04.貴椿千歳、出会う
白鳥先生と一緒に教室へと踏み込んだ俺を見て、クラスメイトたち(女子ばかり)は唖然としていた。
まるでストップでも掛かったかのように停止していた。
話をしていた女子はポカンと口を開けたままだし、お菓子を食べていた女子は今まさにタケノコ的な形のそれを口に入れようとして口を開けたままだし、シャツでも入れ直していたのか驚きのあまり口とスカートのファスナーが開いている女子もいた。……口はともかくファスナーは閉じとこう! な!? ファスナーは閉じとこう! パンツの紐が見えてるから! ……え!? それってゴムじゃなくて紐パンってこと!?
「――はい、皆さん席に着いて」
白鳥先生の声に、彼女たちは非常に機敏に、キビキビと、それはもう大急ぎで、なんなら『瞬間移動』さえしてそれぞれの席に戻った。所要時間2秒くらいの素早い動作だった。すごい統率力だ。
というか、うん、すごい。
これまでは普通の学校生活というものには縁がなかったのに、今日からクラスメイトが10人以上もいる学校生活が始まるのか。
これが都会の学校なのか……なんかテンション上がってきたな!
「新学期が始まってすぐですが、転校生を紹介します。貴椿千歳くんです」
女子たちが食い入るように俺を見ている。なんか獣のような鋭い目で見ている。――やはり世界的男女比率変動のせいで、男の希少価値が高いのだろう。……この1年4組も女子ばっかりだし。
しかしまあ、なんとも落ち着かない。
この九王院学園は、魔女や騎士に広く門を開いている学校である。
特に、魔女の育成には力を入れている。
つまり、クラスメイトどころか九王院学園の女子のほとんどが、魔女だと言える。
魔女を怒らせたら大変だし、できるだけ穏便に過ごしたいものだ。そうじゃなくても都会の女子は気難しそうだし。昨日カツアゲされかけたし。ヘンタ……変わった女子にいじめられそうになったし。
「貴椿くんは、地方の離島からやってきました。そこは――」
ついさっき先生に説明したことである。
そう、俺は地方の離島で生まれ、昨日まで島で過ごしていた。名前なんて言っても誰も知らないような、海産物以外の特産もなければ観光地もないようなマイナーな島だ。
店なんてほんの二、三軒。コンビニなんて当然なし。
暮らしているのは中年から年寄りばかり。
同年代……というか学校に通っていたのは俺と二つ下の女の子だけで、小・中学校の生活は、それはもう閑散としたものだった。
ドラマで見るような学校生活なんて、それこそドラマの中でしか見たことがなかった。
クラスメイトが10人以上もいる教室なんて、想像もつかなかった。
だが、今俺の目の前には、俺が想像もできなかったものが広がっている。
憧れていた、都会の学校生活というものが広がっている。
……ちょっとなんか女子たちの視線が強すぎて肉食獣に狙われている草食動物のような気分になりつつあるが、うん、それはさておき、とにかくこれこそ夢にまで見た生活環境だ。……ちょっと想像より刺激的な気もするが。うん。刺激臭で息が詰まりそうだが。うん。
「――それでは貴椿くん、一言お願いします」
一言。
そう、俺はちゃんと自己紹介の言葉も考えてきていた。学園長にはできなかったけど……今度こそ!
俺は女子たちの飢えた視線を胸を張って受け止め、口を開いた。
「貴椿です。クラスメイトが5人以上いる学校生活なんて初めてです。田舎者なので至らない点も多々あると思いますが、よろしくお願いします」
頭を下げる。
よし、学園長には挨拶できなかったが、こっちはちゃんとできたぞ! 今朝、鏡に向かって練習した甲斐があったな!
「はーい」
女子の一人が手を挙げた。
「質問なんですけどー。貴椿くんは騎士志望なんですかー?」
騎士。
それは魔女と対極になる存在。中世ヨーロッパで活躍していた聖堂騎士が由来になっている。
確か高潔な精神を持つ騎士と、信仰の深い修道士を併せた存在だからとか、そういう理由だったと思う。
騎士志望というのは、抗魔法の技術を習うのか、と。そういう意味になる。
この九王院学園においての男子の存在は、ほぼ騎士志望だろう。
男は魔法を使えないのだから。
この学校は、日本でも有数の魔女向けの学校である。
希望者が受けられる魔女向けの特別授業があったり、また魔女としての国家資格試験の対策にも明るい。先生たちは全員魔女で、こと魔法に関してはエキスパートが集まっているとか。きっと白鳥先生もかなりの使い手のはずだ。
そんな環境だからこそ、騎士育成にも力を入れているのだと思う。実際の魔女と机を並べ、お互いの物の考え方や魔法を、肌で感じることができるように。
……と、九王院学園のパンフレットに書いてあった。
「特に決めてないですけど。でも習えるものなら習いたいと思っています」
騎士は、魔女と対局にいる者だ。
魔法を駆使する者と、魔法に対抗する者。
現代においては、世界の女性の10分の1くらいは魔女だったはずだ。だからもう、この世に魔法は当然あるものとして認知されている。
そして騎士は、魔法を使用する犯罪者を捕まえるために必要な技術者――抗魔法という特別技能を習得した警察官や捜査員として、社会に貢献している。
昔はいざ知らず、今は魔女と騎士、ケースバイケースで共存できているのだ。……天敵同士のような関係上、あらゆる現場での双方の気持ちは複雑かもしれないが。
なお、俺が先程学園長に殺されかけた時に使用した『魔除けの印』は、特別な力を持たなくても誰にでも使える技術である。今の都会の子なら幼稚園児だって使えるだろう。英才教育とかで。
どんな人も言霊の力を持ち、順序を踏まえれば禍払いの儀式はできるのだ。効果は人それぞれだが。
簡単に言えば、騎士が得意とする抗魔法は、この言霊や禍払いの延長線上にある高等技術である。努力次第で習得は誰にでも可能なのだ。これまた効果は人それぞれだが。
「兄弟はいるの?」
「血の繋がらない妹が2、3人いたりする?」
「若々しくも瑞々しい身体を持て余し気味の義母とかと一緒に住んでるの?」
などなど、質問が次々に飛び交い、答えるような状況ではなくなってきた。
オロオロしていると、白鳥先生が「はいはい」と手を叩き、好奇心をたぎらせる魔女たちの心を鎮めた。
「彼への質問はあとで個人的にね。貴椿くんの席は……あ、そうか。急に決まったから席がないわね」
だそうだ。
まあ確かに急に決まった転入である。入る俺もバタバタしていたが、入れる学園側もきちんと対応できていなかったようだ。
「先生、ここ空いてるよ」
綺麗に並んでいる机に、女子が座っている。そんな中、虫食いのように女子がいない席があった。
最前列の、窓際の隣。
窓際の女子が、空いてる隣の席を指差していた。
「そこは……まあ、仕方ないわね。すぐ持ってくるから、今はあそこに座ってちょうだい」
「はい」
とりあえず俺はあの席に座ればいいみたいだ。
簡単な今日の連絡を伝えると、白鳥先生は「机を持ってくるから」と言い残して教室を出て行った。
そして。
ついに機を得たりとばかりに、俺は女子に囲まれた。
「彼女いるの?」
「義妹はいるの?」
「か、彼氏とか、いるの?」
とにかく質問された。
獲物を見つけた獣のように鋭くもギラギラ輝く瞳で。
本気で誰か噛みついてくるんじゃないかという勢いで。
本当に、捕食される小動物の気持ちがわかるようだった。
都会って怖い。
……つか、女子が怖い……
――なんとなく、婆ちゃんが今まで俺を本土の学校に行かせなかった理由が、ちょっとわかった気がする。
魔女たちが何をやらかすか想像もできない。
同年代の女子なんていなかった島暮らしの俺は、正直、女子がどういうものなのかさえいまいちよくわからないのだ。
『魔除けの印』の習得は、婆ちゃんが俺に島を出る条件として提示した賭けであり、試験であり、試練であり、約束だった。
数日前にようやくそれをクリアして、急な転入となったわけだが……
本当に、ちゃんと学んでおいてよかった。
『魔除けの印』は誰でも使える、抗魔法としては初歩中の初歩、基礎中の基礎である。
だが、魔法には抜群の効果があるのは、殺されかけた先の件で実証済みだ。
もしも魔法に対抗できる術が一つもない状態でこんなところに送り込まれていたら……と思うと、今日の放課後にも、島に逃げ帰っていたかもしれない。
質問攻めが10分ほど続いただろうか。
体感的には1時間にも2時間にも思えるほど疲れたのだが……まあそれはいいとして。
「何をしている」
その声は大声でもなんでもなかったが、よく通り、この場の女子たちを一瞬で沈黙させた。
俺を囲む輪がさっと割れ――その開かれた道から彼女がやってきた。
背は、非常に低い。140あるかないかだ。
子供のような細い体躯は、しかし制服の上でもかなり鍛えていることがわかった。黒に近い茶色の髪は長く、首の後ろで一つに結ってまとめている。切れ長の視線はきつく、どこか冷めていて、しかし力強い。
小さい女の子――という印象を受けたが、いざ顔を併せると、むしろ相手の方が年上なんじゃないかと思わせるような雰囲気があった。
浮ついたところがないというか、落ち着いているというか……なんだか不思議な女子だった。
「……おまえは誰だ? そこは私の席だが」
これが、俺と彼女の出会いだった。
彼女の名前は、乱刃戒。
この1年4組において、唯一、魔女ではない女の子だった。