りょうしん
ぼくは相変わらず損な性格であると思っている。というのもぼくは、非難されたり劣勢に追い込まれている弱者ほど応援したくなり、またそのいっぽうで、賞賛されているような強者ほど非難したくなる性質だからだ。この強弱の判断に、合理性や客観性といったものはまったく存在していない。ただぼくの主観――ぼくの良心が、理性からかけ離れて、かってに決断をくだしてしてしまっている。
この性格はいつもにぼくにとって、大きな苦痛なり、ストレスとなった。なぜなら、えてして弱者というものは敗北する運命にあって、これにぼく自身も巻きこまれてしまうのがつねであったからだ。それでも時たま、弱者が逆転して勝者となってしまうことがあった。しかしそれでも、またぼくは同じことを繰り返してしまう。つまり、今まで非難してきた強者が、転じて弱者になったと無意識のうちに認識してしまって、今度はそちら側を応援せずにはいられなくなってしまうのである。これについて、ぼくはもう疲れてしまった。やめてしまえばいいとはわかっている。だけどそれをやめられない。これはぼくの良心だからだ。「人はけっして良心から逃れられない」という文言がぼくの心につめたく突き刺さる。
だけど、それでも、そんなぼくに救いの手を差し伸べることができる稀有な人がいるのなら、ぜひとも名のり出てほしい。ぼくはそういう人を渇望している。
ぼくはむかし、そんな自分の性格について赤裸々に相談したことがあった。相手はよりにもよってぼくの姉さんだったけど、こんな私的なことを話せる相手なんて、ぼくにとっては血のつながった身内しかいなかったのだ。姉さんはぼくの相談を聞くと、皮肉っぽい笑みを浮かべて、
「それはあんたが少数派になりたいからでしょ」とそっけなく答えた。ぼくは否定しなかった。すると姉さんはさらに言葉をつづけて、
「だれだってそういうのに憧れる年頃ってのがあるもんよ」と言った。
ぼくは、この答えにはさすがに顔をムッとさせて、
「好きでこういう性格になったわけじゃないし、ましてこういう少数派になんてまったく憧れたためしなんてないよ」といらだちをこめて言った。
「そもそもね」と、姉さんはそれに答える。「だれだって自分を特別な存在であると考えたくなることがあるの。どうしてこの世に生を受けてきたのかという問題を突き詰められると、そういう答えに行き着きたくなるのねえ。まあ、そんな哲学っぽい考えじゃなくても、誰だって周囲から一目おかれたいと思わないかな?」
どうやらあの時の姉さんは、ぼくのことをそのように見ていたらしい。姉さんの言うことはたしかにわかるけど、ぼくの性格はどう考えても損なものであって、けっして自身が憧れているようなものではない。ぼくはただ自分の性格が苦痛なだけであって、なれるものなら、俗で、『鈍感』な人間になりたいものだと思っている。ひとを傷つけても、ひとから蔑まれても、周囲の目を気にせず、平気でいられる性格――一般的にみれば迷惑千万な存在であろうけど、切にかくありたいと願っているのだ。悩みのない人生こそ素晴らしいものない。どうせ人生なんて死んだ者勝ちだ。せっかく平和で安定した現代の日本で暮らしているのだから。
このようにぼくは長らくも思いつづけ、そして考えつづけてきたのだ。
※※※
Sという奴がいた。N大学在籍時に知り合った男だ。ぼくと彼との間柄は決して親密というわけではなかったけど、大学での孤立を恐れる学生にありがちなように、磁石のごとくぼく達はくっついて、講義などをともにした。はじめのうちは趣味の話とか学業のこととか当たり障りのないようなことを会話の種にしていたけど、ある程度打ち明けていくにつれてSは自分の考えを披瀝するようになった。Sはとにかく社会に対する憎悪に燃えていたのだと思う。あらゆるものに対しての悪口雑言をぼくに話してくれた。一方ぼくはというと、ただ単に愛想笑いを浮かべてそれに応えるだけだった。
次第にSの不満は異様に現実から乖離しはじめた。それまで以上に不平不満をこぼすようになった。これまでの彼の不満というのはどちらかというと単なるコンプレックスの裏返しみたいなやつで、悲しくなるほどの自虐と、暴論じみた逆恨みで構成されていたのに、この頃になると妄想や幻想との違いをみとめることができなかった。なんと形容すればいいのだろうか。病的な不平とでも言えばいいのだろうか。このSのことを高校時代の親友に話したら「精神疾患じゃないか」という答えがかえってきたけれど、まだ断定をくだすような段階にあるとはその時は思わなかったし、そもそも素人であるぼくたちがどうこう言う権利はないと感じていた。
「すべての不細工っていうのはね」とSはかつてぼくに云った。「生きる権利っていうものはないんだよ。だから不細工なぼくも、いつしか社会から淘汰される運命にあるんだ」
ぼくだって不細工だ、と口から出かかったけど、そう云ったところでどうにもならないだろうと、ぼくはたかをくくった。Sは妄想にあやつられる哀れな傀儡になってしまったのだと判断してしまったのである。Sはひとの助けを心から渇望しているのに、自分の意見こそが絶対という妄想の極地にもたっしていて、ぼくの助言なんて、なんでもかんでも頭ごなしに否定するに決まっているし、建設的な話し合いなんかできっこないとぼくは思った。それでも時々、正論じみたことを言ってみたときもあったけど、最終的には揚げ足を取るような反論で却下されて、しだいに感情的なそれの応酬と化してしまった。
「結局は」と、ぼくはある夜自問した。「S君は不満のはけ口が欲しいだけなのだろうか。共感して欲しいのに、自分以外のだれでさえ共感できるわけがないという、根拠のない信念に凝り固まっていると考えていいのだろうか」
でも幸か不幸か、こういう考えに至ったがゆえに、ぼくは前よりもいっそうSと話すようにはなった。「Sは弱者である」とぼくの良心が訴えたのだ。弱者を助けなくては、ぼくの良心がぜったいにゆるさない。
いま思い返せば、ぼくはSと付き合うべきではなかったのだろう。ぼくの合理的理性が悲痛にそれを訴えかけている。しかしぼくの良心はそれを斥けてしまった。弱者を、苦しんでいるSを救えと、ぼくの良心は叫んでいたのである。
この『理性と良心の矛盾』に耐えきれなくなってしまったら、いったいぼくはどうなってしまうのだろう。ぼくにはその答えがわからなかった。そしてこの答えの分からなさが、なにか名状しがたい恐怖となって、じわじわと今でもぼくの心に沁みわたっている。
大学二年になった頃になると、Sとの関係は自然に消滅していった。とは云っても、決してSを忘却の彼方へ葬り去ったわけではなく、いつもぼくの心に彼の存在が重石のように乗りかかっていた。
また二年になって新しい知り合いもできた。Cという奴で、彼は非常に成績がよく、帰国子女でもあり、またそれに付随するかのようにプライドも一層高かった。
そんなCに、ぼくは自分の悩みを聞いてもらったことがある。その悩みとは、いわゆるぼくの良心のことだった。弱者の贔屓を余儀なくさせる、あの良心だ。
「それはT君が強いからだよ」と、Cは、いつにもまして衒学的な口調でぼくの悩みに応じてくれた。「そういえば、なにかの本にも書かれていたな。『強者とは本能的に弱者に対して憐憫の情をいだくものである』とね。そりゃあ、だれだって、義理もないのに、弱者の救済なんて好んでやるもんか。それも自分から、なんというか、その、能動的にね」
「となると、C君はぼくが強者であると言いたいのかな。でも、なんだかそれは信じられないよ。だってさ、自分が人一倍傷つきやすいのは承知のうえだし、知力、体力、家柄どれをとってもとくに抜きん出てるなんて思えないからさ」と、ぼくは云った。とはいえ、そう口にしながらも、ぼくはCが引用した『憐憫の情』という言葉の意味を――独断的ではあったけれども――平行して考察していて、それなりの結論に達しようとしてはいた。それはつまり、彼の言う『憐憫の情』というやつは、強者が享受した優越感の裏返しを意味しているのではないか、ということである。ひとを庇護する、ないし、救済することができるのは強者だけの特権であるし、この特権を行使することで、あらためて相互の強弱関係をはっきりさせ、自己が強者であることも再確認できるというわけだ。
「ならば自分も、弱者側を援護することによって、みずから優越感に浸りに行っているのだろうか」と、ぼくは自問した。「優越感という感情はきっと心地の良いものだろう。でもぼくはハッキリいって弱者の側についてもまったく気持ち良くがない。それどころか、ただ心理的にまいってしまうだけだ。まさか純粋な憐憫とでもいうのだろうか」
するとふいにCはぼくの顔を見て、眉間に皺を寄せはじめた。これは単に無意識のうちにしただけかもしれないけど、ぼくにはその動作が、彼が不機嫌であることを遠まわしに表現したように映った。そしてぼくは無意識に「ごめん」と言ってしまった。
「なんで謝るんだよ」Cはつぶやくようにして言った。
「いや、ごめん、とくに意味はなくて」
「日本的なんだな」Cはそうやって自分が帰国子女であることをさりげなくアピールすると、また表情をやわらげて、気を遣うようにして話しはじめた。「ようするにオレの言ったことに納得がいかないんだろう。だけどそれはT君が自身を強者であると認めたくないから納得できないじゃないのか。まあ、その理由はわからないけどね」
「じゃあ、ぼくの強みってなんなの」
するとまたCの表情がくもった。今度は不愉快というよりも面倒臭いという意味を持たせたのだと思う。
「ようするにだよ、弱者を救済せずにはいられない、そういう、なんといえばいいのかな、慈母のような、崇高な、心を持っているのが強みなんじゃないかな。それがキミに憐憫の情をもたらすというわけだ」
「するとそこには、優越感みたいな感情は介していないということかい」
「ああ、そうだね」Cはぶっきらぼうに答えた。「これでT君は満足だろう。こんなにも稀有な心の持ち主なんだから、それを嫌な性格だとか、損な性格だとか、考えたらダメだよ。これは死ぬまでたずさえるべき性格だからね。これからも弱者救済に尽力していきたまえよ。じゃあ、オレは次の時間に講義があるから」
そしてCは去っていってしまった。ぼくは戸惑った。たしかに彼に言われたことは、ぼくの求めていた答えとして、いちおう道理にかなっている。でもやっぱりぼくは今の性格のままでいようとまで思い至ることはできなかった。無分別に弱ら者の側へまわることはどうしても避けるべきだ。とくに強弱関係が逆転した時になって、いつもどおりそれまで応援してきた元『弱者』の敵にまわってしまうと、単なる二枚舌のトラブルメーカーとして周囲の顰蹙を買ってしまうことうけあいだ。
そんな中、Sが大学を中退した噂を耳にした。この噂を聞いたとき、ぼくは心から一種の解放感を感じ取った。けれどもやはりぼくの良心がその「解放感」を咎めるかのように姿を現して、ぼくを苦しめたのだった。
「お前はSを救うべきではなかったのか。あの劣等感に苛まれるSに優しい言葉をかけてやるほうがよかったのではないか」と、ぼくの良心は語りかける。それはまるで神の声のようであった。かつて古代ギリシャの哲学者がこういう良心をダイモンの声として聴いたらしいが、その意味がようやくその時わかった気がした。でも、ぼくは結局、その後Sと会うことはなかったし、会おうともしなかった。ぼくの良心の咎めは相変わらずあるのだけれども、ぼくの生来の消極的な性格が打ち勝ったかたちとなったのだ。
ところが、社会人になってから思わぬかたちでSを眼にすることになった。Sがテレビを通じてぼくの前に現れたのである。しかも犯罪者として現れたのだった。そう無差別殺人の犯人として。
ぼくは眼の前が暗くなり、自分の良心を殺したくなった。自傷行為の衝動にかられ、思わずぼくは自分の頬を自分でおもいきり叩き、そして苦悶の叫びをあげた。そして冷静さを取り戻すと、ひとつため息をついて、ありもしない罪悪感に身を囚われた。
するとぼくのケータイにメールが来た。Cからのメールだった。案の定、そのメールにはSが殺人を犯した旨が書かれおり、その文面にも、まるで踊っているかのように、生き生きとした調子が感じれる。なんだかSが殺人者になったことを嬉しがっているかのようであった。
「Cめ」とぼくはその際に独語した。「あいつみたいな鈍感な心の持ち主こそ、この世を謳歌できるのだろうな。幸せに生きたいのなら、鈍感にこそなるべし、ということかな」
けれども、そこでぼくはふと思った。「鈍感とは何であろうか」と。鈍感に悪意はない。ただ無邪気なだけだ。それに、時によっては、そのような人にこそ必要とされることもあるのではないか。それもぼくのような良心の塊のような人種には。
「単に鈍感な人に、ぼくは嫉妬しているだけかもしれない」
ぼくはうなだれながら、絶望感に苛まれて呟いた。
(了)