第二話 ぼっちの黒オオカミ、白い子ガラスとごはんのもとを捕る
吹雪が止んだ。
二人が半地下の家から顔を出すと、朝日はすでに昇っている。
広大な白い大地を覆う淡く冷たい光。
差し込む光に黒銀の瞳を細めるルミ。白い息を吐き、移動を決めた。
ルミは黒ずくめの男の姿をとる。肩には白い子ガラス。
幼鳥はせわしなく跳ね、黒曜石のような瞳を瞬かせてあたりを見回している。
『まぶしーい! 見てルミ! 雪の原っぱの向こうまでキラキラしているよ! とても綺麗だよ!』
「……朝日が氷の結晶に当たって光るんだよ。でも日の光を直接見るなよ。目が焼かれるぞ」
『大丈夫だよ! そしたら綺麗なお嫁さんを見てるから!』
「あーはいはい。ありがとな」
ガキは何でも興奮するよな。ルミはすっかり呆れていた。
穴倉の中でひたすら僕は幸運だ! 美人のお嫁さんもらえた幸せな鳥だ! とさえずり続けたヴァル。
全力で甘えて狼の黒い腹毛に潜り込んでは、埋もれて窒息しかける白い小鳥。
口で咥えて取り出して、一晩中寝かしつけるのに苦労した。
ぴいぴいと頬にすりついて甘える子供。
まんまる白い子ガラスにそっと首を向けて、ルミは訊ねた。
「ところでお前の家はどの辺りだ」
『ん? 分かんない』
「……。そもそもお前はどこから来た」
『分かんない。お母さんの黒いお尻を必死に追って飛んでたら、凍った池に着いてたんだ。兄弟はもう大きいから僕よりもずっと早く飛べるんだよ。すごいよね!』
「……兄弟の話はどうでもいい。なら、母親と兄弟が飛んで行った方向は?」
『方向ってなあに?』
「日が上がってきた方が東だ。だから、太陽が沈めば西。分かるか?」
『昨日も一昨日も、曇っていたから分かんない』
「………」
ことんと首をかしげる小鳥。
沈黙した未来の嫁に、ヴァルは訊ねる。
『ねえ、ルミ。僕のおうちどこ?』
「………とりあえず、北だな。鴉人の土地に行くしかないか。あそこは真冬に行きたくなかったんだがなあ……」
ルミは黒髪のざんばら髪をがりがりと掻いた。
彼の頭にかかった雪の結晶が、輝きながら落ちていくのを、うっとりと見つめるヴァル。
当の迷子が全く心配していない
「あ゛~。もう悩んだって仕方ねえ。とりあえずメシにするか」
『ごはん! ごはん食べようルミ! お腹すいた! 美味しいのちょうだい』
ぴい! と羽根を広げ、ヴァルは口を開いた。
――――その瞬間。
幼鳥はがしりと片手で掴みあげられる。
思わずジト目になった男の目の前に、ゆっくりと持ち上げられた。
「ぴ?」
「お前は将来、俺を養うつもりじゃないのか?」
『お嫁さん守るものだよ? でも、ごはんを用意するのはお嫁さんの仕事だよ?』
「食材はどうする」
ヴァルは固まった。
そして心底不思議そうに首をかしげて訊ね返す。
『……ごはんのもとは、いつもお母さんが取りに行ってたよ……?』
「そうか……母親の仕事か。分かった。じゃあ嫁を母親代わりにする不届きな夫は、獲物の代わりに丸焼きにしてやろう」
毬のような子ガラスを、精悍な妻候補はにぎにぎと軽く握りしめた。
ぴーと悲鳴をあげた幼女な夫候補は逆に訊ねる。
『え、ルミ、違うの!? 僕はどうすればいいの?』
「狩りをしないとメシはねえよ」
『狩りってどうやるの?』
「たいてい四、五人で群れを作って獲物を追い詰める」
『ルミ、一人しかいないよ?』
「バカ野郎。お前も入れて二人だ」
結局、二人は雪原で「ごはんのもと」を捕りに行くことにした。
広い雪原は一見何もない。
だがよく目を凝らすと、地平線のあちこちに白い何かが動いているのが分かる。
森でもよく食べる、土地の冬の食材・ルウサだ。
兎人のもう一つの姿にも似ている。それよりもずっと体が大きく、耳はなく。巨大な目が一つ。ころころと転がり集団で草を食んでいる。
一般に「魔物」と言われるもの。
発生は謎だ。獣の魂の劣化した姿とも言われる。
この世界では獣の姿しかとらない生き物も当然おり、一般に「獣」という。人の姿しかとらない人が好んで捕食する対象だ。
しかし変身人種にとっては、獣は共食いを想像させるために避けていた。
なので、厄介な性質の魔物を好んで捕食する。
ルミの頭の上でヴァルが跳ねる。
『あ、ルミ! いるよ! いっぱいいる!』
「し。あいつらは耳と目が良い。あまりうるさいと逃げられるぞ」
ヴァルはぴたりと止まり、座り込んで羽根をくちばしに当てて丸くなった。
『しーん。しーん。しーん……僕は静かな鴉人だよ』
「いちいち口に出すな。ただでさえ狩りは大変なんだ」
特に俺はな。
ルミは白い息を深く吐きながら呟いた。
ゆっくりと黒狼の姿に変わるルミ。
その辺の狼よりもずっと巨体で風格がある威容。鋭い爪に牙。鋭敏な嗅覚がすでに獲物の頭数まで正確につかんでいた。
ぶわりと毛が広がる。
だが――――地平線の向こうの獲物は、ルミが狼になると同時に姿を消した。
うなだれる黒いしっぽ。
『……』
『ルミ。泣かないで』
『泣いてねえよ』
ルミは、己の黒い前足を見る。
全く保護色にならない、真っ黒な毛皮。
家族に疎まれた色。
座り込んだ狼の頭に、ぽすっと白い子ガラスが下りた。
そして胸を張って代わりを申し出る。
『ルミは休んでて。僕が捕ってくるよ』
『……できるわけないだろうが』
『鴉人は強いんだよ! お母さんなんてすごいんだ! 僕だってごはんのもとをとって、お嫁さんにプレゼントする!』
颯爽と飛び立つヴァル。
そして天高く舞い上がった白い子ガラスは上空を軽く旋回し、『ルウサ見つけた!』と叫び、ふらふらと降りてきた。
黒狼の足元にぽとりと墜ちる。
『疲れた』
『お前体力ないな……』
『そのうち大きくなるもん……でもルウサ見つけたよ!』
『何。どっちだ?』
『僕がお母さんを待っていた池のところ。のんびりごはんを食べてた!』
『北だな。そして俺の姿にまだ気が付いていない連中か。好都合だ』
ルミは人の姿をとって力尽きた小鳥を懐に入れる。
そして仕方ないと服の色を変えた。
シンプルで白いフード付きのコートだ。
逞しく鍛え上げられた体に沿って朝日が当たり、白い稜線が力強く映る。
『服が変わった……』
「気休めだがな。狩りは獣の姿で行うのが決まりだったし、村でこんな格好をしたら余計にバカにされるからやらなかったが……」
でも、俺を嫁にしたいと言う妙な子供と二人でやる狩りだ。
多少伝統からはみ出しても仕方がない。
ルミは二本足で走り出す。
四本足の時よりもゆっくり。だけどしっかりとした足取りで狩場に急ぐ。
池。という表現は見合わないほど、巨大な黒い穴だった。
分厚い氷が張られた底は深く、暗い。
夏に溶けた永久凍土のせいで陥没してできたのだろう。
そっと大地に伏せるルミ。
水が存在したために低木の茂みがそこかしこにあった。
腰を下ろして獲物を狙う。
ルウサはいまだに気づかない。
「皮肉だな。獣の時はどんなに遠くても逃げられたのに」
『……どうするの?』
「そうだな……せっかくこの姿でやるんだ」
ルミは筋張った男らしい手に力を入れ、爪を尖らせる。
そして、見上げるつぶらな瞳に指示をした。
のんびりと池の淵で食事をするルウサたち。
先ほど恐ろしいの獣の威圧感から逃げた彼らは、安心して食事を味わっていた。
するとそこに大きな白いコートを着た――――女の子が現れた。
「わあ! 我こそはヴァルコイネンなり! 神妙にお肉になれー!」
「ピョン!?」
「ピョピョン!?」
裸に男物の白コートを着た幼女だった。
白い肌と白い髪に、真剣な黒い瞳。素足に白い布を巻いてある。
じりじりと両手を広げてにじりよっていく。
「さあ、お嫁さんの美味しいごはんのもとになれ。大人しくしていれば一発でやっつけてやるぞ。僕は強くなる予定なんだ!」
毛玉たちの目玉が、ぎょろりとヴァルに向いた。
そして雰囲気が変わる。最初の警戒とは違う――――むしろ、ルウサを見た狼のルミのような――――捕食者の雰囲気。
思わぬ反応に、ヴァルは戸惑いながら足を止めた。
「あれ?」
目玉の下の黒い線が開き、現れる尖ったぎざぎざの牙。
ぱっくりと開いた口からは、食事中だった魚がぽろりと落ちた。全ての毛玉がだらだらと赤い涎を流し始める。
ようやくヴァルは気が付いた。ルウサは草食ではなく、雑食なのだと。
自分こそが「ごはん」なのだと。
一歩、下がるヴァル。
一歩、近づく毛玉たち。
二歩、下がるヴァル。
三歩、近づく毛玉たち。
「ぼ、僕、美味しくないよっ!」
コートを翻して走り出すヴァル。
追いかけるギザ歯の毛玉たち。
さくさく、ぴょんぴょん。池の周囲を死に物狂いで追いかけっこだ。
後ろから殺気にまみれた一匹が、「ピョーン!」と間の抜けた声を出して襲い掛かったその時だった。
「よく引き付けたヴァル!」
疾風のような白い影が走り、ヴァルを襲う毛玉を真っ二つにした。
次々にルウサを爪で切り裂いていく男。
黒皮の上着に返り血が映える。
気配をすっかりと断つことに成功した男が、獲物を全て狩りつくすまで、ほんの少ししか掛からなかった。
こんもりと山になった毛玉を満足げに見つめる二人。
「というわけで約束のメシだ」
「わーい! お嫁さんのごはんだー!」
嫁候補に囮にされたという自覚が全くない幼女は、カラスの姿には戻らず、両手を上げて、ぴょんぴょん飛びながら喜んだ。
ルミが焚火を用意する横で、狩りの成功に興奮している。
「風邪ひくから早く獣の姿になれよ」
「もうちょっとだけ! もうちょっとだけ! だってこれ、ルミの匂いがするよ!」
「そりゃあそうだろうよ。俺のコートだからな」
「なんか嬉しい!」
低木の生木はなかなか火が付かないので、ルウサの乾燥糞と乾いたコケを足す。上着の裏に入れておいた火打石で種火を作り、成功させた。
獣なら生でもいけるが、魔物は火を通さないと腹を下す。
乾燥した材料はみなヴァルが滞在していたという小さな穴に保管されいたものだ。地面に辛うじて掘って雪で覆った場所があった。
村から持ってきたスクレイパーで、肉・毛皮・骨と分けていく。
食用になる赤肉を薄く削り、雪の下に落としていく。赤い身が雪締めされて鮮やかなった。灌木の枝で作った塊に刺した。ポケットから出した布袋には岩塩。指先ですりつぶして肉に刷り込んでいく。もう一つ赤い実を取り出してスクレイパーの横腹ですりつぶす。辛味と風味付けだ。ぴりりとした味わいになる。魔物肉は癖が強いので香辛料は必須なのだ。
じっくりと、火にあぶる
じわりと辺りに漂う香ばしさ。
白い雪原の輝きと透き通る空の青。そして肉の香りとくゆる煙の灰色。
子供は興奮してぴょんぴょんと跳ねながら、嬉しそう教えてくれた。
「あの穴はね、お母さんが作ったんだよ! 兄弟と入るとぎゅうぎゅうでね? 温かくて楽しかった! いつも蹴っ飛ばされてはみ出ちゃうけど、面白かった!」
「……メシは何を食っていた」
「魚! 池を割ってお母さんが捕ってくるの! 頭と胴体は兄弟が食べるのだけど、僕は体が小さいからしっぽをもらえたんだ! 美味しかったー!」
「……しっぽね。そんなものよりこっちが旨いぞ。ほらよ」
焼けたばかりの串をヴァルの目の前にかざした。
じゅうじゅうと、うまみたっぷりの肉汁を垂れている。
黒い瞳を最大に見開き、キラキラと輝かせた。
「ほわあああああああ」
「これが母親じゃなくて嫁の作るメシだ。有難く食えよ」
白く長い髪を震わせて、子ガラスは必死に必死にメシをねだる。
甘えるように大きく口を開けた。
「ねえルミ! あーん! あーん!」
「ほれ」
ルミは肉にふうふうと白い息を吹きかけて、小さくちぎり、全開になった子供の口に放り込む。
幼女は頬を膨らませて紅潮させた。眉をひそめて目をぎゅっとつぶり、意味もなく両腕をぶんぶんと振る。
「ほふほふ。もぎゅもぎゅ。うううううう美味しい! 美味しいよう! ルミは最高のお嫁さんだね! 僕もう幸せ!」
「はいはい、あっさり幸せになってくれてありがとよ」
「僕もルミにあーんしてあげる!」
ヴァルは串を捕ろうと立ち上がり―――――ぶかぶかのコートの裾を踏んで転んだ。
べちょり。人の姿に慣れていないことを忘れていたようだ。
白い毛が雪に散らばって悲惨である。
「……つくづく生き残ることに向いてないなお前は……本当に強くなるのか?」
「強くなるよ! そしてルミは幸せなるよ! だって僕がそう決めたんだからね!」
「はいはい」
ルミに上着を返して、もふっとした子ガラスに戻ったヴァル。
ちょんちょんと焚火の横で刺さっていた串を咥えて、必死に引きずりルミに渡そうとする。
『はい、ルミ。あーん……ぐぬぬ。あーん!』
串が重くて持ち上がらないようだ。
ルミは黒狼の姿になり、雪の地面に鼻を付けて串を咥えた。
もしゃもしゃと串肉を食べる奥さんを、ヴァルはキラキラと瞳を輝かせて見上げていた。
『ねえ、ルミ美味しい!? 美味しい!?』
『俺が焼いたんだが……まあ美味いわな』
いつもの塩に、いつもの肉。そしていつもの香辛料のはずなのに……なぜだかずっと美味く感じた。
首をかしげながらもしゃもしゃと、二人で仲良く、山のような肉を食べきった。
やがて火は消え、ルミは黒狼のままヴァルを頭に乗せた。
森から出た時に行く予定だった、街に向かって歩き始める。
『とりあえず街だ。鴉人が住む集落の場所を聞かないといけないからな』
『うん!』
狼の姿なら一日もかからずに着くだろう。
とにかく情報がないと始まらないし、何よりもこいつに服を買ってやらねばならない。
「お前、街に着いたら服の着方を覚えろよ」
『服って着なくちゃだめなの? 僕、羽根のない人の姿でも、お嫁さんにくっついていれば温かいよ?』
「だ、め、だ!」
強く念押しをしたルミ。
こいつの家族を見つける前に、まずは常識を教えてやらねばならないなと決心しつつ、足取り軽く雪原を駆けだした。