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心の崩壊

 1.

一緒に死んでいただける方募集中

 

 私は、インターネットにある無数の掲示板の中のその一言に、目

が釘付けになった。

 時刻は夜の11時30分を少し過ぎた所だ。

 遠くの方で、夜鳴きそばの屋台を引く笛の音が響いている。

 (悲しげな音色だ)と私は感じた。

 少し、頭が痛い。夕方飲んだ酒が、まだ、残っているようだ。

 私は顔をゆがめた。

 ここ一月ほど、私は言いようのない不安感に苛まれていた。まるで、

私の意識が深海の中に誘われていくようだった。

 私は夢の中でも、その暗い意識の海の中から浮上したいと、必死に

なってもがいていた。しかし、もがけばもがくほど、私の意識は深く

沈んでいくようだった。

 そんな時だ。私は新聞でインターネット心中の記事を見つけたのは。

 内容は、インターネットで知り合った男女三人が、車の中で練炭を

使って心中していたというものだった。

 私は、一人で死ぬ勇気のない見ず知らずの人間同士が、詩を共にす

る姿に深い共感を覚えた。

 私はそれから、インターネットの自殺サイトを見る事に熱中し始めた。

 私は、今の孤独から自分を救ってくれる人がいるなら死をも厭わない

という気持になっていた。

 私が、この時子と名乗る人物の文面になぜ惹かれたかは、今でも上手く

説明できない。

 おそらく、私が昔好きだった女性の名前が、そんな名だった気がする位だ。

 私はその時、この人物が私を深海の闇の中から救い上げてくれると、無意識

に期待したのかもしれない。

 私はそこにまだ見ぬ運命を感じていたような気がする。

 私は少し躊躇いながらも、時子と名乗る人物のメールアドレスに返信を出す

事にした。アパートの隣の部屋からは、大学生らしいグループの話し声がして

いる。演劇論でも戦わしているのか。時々、声が大きくなる。

 私は、彼らの甲高い声に気を散らされながらも、時子と名乗る人物に向けて、

パソコンのキーを叩き続けていた。

 

 私は子供の頃からつい最近まで、自分はどんな状況に追い込まれようと

普通に生きていける人間だと思っていた。自分をどんな事態にも取り乱す

事のない冷静な人間だと信じていた。

 しかし、その期待は自分でも説明のつかない状況の中で、もろくも崩れ

去った。

 その日は、朝からどんよりと曇っていた。秋雨前線が停滞していると、

テレビの気象予報士も話していた。私は余り、秋が好きではない。一日

一日と日照時間が短くなっていく毎に、寂しさが募る気がするからだ。

 特に今年は、私にとって試練の秋になった。

 十年近くも勤めた会社をリストラされたからだ。

 私が勤めていたのは、大手自動車会社の下請けで、車の部品を製造する

中堅の会社だった。私は工場の中で、ひたすら流れ作業に従事していた。

 しかし、中小企業の業績が伸び悩む中で、会社の業績も傾き始めた。

 そして、私も会社の人員整理の対象になってしまったのだ。

 ある日、突然、野原に放り出されたような気がした。いつの時代も、

真っ先に切り捨てられるのは、私のような末端の工員である。

 本社の重役連中は、私の首を飛ばす事など、何とも思っていないのだ。

 とにかく、私は無職になった。しかし、再就職先も簡単に見つかるはずも

なく、私は途方にくれた。元々、人付き合いが苦手で、相談の出来る友人も

いなかった。両親も既に他界していて、兄弟の一人もいない私には、帰るべき

故郷もなかった。

 私は、ただ、冷静になろうとした。会社からの餞別のような退職金と数ヶ月は

生活していけそうな貯金もある。当面は、生活を乱さないよう、リズムのある生活を

しようと自らに言い聞かせた。

 私は一日のスケジュールを、朝は散歩の時間とし、午後は買い物などの雑用や、

職探し。夜はテレビやパソコン。その内に新しい仕事も見つかるだろうと考えていた。

 しかし、程なく私は社会に対する自らの認識の甘さを思い知らされた。

 徐々に、私の心は絶望感に打ちひしがれていった。

 そう、あの日も朝から散歩に出かけ、午後からは食料品の買出しにスーパーマーケット

に出かけた。午後からは、ポツリポツリと雨も降り出し、鬱陶しい気持になったが、

冷蔵庫に食料もなかったので、私は傘を差して、買い物に出かけた。

 私の住んでいるアパートからスーパーまでは、歩いて15分位の距離だった。

 私が歩いていると、学校帰りの女子高生の集団に出くわした。

 明るくはしゃぎながら、私の傍らを通り過ぎていく。

 今年で33歳になる私からみれば、彼女達は15歳以上も若い事になる。

 私は自らの年齢を意識しないわけにはいかなかった。

 (私は何のために生きているのだろう)


 公務員で真面目一方だった父親は10年前に亡くなり、病弱だった母も3年前に

他界している。私自身にも、特別人にアピールできる長所もなく、風貌もどこから

見ても、今、流行のイケメンからはほど遠い。

 特に母を亡くしてからの私は惰性で生きているだけのようなものだった。

 私はリストラにあってから、強く「孤独」を意識するようになっていった。

 そんな想念が走馬灯のようによぎる中、私の足はいつの間にか、スーパーマーケット

の前まで来ていた。私は強さを増してきた雨を避けるようにして、体を自動ドアの中に

入れると、傘立てに、黒い傘を立てかけた。

 いつもの事ながら、スーパーマーケットにはいろんな人が来るものだ。

 仲良く、並んでカートを押しながら商品を選んでいる老夫婦、店内を所かまわず走り

周っている幼児、若いアベックもいれば、学生の姿も見える。

 一人で買い物に来ている主婦達の籠の中は、その日、幸せな家族が食べるであろう

食料品で一杯になっていた。

 私は買い物籠を手に取ると、そんな人ごみの中に入っていった。私が一番に買うのは、

日本酒だ。私の心は、日を経る度に、自制心を失い、一度心に決めた生活のリズムも

壊れていった。

その時の私は、夕方から夜にかけての時間を酒なしには過ごせなくなっていた。

 (何で、自分だけがこんな目に遭わなければいけないのか)と考えるとアルコールで

気を紛らわせないとやりきれなかった。

 酒さえ買えば、後は適当に目に付いた食料品を籠に入れていくだけだ。

 インスタントラーメン、パン、コロッケ、お菓子、弁当、自分で料理をする趣味のない

ので、すぐに食べられれば何でもいいのだ。

 私は買い物を済ませると、会計を済ませて外に出た。

 強い雨は相変わらずだ。私は左手に傘を持つと、右手で買い物で重くなった袋を持った。

 横の車道を水しぶきをあげながら、車が通り過ぎていく。

 私の住んでいるアパートは、住宅街のある団地の奥まった所にあった。少し、広い通り

から、細い路地に入っていくと、その奥に二階建ての木造アパートが見えてくる。

 一、二階共に5部屋ずつだ。正面から向かって左側に螺旋階段が付いている。

 私の部屋は、2階への階段を上がって最初にある。したがって、隣接している部屋は

片側だけである。隣の部屋は大学生が借りているらしいが、何人かがいつも出入りして

いて、誰が借りているかもわからない。

 私は部屋の前まで来ると、ポケットから部屋の鍵を取り出す。孤独な独身者にとっては、

気が重くなる瞬間である。待つ人の誰もいない部屋だ。それでも、母が生きていた頃は、

田舎から出てきて、部屋の掃除をしてくれていた事もあった。一人っ子で人付き合いの

苦手な私を心配してくれていたのだろう。

 今、私の部屋を訪れるのは、新聞の集金人か勧誘員。それに訳のわからない宗教の

宣伝か、いかがわしいセールスマン位のものだ。


 私は部屋に入ると、買い物袋を台所のテーブルの上に置いて、水を飲んだ。私の部屋の

間取りは、玄関を入って直ぐに台所があって、その奥に4畳半の和室がある。そして、

和室に続くようにバスとトイレが付いていた。

 時計を見ると、午後5時を回った所だ。私は冷蔵庫に入れるものだけを放り込むと、

夕食になりそうなものだけを持って、和室に入った。

 真ん中のテーブルに腰を下ろし、壁際に置いてある安物のテレビのスイッチを無機質に

付ける。テレビはニュース番組を放送していた。ガソリンの暫定税率がどうこうなどと

いう話をしている。私の頭に不意に自動車工場に勤めていた頃の記憶が蘇った。

 格差社会。偏差値信仰。世の親達が子供を一流大学に入れるために躍起になっている

のも、昔と変わらない。結局、私の首が飛ぶのも、学歴がないからなのか。私は立て

続けに酒を煽った。

 その時だ。私の全身を異様な感覚が貫いた。それは、いつもの酒の酔いからくるものと

全く異質のものだった。強いて言えば、強い不安感に喉の渇きのような激しい孤独感の

伴ったものだった。私は眩暈を覚えた。天井がグルグル回っている。

 (私は一体どうしてしまったのか)

 私は非常な不安と焦りの中から、必死に自分を取り戻そうともがき続けた。

 腹の底から突き上げてくるような不安感。今まで、自分の中で耐えに耐えてきた

何かが崩れていくような感覚が襲い掛かってくる。

 外からは、強烈に激しさを増した雨の音が耳に響いてくる。私の不安感は一層揺さぶら

れた。

 私はその晩、浴びるように酒を飲み、酔えるだけ酔うと布団に潜り込んだ。


 その夜以来、私は八方塞の部屋の中に、一人閉じ込められているような気持で過ごした。

 そんな暮らしの中で、私はインターネットの自殺サイトに引き寄せられていった。

 私には、今の社会に絶望した彼らが唯一の仲間に思えたのだ。

 

 私が時子と名乗る人物に思い切って返信のメールを出したのも、自分と同種の人間に

 会ってみたいという感情を抑え切れなかったからだ。

 死にたいと考えているのは、私と同じように生きる事に希望を見出せない人間に違い

 ない、そう考えると私は矢も立てもたまらなくなった。

 私は、リストラされて人生に絶望している、いつ死んでもいいのだ、などという自嘲

 的な文面のメールを時子と名乗る人物に送った。

 その翌日、時子と名乗る人物からのメールが届いた。

 その人物は、自分の事を25歳のOLだと名乗り、

 (メール拝見しました。あなたにも私と同じように、本気で死にたいという気持がある

 なら、次の日曜日にN駅前の広場で午後3時に会いましょう)

 と綴られていた。

 それから、もう一人、私達と同じ気持の人がいるので、3人で会う事になるでしょうと

 結ばれてあった。

 私達はそれから何度か、メールをやり取りする間に、当日、他の人と間違えないように

 お互いに直ぐに認識できる服装をしていく事を確認し合った。

 

 

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