02.貴椿千歳、九王院学園へ行く
「おはようございます、貴椿さん」
まだ慣れるとか慣れない以前に、すべてのものに違和感しかない。
「おはようございます」
住み慣れない部屋で一晩明かし、着慣れない制服を着て、外階段などというオシャレなものから降りた先に、庭掃除をしていた管理人さんがいた。
名前は、確か、久城冷夏さん。たぶん二十代後半くらいの、なんかすごく優しそうで綺麗な人だ。
「昨夜は遅くにお邪魔してすみませんでした」
昨日、この九王荘に到着した俺は、まず管理人さんに挨拶へと向かった。顔合わせを兼ねて挨拶して、それから部屋の鍵を貰うことになっていたのだ。
昼に到着するはずだったのに、まさかあんな時間に伺うことになるとは思わなかった。俺が電車に乗り遅れたり乗り間違えたり乗り過ごしたり寝過ごしたりしたばかりに……
管理人さんは、予定通り来るはずだった俺の到着を待っていた。だから顔を出したら心配までされてしまった。何かトラブルに巻き込まれたんじゃないかと気が気じゃなかったらしい。しつこいようだが、俺が電車に乗り遅れたり乗り間違えたり乗り過ごしたり寝過ごしたりしてしまったばかりに……
……実際トラブルの連続だったので、もう、なんか……とても一口じゃ説明もできず、昨日は謝ることしかできなかった。
「遅く? まだ7時半くらいだったけれど……」
お? お!? まだ、だと!?
「それって眠らない大都会ってことですね!?」
俺の地元じゃ7時を回ればもう完全に夜扱いだったのに、やっぱり都会は違うなぁおい!
「いえ、この辺はあまり都会では……いえ、まあ、そうですね」
ほらやっぱり都会ってことじゃないか! 眠らない大都会かー……そうかー、ついに俺も憧れの大都会に出てきたんだなー。なんか今になって実感が湧いてきたなー。
都会といえば、俺は昨日から一人暮らしになったのだ。
振り返ると、今度こそ明るい空の下に、俺の家となったアパートを見ることができた。
九王荘6号。
築何年とかはよくわからないが、やや古ぼけた二階建ての、特に目新しいものはないアパートである。
上下四部屋の計八部屋で、中はワンルームっていうのか? 畳の部屋の六畳一間で、狭いながらも台所と風呂とトレイ付きである。
俺の部屋は、中央にあるむき出しの外階段を上がって右奥。八号室だ。
この九王荘というアパートは学生寮のようなもので、親元を離れて九王院学園に通う生徒を対象に貸し出している。正式な学生寮もあるにはあるらしいが、俺は定員オーバーで入れなかった。
ここが六号目で、一から順に似たような九王院学園専用の宿舎が用意されているそうだ。
女の一人暮らしは安心だが、男の一人暮らしは何かと危険である。
だからすぐ隣の部屋に仲間がいるような寮生活が人気なのだが……その人気のせいであぶれている者もいるわけだ。ここに。
あ、でも、この九王荘でも、俺以外にここに住んでいるのは同じ学校の生徒になるのか?
昨日は夜遅かったし疲れていたから早々に寝てしまったが、今日にでも挨拶に回っておきたい。ご近所さんだからな。
「ところで管理人さん」
「はい?」
「都会ではパンを咥えて走る女子に頻繁に会うって本当ですか?」
「貴椿さんの都会感はズレている上に古いですね」
え、いないのか!? 楽しみにしてたのに!
――挨拶もそこそこに、俺は学校へと向かう。
学校専用のアパートなだけに、九王院学園は目と鼻の先である。
敷地は、だが。
九王院学園は校門を潜ってからが長く、15分以上歩いてようやく校舎に着くという広大さを誇る。場所はだいぶ離れているが小中高の校舎がこの敷地内にそれぞれ存在している。
高校の校舎は校門から見てほぼ真正面である。それぞれの校舎へ続く道が作られているので、たぶんこの道を行けば大丈夫だろう。
校門から整地された芝生や、授業で使うのだろう土の校庭や、野球やサッカー用の設備や、見渡すかぎりとにかく広く見通しがいい。道沿いには木々が植わり、ベンチや電灯まであるという、公園の散歩道のような様相である。シャレてるなー。
しかし、それにしてもだ。
話には聞いていたが、やはり女子が多い。あとすごくジロジロ見られている。
九王院学園の制服は、男子もそうだが、女子も黒を基調にしたブレザーである。
ただし女子は更に、魔女の証とばかりに黒い外套……でいいのか? とにかくマントのようなものを制服の上に羽織っていて、肩を覆う程度のものから膝まで届くものまで長さはまちまちだ。長さにも何か理由があるのかもしれない。
世界的に男女の比率が傾きつつある、なんてことは、それこそ世界レベルの常識だ。だが俺の地元ではそんなことは特に意識する機会がなかった。
こうして都会に出てみると、やはり実感する。
男は本当に少なくなったようで、周囲を見ても女子ばかり。まったく男を見かけない。九王院は共学のはずで、全校生徒の二割か三割くらいは男子のはず――ん?
「――!」
「――」
なんか、道の先で女子同士がモメているようだ。
片方は非常に落ち着いているが、もう片方は興奮しているのか、激しく相手を罵っている。野次馬が立ち止まり注目するが、当人同士はまったく気にしていない。
近づくにつれ、話し声が聞こえるようになってきた。
「――いいから戦いなさい! 騎士じゃない奴に負けるなんて魔女の恥よ!」
戦い? ケンカか? ……都会は怖いな……
いや、待てよ?
忘れてはならないのは、ここが都会だということだ。
都会っ子は川原で殴り合って友情を育む習性があると聞く……俺にはまったく理解できない習性だが、とにかくあの二人はこれから友情を育てようとしているのではなかろうか。
まあ、今は揉め事より職員室だよな。見てないでさっさと行こう。
「――勝手なことを。私は一方的に絡まれ襲われたから撃退したまでだ。勝ち負けの事など知ったことか」
静かだが芯の通った凛々しい声。きっと怒っていないケンカ相手の声だ。
なんだか心惹かれるものの、俺は振り返らず、騒ぎを迂回して通り過ぎることにした。
転入初日に揉め事に巻き込まれるのも嫌だし、何より二人の友情の芽生えを邪魔するなんて野暮だよな? ケンカして仲良くなるって感覚も俺にはよくわからないしな。
「――先に言うぞ。その杖を振り上げたら容赦しない」
ちょうど真横を通り過ぎようとしていた頃だった。
強い魔力の流動を感じて、俺は反射的に振り返った。
一瞬の出来事だった。
ケンカ相手――魔女が振り上げる杖が、瞬時に拳銃に『変化』する。白銀に輝くそれは女子の手に収まるほどの小口径の銃で、曇り一つない銃身は陽の光を受けてギラリと笑った。
まぶしさに目を細め。
気がつけば、その銃口は、俺の方へ向いていた。
静かな方の女子が、己に向けられた銃を素早く手で押さえ、標準を定める前に横へ払ったのだ。
何気に俺も見ていたはずなのに、まったく見えないほどの素早い踏み込みと、戸惑いや恐怖のない動きだった。
そして、踏み込みと同時に繰り出された拳は、魔女の腹部を正確に打ち抜いていた。
――足が浮くほどの鈍く響く強烈な打撃音と、パンと軽く響いた銃声が、見事に重なった。
きっと魔女は、殴られた拍子に思わず引き金を引いてしまったのだろう。少なくとも俺を狙って撃ったわけではない。狙いさえ付けていないのは当然、視線さえ向けていないのだから。
しかし、事故であろうと偶然であろうと、銃弾は俺に向かって飛んでくる。
――魔力の流動を感じた時点で、すでに心印を結んでいる。
あとは発動させるだけ……という段階は、俺は慌てて緊急停止した。
ガギン
俺が張ろうとしていた『魔除けの印』は完成せず、しかし弾丸は硬質な盾のようなものに直撃し、空の彼方へと飛んでいった。
「何やってんだおまえら! ケンカならよそでやれ!」
「これ以上貴重な男を減らす気か!? どっちも死ね!」
「せんせーに言いつけてやる! あることないこと吹き込んで言いつけてやる!」
俺の前に立ったその辺にいた女子たちが、凶弾からかばってくれたからだ。
「……(チラッ)」
「……(ニヤッ)」
「……(ドヤッ)」
しかもなんかチラッと俺を振り返って「ねえどう思う? 今どう思ってる? あの……ねえ? おから始まってしりとりで最後に付いたら負けの……ど忘れしちゃってなかなか出てこ……あ、そうそう、恩、だっけ? そういうの全然気にしてなかったけどでも結果的に……恩?みたいなのを売っちゃった形になっちゃったみたいだけど、あなたそこんとこどう思う? よくない? こんな女の子よくない? いいよね? 頼もしくない? 頼もしくてよくない?」みたいな顔をしている。
そんな顔をされても、俺はどうしていいかわかりません。
……というか、危なかったな。
今のタイミング、本当に危なかった。
銃弾よりも危険だったのは、もし俺が『魔除けの印』を発動していたら、だ。
もし俺が『魔除けの印』を発動していたら、彼女らが張った『魔法盾』を無効化していた。そうしたら彼女らは弾丸をモロに食らっていたかもしれない。
何十年も前から男女比率は崩れ始め、今や3対7を割ろうとしている昨今。
魔女は、女子は、女性は、数少なくなった男を強く求めている……と、テレビのドキュメンタリーで観たことがある。
俺が今まで過ごしてきたところではまったく実感がなかったが、都会では本当にそうなのかもしれない。
なんつーか、やっぱ、都会は良くも悪くも刺激的なところだな。