ド素人、変身!
次の日から、吾郎の練習に対する取り組み方に変化が起きた。
以前はただがむしゃらだったのが、例えば技を一つ覚えるのにも、トレーニング一つやるのにも、まるで何か確かめるように、じっくりとやるようになったのである。
当然、スパーをしても、まだ歯が立たない。
だが、決して焦るような表情を見せなかった。
それどころか、技を極められると、しばらくじっと考え、それからベンチのところに戻り、メモ帳を取り出してそこに何か書き込んでゆくようになった。
それからの彼は、まるで乾いたスポンジが水を吸収するように、急速に何か変わってきた。
『おい、あいつ変わったと思わないか?』
ある日、吾郎とのスパーを終えた笠井が、休憩をしながらスクワットをしていた南雲に声をかけた。
『お前もそう思うか?』
南雲は答えた。
今、吾郎は今度は遠藤とのスパーを始めていた。
遠藤がバックに回った。
しかし、吾郎は身体を切り返して遠藤の右腕を取り、腋固めを極めにいったのである。
確かに、まだ力任せの部分はあるにはある。
だから、五回試して、一回極まる程度ではあるが、それでも関節のかの字も知らなかった頃に比べれば、格段の進歩である。
吾郎が変わり始めた理由、それはあの鮫島先輩の『ノート』からだった。
鮫島先輩は、現役のプロレスラーだった頃、もっぱら前座試合ばかりに出場させられていた。
試合ぶりも派手でせnはない。
顔立ちも地味だ。
これでは幾らなんでも『華がない』ということで、そういう扱いにされていたのだ。
だが彼は『強くなりたかった』
そんなある時、外国人レスラー(これはおいおい名前を紹介するとしよう)が、コーチとして当時彼が所属していた団体にやってきたのである。
その選手も、鮫島と同じく、背もそれほど高くなく、体重もない。
おまけにショーマンシップを要求されるプロの世界にあっても、派手さはまったくない。
欧州の出身だった彼は、最終的には米国のマットにたどり着いたわけであるが、そこでもロクな扱いをされなかった。
しかし、強い。そのため、彼がスパーリングをすると、若手の選手たちは、全員食い入るように見入った。
当然、練習も厳しかった。というより地味なのだ。
ひたすら基礎の反復である。
また、バーベルやダンベルといった『ウェイト器具』を使ったトレーニングは一切行わなかった。
彼曰く、
『レスリングはボディビルではない。見せかけの筋肉など必要はない。格闘技に必要な筋肉を付ければよいのだ』といい、反射神経や体幹を鍛えるトレーニングに終始した。
鮫島が所属していた団体でも、ベテラン陣は、
『プロレスはショーじゃないか』と考えている人が少なからずいたため、そういったレスラーには、彼の課すトレーニングを嫌がる者もいたが、鮫島は違った。
彼はただひたすら、ついていった。
そして関節技の虜となる。
スパーリングでかけられる技は、早くて見極めがつかなかったが、その中の一つでも集中して頭に叩き込み、ノートに記憶していった。
毎日ひとつづつ、それを続けたのだ。
彼が吾郎に見せた、あの『ノート』は、その時のものだったのだ。