第8問 ロクでなし勇者は酒場の人間を知る 1
――レムル国の酒場【美酒の語り部】
俺は今日も手持ち無沙汰なので、この酒場に入り浸っていた。レムル国に亡命してからは、ほぼ毎日のように足しげく通っている。
過日、冒険者登録をした時に百匹程魔物を狩ったおかげでまだ懐には余裕があるので、暫くは遊んで暮らせそうだ。
今も堕落人間ペントラ達は円卓を囲んで飲んでいるが、今日は一人で飲みたい気分なので、カウンターでマスターと他愛もない話をしていた。
「マスター、スクランブルエッグとなんか美味いもんくれ」
「あらぁ~、ティアちゃんが作ったあの腐りかけのスクランブルエッグ、気にいっちゃったのねぇ。うふふ、ティアちゃんは今買い出し行ってるからちょっと待っててね」
「あれ腐りかけだったのかよ」
道理で少し酸味があったわけだ。無料と謳っておいて実際残飯処理だったのかよ。
今度会ったらただじゃおかねぇ。
「そうよぉ~。ティアちゃんが料理の練習したいからってスクランブルエッグ作ったのに、お客さんが誰も食べてくれないから腐りかけてたのよぉ~」
「皆ティアの料理がまずいと思って食べなかったんだろうな」
「ゆう君意地悪な事言うわねぇ~。でもゆう君が食べてくれた、って喜んでたわよ」
「まぁそれならいいか」
存外、マズくはなかったしな。
「だからぁ、今日はこれ食べてみなぁ~い?」
「……なにこれ?」
マスターは、俺の眼前に緑色をしたブドウを置いてきた。
「それはぁ~、洒落ブドウって言うのよ。今回は腐りかけじゃないわよぉ~、食べてみて、ゆう君」
「当り前だろ。じゃあ食べてみるわマスター」
この一房のブドウは洒落ブドウと言うらしい。
洒落ブドウという名前の由来は何だろうな、と見ていると、突如洒落ブドウが話し始めた。
「あんな、ワシここで売られる前まではな、木に実っとってん。それでな、ある日ちぃ~さな小さな狐がやってきてな、ワシのこと見上げとんねん。
それでその狐ワシのこと食いたい思たんかな、ジャンプしてワシのこと取ろうとしてきてん。でも小っちゃいからな、全然届かんねん。それでジャンプやったら届かん思たんかな、その狐はワシらの実っとる木に体当たりし始めてん。でもやっぱり小っちゃいからな、全然ワシら落ちひんねん。
それでその狐諦めてな、とぼとぼ帰り始めてん。でも帰りよる途中にな、ワシらのこと見上げてな、こう言うたねん。『あのブドウは酸っぱいに決まってる』ってな。そんでな、その言葉を聞いたワシはこう言うてん。
『残念でしたーーーーーーー! 滅茶苦茶甘いですーーーーーー!』ってなぎゃあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
突如話し始めた洒落ブドウを少し奇異に思いながらも、ひとしきり話を終えた所でブドウの実を取ると、洒落ブドウの絶叫が酒場に響いた。
話自体は、中々エスプリの効いた面白い話だった。もしかすると洒落ブドウの品質が洒落のレベルに影響しているようなこともあるのかもしれない。
いや、そうじゃなくて。
「マスター、この喋るブドウ…………何だ?」
「このブドウはね、洒落ブドウって言って、時たまこんな風に洒落を言うのよ。洒落ブドウの本体は実じゃなくて実がついてる枝の方だから、実を取られると絶叫するのよん」
「食べ辛いわ」
実を取るたびに絶叫されちゃたまったもんじゃない。
「大丈夫よん。洒落ブドウの本体は、枝の方なの。それに、実を食べ終わったら枝を差してると育つのよ」
「いや、でもこれ実を取るたびに絶叫してたらうるさくないか?」
「いいわよ、どうせここいっつもうるさいんだから」
「確かに」
一理あった。
話も一区切りつき、マスターはそうだ、と言って手を叩くと、カウンターの奥から店員の姿をした女を一人連れてきた。
「ところでゆう君、この子知ってる?」
「知らないな」
「おぎゃあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
洒落ブドウの実を取り、その絶叫を聞きながらも、俺はマスターに顔を向ける。
「誰?」
「あらぁ、知らないのぉ。じゃあ紹介しておくわね。この子はセリア。ティアちゃんと共に働くこの店の店員よ。かなり前から働いてるけど最近は用事があって来れなかったみたいなの。ゆう君は常連さんだから知っておいて欲しかったの」
「はぁ」
マスターはセリアと呼ばれる女を紹介し、酒場の奥へと戻っていった。
「…………よろしく」
「はぁ、よろしく」
「ぎゃあああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!」
最近まで所用で働いていなかったというセリアは、随分と物静かだ。愛想がないとも思われかねないが、ティアとは真逆のタイプのようだ。
マスターがいなくなったことで俺も喋る相手がいなくなり、俺とセリアとの間には奇妙な沈黙が生まれる。
気まずくなったのでいつもバカ騒ぎをしているペントラ達の方を見てみると、ペントラ達の方は誰かに絡まれている所だった。
「旦那様、旦那様ぁ。お願ぇしますよ旦那さまぁ。ウェットボアの狩りについてきて下せぇよ旦那様ぁ」
「あかんあかん、ウェットボアはあかんわ。ドライボアは干からびとるから雑魚やけどなぁ、ウェットボアはあかんわ。あいつら肌ぴっちぴちやから攻撃も上手いこと通らんし電撃系の魔法が使える奴がおらなやっとられんわ」
ペントラにウェットボアの討伐を持ちかけている男は手をすり合わせ、下手に出ている。ペントラ達のパーティーにはあんな奴はいなかったはずだ。
「誰だアイツは……」
「あの方はマロック様ですね」
俺が誰に言うでもなく独り言ちると、後ろで皿を拭いていたセリアが不意に返答した。少し驚いた。
詳しい話を聞くため、セリアに向き直る。
「え……誰か知ってんの?」
「勿論知っています。レムル国のデータバンクとは私のことです」
知らん。
「あの方はマロック様、冒険者として活動することもう一〇年になりますが、未だ芽が出ず艱難辛苦されています」
「へぇ~」
「ですが、冒険者として一〇年間の研鑽の結果、人に頼るという技を習得しました。今ではあのように、一人で狩ることの出来ない魔物を様々な方にお願いしています。胡麻をすらせればレムル国で彼にかなう者はいません」
「なんだそれは」
振り返ってみてみると、ペントラはマロックに絆され、ウェットボアの討伐に向かっている所だった。
だが、誰にでも太鼓持ちであれるということはある意味特殊能力なのかもしれないな。
「あのように、誰に対しても下手に出ることから、彼は万人の巾着袋と呼ばれています」
「万人の巾着袋……」
中々業を背負った二つ名だな。
というか、中々面白い二つ名だ。ややもすれば二つ名決定委員会の門戸を叩いてしまいそうだ。