初めてのお客様
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「参ったなぁ、今日も仕事がなしか‥いいことなのかもしれないが‥」
古ぼけたビルの一階で、男は複雑そうにぼやく。
市川葬儀社、と書かれた曲がった看板の掛かるビルを出て、外で深呼吸をする。
「清々しい朝、だけど仕事がない‥」
男の名前は市川光一 親から受け継いだ葬儀社を2名のスタッフともに運営している。
気弱で優しく押しにかけるそんな性格が災いして2年目の就職浪人をしていた頃、実の父が死んだ。
光一には母も、兄弟もいないので唯一の肉親になる父の死だが、涙に想いをはせるほどの余裕も無かった。
何しろ急だったのだ、父の死因は事故死、信横断歩道を渡っいるところで号無視の車に跳ねられ即死、だった。
勿論加害者への怒りも父の死に対する悲しみもあった。
しかし基本的に楽観的で鈍い光一は、感情の溢れさせ方を知らない。
昔からそうだ、何があっても困ったように微笑んで、より相手を苛立たせてしまうこともあったがなんとかなってきた。
そうやって感情をストレートに出すことをして来なかったせいなのかもしれない。
悲しい、悔しい、怒り、そのどれも感じるが涙は出ない。
これからどうすればいいのだろう、とそれを薄ぼんやり考えるだけだった。
まず迫る問題は父の葬儀社だ。
スタッフは父を除けば2人の小さな会社、とはいえ放置するわけにもいかない。
しかしこの問題はあっさりと解決する。
スタッフの2名の提案もあり、当時就職浪人中だった光一が跡を継ぐことになったのだ。
仕事のことなど何一つ知らないのでスタッフ達に教えられながらの毎日だが、思ったよりも光一の仕事の覚えは早かった。
それ以外にやることがなかったのでスタッフ達がマンツーマンで教えてくれたことも、当然あるわけだが。
父の葬儀の時も忙しく働いていた2人は、おそらく仕事もでき、教えるのもそれなりに上手いのだろう。、
社長の死にも冷静に対処し、喪主としては頼りなさすぎる光一を上手に使って無事葬式を終わらせたのだから。
だがそんな優秀なスタッフがいても、致命的な程に客が来ない。
光一が葬儀社をついて早くも2週間が立つものの、お客はまだ1人も来ない。
まあスタッフは光一を含めても3人なわけだし、そうお客殺到、な状況になってもそれはそれで困るのだが。
だがそれでも、仕事をしなくてはお金が入らない、どうしたものかとビルに戻り悩む光一の元に、1人の女性が訪れる
「失礼します、こちらが市川葬儀社、さんですか?」
そう声をかけられれば光一は慌てて立ち上がり、そして視線をあげ女性の顔を見て、少し言葉に詰まる。
スーツを着込んだ凜とした女性、その雰囲気に呑まれそうになったこともあるが、何より初のお客様のようだ、という状況に半ば脳がフリーズしてしまっている。
とはいえ頼れるスタッフは病院等への外回りで外出しているので、応対ができるのは光一を除いて他にいないのだ。
落ち着いて、粗相のないように、と心中で唱えつつ必死で言葉を絞り出す。
「はい、市川葬儀社でございます。私は代表の市川光一です。葬儀のご相談でしょうか?そちらの椅子にお掛けください」
そう言い、取り敢えず名刺を渡す。
女性は名刺を一瞥すれば、本題を切り出してくる。
「昨日、私の夫が亡くなったので葬儀のお願いをしに来ました」
涼しい顔でなかなかヘビーなことを言ってのける。
死因が病死であればある程度は死期がわかるので生前から掃除社と連絡を取るのが一般的な、はずだ。
となれば目の前の女性の旦那さんは事故死のような突然死、という事になるがそれにしては随分と落ち着いている。
とはいえいつまでも混乱しているわけにもいかない、少しでも仕事をしなければ 。
「御愁傷様です、一般的な葬儀のコースからご紹介させています。
基本的にコースであればすべての手続きなどは葬儀社がやりますので、ご安心いただけると思います。」
1人で客を相手にするのが初めて、どころか客を目にするのすら初めてではあるが、それでも必死の思いで話を進めていく。
「そう、ですか‥それじゃあこの500万のコースをお願いしようかしら。これならそちらが全てやってくれるのでしょう?」
中々分かりやすく言う人だ。
恐らくは面倒ごとだから金を積んでなるべく関わらないで済ませたい、と思っているのだろう。
自分も喪主として頼りなかったのは認めるし、手探りだったのでスタッフに任せきりになっていたのでこの女性に偉そうなことを言う資格など全くないが、それでも光一してはこの女性のような考え方は好きではない。
とはいえ閑古鳥が鳴いていたところに舞い込んだ恐らくは大口の依頼だ、逃すわけにもいかない。
「分かりました、それではこちらのコースでお受けいたします。
お客様が全く関わらない、というのは正直厳しいですがなるべくこちらで対処させていただきますので。」
そう言うしかない、依頼人の印象で仕事を断れるほど金があるわけではないのだから。
そこまで言えば、女性は恐らく今日で打ち合わせを終えるつもりなのだろう、大量の書類を鞄から出した。




