167.それぞれの一週間 2
貴椿千歳が拉致される数時間前のことである。
「――おい、おまえ」
「――ん?」
中身はお察しというレベルの薄い鞄をぶら下げ、「炎上兎」とプリントの入ったシャツと学校指定のスカートという、自由な服装で家路につく少女。
声を掛けられたような気がして振り返ると、……浴衣のような和装を帯びた小学生くらいの小さな女の子が立っていた。
「…? あたしを呼んだか?」
一応周囲を見て、自分以外の誰かを呼んだかと勘ぐるも、周囲には少女たちを気に止める者は誰もいない。
「うむ。おまえじゃ」
和装の子供は鷹揚に頷く。
「名前はなんじゃったかの? まあなんでもよいわ。人に頼まれての。おまえの未熟な力の使い方を教えてやる」
「はあ?」
いきなりすぎて話が見えない。自由な服装の少女――久城夏凪は首を傾げる。
「急になんだよ。つかおまえ誰だガキ」
「聞くな聞くな。知らん方がよい」
クツクツと笑う子供に不気味なものを感じつつ――しかし久城夏凪はすでに「無視して帰る」という道は選べなくなっていた。
未熟な力の使い方。
この子供が言っていることは合っているのだ。
確かに自分は、魔女としての力をうまくコントロールできないし、そのことで悩んでもいる。
もし本当に教えてもらえるものなら、対価を払ってでも教わりたいのは確かなのだ。
今のままでは、教本に載っているようなスタンダードマジックさえ上手く使えない。
それどころか、肉体強化が暴走していろんなものをその気もなく壊してしまう。
ペットボトルのキャップは握りつぶすからまともに開けるのも難しくなったし、握っただけでドアノブは歪むし、寝ている間に寝返りでも打ってぶつけたのか壁に穴が開いていたりもした。服を着る時だって注意しないと威嚇するプロレスラーかって勢いでビリビリになってしまう。
それに、これまではなんとかなっていたが、いずれ人を傷つける可能性がある。
それほどまでに厄介な状態にあるのだから。
「難儀しとるんじゃろ? 儂もかつてはおまえと似たような事情で悩んだ。中々に言うことを聞かんでのう」
「……おまえも魔女か?」
「応。それもおまえより力がある魔女よ。どうじゃ、まったく魔力が漏れとらんじゃろ? これが使いこなしておるという証左よ」
そう、久城夏凪が確認するほどに、子供から魔力を感じられない。
意識を向ければ察知できるが、わかる分だけで判断するなら、レベル2、3程度のものだ。
「マジであたしよりレベル上なのか?」
「おまえは7だったか? 儂はレベル8じゃよ」
「……マジか。信じらんねえ」
どうしても、どうやっても自分の魔力をコントロールできない久城夏凪は、自分のことを魔女界隈でもイレギュラーな存在だと思っていた。
きっと、最初からコントロールができない力なのだろう、欠陥品の魔女なのだろうと半ば諦めもしていた。
なぜ出来の良い姉より、出来の悪い自分が強い力を持ってしまったのかと、己の力や存在を、周囲を、家族を、疎ましく思ったりもした。
グレた原因が優れた姉が魔女として覚醒したからで。
いざ自分が姉のように覚醒し、あまつさえ姉を超える力を持ってしまった。
皮肉というか、優れていない者の末路というか、ただただ強い力を持ってもそれを扱えない……魔女になっても優れていないポンコツのままだが。
――そんな自分を変えてくれる可能性を、今、示されている。
まだ半信半疑もいいところだが、しかし、無視だけはできない。わずかでも可能性があるなら。
「言葉だけでは信じられんか? なら身体に教えてやろうかの」
と、子供は右手を上げた。
「――強化せよ。全力で。今から儂がおまえを軽く殴るから、それで判断せよ」
「え?」
気がつけば、すでに殴られていた。
「瞬間移動」で詰められた間合い、小さな拳は久城夏凪の腹に打ち込まれていた。
軽く。
それは「殴った」というより「拳で触れた」ようなものだった。
しかし、
「ぐはっ!?」
腹から体内をえぐり背中へと駆け抜けた衝撃は、まさしく「殴られた」ものである。
痛みより重みを感じ、膝を折りそうになった久城夏凪は、思わず折れる身体を支えすがりつける物――目の前にいる子供の肩を、掴んでしまった。
小さな小さな肩を、思いっきり。
間違いなく「狂った肉体強化」は発動していて、小さな肩を握り潰さんばかりに、間違いなく力を込めてしまった。
「あ……」
ついにやっちまった――人を直接傷つけることだけはこれまで避けてきたのに、ついに……
と思ったが。
「ふむ。思ったほど強くないな」
握り潰れるはずだった子供の肩は、小さいまま健在で。
ゆがみもしなければへこみもしない。
むしろどれだけ力を込めてもどうにもならないほど、小さなその肩は硬かった。ちゃんと肉の感触はしているのに。肉体強化が発動していないかと錯覚するほどに。
「どうじゃ? 嫌でもわかったじゃろ?」
ニヤニヤする得体の知れない子供に、不気味さと――この人ならば、という希望と期待が生まれた瞬間だった。
「ほんとに、なんとかなるか?」
「儂が見てやると言っておるのじゃ。なんとかしてやるよ。おまえが嫌がってもな」
言葉に引っかかるものはあるが、しかし、この頼みの綱だけは投げ捨てられない。
「まあ安心せい。おまえは物覚えが悪そうじゃが、得てして理屈派より感覚派の方が魔力のコントロールは上手い。経験則で言えば、魔力のコントロールとは存在しない筋肉を使う感覚じゃからの」
「コントロールできないから感覚で語られてもわかんねーよ」
腹を擦り、見下ろす小さくも大きな存在。
色々わからないことだらけだが、この子供が相当な腕を持つ魔女だということだけは、痛みをともなってようやく理解できた。
「すぐわかるようになるわ。数日あれば充分じゃろ。ほれ、行くぞ」
「え? どこに? これから?」
「その辺の中学生と違って儂は忙しい。嫌と言うても連れて行くだけじゃ、無駄な抵抗はするなよ?」
今すぐと言われて、自分の寮部屋の諸々を思い出すが、まあ比べるまでもなく優先されるべきはこっちだ。
「行くのはいいけど……先におまえの名前くらい教えてくれよ。ちなみにあたしは久城夏凪だ」
「夏凪か。儂のことは蒼と呼べ」
この直後に接触した、久城夏凪と同様の悩みを持つ火周廻を回収し。
三人は長距離を移動した。
――奇しくも、あるいは奇縁か。
向かった先……桜好子蒼が修行の場として選んだのは、北乃宮の本家であった。
翌日の早朝、己の孫が事件に巻き込まれてどうなってしまったかを、原因となった者の実家で知ることになる。




