第27問 ロクでなし勇者は聖騎士とクエストを受ける 4
「ふぅ…………」
俺は一息吐いた。
ナリッサのいる太枝へ腰かけるため、中華鍋を頭に乗せ、木を登り始めた。
「いやぁ、良かった良かった」
ナリッサのいる太枝へと俺も登ると、ナリッサは青い顔をしていた。
「テンペスト…………あれは…………」
「ん…………?」
ナリッサは青い顔で指を差し、指を差した方向には、マスターカンフーベアがいた。
こちらを睨んでいるマスターカンフーベアが。
どうやら、標的を逃したフリをして一度帰り、暫くして振り返る作戦だったらしい。
どうやら俺が木を登っているところで振り返り、俺たちの姿を捉えたようだ。
「なぁ、ナリッサ。知ってるか」
俺は一息つき、
「熊って木も登れるんだぜ?」
「この馬鹿者がああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
マスターカンフーベアがこちらに猛突進してくるのに合わせ、飛び降り、逃げ出した。
必死の疾駆で、俺とナリッサはどうにかこうにか、マスターカンフーベアの魔の手から逃れることが出来た。
中華鍋を持ちながら走っていたので、走るたびに中華鍋が地面に当たり、がこんがこんと音を鳴らすので、逃げるのに非常に手間がかかった。
「はぁ…………はぁ…………危うくこの土壌の肥料になるところだったぞ…………はぁ」
「そうだな、恐ろしい熊だった」
ナリッサは気息奄々、息を整えていた。
マスターカンフーベアの生息区域から抜け出し、次の区域へと進んだ。
「ここは…………」
「もうここは竜の巣の付近だ。この区域では体躯の小さいリスも出るが、非常に強い毒を持っている。テンペスト、小さいからといって油断をするな。あの毒にかかれば生きて街まで帰れないかもしれないぞ。テンペスト、臨戦態勢を整えろ」
「そ…………そうだな」
ナリッサがこの区域の説明をするが、全く耳に入ってこなかった。
この区域には、見覚えがあった。
以前、俺がソーニャを見つけた場所だった。
だが、一つだけ前回とは目に見えて違った点があった。
「魔物の気配が………………ない?」
「ああ」
前回来た時には数多の魔物が眠りこけていたのにも関わらず、今は一切の魔物の姿が見えない。
「どういうことだ、これは一体……おかしい、ここまで深層に入り込んでこの魔物の少なさは異常だ」
ナリッサと俺はこの異常な状況に小首をかしげる。
「もう少し進んでみるか?」
「あ…………あぁ、この事態は異常だ」
俺とナリッサは緊張の面持ちのまま、より深層へと足を延ばした。
だが、行けども行けども魔物の姿は一切見えない。
「どういうことだ…………やはり竜の姿が見られたというのはデマだったのか……? 本当にここが竜の巣の付近なのか……?」
ナリッサは得心のいかない顔で、辺りを見渡す。
「竜の巣まで行ってみるか?」
「いや…………たった二人のパーティーで竜の巣に赴くなどという愚行は出来ない」
だが、実際クエスト依頼も竜の巣の付近の調査であったので、わざわざ竜がいるかもしれない場所へと行く理由もない。
「一体何なんだこの状況は…………」
歴戦の聖騎士でも、この状況に目星の付けようがなかった。
俺とナリッサが引き返そうと踵を返した時、俺は遠くの木々にまぎれて、木々の色とは少し色合いが違ったものを視認した。
「ナリッサ…………あれは…………」
「な…………なんだ」
俺が指を差す方向にナリッサも目を凝らす。
俺の指さした先には、民家が一軒建っていた。
「こんな場所に民家が…………どういうことだ?」
「食堂でもやってるんじゃないか」
「こんな場所でか⁉」
俺とナリッサは民家の目の前までやって来て、この民家の真意を確かめていた。
「なんだかこの家からいい匂いがする気がしないか?」
「いや…………確かに言われてみればいい匂いがするような気がしないでも…………」
俺とナリッサの嗅覚に、直接訴えかけるものがあった。
「やっぱり食堂なんじゃないか?」
「こんな場所に食堂などあるものか! それに、聖騎士本部でもこのような場所に建物があることなど感知しておらん!」
民家の前で俺とナリッサが言い合っていると、
「うぅるさいのう! なんじゃあんたらは! ワシに用があるならさっさと訪ねて来んか!」
「「あ…………」」
民家から、皺の深いエルフの老婆が現れた。
「ほら、いいから取り敢えず入んなさい!」
「「はい…………」」
その老婆に誘われるようにして、俺とナリッサは老婆の家へと入った。
俺とナリッサは言われるがままに家の中に入り、しつらえられた椅子の上へと座った。
この不可解な状況に、いの一番に口を開いたのはナリッサだった。
「おばあ様、どうしてこのような場所にお住まいなのですか……?」
「なんだいあんた、藪から棒に。ワシがどこに住もうがワシの勝手じゃろう? エルフが森にいちゃあ悪いかい?」
「はぁ……まぁそうですが……」
老婆の剣幕に押され、ナリッサは押し黙った。
ナリッサが身に着けている聖騎士の鎧に目を落としてから、何故か機嫌が悪かった。
どうやらこの老婆はどうやら聖騎士にあまり好感を持っていないらしい。
今でこそ、ヨゼフのように街でもよく見かけるエルフではあるが、森に住む種族ということもあり、エルフの居住地の起源とは元来、森などの自然だった。
エヴァや老婆が森で見つかるのも、当然と言えば当然だった。
森に住むことを止め、街へと進出したエルフと、古代から連綿と続くエルフ世代の規律や戒律を重んじる老婆のようなエルフ。
エルフによっても、どこを居住地にしているかは違いがあった。
老婆はナリッサを一瞥すると、ナリッサに歩み寄った。
「それよりもあんた…………なんか、臭いね」
「えぇ⁉」
老婆はナリッサの臭いをかぎ、鼻をつまんだ。
「婆さんもそう思うか」
「そう思うに決まってるじゃろ。臭い臭い、ああ臭い、消毒スプレーでも持って来るからその臭い体臭を消しとくれ」
「やっぱり私の体臭なんですか⁉ 体臭なんですか⁉」
ナリッサは声を上げ、赤面する。
老婆は部屋の奥から消臭スプレーを持ってきて、エヴァは言われるがままに消臭スプレーを体中に、必死に振りかけていた。
「あ…………」
老婆が、突如声を漏らした。
「あぁ、忘れとったわい。そういえばその消臭スプレー、何年か前に使って放ったらかしにしとったもんじゃったわ」
「えぇ⁉」
ナリッサはすぐさま手を止め、消臭スプレーを机の上に荒々しく置いた。
「もしかして……おい、テンペスト……」
俺はナリッサの臭いをかぎ、すぐさま鼻をつまむ。
「あぁ、さっきよりすごく臭くなったな」
「あああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
どうやら長年使用済みの状態で放っておいたことで、スプレーの成分が変化しているようだ。
老婆はその様子を見て、やれやれといった様子で首を振った。そして、ポン、と手を打った。
「そうじゃ、ワシは今から何か夕餉を作ろうと思うのじゃが、お主らも食べるかい?」
老婆は料理のご馳走を提案した。
特に断る理由もないので、貰おう。
「欲しいな」
「い……頂きます……」
ちらりと俺を瞥見したナリッサは、同じく頷いた。恐らくは聖騎士としての本分か何か、より多くの情報をこの老婆から聞き出そうとしているのだろう。これもクエストの一環というわけか。
老婆は俺たちの様子に満足して、台所へと向かった。
俺は老婆の背中を追った。
「あぁ、婆さん。良かったらこれ使ってくれ」
「なんじゃこれは」
俺は老婆に、中華鍋とお玉を渡した。
「な…………なんじゃこれは。相当上物の調理道具じゃな」
「あぁ、良かったらそれで料理でも作ってくれ」
「良いのか?」
「いいぞ」
「助かるのう」
俺は婆さんに中華鍋とお玉を渡し、戻って来た。
数十分後、老婆はチャーハンを作って、帰って来た。
俺とナリッサと老婆は食前の挨拶をして、共に食べ始めた。
老婆は俺とナリッサがチャーハンを食べるのを見ながら、ゆっくりと口を開いた。




