第一話 ぼっちの黒オオカミ、白い子ガラスを拾う
続きを書くため連載版にいたしました。一話はほぼ短編と同じです。
ある日、一人の狼人が森の群れから追い出された。
年の割に大きな黒い狼が、とぼとぼと深い森を背に新雪を踏みしめる。
いつまで経っても後ろから仲間を呼ぶ遠吠えはない。しっぽは力なく垂れ下がる。
ちくしょう。
彼は小さく呟いて真っ白な雪原を歩き続けた。
視界は地平線の先まで全て白。
純白の凍てつく世界だ。
歩き続けると、やがて空から雪が散り始めた。天から落とされる冷風。
吹雪を予感した狼は、やがて人の姿を取った。
黒い毛皮は同色の分厚い毛皮で作られたコートに変わり、足元は黒い裏起毛のブーツに変わる。
風に煽られて前髪が上がる。鋭い黒銀の目をした精悍な顔が現れた。
ここは人と動物の姿を往き来する、変身人種が住まう世界。
存在の根本である魂によって変化する二つの肉体を、当たり前のように受け入れる多人種たち。もちろん人の姿しか持たないものもいる。それぞれの人種が入り乱れ、互いに独立し、戦や共存を繰り返す世界――――。
獣の姿の方が寒さには強い。
だけど、男は狩りにも不便なその姿を取る必要があった。
足元には丸くて白い小鳥。
雪と同化しそうなそれが、小さな雪穴にしゃがみこんで丸まっていたからだ。
ふわふわの羽毛を必死に膨らませて熱を逃がさないようしている
ふと。頭をあげてつぶらな黒い瞳を男に向けた。
男の目よりも余程漆黒だ。
幼いな……。小鳥かと思ったら幼鳥か。
仁王立ちになって小鳥を見下ろし、声を掛ける
「おい。お前は雪で寝るのが趣味なのか?」
『……好きじゃないよ。だって寒いし、冷たいよ。でも仕方ないよ。おうちが分からなくなっちゃったんだ』
「ふーん。じゃあ頑張って探せよ」
踵を返そうとする男に、白い幼鳥はぴーぴーと羽を広げて訴える。
『おじちゃん。僕を拾ってよ! そしておうちに連れてって!』
「……俺に何か利益があるのか?」
『あるよ!』
「言ってみろ」
訴えた幼鳥は固まり、必死に考える。
うーんうーんとしばし考え――――そしてとてもいいことを思いついたと笑みを浮かべた。
全身の産毛を逆立たせて叫ぶ。
『大きくなったら、お嫁さんにしてあげる!』
「…………は?」
『だから、おうちに連れてって! お母さんに会うのを手伝って!』
男は面と食らった。
――――こいつ、何を言っているんだ。俺を嫁?
いっそ雪玉のように蹴り飛ばそうか考えたが……思いとどまった。
幼鳥があまりにも必死だったから。
子供なりに本気で言っているのだと、男には分かったから。
ぴーぴーと必死に鳴く幼鳥。
『美味しいご飯を作ってね! ちゃんと僕が守ってあげる!』
「遭難しかけておいて、『守ってあげる』とはいい身分だな」
『大きくなるよ! 強くなるもん! お母さんは立派な鴉人だったんだ! 僕だって空を覆うくらい大きくなって見せる!』
「鴉人ならせいぜい俺の腰までしか成長しないだろうが――――って、鴉? お前、白くないか?」
『……今は白いけど、いつか黒くなるんだ! 星空のような素敵な羽に生え変わるよ!』
真っ白い羽根を揺らす子。
真剣な表情になった男は、そっと雪の大地に腰を下ろした。
「……尋ねるが、お前はどうして家族とはぐれた」
『お母さんがね。この近くの池で「ちょっとここで待っていなさい。お母さんたちいつか戻ってくるから」って兄弟と一緒に飛んで行ったんだ。だけどいつまでたっても来ないから、いっそ自分からお母さんに会いに行かなくちゃって思って。そして会って言うんだ。「僕を忘れちゃだめだよ」って』
「そうか。いつかと言って、そのままか」
『お母さん、忘れっぽいからさ。僕が守ってあげないと……あ、おじちゃんもちゃんと守ってあげるよ。でも順番ね』
小さい羽根を小さく黒いくちばしに当てて、ふふふと笑う子供。
男は黙って、幼鳥を掬い上げた。
大きな手にすっぽりと入る丸い小鳥。鴉人の子供にしては少し丸いフォルムで、羽毛が豊かだ。この羽毛があったからこそ、運よく極寒の大地で放置されても生き残れたのだろう。
優しく、そっと。
壊れやすい雪の結晶のように撫でる。
「じゃあ、俺を嫁にしてもらうためにも、ちょっと付き合ってやろう」
『ありがとう、おじちゃん!』
「おじちゃんはやめろ。俺はこれでも十八歳だ」
『うそっ!?』
「本気で驚くな……傷つくわ」
『えーと、じゃあおじ、あなたはなんて呼べばいいの』
「おっさん以外ならなんでもいい。好きに呼べ」
名前なんてもうない。
男が自重しながら懐にいれると、小鳥は黒い瞳で男を見上げて『ルミ』と呼んだ。
「女みたいな名前だな」
『ルミは素敵な名前だよ! 僕らの故郷の言葉で「雪」って言うんだ。ルミはとても綺麗だから僕の大好きな雪の名前をあげる』
「お前、雪で死にかけたのに雪が好きか」
『うん。だって綺麗なものは綺麗なんだ! 白い色も大好き! 僕の名前はヴァルコイネン。ヴァルでいいよ!』
「……変わってるな」
『綺麗な色はみんな好き! 兄弟にもよく言われた!』
「……そうか。俺は黒が嫌いだ……」
男は人の姿のまま、雪を踏み固め始めた。
獣の姿だったら高い機動のままに、地平線の向こうにある町まで行っただろう。
だけど子ガラスを咥えたままで移動するよりは――――男は雪だまりのそばへ行き、強い力で穴を掘り始めた。人とは思えない強靭な爪で凍土を深く掘り下げ、周囲を固めた雪で氷のレンガを作り入り口を固める。
あっという間に作られた土と氷で出来た半地下の家。
『ふおおおおおおお』
「まあこんなもんだろう。吹雪が止むまでここで過ごすぞ」
風をふさいだ空間に、人心地付くように座り込んだ。
夜の帳が空を覆うのを肌で感じながら、二人は休むことにした。
互いの体温に癒されながら。
『……ねえ』
「なんだ」
『なんか飽きたよ。お話してよ』
ちょこんと胸元から顔を出したヴァル。
疲れて眠り込んでいたと思ったら、目がさめてぴーぴーと鳴きだしたのだ。
子供は本当にやかましい。うんざりしながらも、頭を優しく撫でるルミ。
好奇心いっぱいに黒い瞳にキラキラと光を浮かべ、ルミに物語をねだる。
「俺はあまり物語を知らないな」
『つまんない。僕はいっぱい知ってるよ! お母さんがお話してくれたんだ! ……でも、そもそもさ。なんでルミは一人で歩いていたの?』
「……………」
『ねえ、なんで?』
「ガキはマジで容赦がねえな……群れが基本の狼人が一人でいるってのは、一つしかないだろうが」
ルミは寂しそうに黒銀の瞳を閉じ、そっと胸に閉じ込めたヴァルに語り始めた。
狼人は孤高の種族だ。
他の種族とは決して馴れ合わず、主に深い森の中で小さな集落を作って暮らしていた。
銀色の被毛を誇る狼人たちの村に、ルミは生まれた。
兄弟も皆見事な銀毛。だけど唯一彼だけは黒銀の被毛を持って生まれてきた。
瞳も銀色ではなく、黒銀。人の姿を取った時も同じだった。
造作も少し違う。線の細い優美な美しさを持つ家族と比べて、どこかしら彼は野性味の強い顔を持っている。
集落では誰もが訝しげに彼を見る。
兄弟は悪気もなく訊ねてくる。
「ねえ、くろはどうしてくろいの?」
「……しらないよ」
「おかあさんがふてーをうたがわれたっていうんだけど、ふてーってなに?」
「しらないよ!」
ルミはその都度、逃げた。
母親も父親も、なぜこのような色が生まれてきたのか理解ができず、本来は強い絆で結ばれるはずの狼の家族には不穏な空気に漂っていた。
――――異質。
ごく幼い日には気にしなかった兄弟たちも、成長するにつれ、親が躊躇する空気に合わせて彼を忌避するようになる。
案の定、忌避される日々の繰り返し――――とうとうグレてしまった。
兄弟の世話をしない。
集団の狩りも、共闘できず下手くそ。
群れの順位も高くないのに、服従の姿勢がちゃんとできない。
何よりも可愛げがない。
「なんでお母さんを困らせるの?」
「……」
「そうだよ。ちょっと黒い毛をバカにしたくらいでさあ」
「……ちょっと?」
「群れに何を言われようが、黙って従うのが子供の仕事でしょう?」
「ふざけるな! そもそも俺を仲間だと思ったことがあるのか!?」
言ってはならない言葉だった。
家族も村人も、彼の心の傷にもぐれた根本原因にも、思いを馳せることはできない。
決定的な発言の末に――――はみ出し者は、完全に狼社会から放逐されたのだった。
空の風が唸る音。
粉雪が鋭い針のように氷壁を叩く。
ルミはがりがりと頭をかいた。
「あーもう、情けねえなあ! くそ暗い話を聞かせて悪かったな。もう忘れろ。いいな」
『…………』
「もう寝ちまったか? ならいいわ。全く、恥ずかしい真似をして『良かった!』」
喜ぶヴァルの高い声。
思わず胸元の小鳥を見下ろす。
羽毛がふわふわに広がっている。興奮の証だ。
「お前、一体何を喜んでいるんだ?」
『だって、ルミはもう一人なんでしょう? なら僕がお嫁さんにもらっても問題ないよね! 安心してこの胸に飛び込んできてよ! 僕が幸せにしてあげる!』
「あのなあ、何を根拠にお前はそんなに自信満々なんだ」
『だって、僕は生きているもの。こんなに立派な羽根もあるよ! 大人になったらきっと黒くたくましくなるし、すごく格好良くなるよ』
「死にかけたくせに」
『でもこうして生きて、ルミと出会っちゃったもの。そもそも死ぬ運命じゃなったんだよ。僕ってつくづく幸運の鳥だね!』
白い子ガラスの強烈な主張に、あっけに取られる黒狼。
なんだか今まで死ぬほど悩んていたのがばからしくなってくるほどだ。
ルミと名前を変えた狼は、優しくヴァルの頭を撫でた。
「お前って、バカだろ」
『バカじゃないよ! とっても頭が良いんだ! だってお母さんの子供だからね!』
「……そうか。あのまま母親が帰ってこなくても?」
『迎えにいけばいいんだよ!』
「……会いたいと思わないかもしれないぞ?」
『なんで? 僕が会いたいんだから問題ないよ。大丈夫!』
「そっか」
やがて男は黒い狼に姿を変えた。
座り込んで柔らかな黒い腹毛に白い毬のような子ガラスをしまう。
『もふもふ! すごい気持ちがいいねルミ』
「まあな。数少ない俺の自慢だ。毛の量だけは多い」
『僕と一緒だ!』
「そうか……そうだな」
白い温かい羽毛の子供を抱いた黒狼は、うとうとと眠気に襲われ始めた。
互いのぬくもりが心地良い。
初めて穏やかな気持ちを抱き、眠りの世界に落ちようとして――――とんでもないものを見た。
「僕がもっとルミを温めてあげる!」
鴉人も当然人の姿を持っている。
だから少し体表面の大きな姿になって、優しい狼を温めようとした。
その気持ちは分かる。が。
くるぶしまである長い白い髪。白銀の瞳。そして真っ白い肌、肌、肌。
ヴァルは裸だった。
思ったよりも成長していて、優し気な胸の膨らみが初々しい。
そして下には何もついていない。
「お前、女か! なんで服を着ないんだよ!」
「服ってどうやって作るの?」
「魂の使い方が分かっていないのか!? お前の親は何やってる!」
「もふもふしてあげる!」
美しい整った繊細な顔に満面の笑みを浮かべ、ヴァルはお嫁さん(仮)に思い切り抱き着いた。
焦る狼をがっちりとホールドする。
「ちょっと、やめろ。すりつくな。舐めるな!」
「僕たちの未来はバラ色だね! 末永くよろしくね。幸せにしてあげる! お母さんを幸せにしたら次はルミだよ!」
黒いぼっちの狼と、自信満々の白い子ガラスは、小さな氷の家で約束をした。
子ガラスをおうちへ連れていくこと。
そして逞しい精悍な黒狼を、幸せなお嫁さんにすることを。