第37話 ある女騎士の一日 1
――騎士団本部、庭園。
「九九〇、九九一、九九二、九九三……」
私は今日も、早朝から素振りをしていた。
素振りは、日課だ。胸をさらしで巻き、鎧を脱いでいると騎士という本命から離れたプライベートな時間となり、開放感や爽快感が味わえる。
今日もまた、自己研鑽に励むことで騎士としての本命を全う出来そうな、そんな誇らしい気分になる。
はたと横を見てみると、珈琲を持った騎士長が、微笑ましげな表情で私を見ていた。
「今朝も感心だな、ナリッサ」
「せっ……聖騎士長! すっ……すみません、気付きませんで」
「そんなことは良い。どれ、貸してみろ」
「はっ、どうぞ」
聖騎士長は寝巻のままこちらに向かって来て、私が素振りをしていた鉄剣を片手で受け取り、軽く二、三度振る。
そこそこの長さがある鉄剣を、微塵の痛苦も表情に出さず持っている。本当に、膂力絶倫を体現したかのようなお方だ。
「ふむ…………調練に使うにはいささか軽すぎるかもしれんな」
「は……はっ! 申し訳ございません! 私が至らなかったばかりに……」
「そうかしこまるな、ナリッサ。まだお前のプライベートな時間だ。聖騎士という組織の中では私とお前はそれこそ主従関係ではあるが、今は友達だ。組織の関係を外にも持って来ると碌な事にならん」
「は…………はっ!」
そう言われても、人として尊敬しているからには、聖騎士長にはかしこまらざるを得ない。
「ところでナリッサ、前持って来た中華鍋はどうした?」
「はっ……え……」
「お前はこの鍋が凄いのです、と鍋を使うことを薦めて来ただろう。勿論私は叱責したが、お前がそう思うなら調練の間だけでも使ってみてもいいんだぞ?」
「そ…………それは……」
恥辱で、顔から火が出る思いになる。
新人冒険者の口車にまんまと乗せられ、私は中華鍋とお玉の有用性を聖騎士の皆に説いてしまった。あれほどの恥は今まで味わったことがない。
「ふ…………まぁ良い。個人の自由時間も訓練にあてるとは感心だぞ、ナリッサ。私は服を着替えてくる。頑張って励むと良い」
「はっ!」
ごにょごにょと口ごもることで、どうにか事なきを得た。
それにしても…………
「あの新人冒険者、絶対に許さん…………!」
私は怒りの炎で、燃え上がっていた。
「街に異常はないか……」
聖騎士としての鎧を被り、私は一人で街を見回っていた。街の秩序を守ることも聖騎士の本分であり、たまに副聖騎士長である私にもお鉢が回ってくる。
「ちょっと困るよぉ、そんなことされちゃぁ」
「うぅるさいわよぉ! 私が誰かあんたぁ、分かってんのぉ!」
街を歩いていると、道端の露店から、いざこざを思わせるような声が聞こえてきた。聖騎士として看過できない事態に、私は足を向ける。
「だぁかぁらぁ、酒を出せっていってんの、酒を。私プリーストなんだからあんたは黙って酒出してりゃいいのよ」
「困るよ、ロゼリアさん。あんたもうずっとツケじゃないか。お金を払わないのにツケでばかりお酒を買っていって、本当迷惑してるよ。むしろ、今までに溜まったツケの分を早く返して欲しいんだがね、ワシは」
「あ…………あへ? なんか急にちょっと冒険者の悲鳴が聞こえたような……」
トラブルが起こっている現場では、修道服を淫らに着こなした女性と、酒店の主が言い合っていた。
「どうしたんですか、そこのあなた」
「あ、聖騎士様ですか。ここのロゼリアさんがツケも払わずにお酒ばっかり催促してくるんですよ……。プリーストなんで強く言おうにも言えなくて……なんとかしてくださいませんかね?」
「なるほど」
女性の方を見ると、既に千鳥足で別の場所へと足を向けていた。
「すいません、ちょっといいですか?」
「なによぉ、あなたぁ! 私はプリーストよ! 私に逆らうなんてぇ……」
うっ……酒臭い。本当にプリーストなんだろうか、この人は。
「ロゼリアさん……ですよね、あなたこの服の乱れは一体なんですか? 胸元までざっくり開いて……はしたないですよ」
「うるさいのよぉ!」
服の乱れを指摘しても、ロゼリアさんは一向に治らない。
「公序良俗に反する行いは止めてもらいます。取り敢えず、迷惑なんでどなたか知り合いか誰かを呼んでいただけませんか?」
「それならぁ……ユーロ、ユーロでいいわよぉ! ちょっとあんたらぁ! 私はあの好色ルーキー、変態の名をほしいままにしたあの新人冒険者の友達よ! 服剥がれたくなかったら私に酒よこしなさいよぉ!」
ロゼリアさんは両手を挙げ、酒店の主に襲い掛かった。
「ひぃっ! 止めて下さいロゼリアさん! あの問題児の冒険者に絡まれたらたまったもんじゃない! ワシはもう今日は店を閉める! 皆逃げるぞ!」
「ちょっとぉ! 待ちなさいよぉ!」
ロゼリアさんの一言で、蜘蛛の子を散らしたように一気に人気がなくなった。
ユーロ……ユーロ・テンペスト。あのいけ好かない冒険者がロゼリアさんの知り合いだったとは……。
「ロゼリアさん、ユーロ・テンペストの知り合いなんですか?」
「あぁん? そうに決まってるわよぉ。あなたも私がユーロに頼んだらすぐに駆け付けて卑猥な事をしてもらうんだからねぇ!」
「やっ……止めてください! とにかく、あなたはもう家に帰って下さい! プリーストとしての仕事も残ってるでしょう!」
ロゼリアさんの一言で逃げ出すような新人冒険者……ユーロ・テンペスト、一体何者なんだろう。
「うるさいわねぇ……帰るわよ、もう! あ~ぁ、お酒飲みたかったのにぃ~」
ロゼリアさんは手に持った酒瓶に口を付けながら帰って行った。
それにしてもロゼリアさんの一言でやって来て卑猥の限りを尽くす冒険者……ユーロ・テンペスト、看過出来ない人間だ。
私はロゼリアさんを見送って、また別の場所の見回りに行った。
「へへへ…………おい姉ちゃん、俺らと一緒にどっか飲みに行こうぜ、何、悪いことはしねぇ。一緒に飲むだけだって」
「そうそう、ちょっと飲みに行くだけだって」
「すっ……すみません、今日は私お金持ってなくてお食事には……」
裏路地辺りを歩いている最中、良くない雰囲気の会話が聞こえて来た。
「裏路地で犯罪か……普遍的ながら感知し辛い。看過できん」
私は声のする狭い路地裏に向かった。
「なぁいいだろ、姉ちゃん。大丈夫大丈夫、金はツケてくれる酒場知ってるからさぁ、俺ら」
「そうそう、俺なんてもうかなりツケてもらってるわ」
「す……すいません、大丈夫です、私ちょっと行きたい所があるんで」
段々と悪い方向に話が向かっていっている気がする。急がないといけない。
「すっ……すいません、私ちょっと冒険者さんに出来るだけ早く渡さないといけないものがあって……」
「おぉっと、冒険者だってぇ⁉ 聞いたか、おい兄弟」
「聞いた聞いた、なら願ったり叶ったりじゃねぇか。俺らも冒険者だしな。」
「なんなら俺らが渡してやるからさ、ほら、一緒に飲みに行こうぜ」
「そ…………そんなぁ……」
冒険者という権力を出したものの、運悪くその冒険者自体だったらしい。
「ごっ…………ごめんなさい、急いでるんで!」
「おぉっとぉ、急いでるなら俺らに任せてもらってもいいんだぜぇ?」
ダン、と壁を叩く音がした。女性が追い詰められている。
「俺らの力を持ってしたら遠くてもすぐ届けられるぞ?」
「でも今本当にお金がなくて……」
「大丈夫大丈夫、ツケでいけるからさ」
狭い狭い路地裏を抜け、私はついに犯行現場に辿り着いた。
「そこまでだ、貴様ら! 犯罪行為は私が見逃さん。手を挙げろ、卑劣感共!」
「せっ……聖騎士だとぉ⁉」
見得を切って出た広間には…………
「なんだ、ナリッサか。お前も飲みに来るのか?」
「どうして貴様がいるんだあああああああぁぁぁぁぁぁ⁉」
新人冒険者、ユーロ・テンペストがいた。




