06.貴椿千歳、再び出会う
「うちは代々騎士の家系なんだよ。といっても俺が三代目くらいだから歴史は浅いが」
「……つーと?」
「俺の家は魔女を血縁に入れない、って意味。それ知ってるから、クラスの魔女は俺には遠慮しない。恋愛対象にならない俺にいい顔しとく理由もないわけだ」
食堂に向かう道すがら、さっさと食べ終わった北乃宮と廊下を歩く。
やはり女子にジロジロジロジロ見られながら。
品定めされながら。
廊下を歩くだけでこんなに見られるなんて……都会ってなんか怖いな……
「貴椿、君はなんで九王院に来たんだ? 騎士志望じゃないんだろ?」
そうじゃなければほぼ魔女しかいない九王町に来ることさえ珍しいのに、と北乃宮は言いながら、何やら携帯電話をいじっていた。
「メール?」
「そうだ。いつも一緒に食ってる奴に、今日は無理って伝えた」
「それより君のことだ」と。北乃宮は理由を聞くまで下がるつもりはなさそうだ。
あんまり言いたくはないが……
でも、言っておいた方がいい気がする。なんとなくだが。……教室で唯一の同性で、すでに俺は北乃宮を味方だと思っているからかもしれない。
よし、言うぞ……言うぞ……!
「……嫁探しだよ」
「は?」
ほら見ろ、呆れた顔してる!
でも、俺としては切実なんだ。切実な目的で、切実な望みなんだ。
「俺の故郷の島じゃ、若い女どころか若者自体まったくいないんだよ。年寄りばっかだし、これ以上ないってくらい過疎化が進んでるんだ」
「だから、嫁を探しに来たのか?」
「ああ。将来、島で俺と一緒に暮らしてくれる女を探しに来た」
あと、弾上兄ちゃんとか夏島のおっちゃんとか、売れ残っている男も何人かいるし。おっちゃんたちの嫁も、できれば探したいと思っている。
世界規模の比率的に見ても、女性の方が圧倒的に多い昨今だ。とんでもない田舎暮らしにはなるかもしれないが、それでも嫁に来てもいいって人もいるだろう。
「つまり、故郷の過疎化をどうにかしたいってわけか」
「悪いな。大した理由もなくて」
「いや、大した理由じゃないか。それもかなりの難題だ」
北乃宮は皮肉っぽく、どこか意地悪く笑った。
「これだけ君を狙う女がいる中、君が一人選ぶわけだろ? 選ばれなかった女は納得するかしないか。男の数が減ってきている今、君や君が選んだ女に自由戀愛の権利が許されるのかどうか。何より魔女のワガママに巻き込まれるだろう君の心が折れずにいられるか。少し考えただけでも大変な目的だと思うが?」
…………
「そんなに難しいのか?」
「抗魔法をちゃんと学んだ方がいい。俺が君に言えるのはそれだけだ」
俺は都会のことはわからないし、魔女のこともあまりよくは知らない。
だが、北乃宮のこの言葉は、「信じたくない」という気持ちさえ飲み込むほどの絶大な説得力を感じさせた。
なにせ、すでに流れ弾が当たりそうになったり、学園長に殺されてかけたりしているから。
冷静に思い返せば、すでに転校初日の、それも午前中だけで、二回も危険な目に遭っているのである。
これが魔女の世界である、と言われれば。
身を守るための術がないと、本当に命に関わる問題が起こりかねない。
抗魔法……ちゃんと身につけた方がいいだろう。死にたくなければ。
「ところで、微妙に答えになってないよな?」
「何が?」
「嫁探しなら、九王院じゃなくてもいいじゃないか。それとも、俺とは逆に魔女以外とは結婚したくないのか?」
あ、そうか。正確には俺がここに来た理由じゃなくて、なんで九王院学園に来たのか、って質問だったな。
ただ嫁を探すだけだなら、九王院じゃない方がいい、と言いたいのだろう。
ここは魔女の育成が盛んな学校である。
つまり男より強い女ばかりだということで、その分だけ我が強い女も多い。
……要するに「嫁を探す」じゃなくて、「婿にされる」という……「探す」という俺主導ではなく、「探される」という相手主導になる可能性が強いということだ。
俺は都会の学校のことはほとんどわからないから、こんな実態だとは想像もしていなかった……ここに来た最大の理由は予想の範疇を超えていたから、ってことになるのだが、もう一つ理由がある。
「婆ちゃんと学園長が知り合いで、そのコネで来た。俺はほとんど島から出たことないから、婆ちゃんに九王院を勧められたから、っていう単純な話なんだけど」
あとは、日本中の魔女が目指すほどの名門校とかなんとかって文句もあった気がするが、その辺は魔女じゃない俺には関係ない。
正直、魔女がいいとか悪いとか、そんなことさえ考えていなかった。
どうしても魔女がいい、って理由もないし。
「へえ、学園長にコネがあるのか。――なあ、あの人って本当は何歳なんだろうな?」
「歳の話はやめとけ。殺されるぞ」
「……そうだな。俺が軽率だったな」
本当だよ。軽々しく口に出して、誰かが聞いてたらどうするんだ。強大な魔力を持つ魔女ほど理不尽なんだからな。
「ごめん」
放課後になると、「歓迎会やりたいんだけど、来てくれる?」とクラスの女子たちに誘われた。
だが、急な引越しだったせいでまだ部屋の整理や荷解きができていない。
それに生活に必要なものも買い揃えないといけないし、地理にも疎いのでアパート付近の道くらいは憶えておきたい。そんな理由で丁重にお誘いを断り、しばらくはまっすぐ帰る旨を伝えた。
「落ち着いたら頼むよ。興味あるから」
「わかった。また明日」
「抗魔法関係のクラブに入っている。見学に来ないか?」と誘ってくれた北乃宮にも同じ理由で断りを入れ、教室で別れた。
慌ただしく、戸惑いっぱなしで、同年代の女子が怖いとしか思えない一日目がようやく終わった。
これからこんな毎日が続くのか……と考えただけで、激しく島に帰りたくなった。郷愁に胸が締め付けられる。もしやこれがホームシックというやつだろうか?
なんとなく違う気がするけど。
単に嫌なものから逃げ出したいだけな気がするけど。
帰りに近くの大型スーパーに寄って、色々と食料を買い込んだ。
大きな道路に面した店で、昨夜アパートへ向かう途中で発見したのだ。他にも気になる店もあるが、今日のところはこれで帰ろう。
早く部屋に戻って、島から送った荷物を解かねば。まあもっとも、俺の荷物なんてそう多くもないが。
九王荘は九王院学園専用のアパートなので、寮のようなものである。布団や冷蔵庫、テレビといったものは最初から備え付けられていたりする。
だが、本当に必要最低限の家具や家電があるだけだ。なんか不備があったら管理人さんに相談すればいいとは聞いているが、甘えっぱなしも悪いし、自分でできることは自分でしないとな。
仕送りも決して多すぎるということはないから、できれば自炊したいところだ。……あれ? 炊飯器ってあったっけ?
「色々と足りない物があるな」と考えながら、なんとなく遠回りしてアパートへ向かう。付近の道を憶えるためだ。
昼休み、北乃宮と廊下を歩いている時に気づいたが、九王院学園の高等部校舎の裏に、一本の大きな木がドーンと立っているようだ。どこにどのような形で植わっているかはまだわからないが――
「あ、やっぱ見えるな」
学園の敷地の外から見ても、そのバカでかい木の頭がちゃんと見えた。そういえば昨日絡んできた女子も、大きな木が目印になるとか言っていたような気がする。
あれはなんていう木だろう?
なんだか気になる木だ。
木だけに。
……さ、つまらないことを考えていないで、帰るか。
なんとなくこっちだろうと、方向感覚のみを頼りに細い路地を歩いていると、民家の塀の上を歩いてくる猫を発見した。
茶色いトラ柄の、いかにも日本猫って感じの猫だ。自慢げに伸びたヒゲと、ピンと立ったシッポ。可愛い。うちの近くにも何匹かいたよなー。
猫はスタスタやってくると、じっと見ている俺を見た。緑色の瞳で、不思議そうに俺を見た。「何見てんだよ」と言いたげに。可愛いなー。
「何見てんだよ」
うわしゃべった!
ただの猫かと思えば、どこかの魔女の使い魔だったようだ。
「なんか食い物くれよ。そうしたらこの自慢の毛並みを撫でてもいいよ」
「え? ああ……そういやマグロの刺身があったっけ」
さっきスーパーで買ったマグロの刺身である。安かったし、今晩は豪華にマグロ丼にするつもりだ。
……都会の常識のない俺でも場違いだとわかる、重い弁当箱の中にいた伊勢海老を見たせいで、ちょっと海の幸を食べたくなったのだ。あとちょっとだけ豪華にもしたかったのだ。対抗意識じゃないけど、まあ、ちょっと、そういう気になって。
がさがさとマグロを出そうとする俺を、猫は「あーいい、いい」と面倒臭そうな声で止めた。
「魚はいいよ。だって魚って魚臭いじゃん」
な、なんだと……刺身がお気に召さないだと……!?
「おまえどこの子だ!? 普段どこで何を食ってる!? あんまり贅沢言ってると嫌われるぞ!?」
「キミこそどこ中の田舎中学から湧いてきた小僧だよ。ボクはあの『涙色の魔女』の使い魔だよ? 人間の言葉で言うところのセレブ猫だよ?」
セレブ猫!?
「普段何食ってるかって? ――○ンプチだよ!」
セレブなトラ猫は、縦長の瞳孔をカッと見開き誇らしげに言い放つと、「フン」と澄ました顔で悠々と歩き去っていった。
モ、モンプ○……だと……!?
……ん?
モ○プチって、ちょっと高い猫用の缶詰だかパウチだかじゃなかったか?
…………
「マグロの勝ちだろうが!」
思わず叫んでしまった。
いや、でも、だって、そうだろ!? 単価的にも味的にもマグロの方がいいだろ!?
……いや、猫的にはやっぱりモンプ○的なものの方が美味しいのだろうか……何せ猫専用の食い物だしな……
それに、確かに魚臭いと言われれば、否定もできないしな……でもしょうがないじゃないか。マグロは魚なんだから。魚が魚の匂いしない方がおかしいじゃないか。
だが、なんだか無性に悔しいので、モン○チを携帯していつかあのトラセレブに食らわせてやろう。
ちょっと奮発した気分で買った俺のマグロを、軽々しく「食えない」と抜かしたあの猫め。このままで済むと思うなよ。
初めて歩く道に色々な発見をしながら、やや遠回りしてアパートに帰り着いた。時刻はもう五時を過ぎ、彼方の空に太陽が傾いている。今日も『虚吼の巨人』が空を割り広げる禍々しい姿もある。やはりあいつは意味不明だ。
時間的には、もう少し遅い方がいいのだろうか?
今日こそ、同じアパートの住人に、挨拶回りをしておきたいのだが。
本当は昨日済ませるはずだったのだが、電車に乗り遅れたり乗り間違えたり乗り過ごしたり寝過ごしたせいで予定が狂ってしまった。部屋に着いて最低限のことをして、初めての長旅に疲れてすぐ寝てしまったのだ。
「おかえりなさい」
俺が気づくより先に、向こうから声を掛けてきた。管理人さんだ。
管理人さんは、アパートの敷地の隅に作られた小さな野菜畑……家庭菜園と言っていいのかわからないが、とにかくそういうものにジョウロで水を蒔いていた。
行きにも帰りにも会うとはすごい偶然だ……と思ったのだが、干していた洗濯物を取り込んだりしていたようで、たぶん管理人さんは毎日このくらいの時間にはこういうことをしているのだろう。
だが、ちょうどいいところで会えた。
「管理人さん、ちょっといいですか?」
「はい?」
取り込み中のようなので手短に用事を済ませると、俺は部屋に戻った。
――隣の七号室の生徒が帰ってきている。
「挨拶したいので学校から戻ってきた生徒はいるか?」と問うと、管理人さんは快く九王荘の部屋割を教えてくれた。
七号室の生徒だけは先程帰宅し、他の住人はクラブだのなんだのでまだ帰宅していないらしい。
一階一号室には管理人さんが入っていて、残りの三部屋……二号室と三号室と四号室は全部屋埋まっている。
そして、なんと二階は、俺と七号室の人しか利用者がいない。五号室、六号室は空き部屋なのだそうだ。
とりあえず帰ってきていない一階の住人は後回しにして、まず隣の住人に挨拶に行こう。
九王院に通う以上、相手は魔女だとは思うが。
優しい人だといいな。
人様の弁当箱から堂々と伊勢海老を盗らないくらいには、優しい人だといいな。
そんな真っ当な期待をしつつ、昨日担いできたショルダーバッグから島の土産物を出し、部屋を出る。
隣の七号室の前に立ち、閉められているドアをノックした。
「――おまえは誰だ?」
住人はまだ着替えていなかった。
制服姿のまま出てきた小さな女の子は、今日だけで二回聞いたセリフを吐いた。
しかも、俺の顔を見て。
俺の顔をちゃんと確認して。
どうやら俺の顔なんて憶えていなかったようだ。
「……今日からクラスメイトで、隣の部屋に入った貴椿です」
これが、乱刃戒との再会だった。