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Witch World  作者: 南野海風
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42.魔女の穏やかな日々 一





 乱刃さんは面白い。

 見るものも聞くことも初めてのものばかりらしく、反応が面白い。


 魔女の敵の乱刃戒。


 新学期早々、それも高校生活が始まってすぐにそんな風に呼ばれ、噂は校内に広がり、よそのクラスにも上級生にも睨まれていた。

 どうしてそうなったか。

 詳しい事情もよくわからないまま、人となりさえも知らず、しかも1年4組で唯一魔女ではないという特異すぎる彼女に近づくクラスメイトはいなかった。


 ――私、たちばな理乃りのは、そんな乱刃さんの隣の席だった。





 私は、魔女としてのプライドというものが、ほとんどない。

 というのも、中学三年生の時に覚醒したので、魔女としては新米だからだ。

 覚醒する前は、普通の人と同じように過ごしていたし、正直「魔女の世界」なんてテレビの特集で見る程度のものだった。


 この「魔女の覚醒」というのは、非常にポピュラーでありながら、非常に厄介なもので。

 魔女の一族に生まれても覚醒しなかったり、魔女がいない家系なのに突然覚醒したりするという、一貫性や共通点、また遺伝という形にも依存せず、学術的には完全なランダムで決定される、と言われている。しかもいつ覚醒するかもわからず、この前は六十を超えた女性が目覚めたとニュースになっていた。

 私は魔女のいない家系で、普通の一般家庭で、ついこの前突然覚醒した。


 私の魔法は、物質を根本から、それこそ突き詰めれば元素から変質させることができる「変化」というジャンルの素質があるそうだ。……まあ魔女歴が短いのでまだまだ全然未熟だが。


 しかし、この歳まで魔法なしで普通に暮らしてきたし、特別魔法に憧れるということもなかったので、私としては覚醒しても大した感動はなかった。

 だが両親は違った。

 魔女といえば、女性ばかりになりつつあるこの世界において、特別な力を持つ存在である。その力を高め、極めれば、エリートの道も夢ではない。

 実際社会に役立っている魔女はエリートが多く、働く魔女の特集は多い。


 というわけで、親の強い勧めで、私は魔女育成に力を入れている九王院学園にやってきた、というわけだ。


「そうか。大変だな」


 世間話がてらそんな話をしてみるも、乱刃さんの反応はいつも通り蛋白だった。


 次は体育の授業なので、みんな体操服に着替えている最中だ。

 女子は教室でそのまま、数が少なく魔女からのセクハラ防止も兼ねて、男子には教職員用の男子更衣室が用意されている。貴椿くんも北乃宮くんもとっくに移動済みだ。


 ――乱刃さんが、風紀委員から「決闘」を禁止されて数日が経った。


 最初は遠巻きに、または腫れものに触るかのように様子を見ていたクラスメイトたちも、今は随分彼女に慣れてきていた。

 私は隣の席ということもあり、ちょくちょく声を掛けたり観察していたりしたので、乱刃さんが噂にそぐわない人だということを元々知っていた。俗に言うヤンキー的な人じゃないことを知っていた。


 そして、いまや全員がすでに知っている。

 彼女は食べ物……特に甘いものの話をすると、非常に面白いということに。


 この事実が露呈した頃から、乱刃さんへのイメージが大幅に変わったと思う。


「ねえねえ乱刃さん」


 特にこいつらは、最近乱刃さんで遊ぶクセがついてきたように思う。

 うさぎともえと、恋ヶ崎(こいがさき)咲夜さくやだ。


「これ知ってる?」

「……このドリル状のチョコレートか? 生憎知らないが」

「食べる? おいしいよ」


 ニヤニヤしている兎さんと恋ヶ崎さんに反して、乱刃さんの顔が渋面に歪む。


「悪いが……よく知らない人から食物を貰う行為を認めていない……」


 最初に聞いた時はどういう意味かと思ったが、「毒でも盛られていたら大変だ」という心配から来ているらしい。

 いや毒ってなんだ――と誰もが思っただろう。

 しかし、今までそういう心配をするような生活を送ってきたのだ、と思えば、乱刃さんが異常な身体能力のみで魔女や魔法に対抗できる理由の一つとも考えられる。


 要するに、普通の生活を送ってきていない、ということだ。


「……は、早くしまえ……チョコレートを……」


 乱刃さんは、すでに目の毒になっているお菓子の箱から強引に目を逸らすと、背中を向けて名残惜しそうに呟いた。


 ……かわいい。

 悲しいけど、かわいい。


 ここまで露骨に欲しがっているのに、強がって我慢する乱刃さんの姿は、なんだか意地を張って素直になれない幼稚園児のようだった。


「食え」


 三道王さんが来た。

 雰囲気は重く、スポーツブラジャーどころかパンツまで全開で。

 いつも思うが、この人の異常な貫禄というか、堂々たる佇まいは、王の威厳を感じさせる。……王族に会ったことなんてないけど。


「強くなりたければ食らえ……こうだ!」

「ちょっ、待っ……!」「箱ごとはないでしょ!」


 意地悪な魔女たちが持ってきたたけのこ的なお菓子の箱を、下着の女が箱ごと奪うと、まるで風呂上りの魔女が魔女水を煽るかのように一気に口の中に流し込んだ。ざらざらと。


「お、おまえ……貴重なチョコレートをそんな……」


 乱刃さんは、露出激しく仁王立ちしてたけのこ的なお菓子を咀嚼する三道王さんを、それはそれは驚いた様子で見上げていた。


「誰も毒など入れん。私には乱刃の気持ちは少しわかるが、せめて級友くらい信じろ」


 空になった箱を恋ヶ崎さんに返し、下着の王はこの場を去った。実に雄々しい人である。


「チッ」


 兎さんが舌打ちした。


「今日こそ乱刃さんに食わせようと思ってたのに……」

「……まだ一個も食べてなかったのに……」


 目的を失った意地悪な魔女たちも退散した。


「なぜ皆、私に食わせようとするのだ」


 乱刃さんの独り言のような問いには、この1年4組全員が「面白いからだ」と答えることだろう。

 でも、誰も聞こえないふりをして答えない。


 だってその方が面白いから。





 さて。

 そろそろ授業が始まる時間だ。


 そう、ついにこの時間が来たのだ。


 ――エロスネークがやってくる、この時間が。


 なぜそれをするのか、と理由を聞けば「特に理由はない」と言うし、実際ただの悪ふざけで、本当になんの意味もないのだろうと思う。


 言ってしまえば、悪ふざけや冗談で始めたことが常習化し、繰り返していく内に常習者が意味のない使命感を抱いてしまったからだ。

 だからやらずにはいられない。

 そんなものだと思う。


 ただし。


 その任務成功率100%と言われれば、誰もが一度は阻止してみたいと思うものである。

 別に襲われたところで痛くも痒くもない。

 が、無料ただで、それも男に触られる前に女に触れられるという、ある種の軽い貞操の念もあるのかもしれない。


 誰に合図されたわけでもないのに、いたるところで交わされていた雑談が、ふっと止む。

 衣擦れの音と髪を梳かすかすかな音だけが、静寂に乗って運ばれる。

 

 誰もが皆、視線を向けることもなく、ただ警戒だけしていた。


 奴は……エロスネークは、教室の中央で何食わぬ顔で着替えをしていて――えっ!?


 私は、いや、奴を見張っていた誰もが、己の目を疑った。

 消えたのだ。忽然と。


 『瞬間移動』!? いや、違う!


 奴は詠唱していない!


「じ、時限式……?」


 そんな魔法聞いたこともないが、奴ならきっとできる。

 まさか、まさか奴は……着替えが始まる前から、最初から(・・・・)仕掛けていた(・・・・・・)というのか!?


 状況を見て、誰かの隙をうかがい、ターゲットを絞る……


 そんなあたりまえの流れを無視し、最初からターゲットを絞っていたというのか。

 警戒されることも、監視されることも計算に入れて。


 どこまで……どこまで本気なんだ、奴は……!


「ぬう!?」


 愕然としていたのはほんの一瞬。

 厳重警戒態勢のこの状況で、エロスネークはすでに、その毒牙を獲物に突き立てていた。


「おまえ……私の背後を取ったのか!?」


 今日狙われたのは、乱刃さんだった。


「……すごい……」


 誰かが、誰もが思っていることを言った。

 そう、すごいのだ。


 何せ乱刃さんは、本当にいつも隙がないから。

 背後からこっそり近づいてもすぐ振り返るし、『瞬間移動』での接近にも敏感に反応する。


 そんな乱刃さんが、こうも容易く捕まるとは。

 

「……で、おまえは本当に何をしている」





 エロスネークの名は、和流せせらぎ是音ぜおん


 毎回、体育の授業の前に着替えている時、背後から誰かに抱きつくという意味のない使命を持つ女。

 中等部時代から続いていると言われるその無駄な行為の成功率は何気に100%で、新学期始まって間もないこの1年4組でも、すでに多数の被害者が出ていた。


 特に委員長・花雅里さんが襲われた時のあの悲鳴。

 いつも冷静沈着で、思慮深く、面倒見もいいし何事もそつなくこなす優等生、取り乱した姿など見たことがないあの花雅里さんの悲鳴は、皆の心に一服のときめきを落とした。……花雅里さんには悪いけど。


 あの完璧優等生の花雅里さんでもダメだった。


 ならば、乱刃さんならあるいは――彼女の運動神経や勘の良さならあるいは、蛇の強襲を回避できるかと期待していたのだが……


 乱刃さんも、犠牲者になってしまった。


「おい。本当になんだ」


 抱きしめるだけ抱きしめると、和流さんはそのまま振り返ることなく、教室を出て行った。


 食らった獲物に興味などない、と言わんばかりに。





 勝者の背中は、いつも眩しい。

 しかし、いつか必ず、奴の常勝を止めてくれる者が現れることを、私は信じている。


「あれはなんだ」


 話そう――乱刃さんには、私の知っている、彼女の何もかもを。

 そして、乱刃さんのリベンジに期待しよう。


 ――新学期早々、このクラスで一番最初の獲物にされた私にできる復讐は、それだけだ。










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