転生したら、ほぼ最強だったが、それはそれとして不幸だ。
1
血液がアスファルトを絨毯のように広がっていた。
体中が切り裂かれて、切れ切れの息が空にぽかりと上がっている。
雨が住宅街にしとしと降り注いでいる。
『あー、何なんですかこの不幸はー』
そんなふうな第一声のラノベ主人公を僕は知っている。
だけど、本当に不幸なら、そんなふうに叫んでいる暇もなかったんじゃないだろうか。
不幸だー。なんて、言うだけ無駄だ。
だけど、辞世の句ぐらいは欲しい。
遠からんものは音にも聞け、僕はこの日本でもっとも不運な男である。
名字は不破=ふわ、名前は不幸=ふゆき。
破壊できない不幸と来た。
何でこんな名前をつけたものか。
親に文句を言いたいものだが、僕の親はどこにもいない。
僕はコインロッカーチャイルドだ。
産み落とされた時から、不運の連続だ。
僕を見つけてくれた駅員さんを逆恨みするくらいには不幸に過ごして来た。
孤児院に入るとまずいじめの格好の対象になって、青あざなんかは日常茶飯事、骨折したこともある。
それで済むならいい。
しかし、怪我の治療代が、社会人になろうとしている僕になぜかのしかかろうとしていた。
一般的な奨学金のざっと三倍くらいの値段。
というのも、僕を預かっている孤児院が払いたくないと抜かしたのだ。
それでも、仕方なく払った末、僕に将来、返すことを求めたという運びである。
なんだよそりゃ、本当にここは経済大国かよ。
小学校に入ってからは、暴力はなくなった。
だけど、それで不幸じゃなかったかと言うとそうでもない。
なぜか誰かがものを無くすと、僕のせいにされるというのが日常茶飯事になっていた。
はっ、そうかい、そうかい。なら、存分に疑うがいい。
そう思いながら、それでも潔白に過ごして来た。
しかし、不味かったのは中学になってからだ。
テストの度に身体を壊し、実力を発揮できたテストなんて五本の指で数えられるくらいだろう。
受けられないこともよくあったが。
全く全く、何がどうしてこうなった。
高校では、それはもっと差し迫った事態になる。
テストを受けられなければ進級が危ういという訳だ。
その上、より一層苛烈な苛めが僕を待っているという訳である。
高校生の苛めは陰湿だった。
それでも、怪我をするような暴力が無かった事は、まあ、幸運なのかもしれないが。
幸運のハードルが低すぎる。
幸運を買いたたいた所で、状況を説明したいと思う。
僕の身体は血まみれだった。
ナイフで全身を切り裂かれている。
女性を狙った通り魔が出ると言う場所を無防備に歩いていたら刺されてしまった。
体中に力が入らないでいる。
なんでだ、僕は男だろう?
いや、今日のいじめは特に陰湿だった。
いじめっこから、女装で帰れというお達しである。
僕の格好はセーラー服に、三つ編みを二つ下げたカツラ、長めのスカート。
リアリティを出すためだとか言って、すねやももの毛が全部、剃られている。
やっと、高校を卒業できそうなのに。
いや、高校を卒業したくはなかった。
卒業すれば、無職の社会人だ。
案外、ここで死ぬのは一番の幸運だったのかもしれない。
借金と不幸にまみれた人生なんか、もう止めだ。
無に消えてしまえばそれでいい。
それでいいのかよ?
僕の心の声が、先程から僕の身体を揺さぶっている。
右手の指を動かすと、何か、硬いものに当たった。
おや、と思ってそれを握り締める。
金属製のカードのようだった。
指でたぐり寄せ、空中に上げる。
ああ、雨がしとしと降っている。
カードを伝って雫がすべり落ちて来た。
水滴は目の中に入って来た。
こんな時まで不幸だなと思いながら、カードを見つめる。
『クラスカード』と、英語で書かれている。
誰かのおもちゃだろうか。
ふと、カードの上に赤い文字が刻み込まれていくのに気づいた。
契約しますか?
契約、なんて普通に暮らしていたらそうそう使う言葉じゃない。
もしかすると、これは非現実なのかもしれないと思う。
この契約により、貴方は転生し、一つ先のステージへ進みます。
一つ先のステージ? どこまで行っても、地獄が待っているに違いない。
きっと、僕は永遠に地獄道を回り続ける運命を背負っているのだ。
だから、次のステージへ行くのなんて無駄に等しい。
僕は変わらない。
本当にそれでいいですか。
ああ、いいのだ。
この手でつかめる幸運など存在しない。
だから、ここで幕を閉じよう。
いよいよ、僕の昇天が始まる。
腕はくたりと地面にたれた。
目はかすみ、唇は氷のように冷たかった。
「馬鹿野郎、死んだら終じゃねえかよ」
僕は叫んだ。
急に、怖くなった。
「死に、たくない」
そうだ、これまでいくら不幸になっても、ずっと生き続けたのは。
生きたいからだ。生き続けたいから生きたのだ。
この肺で、心臓で、自分を維持し続けなければ、何かに敗北すると思ったからだ。
死にたく無い。
死んで、たまるか。
「契約する。僕を連れて行ってくれ!」
クラスカードは金色の光を放った。
目の中が焼けるような強い光。
爆弾の爆発を間近にしたら、こんな感じになるのだろうかと、僕は考えていた。
身体も焼けるように熱い。
熱くて、燃えそうだった。
貴方の選択に幸運があらんことを。
クラスカードは微笑んでいるようだった。
光はやわらかで、優しく僕を包み込んでいる。
そう言えば、僕に微笑んでくれたものは、久しく見ていないような気がする。
2
どこかの神殿のように見えた。
二本の柱の間に、玉座が見える。
金色のフレームで縁取られ、宝石が埋め込まれた玉座、その左右には槍を構えた鎧が二つ。
置物かと思ったが、おかしい。
中は空洞で、鎧は空中を浮いているのだ。
な、あれ? 超常現象?
いや、それよりも気にしなくてはならないものがある。
現実逃避だったのかもしれない。
玉座に座る巨大なドクロを見たく無かったのかもしれない。
ぼろぼろの黒い衣のようなものを羽織り、何も無いはずの目には赤い光が二つ、怪しく灯っている。
魔王……。
金色の王冠を頭に乗せる様子から、そんな単語が思い起こされた。
「何者じゃ?」
底冷えするようなしゃがれた声。
僕の喉は脈打った。
睨まれただけで、やつが明らかに常軌を逸した人外 だと分かる。
コスプレでも何でもない。
やはり、地獄にやって来たのだろうか。
クラスカードは間に合わなくて、先に死んでしまったのだろうか。
ふと、右手にカードが握られているのに気づく。
待て、これって……。
目を疑った。ゲームはごく稀にやったことがあるから、その意味はすぐに分かった。
だけど、こんなことがあり得ていいのか?
・筋力SS
・敏捷SS
・幸運F-
・精神力SS
・耐久力SS
・魔力SS
・知性SS
クラスカードにこれが書かれている。意味するのは、僕が、ほぼ完全なステータスを持っていること。
そして、 同時に僕がもっとも克服したい弱点は残っている事も。
いや、待て、動悸がする。無理だ。
あまりの勢いに、胸が張り裂けそうだ。
質の悪い冗談のように感じ始めていた。
クラスの奴らが仕掛けた大規模などっきりで、今、この映像が全国の地上波で、もしかすると全世界にYouTubeか何かで配信されていて、みんなが僕を笑い者にしていて……。
思考はぶった切られた。
魔王の手から、紫色の炎が放出された。
僕の回りを取り巻く炎は、渦となって僕を包み込んだ。
皮膚が焼けただれるような衝撃が僕を見舞っている。
両手で炎を払おうと必死にもがくが、炎は中々はがれない。
「が、な? 待て、待って!」
がなり立てるように叫びながら、僕は踵を返した。
この部屋の出口があった。
門は開いている。
玉座と同じく金色のフレームで縁取られた扉は、今し方、開け放たれたようだった。
開け放ったのは、
あれ、何でこんな所に女の子が……。
女の子は妙にボロボロだった。
今すぐにでも倒れ込みそうな様子で、それでも切っ先に宝石のついた杖を構えている。
ふらふら、してる。
僕は思わず駆け寄っていた。
女の子に向かって両手を上げる。
炎が迫って来た。
今や、炎はこの部屋全体を駆け巡って、彼女をも飲み込もうとしている。
僕は覆い被さって、盾になることにした。
軽い、すごく、細い。
綿で出来た人形を抱きかかえているような気分だった。
僕は女の子を抱きしめて、炎に焼かれる皮膚の痛みを必死に忘れようとした。
おかしいのは分かっていた。
こんな炎に抱かれたら、もうすでに死んでいてもおかしくない。
傷、ついてる……。
僕の思考は女の子に向いていた。
体中傷だらけだ。
女の子が、何でこんな所にいるんだ。
なんで、こんな危ない事をしているんだ?
この子は、僕と同じなんじゃないか。
何の根拠も無く、僕は考えた。
炎はより威力を強め、女の子は過呼吸を起こして倒れ込んでいた。
けれど、炎に焼かれる様子はない。
僕は一か八か、魔王を振り返った。
もしも、クラスカードのパラメーターが本当なのであれば、奴を倒す事もできるのではないか。
淡い希望だ、だけど。
「う、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
僕は走り出した。
こんなに本気で走ったのは初めてだ。
身体が軽かった。
動悸は消え去っている。
足は前へ前へと進み、魔王との距離を少しずつ詰めて行く。
「馬鹿な、貴様?」
「お前を、たお……っぐるべっちゃ?」
ずいぶんと間抜けな声が出た。
僕は小石にけっつまずいた末、強靭なバランス感覚で体勢を立て直したのだが、
今度は床の溝に足を取られる。
そのままヨロヨロふらついて、玉座の前にある柱を右足で強かに蹴ったのだ。
いや、そんな大層なもんじゃない。
小指をぶつけた。これまでにない、スピードと力で……。
「いってええええええ!」
神殿全体が大きく揺れる。
柱が折れたせいか、神殿の倒壊が始まっているのだ。
片足けんけんをしながら、僕はあわてて女の子を振り返った。
相変わらず過呼吸気味に横たわっている。
「貴様、我が神殿を……ぐきゅう?」
今時、アニメのマスコットでも言わないような可愛い叫び声を上げながら、魔王は神殿の下敷きになった。
僕もただではすまない。
女の子の上に覆い被さって、神殿の下敷きになろうとしていた。
そうして、意識が途絶えた。