19.貴椿千歳、真実を知る
「よう、一年坊。元気?」
周囲の視線がグサグサ突き刺さる、幸せなのか不幸なのかよくわからないサンドイッチ状態で、廊下ではなく針のむしろを歩いているかのような痛みを堪えている最中。
ちょうど階段を降りてきたその人は、天国と地獄を味わっている俺に、堂々と声を掛けてきた。
さりげなく兎と和流が、俺を庇うために少し前に出た。
ボディガードとしての務め……だと思いたいところだが、たぶん俺の権利を主張しているだけだろう。俺の意思に関係なく。
まあどっちにしろ、この人は問題ない。
「お久しぶりです」
この細目は憶えている。
というか忘れるわけがない。
先週会った、そしてこの状態の元凶でもある、風紀委員長代理の七重先輩だ。
「ほー? この前は違う娘二人連れてたのに、今日はまた違う娘二人連れてるんだ? 地味な顔してなかなかやるじゃん?」
前も今も事情があってのことだが。
「貴椿くん、これ誰?」
まるで所有権を主張するかのように腕はしっかり絡んだまま、兎は空いた方の手で指差して「これは何者か」と問う。そこには若干の敵意がある……とは思いたくないが……まあそんな感じだ。
そして和流の瞳が、俺を見ている。
腕を組むという至近距離で、瞳で語りかけるように俺を見ている。
あまり訳したくないが……要訳すると、たぶんこんな感じだ。
「――あれ? おかしいなー? 私たちってものがありながらよその魔女にちょっかい出してるの? つまりそれって私たちを裏切ってるってこと? そうだよね? そうだよね?」――と。
綺麗な女子なだけに、冷たい眼差しが痛い。
しかも近いから非常に痛い。
そして直で言われるより心に直接訴えかけられているようで相当痛い。
……俺、もう、女子が怖い……
「おや? 小娘、私を知らないの?」
「小娘? 誰に言ってんの?」
いや待て! 目の前のことより和流の目が気になりすぎてアレだったが、このままだと兎がヤバイ!
「この人は風紀委員長代理だよ!」
風紀委員を統べる、九王院ではかなりの権限を持つ組織の長の代理である。しかも三年生だ。もしケンカになったら兎に勝ち目はない。そもそも兎の魔法は動物関係だし。攻撃魔法に秀でているわけじゃないし。
この人の実力はよくわからないが……俺の勘では、俺たち1年4組総員でも、この人一人に勝てるとは思えない。それくらい実力差があるのではないだろうか。
「え、うそ!? やべっ!」
慌てて口を塞ぐ兎を見て、七重先輩はクックックッと実に魔女らしく笑った。
「上級生不敬罪で連行しちゃうぞー? んー? しばらく停学的な意味で学校休むかー?」
「先輩、それは職権乱用です」
あと上級生不敬罪なんてないだろ。……ないよな?
「いいんだよ。私こそ九王院学園の風紀委員長代理、つまり私がルールだから」
なんて人を代理に立てたんだ、風紀委員長は。
「まあ今回は見逃してやるかー。次から気をつけろよー」
思いっきり目を逸らしている兎の頭を笑いながらぐりぐり撫でると、七重先輩は俺を見た。
「せっかく会えたし、ちょっと話せる?」
「…? なんか用事でも?」
「用事っていうほどじゃないけど、聞きたいことはあるから」
「おっと。今日はちょっと風強いな」
耳に当たる風の音が大きい。
先輩の『瞬間移動』で、俺たちは風紀委員室のある屋上へと飛んできた。ちなみに兎と和流は一緒ではない。彼女らには先に教室に戻ってもらった。
バサバサと乱れる己の髪など気にした様子もなく、七重先輩は彼方を指差した。
「あれ、九王院のシンボル」
指された彼方にあるのは、校舎の裏にある森の中に、ひときわ大きくそびえる大木。奇しくも先週俺がここに来る前に気にして、委員長に睨まれたあの木だ。
そしてその大木から左に少し逸れたところに、空を割る『虚吼の巨人』がいる。あいつは今日も意味不明だ。
「元は樟らしいんだけど、学園長が魔法を吹き込んで、九王院の敷地の至るところに張り巡らせた結界の要石にしてるんだって。だから樟としての原型はほとんど残ってないとか。一応葉っぱの形は一緒らしいんだけど、一年通してあの木だけは季節の影響を受けてないからね。……いや、受けてる上で変化がないのかな? その辺はいまいちはっきりしないけど」
へえー。樟なのか。……この時期には葉っぱが落ちるはずだが、あれはまったく落ちてなさそうだな。めちゃくちゃ元気に青々とした葉が茂りまくっている。
「近くで見たことあります?」
「あの辺は魔力の溜まりが濃くてね。生半可な魔女じゃ近づくだけでアウト」
魔力の溜まりとは……魔女じゃない俺には詳しくはわからないが、確か、あまりにも強烈な魔力を放つ物質の周囲……年月を掛けて行き場のなかった魔力がその場所に蓄積されるそうだ。
有毒なガスが溜まっていると思えば早いだろう。動物は近づかないし、人間なら近づくと影響を受け始め、次第に意識が混濁し、最終的に意識が飛んで倒れる。らしい。俺はまだ体感していないのでなんとも言えないが。
「毎年確かめに行こうとするバカがいるんだけど、辿りついた奴はまだいなかったと思う」
「それはよっぽどですね」
普通の人ならともかく、魔女が近づけないほどの魔力の溜まりがある場所なんて、世界でも珍しいんじゃなかろうか。
「それでだ」と、七重先輩は乱れた髪を押さえた。風が弱くなったからだろう。
「乱刃ちゃんの様子はどう?」
「乱刃ですか? 普通だと思いますよ。揉め事も起こしてないですし」
「そっか。そりゃよかった」
よかった、か……
俺は少し驚いているが。
この人は、いいかげんで適当な感じの細目で、あんな無茶な約束をさせた人でもある。正直、俺や乱刃のことなんてまったく気にしていないと思っていたのだが。
「貴椿くんはともかく、乱刃ちゃんはねえ……あれは基本的に自分を曲げないタイプだからねー」
わかる。頑固というか、融通が利かないというか。
「魔女の敵。そんな噂が流れて有名になった乱刃ちゃんの境遇を変えるには、乱刃ちゃんが変わるか、周囲が変わるかしかないからね。例の契約から、周囲の対応が変わったでしょ?」
……え?
確かに変わったが……俺や乱刃にボディガードが付くようになったが……え?
「そこまで考えて、あんな約束を?」
周囲の反応や対応を変えさせるために、あの「契約要項」を考え、そのために俺も巻き込んで一蓮托生型にした。
七重先輩の言っていることは、そういうことだ。
現にあの日からクラスメイトの動きが協力的になった。特に乱刃への変化は顕著だ。もちろん乱刃が七回も繰り返した決闘も起こっていない。
「乱刃ちゃんのために、ってだけだと迷う娘も多かったと思う。そこに『男のために』って理由が付加するとあら不思議、あんまり抵抗なく協力する気になっちゃうわけ。乙女心だよねー」
あ、俺はついでに巻き込まれたわけじゃない、ってことですね。
まあ、この人がどんな理由で約束を考えたのかは別問題で、元々俺は罰を受ける身だったしな。俺がやったことを考えると、罰自体はだいぶ軽い気もするし。
「俺はてっきり、面白半分の意地悪であんなの考えたのかと思ってたんですけど」
だって一蓮托生の、自分がやらかしたら違う人が罰を受けるなんてシステム、なかなかえぐい。
……理由を聞いた今なら、納得できなくもないが。
「意地悪ってなんだよ。風紀委員はそこまで暇じゃないっつーの」
そりゃそうか。
「一応これでも風紀委員長代理だからね。風紀を乱す元凶はできるだけ対応しないとさ」
やっぱりこの人はやる時はやる人だったか。……こういう人は怖いんだよな。できるだけ逆らわないように気を付けようっと。
「もしかして惚れた? 私のカッコイイ風紀委員長代理っぷりに」
「いえ」
「付き合ってもいいけど?」
「冗談が好きですね」
「ほう? 意外と綺麗にかわしたね」
かわさないと大変なことになりますからね! 内心必死ですよ! 田舎者が必死ですよ!
「話はこんなもんですか? そろそろ戻らないと授業が始まります」
「うん、まあこんなところだね」
「送るよ」と俺の手を掴んだ七重先輩は、「あ、そうだ」と少し真面目な顔をした。
「乱刃ちゃんの揉め事は、元々は一年生同士から始まったんだ。だから上級生はあんまり気にしてない人も多い。この前の二年生たちは、一年生に頼まれたから出張ってきたんだって。ちなみにあの三人には魔法封印一週間と二週間のクラブ活動禁止って罰が下されたよ」
重いのか軽いのかはわからないが、向こうにもちゃんと罰は下されたようだ。
「でね、上級生はそんなに気にしてないんだけど、同じ一年生は違う。乱刃ちゃんに反感持ってる娘も多いと思う。
このまま何事もなく残り一週間過ごせるといいけど、今こそはーって仕掛けてくる可能性も高いから」
――覚悟だけはしておいてね。
軽く言われた言葉は、嫌になるほど重く響いた。




