序章
黒光りした巨大な門扉の真上に、冬の太陽が輝いていた。
そろそろ刻限は正午になるだろうか。
ヴェルドキア王国、王都の西北を守護するウファル城砦。
王国の西方と北方から上がってくる二つの街道の合流地点にあり、王都までは徒歩で二日ほどしか離れていない。この先はまっすぐに都の西門へと繋がる一本道で、まさしく王都守護の最後の砦となっている要所だ。
城砦は城とは呼べない簡易な本館の周囲に、石積の防壁が三重に廻らされている構造になっている。二つある外門は西を向く方が表門、東の王都へ繋がる方が裏門と呼ばれていた。表門から裏門までは、それぞれ本館を間にはさんで二つずつの内門がある。
平時であれば、六つの門は通貫して解放され、検問と三種の徴税のための役人が立ちならび、商人の隊商や王都へ向かうたくさんの人々でごった返している場所だった。だが今は、西方より攻め上がってくる敵に備えて内門はすべて閉ざされ、表門の内側には常駐の城砦守備兵たちが物々しく集結している。
武装し集まった守備兵たちは、みな緊張した面持ちで不安げに囁き合っていた。
「連合軍の主力部隊は三日前、東のマルメ城砦を陥落させたそうだ。」
「そんな‥! マルメの指揮官はあのサルベール将軍だぞ、なのに敗けたっていうのか?」
「‥‥二週間持ちこたえたが、王都から援軍が来なかったらしい。連合軍はそのままの勢いで東の街道を王都へと進撃中のようだ‥。」
「ではこちらにくるのは噂通り、ロワの騎馬隊なのか?」
そわそわとした声が、誰ともなく王都へ戻った方がいいのでは、などとつぶやき始める。
「セレイオス将軍の第三軍が王都に入ったと聞いたぞ。俺たちも‥‥。」
「バカを言うな! ウファルでせめてロワの騎馬隊をくい止めなければ、いくらセレイオス将軍だって王都を護りきれるものか!」
「だがあのサルベール将軍が‥‥『黒い獅子』さえ、バルド・セルジア連合軍に敗れたのだろう? まして連合軍最強のロワの騎馬兵団を相手に、守備兵だけで何日持つか‥。」
ざわめいている兵士たちの上に、前方五百の位置に敵軍、と城門の上から監視兵の絶叫が響いた。
隊長の指示が飛びかい、兵士たちは口を噤んでそれぞれの持ち場に待機する。
「ロワの騎馬隊だ! は‥速い! あ‥あれは何だ? 」
監視兵の声は唐突に途切れ、地鳴りのような轟音とともに堅牢な鉄の門が大きく揺れた。間をおかず紅い閃光が走り、再び轟音が鳴り響く。
焦げ臭い匂いがあたり一面に漂い、煙が門扉に刻まれた王家の紋章を覆いつくした。
「ロワの爆裂玉だ‥! 木っ端微塵に吹っ飛ばされるぞ!」
辺境の山岳民族が獣を狩るのに使うという爆裂玉は、王都では噂にしか耳にしないものであったが、今回の戦では通常の十倍以上の破壊力で各地の砦を落としまくったと報告されている。
恐怖に慌てふためき、てんでに外門から離れて内門へと逃げこもうとする兵士たちの前に、立ちはだかった男がいた。
貴族以上が身につける黒鋼の甲冑にすっぽりと全身を包んでいるが、冠帯も階級章も紋章さえも身に付けていない。その誰とも解らぬ男は、内門の上にすっくと立つと、声を涸らして叫んだ。
「落ち着け! まだ門は破られておらぬ! 何としてもこの場でくい止めるのだ、ヴェルドキア兵士の誇りにかけて、王都への蛮族の侵入を許すな!」
いっせいに振り向いた兵士たちに向かい、男は城砦を死守せよ、と続ける。
その時再び爆発音が響いて、石がガラガラと崩れ、鉄門を支えている支柱の横に人二人分ほどの穴が開いた。
男は冷静に弓を引き絞り、その穴に的を定める。
もうもうと立ちのぼった白煙とともに、穴から歩兵が走りこんでくる。
男の放った矢が呻りをあげ、敵兵の胸を貫いた。
一人、また一人、と白煙の中でばたばたと倒れていくのを見て、兵たちは歓声を上げ、いっせいに侵入してくる敵に向かっていく。
壊れかけた門前で、侵入しようとする敵兵を城砦兵たちはなんとかくい止めようと必死で防戦する。しかし侵入者を外へ押し返したと思うと、すぐにまた爆発音が響いて、際で戦う城砦兵もろともに崩れかけた塀を吹き飛ばし、もっと大きい穴を開ける。
ついに侵入者の一人が鉄の門を大きく開け放った。
外で待機していた騎馬隊がどうっとなだれ込んでくる。
北部高原産特有の体躯の大きい、気性の荒い馬の蹄に散々に蹴散らされ、門前で防戦にあたっていた城砦兵たちは次から次へと転倒していく。その上に槍や剣が馬上から容赦なく降り注いだ。
甲冑の男は味方が次々に斃されていく状況を見てとると、彼を目がけて突っこんできた騎馬兵の頭上へと跳び下りた。
剣を抜き、一刀のもとに切り捨て、蹴落として手綱をぐっと握る。
そしてそのまま剣を振りかざして騎馬兵士の戦列に突っこんでいき、攪乱し始めた。
「怯むな! 弓兵、馬の足を狙え! 落馬した敵兵は二人がかりで確実に仕留めろ!」
再び勢いづいた城砦兵たちは、男の指示に従い、落馬した兵に襲いかかった。
乗り手を失った馬の尻を叩き、城門の外で続こうとする後列の騎馬隊へと突っこませる。
ウファル城砦西門での激烈な戦闘は二刻ほど続いた。
やがて日が落ちてあたりは濃い黄昏に包まれ始めた。生き残っている城砦兵たちの疲労の色も濃くなり、無傷の者など一人もいないようだ。
不意に、攻め手側に後方から伝令が飛び、足並みの乱れた騎馬隊はいったん城門の際まで退いて隊列を整えた。
甲冑の男は奪った馬に乗ったまま、生き残った城砦兵を背に騎馬隊と真正面に対峙する位置に立つと、剣を納め、再び弓を引き絞る。
狙いは隊列の中央で声を張り上げている指揮官らしき隊士だ。
夕闇の中、呻りをあげて放たれた矢は、しかし整列の後方からいきなり前へ走り出てきた白馬の騎士に打ち払われてしまった。
白馬は尋常ではない速さで間を詰めてきて、たった一騎であっという間に男に迫ると、第二の矢をつがえる間を与えず、男に剣を振り下ろした。
急いで体を躱したものの一瞬遅く、男の面甲は割られ、弾けとんだ。
黒髪がはらりと揺れ、もんどり打って男は地に墜ちる。
どさり、と重い音がした。
その音が合図だったように、騎馬兵団は整列したままいっせいに走りこんできた。彼の位置より背後に抜け出し、残った兵たちを蹄にかけて蹴散らしてゆく。
あふれる悲鳴、怒号。
土埃が激しく巻き上がる中で、蹄と長剣に蹂躙され、城砦守護兵たちは次から次へと傷つき斃れていった。
地面に倒れた黒髪の男は、歯を食いしばって体を起こし、額から滴る血を腕で乱暴に拭うと、剣を握って再び立ち上がった。
「待ちなさい。貴方の相手はわたしだ。」
凛とした声が背後から彼を呼びとめた。
「‥‥」
「こちらをお向きなさい。一対一の勝負をしよう。」
男はゆっくりと、振り返る。
馬から下りてそこに立っていたのは、予想どおりさきほどの白馬の騎士だった。
黒髪の男はすっと剣を青眼に構えると、返事もせずにいきなり騎士に撃ちかかった。
白馬の騎士は赤い短い髪を揺らして一歩も退かずに迎え撃つと、逆にぐんと腰から踏みこんで接近し男の太刀をはねのける。
男は間合いを取って構えなおし、青白い頬に皮肉めいた嘲笑を浮かべた。
「なるほど‥。その赤い髪、白馬。おまえが忌まわしきロワの『赤い疾風』か。」
相手は男の声を聞いて、一瞬たじろいだ。
「貴方は‥。もしや。」
再び渾身の力をこめて踏みこんだ剣も、あっさりと跳ね返される。
無駄なく躰の中心に構えた剣の剣先は、相手の力をたくみに利用し、まるで生きているかのように自在にしなやかに動く。
手間取っている間に、背後で続けざまに爆裂音が響いた。
「しまった!」
黒髪の男が気を取られた一瞬を見逃さず、背中に剣が振り下ろされる。
振り向きながら倒れこむ彼の目に映ったのは、味方の兵士たちの無惨な屍体の山と―――炎上する城砦、それから更にその前方、王都へと続く街道に向かって、倒壊し大きく開け放たれた裏門だった。
膝をつき、地面に突き立てた剣にすがって、なおも立ち上がった男は、必死の力を振りしぼって剣を握りしめた。
しかしいつのまにかすぐ隣に来ていた赤髪の騎士は、背中から彼の右肩ごと腕を抱えこみ、腕の付け根を強い力でぐっと締めつける。
肘から先が痺れて感覚がなくなり、剣がガチャンと音を立てて手を離れ、地面に転がった。
背中の傷からあふれ出す血と激痛のため、次第に意識は朦朧としてくる。
それを唇を噛みしめて何とか留め、怒りと悔しさをこめて肩ごしに睨みつけると、赤髪の騎士はなぜか嬉しそうににっこりと微笑んだ。
「見つけた‥! アリュイシオン。」
彼は驚いて目を瞠る。
「その名をどこで‥。」
次の瞬間腹に強い衝撃を感じ、目の前が昏くなって何もかもわからなくなった。