の色を浮かべる。
「そうだな、少々遠回しに過ぎた。……鵲丸さんは、少なからず思っているだろ? 海賊さん方がのさばってた頃の、瀬戸内の海を取り戻したいって。」
「……」
半兵衛の次なる問いに鵲丸は、返さぬ。
「鵲丸さんは、このままどうしたいか……単に聞きたい。」
「……!」
「おっと!」
にわかに鵲丸は、刀を抜き。
半兵衛に襲いかかる。
「なるほど……これが答えかい!」
半兵衛は紫丸――ではなく。
懐の小刀にて、これを受ける。
「……いつから、お気づきか?」
「聞いてんのはこっちだが……まあいい。そりゃああの海賊さん方が、立て直せもしない内から攻めて来る訳を考えれば……なあ?」
「……なるほど。」
鵲丸は半兵衛に刃を向けしままなれど、それより深くは攻めて来ぬ。
船頭らも、何事かと見つめる。
と、その刹那である。
「おやおや、何事かと思えば……仲間割れとは関心せぬな。まあ見る限り……気取られしといったところか。」
「! 霧か。」
「……定陸殿。」
再び。
いや、三度、四度。
にわかに立ち込めし深き霧の中に、船幽霊が浮かび上がる。
「おやおや……海賊衆棟梁直々のお出ましかい!」
「ふふ……まあ、仲間割れは我らか。さあ、かつての海賊衆よ。」
半兵衛の声には答えず、定陸の声はただ目の前の鵲丸に向かう。
「お答え、いただくとしよう。」




