キャッチレスリングと仲間たち。
さて、今回はこの同好会がどうしてできたか、そして会員の面々が如何なる人物たちであるかをご紹介いたしましょう。
ここで、この『キャッチレスリング同好会』及び、部員たちについてご紹介しておこう。
この同好会が創設されたのは、そんなに古いわけではない。
今の主将である笠井亮介と、南雲達也の二人が入学してきてからである。
二人幼い頃からの友人で、小・中・高校と同じ学校で机を並べてきた。そして共にレスリングに汗を流してきたわけだ。
彼らの通っている、この私立城南高等学校は、元々運動部が盛んで、野球部などは、ここ四年間年夏の大会の予選で、準決勝二回、決勝一回、そして甲子園に一度進んでいるという強豪校だ。
他にも柔道部、剣道部、空手部、そしてレスリング部がある。幼い頃からレスリングをやってきた二人にとっては、レスリング部に入部するのは、極めて自然なことだったのかもしれないが、二人は何故かそれを良しとせず、新たな『キャッチレスリング同好会』を立ち上げたのである。
格闘技通の方ならよくご存じであろう。
ふつうのアマチュアレスリングには、関節技がない。
最終目標はフォール勝ち(両肩をマットに一秒間つける)によって勝負が決まるが、その他にもタックルは何点、ローリングは何点、バックを取ったら何点、という具合にポイントが決められていて、そのポイントの優劣によって勝敗が決められる『判定勝ち』というのもある。
彼らは、これが物足りなかった。
確かに、スポーツとしてみれば、それでいいのかもしれない。
しかし、格闘技なのに、本当にそれでいいんだろうか?
レスリングってのは、相手を完全に『参った』と言わせて勝負を決める。そういうものでなければならないんじゃなかろうか?
笠井と南雲はそう考えた。そこで『関節技』の研究を独学ではじめ、この同好会を立ち上げたというわけである。
最初は呆れて、誰からも相手にされなかった。
しかし彼らはあきらめず、校長を説得して、校舎裏にあった、元々物置として使われていたプレハブ小屋を借り受け、そこにレスリング道場を経営している南雲の家で使っていて、古くなったアマレス用のマットを持ち込んで、部室としたのだ。
しかし、当たり前の話だが、部員は増えない。
勧誘活動をしてみたところで、怪訝な顔をされるだけであった。
普通なら、ここでめげてしまうところだが、二人は平チャラだった。
雨漏りの修理を自分たちでやり、マットを貼り、トレーニングメニューも自分たちで考え、そうして今までやってきたのである。
最近になって、やっと同学年の遠藤が仲間に加わってくれ、そして今に至っているというわけである。
だが、危ういのは未だに変わらない。
試合をしようったって、相手がいない。
当たり前だろう。
関節技あり、相手を完全に参ったさせるまで試合が終わらないなんて、そんな変なレスリング、誰が相手にしてくれるものか。
三人は、アマチュアの総合格闘技の団体に出場させて貰いながら、腕を磨いていった。
しかし、向こうは打撃も許されている。
こっちは打撃を使わず、あくまでも関節技と絞め技だけで闘う。
だから、必ず勝つとは限らない。
勝ったり、負けたりの繰り返しだ。
だが、だからといって、自分たちのやり方を変えようとは思わなかった。
あくまでも自分たちは自分たちの『キャッチ』で勝とう・・・・そう心に決めたのだから。
部員(会員)は、新入部員の吾郎を除いて三名である。
笠井亮介=城南高校二年生。
子供の頃から格闘技が好きで、小学校に入る前には柔道をやっていたが、小学校入学と同時にレスリングを始める。背が高く、投げ技に優れる。理論より実践で覚えてゆく方。レスリングに対してはまっすぐであるが、面倒見が良い。
南雲達也=城南高校二年生。
整形外科医であり、また学生時代アマレスで全日本チャンピオンになったこともある父親の影響で、幼い頃からレスリングを始める。亮介とは小学校の時に知り合って以来の仲。
頭が良く、学校の成績もいい。理詰めでものを考える方で、投げ技よりも関節技の研究に余念がない。
冷静だが、時には冗談もいう。背はあまり高くなく、痩せているが、動きは敏捷。
遠藤博=城南高校二年生。
中学までは柔道をやっていた。現在初段の腕前。高校に入って何か変わったことをやろうと思い、入会を決めた。
無口で、あまり自分の感情を表に出さないが練習熱心。