14.貴椿千歳、乱刃戒と罰を受ける
風紀委員室に入ってみると、外観よりも中は広々としていた。
……というか、だいぶ広い気がする。
教室のように規則正しくならぶ机があったり、壁にはロッカーがあったり、私物らしきバッグが置いてあったり、本当に教室のようだった。
明確な違いと言えば黒板の代わりにホワイトボードがあるのと、教室より少し広いような気がすることくらいだ。
――後に聞くが、空間を曲げて外観よりスペースを広くしているらしい。
そして室内には、窓に近い壁際の机の上にポツンと座り、ぼんやり外を見ていた女子が一人。
「代理、乱刃戒と貴椿千歳です」
「はい、ごくろーさん」
伏し目がちというか、目を瞑っているんじゃないかというくらい細目の女子。……なんというか、細目以外の特徴らしい特徴がない、威厳も迫力もない普通の女子に見える。ぶっちゃけ彼女の隣に立った御鏡先輩の方がよっぽど年上だったり威厳があったり存在感があったり風紀委員の委員長だったりに見えるくらいだ。
「ようこそ、一年生諸君。私が風紀委員長代理、三年の七重七呼だ。代表は訳あってここに来れないから、代理として全権を預かる私が、生意気な一年生に罰を下しちゃいまーす」
訂正。
特徴は、やたら軽そうなところ。
軽そうな委員長代理は、ぴょんと机から飛び降りると、のんびりした足取りで並ぶ俺たちの目の前にやってきた。
「乱刃ちゃんはもう何度も会ってる。北乃宮くんも知ってる。じゃあ君が貴椿くんだ?」
「は、はい」
緊張感のない視線になぜだか緊張して答えると、七重先輩は「ほーほー」と適当に頷く。
「こっちの彼女たちは?」
「1年4組、花雅里明日です。問題の件を間近で見ていたので証言しに来ました」
「同じく1年4組、橘理乃。私も近くで見てました」
へえ、そういう名前だったのか。委員長・花雅里と怖くないクラスメイト・橘のハキハキした返答に、七重先輩は「ふーーーん」と気のない相槌を打った。……気が抜けてるなぁ。
「転校二日目で風紀委員に呼び出し食らって? いざ来てみたら女連れで出頭ってか?」
七重先輩は、開いてるんだか閉じてるんだかわからない細い目を更に細めて、細めすぎてわからないがたぶん俺を見ながら口元だけで笑った。
「地味な顔してなかなかやるじゃん? ん?」
……褒められてはいないんだよな? 田舎者でも皮肉くらいはわかるぞ。
「だいたいの事情は聞いてるし、証言はいいや。罰も別にいいんじゃないかなぁ」
「代理」
御鏡先輩の非常に厳しい「それじゃダメ」という視線に、「だってさー」と七重先輩は肩をすくめた。
「やっぱ女子たるもの、一度くらい男の子に庇われてみたいじゃん? 守るのはいつものことだけど、たまには守られたい時もあるじゃん? 昔の少女漫画みたいでときめくじゃん? 愛するよりも愛されたい時もあるじゃん?」
「そんな理由で罰を与えないと?」
「でもさー。御鏡ちゃんも危ない時に男子に庇われちゃったりしちゃったら、ときめいちゃうでしょ?」
軽い口調と軽いノリ。七重先輩の軽い主張に、見るからにイライラしている御鏡先輩の顔が、更に険しくなった。
「……まあ、嫌いなシチュエーションではありませんが」
おい。同意すんのかよ。そんなきっつい顔して。それ嫌いじゃないシチュエーションを妄想してる顔じゃないよ。
「だろ? じゃあ無罪でいいじゃん。書類作るのも面倒臭いし」
「代理が代理になってからは代理が書類を作ったことは一度もないと記憶していますが」
「あったりまえだろー。私はデスクワーク専門じゃない、現場重視派だ」
「代理が現場に向かった記憶もありませんが」
「そうだっけ? 記憶にないなー」
……いたなぁ。俺の島にも。
仕事もしないし、点々と島の住人の家を渡り住んで、飲み会とかには必ず手ぶらで来て、散々飲んだり食ったりして、気がついたらいなくなってたりして。しかもそれで嫌われていないという不思議なおっさんだ。よく遊んでくれたし、俺も嫌いじゃなかった。
いつも酒の臭いをさせて、赤ら顔で、豪快に笑って、よく釣りをしていて。
そして、なんだかんだでいざという時は頼りになる人。
島を出て二日目なのに、すでに懐かしいおっさんの姿と、七重先輩の気の抜けた感じが妙にだぶって見えた。……まさかこれこそ本当のホームシックなのか?
御鏡先輩のもっともな指摘を、のらりくらりとかわす七重先輩。
正直俺たち一年は所在がなさすぎた。
「先輩方、話を進めてもらえませんか?」
北乃宮が言った。さすがは垢抜けた都会の男子、言う時は言う。
「だから無罪だって」
「駄目です。何かしらの罰を与えないと他の者に示しがつかないばかりか、校則違反を誘発する恐れがあります」
「――だってさ。私は気が進まないけど、恨むならこの御鏡を恨んでね」
いや、御鏡先輩が正しいだろ。どう考えても。
罰を受けたいとは思わないが、受け入れる覚悟はもうしている。
ところで、都会の罰ってどんなもんだろうな?
島でちょくちょく受けていた罰は、漁の手伝い一週間とかだったが。あれはかなりキツかった……早起きもつらいが、とにかく魚を運ぶのが重労働なんだよな。朝はそれで、放課後は島中に魚の配達をしたり、ずっと走り回されたよな……
まあ、罰じゃなくてもちょくちょく頼まれたけど。
「さて、何の罰にしようかなー。校則を知らなかったんだから、情状酌量の余地は余裕であるとしてー。人を傷つけてないってことも評価できるしー。むしろ人を助けるために行ったのならプラス要素だしー。引っかかるのは『魔法障壁を破壊したこと』と『抗魔法レベル2以上の使用』だけど、後者は違うんでしょ?」
「使用したのはレベル1だと本人が」
「ちょっと調べりゃわかることで嘘をつくとも思えないから事実でしょーね。――花雅里ちゃんと橘ちゃんはその辺の証言に来たんでしょ?」
花雅里と橘は頷いた。
「じゃあその証言を信じるということで。となると、残るは『結界を破壊したこと』を罪に問わなきゃいけないわけだ」
「決闘の邪魔をしたこともだ」
鋭く言ったのは、乱刃だった。……こいつはやっぱり俺が止めたことを快く思っていないのだろう。
「負けそうだったくせに」
「なんだと! おまえが止めなければ――」
「やめなさい」
御鏡先輩に止められ、乱刃は口を噤んだ。俺たちはいかにも「こいつはいけ好かない」という顔でそっぽを向いた。
「ほー。君ら仲良さそうだね」
どこかだ! どこをどう見て仲良さそうに見えるんだ!
いよいよこの細目に現実が見えているのかどうか疑問に思えてきた時、細目は「そうだ!」と手を叩いた。
「乱刃ちゃんは度重なる決闘の注意に呼んだんだけど、ぶっちゃけもう聞く気ないよね? 聞き入れる気ないよね?」
「私は絡まれているだけで、自ら仕掛けたことはない」
「うん。だからこれまで注意だけで済ませてきた。でも数が多い。これで七回目だよ? 入学して間もないのに七回目の注意だよ? 反省してたらここまでやらないだろ、って回数だよね?」
「何度でも言う。私は絡まれただけだ」
乱刃は毅然と言う。
降りかかる火の粉を払っているだけだ、と。それに対しては罪を問われる筋合いはないと。
「第一、決闘は校則で認められているはずだ。なのになぜ罰を受ける必要がある」
そういえばそうだな。花雅里と橘もそう言っていたはずだ。
「私は規則に反したか?」
「いや? それ自体はいいんだよ。それ自体は。ねえ御鏡ちゃん?」
七重先輩が見ると、御鏡先輩は「ええ」と頷き、腕を組んだ。
「決闘はいい。だが度重なる決闘で九王院学園の風紀を著しく乱した。乱した結果、あなたは何度も決闘をし、進行形で繰り返してもいる。これはあなたが風紀を乱したから起こり続けていることだ。そして風紀を乱すことは、たとえ校則要項になくとも罪に問われるとあなたにも説明したはず」
「私は絡まれただけだ」
「一度目はそれでいい。認めよう。だが二度目はどうだ? 悪戯に相手を挑発しなかったか? 売り言葉を買わなかったか? はっきり言うが、あなたの警告は魔女にケンカを売っているに等しい。それでもあなたには一切罪はないだろうか?」
その辺のことはよくわからないが、乱刃が反論しないので、本人もある種の自覚はあるのかもしれない。
そして御鏡先輩の言葉を、七重先輩が継ぐ。
「とまあ、そういうわけだ。君の……なんだっけ? ナントカ拳」
「点拳。一子相伝の拳だ」
点拳? ……確かに点拳なんて格闘技の流派、聞いたことないが……
「そう、点拳。でさ、その点拳ってのはさー。ちょっと絡まれたくらいで簡単に使っていいほど軽い拳法なの? ちょっと絡まれたくらいで殴っちゃってさー。それじゃそこらの三流魔女とかチンピラと一緒じゃない」
「……」
「本当に強い人は闇雲に戦わないもんだ。少しはケンカを避ける努力をしたり、我慢したりしなさいよ。もう乱刃ちゃんが強いことなんてみんな知ってるんだからさ。点拳は出し惜しんで、ここぞって時のために秘めときなさい」
「ね?」と、小さな少女の肩に手を置く細目。まるでやんちゃな妹に優しく諭す姉のようだ。……ちょっと体格差のせいで親子に見えなくもないが……こうして見ると乱刃の小柄さが特に強調されて見える。
それにしても、ようやく、やっと、七重先輩が先輩らしく、そして風紀委員長代理らしく見えた。年上の余裕を感じた。
やっぱりこの人も、いざという時に役に立つんだろうな。普段はダメなのに。
「貴椿くんは……あんま言うことないなぁ。立場上認めるわけにも褒めるわけにもときめくわけにもいかないから注意はしとくけどさ。今後は気をつけてね」
「は、はい」
実質認められて褒められてときめかれたような発言だが、これは注意……なんだよな?
「で、罰なんだけど。実はさっきいいの思いついちゃってさー」
――やはりこの人は、いざという時は役に立つ人なのだろう。
そして、ものすごく怖い人でもあるのかもしれない。
それは予想外の罰だった。
魔法障壁を破壊した俺と、度重なる決闘に厳重注意を受けつつ反省しなかった乱刃戒に。
やはり七重先輩は、ただの細目じゃなかったということだ。
「では、これを」
あまりの内容に唖然としている俺と乱刃の前に、御鏡先輩が作った「契約書」が渡された。
「読み上げますので、あなたたちも確認をお願いします」
曰く――
「本日より登校日十四日間、乱刃戒は学園内外を問わず、決闘及び拳の使用を禁じる。これに対する罰則は、貴椿千歳が請け負うものとする。
同じく、本日より登校日十四日間、貴椿千歳の授業以外、または教官不在での一切の抗魔法使用を禁じる。これに対する罰は乱刃戒が請け負うものとする。
なお、先に約束を反故にした方に重い罰を与えるものと定める。
二律背反、一蓮托生、喧嘩両成敗。
以上、九王院カリナの名の下に、風紀委員長代理・七重七呼が罰を執行する。――承諾したらサインを」
ようするに、乱刃が戦ったら俺が罰を受け。
俺が抗魔法を使ったら乱刃が罰を受ける、と。そういうことだ。
『契約書』は、魔法で作られた「形ある約束」である。
たかが紙上の約束というほど生易しいものではなく、嘘や誤魔化しが効かず、禁を破れば即座に罰が下されるという即効性を秘めている。
『契約書』の責任者欄に学園長・九王院カリナの名があるので、あの人を超えるほどの魔女か騎士じゃないと無効化はできないだろう。
つまり、今の俺たちには、反故にすることができない絶対の約束というわけだ。
今回の場合は、約束を破れば即座に風紀委員にバレてしまい、今度こそ停学を含めた厳罰が下ることになる。
しかしこれは……できるのか……?
というか、俺が一方的に不利じゃないか……?
俺は抗魔法を使わず過ごす自信はあるが、乱刃がどうにも……
「無理だろ、って思ってる?」
七重先輩はニヤニヤ笑いながら、不満と不安に顔をしかめる俺を楽しそうに見ている。
「そんなに難しくないよ」
「どこがですか」
乱刃は絶対やるだろう。俺のこと嫌いだろうし。
「こういう奴が一番信用できない」
「人の名前さえ覚えようとしないおまえが言うな!」
しかも乱刃は、俺が禁を破ると思ってやがる。
「おまえは常習、俺は初めて。おまえは七回目の注意、俺一回目。どっちが信用あると思う?」
「私は校則違反はしていない、結果的に違反しただけだ。しかしおまえは意図的に魔法壁を破った。どうせ同じ状況になったらまた同じことをするだろう。おまえはそういう奴だ」
「人の名前憶えないような奴が俺の何をわかるってんだ! この野郎!」
「決闘を邪魔したことも殴られたことも忘れていないぞ。風紀の罰があろうとなかろうと忘れないからな」
く、くそー……どうせあのまま続けても負けてたくせに……!
「やめなさい――代理、本当にこれでいいんですか?」
お世辞にも贔屓目に見ても仲が悪そうにしか見えない俺と乱刃を見て、御鏡先輩はかなり不安になったようだ。別に風紀委員側としては、今回のことに関しては進んで罰を与えたいわけではないのだろう。たぶん。
しかし俺と乱刃は、すでに、サイン直前のこの時点で、約束を違えそうになっている。
サイン直後にモメて契約違反――なんて冗談のようなことにもなりかねない気がする。……俺だってケンカしたいわけじゃないんだけどな。
「大丈夫、大丈夫。ほんとに難しくないって。要はさ――」
七重先輩の細い目が、一瞬、かなり意地悪く輝いた。
「二人いつも一緒にいて、お互い監視し合っていればいいんだよ。見つめ合うようにしてね」




