03.貴椿千歳、危うく学園長に殺されかける
「風紀委員だ! 全員そこを動くな!」
通る女性の声が、この場に緊張感を走らせた。
きっと揉め事に巻き込まれるのが嫌なのだろう、「そこを動くな」の声を無視して蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う女子たち。
それに混じって、俺もとっとと逃げることにした。
相変わらずなんだかよくわからないが、転入初日にトラブルなんてごめんだ。
女子たちと一緒に校舎へと逃げ込み、靴を持って廊下を行く――木造の校舎しか知らない俺にとって、靴下越しに感じる真っ白なリノリウムの床は多分に硬く冷たく感じられた。
逃げ切れただろうか? ここまで来れば大丈夫か?
……よし、追手もなさそうだし、とにかく早く職員室に行かないとな。
近くにいた女生徒に聞き、職員室を発見。早速中へ踏み込んだ。
「すみません、貴椿ですが……」
顔を覗かせると、主に女性教師の視線が向けられた。やはりここも女性比率が高いようだ。
「貴椿くん?」
席を立ってやってきた白いスーツの女性は、俺を確認すると「学園長がお待ちだから」とそっちの方に案内した。
学園長室は職員室の隣の部屋である。
職員室から直で行けるようだが、今回は内側ではなく外側である廊下から行くらしい。白スーツの女性教師は俺を押すようにして廊下に出る。
「昨日、到着遅れたみたいだけど。迷ったの?」
「あ……はい、まあ、そんなところです」
正確には、電車に乗り遅れたり乗り間違えたり乗り過ごしたり寝過ごしたりで時間を食ったのだが。まあ似てる似てる。大差ないさ。
俺が昨日から入っているのは、九王院学園専用のアパートだ。
なので、きっと管理人さんと教師陣は定期的に連絡を取り合っているのだろう。俺の到着が遅れたことも連絡が入っているらしい。
「よかった。魔女に絡まれて遅れたのかと心配したわ」
……いや、絡まれましたけどね。早速。危うくカツアゲされそうになったし、ヘンタ……いや、変な女の子に変なことされかねないところだったし。
きっとあれは、都会の洗礼だったのだろう。
都会は恐ろしいところだと。それを忘れるなと。油断するなと。
隣の学園長室のドアをノックし、返答を聞いた上で白スーツの女性教師は「失礼します」とドアを開けた。
まず気になったのは、匂いだ。
かすかに漂う覚えのあるこの匂い……いや、それはいいだろう。
いかにも高そうな執務デスク越しに、これまた女性……きっと学園長だろう女性がいた。
「九王院学園へようこそ、貴椿千歳くん。学園長の九王院カリナです」
「は、はじめまして」
燃えるような赤い髪が印象的な、大人の女性だ。
しかし。
目を見張るほど綺麗な人ではあるが、それ以上に、肌に感じられるほどの魔力の質の高さに驚いた。
高位魔女――それも高位魔女の中でもトップクラスかもしれない。
魔力の量が多い者は、その身に許容できない分は自然と体外に溢れ出すと言われる。俺が今感じているのは、きっとそれだ。
しかも、これほど濃密で力強い魔力は……その気になれば可視化さえさせるかもしれない。
ここまですごい魔女となれば、日本どころか世界にさえ多くないだろう。
――婆ちゃんの匂いと、たぶん同じ。
室内に立ち込めるこの匂いは、魔力の流出を抑えるための、薬草の匂いだ。
「あ、あー……あのー……その……」
この人は、俺をここに送った婆ちゃんの知り合いである。俺はそのコネを伝ってこの九王院学園へやってきた。
婆ちゃんには「嫌われたくなければその辺の挨拶はちゃんとしておけ」と言われていたのだが……
学園長の圧倒的な存在感に押され、驚き、すっかり萎縮してしまって、考えてきた挨拶の言葉がスポーンと抜けてしまった。
いや、そりゃそうだろう。
日本屈指であろう魔女なんて、早々会える存在ではない。緊張しても仕方ないだろう。
あーうーと唸る俺に、学園長は微笑みかけた。
「蒼の試験に合格したのでしょう?」
「あ、はい、ええ」
蒼は、婆ちゃんの名前だ。
あの婆ちゃんの名前を呼び捨てできるってことは、この人は見た目以上に年上なのかもしれない。
案外婆ちゃんと同い年とか……いやいや! いやいやいやいや!
歳の詮索はやめておこう。昔それで婆ちゃんに殺されかけたしな。明らかに三十歳を超えるだろう魔女に歳を聞くのは自殺行為だ。
「それが本当ならば、貴椿くんは充分、この学校へ通う権利があります」
権利、か。
そうだな。あの賭けは結局、権利を勝ち取るための試験だったわけだ。
「ちなみに、貴椿くん?」
「はい?」
――学園長の瞳に、魔力の流動を見た。
先程外で見た『変化』の魔法とは桁違いの、大きく、純度も高く、そして限りなく赤い魔力の流れ。
溢れる魔力に赤髪が踊り、あまりの魔力の強さに空間が軋む音さえ聞こえそうだ。
反射的に『魔除けの印』を心の中で結びシールドを展開――すると同時に、学園長の双眸から二筋の赤いレーザービームが走り、俺の『魔除けの盾』を直撃した。
ほんの少しでもシールドが遅れていたら、レーザーは容赦なく俺の身体を貫いただろう。
10分にも20分にも感じるほどの高純度にして高温、かつてない密度の濃い熱線レーザーが、ジリジリとシールドを焦がす。
実際は1秒ほどの放射だった。
だが、当たった瞬間に感じられた学園長と俺の実力差は、わずか数秒であろうと、俺に生命の危機を伝えるには充分すぎる時間だった。
文字通り、他を圧倒する高位魔女の魔力から発生したそれは、その気になれば、俺のシールドくらい紙きれのように容易く貫いただろう。
学園長と俺には、それほどの実力差がある、ということだ。
「――結構よ。咄嗟にそれだけの『魔除け』ができるなら、この学園でもやっていけるでしょう」
やっていけるでしょう、じゃないだろ! 今あんた俺のこと殺しかけたんだぞ! 死んだらどうしてくれるんだ!
……とでも言ってやりたかったが、なんか婆ちゃんの知り合いってところからして、この人にだけは反抗しちゃいけない気がする。高位魔女ってのは魔力も規格外なら常識のなさも規格外だから……
……ふう。やっぱり都会は怖いところだな……
「あなたの担任になる、白鳥未波です」
学園長への挨拶(殺されかけたけど! 挨拶で殺されかけるとかどうかしてるだろ!)も済んで、白スーツの女性教師と廊下に出て。
ようやくその人は自己紹介してくれた。
高等部1年4組担任、白鳥未波先生。
そしてその1年4組が、俺の教室でもあるわけだ。
「新任だから頼りないかもしれないけれど、よろしくね」
そうか。白鳥先生は新任なのか。
「それで貴椿くん、さっきの学園長とのアレは何なの? 先生とても驚いたんだけど」
「俺も驚きましたけど」
思い出すだけで身体が震え上がりそうだ。
ほんの一瞬、瞬き一回分遅れていたら……俺、やっぱ、死んでた気がする……
「試験がどうとか言っていたけど?」
「あ、はい。俺の経歴は知ってますよね?」
「ええ、大まかには資料で。ただ、あまりにも急な転入手続きだったから、詳しくは知らないの。経歴くらいしかわかっていないし」
そりゃそうだろう。本当に急な転入だったのだから。
しかも、四月の転入である。新学期が始まって一週間とか二週間しか経っていないこの時期の転入である。
どこの世界に新学期始まったばかりで学校を移る高校生がいるんだ。
……まあここにいるんだけど。