由香と明、2人は警察官
伊藤由香は藤田明が嫌いだった。
2人はS県警O署に勤務する警察官で、由香は警ら課、明は刑事課に所属している。
女性警官であり、年齢より若く見え、可愛い容姿の由香は署の男性警官からは
「伊藤さん。」
「由香ちゃん。」
などと、親しみを込めて呼ばれる事が多いが、何故か明だけは
「伊藤!」
「ちんちくりん!」
と、乱暴に呼ばれるばかりか、
時には
「ブス!」
「ペチャパイ!」
「厚化粧ババア!」
などと、デリケートな女の子に対して酷い暴言を吐くこともしばしば。
流石にキレたこともある由香なのだが、明の事は嫌いでも、何故だか心の底からは憎めなかった。
それは時折自分に見せる明の優しさであって、例えば、由香が重い荷物を持てずに困っているとこにタイミング良く明が近付いては助けてあげるなどがあったからだ。
(私って、明さんが嫌いなはずなのに…?)
由香は何時も自分の気持ちが不可解でならなかった。
ましてや、明は刑事課でも将来を嘱望されていて、署内の他の女性警官で彼に好意を持つ者も多く、また、彼も他の女性警官には親切であった。
(私…どうせ嫌われてるよね…。)
明の事を考えてると何時しか落ち込む毎日に、由香は嫌気がさしていた。
「よっ、自分のブサイクな顔に自信無くしたか?」
署内の外階段で明の事で落ち込む由香に、また何時もの要領で由香をからかう明が側に来た。
「失礼ですよ!いい加減、セクハラで訴えますよ!」
「うわ~、怖いコワい。おまわりさ~ん、助けて~。」
(本ッッ当ォ、サイッテー!)
こうして毎日、明の暴言に耐えているのだ。
(あ~あ、もうすぐ誕生日なのになぁ、一緒に祝ってくれる彼も居ないし…。)
警察官を拝命して4年目、年頃の由香には他にも悩みがあった。
それから数日後、誕生日を明日に迎えた由香は同僚とミニパトカーで署内の繁華街を回っていた。
そこに、同じ署の後輩で明るくて活発な性格の片桐小百合がお洒落な私服姿で通りががったのが見えた。
「あれ、小百合じゃない?」
同僚の女性警官はミニパトを運転し、小百合の傍に寄せた。
「小百合、あなた今日非番だったわね。いいなあ。」
「あ、先輩、どうもっす。あっ、ゆ、由香先輩も居たんですか?」
「小百合、私だってちゃんと仕事してるわよ。」
「それよりあなた、こんなにオシャレして、私達が仕事中に彼氏とデート?」
運転席の同僚が小百合をちゃかした。
「エ、エへ、そうなんですよお。」
明るい性格の小百合は照れ笑いをしながら返事した。
「あら、だったら待ち合わせ場所まで送ってってあげるわよ。」
「い、い、良いです。良いです。由香先輩、気を使ってもらわなくても結構です。彼が待ってるんで、失礼しますっ!」
由香の誘いに何故か小百合は頑なに拒み、そそくさとその場を去った。
「何あの子、感じ悪ーい!由香、尾行してよ。」
「何でそんな事をしなきゃいけないの?」
「いいじゃん、小百合の彼がちゃんとした人かどうかも調べるのが先輩の勤めよ。もしかしたら、彼氏って、藤田さんかもねえ。」
「藤田さん!そ、そんなのどうでも良いわよ!」
「何だかんだ言って、あんたと藤田さんってお似合いよ!」
「だって、私、あんなイジワルな人、嫌いよ!」
「ハイハイ、じゃあ伊藤巡査長、小百合の尾行よろしく~。」
同僚は由香を軽くあしらい、ミニパトから由香を締め出した。
「ちょっとお~、私イヤよ!」
ふてくされる由香を置き去りに、ミニパトは再び繁華街のパトロールに出掛けた。
(もぉー、どうしたら良いのよ?)
途方に暮れる由香は仕方無しに小百合の後を尾行した。
(べ、別に、小百合が藤田さんと付き合ってても良いんだから!)
自分に言い聞かせながら、由香は自分の気持ちの中にある、不可解な気持ちに苛んでいた。
それから程なく、小百合は男性らしき人に声をかけられた。
声の主は何と!明本人だった。
(小百合の彼って、藤田さんなのね。)
藤田といちゃついてるような小百合を見つめながら、
(あの2人…、お似合いよね。)
そう思いながら、由香は1人、唇を噛んだ。
明と小百合は2人仲良く繁華街の中心に近い宝石店に入った。
(馬鹿馬鹿しい!私、何やってるの?仲の良いカップルを尾行してるなんて?帰りたい!)
由香は、自分を置き去りにした同僚を恨みつつ、自分を迎えに来るように無線連絡を取ろうとした時だった!
ジリジリリリリリリ!
突然、宝石店の方角から警報がけたたましく鳴り響いた。
(え、え!)
突然の事に我を忘れた由香の無線機に署の一斉送信が入った。
「緊急、緊急、強盗事件発生!場所はO市△町の××宝石店!繰り返す…!」
無線連絡で送信された宝石店こそが、明と小百合が入った宝石店、今、自分の目の前にある宝石店だ!
(小百合、藤田さん…?)
由香は単身で宝石店に近付いた。
宝石店の中には、店の奥に店員が2名、恐らく、そのうちの誰かが警報装置を鳴らしたのだろう。
そして、店の中央には何やら説得しようとしている明の姿があり、彼の視線の先には覆面姿の強盗が右手に拳銃を持ち、小百合を人質に取っていた。
人質にされた小百合は恐怖に怯え、表情はひきつっていた。
(小百合っ…明さん!)
ようやく事態より飲み込めた由香の無線機にさっきの同僚の声がした。
「伊藤巡査長、今どこ?緊急無線連絡は聞いた?」
「聞こえたわ。今、宝石店の傍にいる。」
「わかったわ。内部の様子は分かる?」
「店内には店員や客が計4名、強盗が1人、拳銃を所持して客を1名人質に取ってる。」
「了解!応援が来るまでそこに待機していて。」
同僚は由香から内部の状況を聞き出すと、由香にその場に居るよう指示した。
「応援が来るのって何時?人質が危険にさらされてるのよ」
「わかってる、だからって、1人で乗り込めないでしょう。」
「人質は片桐巡査よ!それと、中には藤田巡査部長がいて犯人に説得している。加勢しなきゃ。」
「そんな…、だからって無茶したらダメ!」
「じゃあ、小百合をこのままにしといて良い訳ないでしょ!明さんだって危険な状態には変わらないし!」
「由香、落ち着いて聞いて!だからって1人で乗り込むなんて、あなたが危険になるわ!応援が来るまで待ちましょう!あなたは女性警官なのよ。」
「女性警官だって立派な警官よ!小百合や明さんを助けるわ!」
「お願い、止めて、由香ーっ!」
同僚の制止をよそに、由香は拳銃を抜き、店内に乗り込んだ。
「人質を離しなさい!」
由香は両手で拳銃を構えて、強盗を威嚇した。
「誰だ?テメェ!」
「由香先輩!」
「伊藤…お前、まさか1人で?」
店内に突然乱入した由香に明に小百合や強盗までもが驚いた。
「人質を離しなさい!」
拳銃を構えながら仁王立ちする由香は強盗に怯む事無く威嚇した。
「このアマ!人質がどうなっても良いのか?」
その時!
『ガブッ!』
「ギャアアア!」
人質に取られた小百合が自分を掴んで離さない強盗の左手を掴んで思いっ切り噛んだ。
瞬間、拳銃を構えたままの由香には何が起こったか分からなかったが、明はこの隙に素早く強盗の懐に飛び込み、強盗から小百合を引き離した。
「由香ぁ!小百合ちゃんを頼む!」
明は強盗の拳銃を奪い、取り押さえながら叫んだ。
「えっ、何で?」
明の一言に戸惑った由香だが、泣きながら自分に駆け寄る小百合を見ると、拳銃を降ろし、小百合を優しく介抱した。
「先ぱぁ~い…、怖かったぁ。」
「小百合、もう大丈夫だから、ね。」
泣きじゃくる小百合を落ち着かせながら、由香は明の方を見た。
「よくも、俺の大事な人をこんな目に遭わせやがって!」
(大事な人…?そうよね、明さんに取って、小百合は大事な人だから…。それに、私の事なんか…、私の事なんかどうでも良いと思ってるし、女だからって、一人前の警官だなんて思ってないよね…。)
犯人逮捕の瞬間に複雑な思いを抱いた由香だった。
翌日、由香の誕生日だったが、署の近くにある有名なレストランに由香は明と小百合の3人でディナーを楽しんでいた。
筈なのに、1人ではしゃいでいる小百合と、自分達を助けてくれたお礼にと、にこやかに由香を誘った明と、ずっと押し黙った由香がそこに居た。
「おいし~い!ここ一回来てみたかったんですよぉ、ありがとうございます!」
「小百合ちゃん、昨日はあんなに怖い思いをさせてしまって。これは僕からの罪滅ぼしだから。」
「そんなぁ、藤田さん、私達が入った直後にお店に押し入った強盗に私が人質にされたら
『彼女を離せ!俺が人質になる!』
って啖呵を切った時、すっごく格好良かったですし、私の方が助けて貰えて嬉しかったんですよぉ。藤田さんって格好良すぎですよねえ、由香先輩。」
「…そうね。」
小百合のハイテンションと打って変わって、仏頂面の由香だった。
「どうしたんですかあ、何時もの由香先輩らしくないですよ。」
「…別に、そんな事ないでしょ。」
何故かこのレストランに来る前からこの調子の由香だった。
「小百合ちゃん、ここのレストランのサラダバーは取り放題だし、無農薬栽培農家と契約してるから、野菜が凄く美味しいって評判だよ。」
「本当ッスか?取って来ま~す。」
はしゃぐ小百合は1人でサラダバーに向かった。
テーブルには明と不機嫌な由香が残った。
「伊藤はサラダ要らないのか?」
明は由香にも勧めたが…、
「お構いなく。」
明に目を合わせる事無く、由香はグラスの水を口に含んだ。
「伊藤…昨日はありがとう…まさかお前があそこに来るなんて思ってなかったし、助かったよ。」
明は照れながら由香に感謝した。
「…邪魔なんでしょ、私。」
レストランに来て、初めて由香が自分から喋った。
「邪魔って、何で?」
「だって、私なんか邪魔なんでしょ!本当は小百合と2人っきりで来たかったんでしょ!」
「何言ってんだ、伊藤?お前を誘ったのは俺だぜ。」
確かに、このレストランに誘ったのは、昨日のお詫びとお礼で明から由香達を誘ったのだ。
「嘘言わないで!」
由香は、他の客や店員がビックリするほどの大声で話し始めた。
「いつもいつも私の事を『ブス!』だの『ババア!』だのバカにしてる癖に!それに、小百合と宝石店に行ったのだって、小百合と付き合ってるからでしょ!」
「お、おい伊藤…。」
由香は目にうっすらと涙を浮かべながら更に話を続けた。
「それに、強盗犯人を逮捕するときも、拳銃を持ってた私に任せるんじゃなく、自分で捕まえたじゃない?あれって、私が女だから?私が頼り無いから?どっちなの?」
「よせよ。他の人がビックリしてるだろ。」
「うるさい!いつも私の事をバカにしてる証拠よ!」
「お前の勘違いだよ。」
「勘違いなモンですか!もう、イイ!私帰る!」
興奮して取り乱した由香が怒って席を立ち、席から離れようとした時だった。
「待てよ!由香!」
同時に席を立った明が由香の右手首を掴んだ。
(…エッ?)
由香は内心ドキッとした。まさか明男らしく腕を掴まれるとは思ってもいなかった。
「は、離してよ!」
「離すもんか!」
「痛いじゃない!」
「誤解を解くまで離すもんか!」
「誤解?何の事?」
「俺が好きなのは、由香!お前だ!」
「えっ?嘘…嘘よ!」
「嘘じゃない!」
「だって、だって藤田さんは小百合の事が好きなんでしょ!」
「俺は由香一筋だよ!」
「嘘言わないでよ!」
「嘘じゃないですよ、由香先輩。」
いつの間にか2人の傍に居た小百合が2人の間を取った。
「小百合!」
「小百合ちゃん!」
「それよりお2人さん、周りを見て下さいよ!すんごい恥ずかしいですけど!」
由香と明のやり取りを聞いてビックリしている他の客や店員全員が由香達を見ている。
「あっ…。」
「皆さん、ごめんなさい。」
2人は謝りながら再び席に戻った。
「由香先輩、私と藤田さんの事、勘違いしてますよ。」
「勘違いなんか…してないわよ!」
「私は非番だった昨日、藤田さんにお願いされてあの宝石店に行っただけですから。」
「どう言う事?」
小百合の言葉がいまいち理解出来ない由香だった。小百合は更に話を続けた。
「藤田さん、今日が由香先輩の誕生日だって知ってて、それでいて由香先輩へのプレゼントにって、指輪を選ぼうとしてただけですよ。私は昨日が非番だったから、それじゃあ昨日行きましょうって事になったんです。最も、強盗犯人が店に押し込んだなんて初めてだったからビックリして、結局、指輪とかは買えずじまいで、今日のレストランに変わったんですよねえ。」
「さ、小百合だって、藤田さんとすっごく楽しそうにしてたじゃない。」
「…ゴメン。」
「藤田さんは謝らなくてイイですよ。先輩だって女の子だから分かりますよね、指輪や宝石を見るだけでも楽しい事を!幾ら私へのプレゼントじゃなくても、見てるだけでも。」
「じゃ、じゃあ、何で強盗犯人を私に捕まえさせようとしなかったわけ?」
「それは俺から話すよ。」
今度は明が話し始めた。
「小百合ちゃんは人質に取られたけど、お前だって、拳銃を構えたまま動けなかっただろ?もし犯人がお前に向かって発砲したら危ないじゃないか。だから、犯人を取り押さえる危ない事は俺がしたんだ!」
明は昨日の現場の出来事を常に冷静に分析していて、かつ、何が最良な行動かを把握していた。
だから、拳銃を構えたままの由香なら犯人の反撃を受けた場合は対象出来ないばかりか、大怪我を負うか最悪、死に至るかも知れなかった。
明は中の店員や人質になった小百合、それに、自分が好きな由香を危険な目に遭わせないようにしていた。
(藤田さん…、私の事を…。)
「信じないわ!だって、藤田さん誰にでも優しいし、私の事ばっかりイジメて、それに、それに…!」
「もう、先輩、素直になって下さいよ!」
再び興奮してきた由香を制止しようと小百合が立ち上がり、由香と明の手を取ってから、由香の手をテーブルに置き、明の手をその上に被せた。
「あ…!」
「あ…!」
「これでわかったでしょ!お互いが好き同士だって。先輩も意地張らないの!」
この中で最年少だが、活発な小百合が2人の恋心を近付けた。
「世話を焼かせないで下さいね。さあ、話を続けた、続けた!」
小百合の大胆な行動に頬を赤らめた2人だった。
「あ…あの、ゴメン、何時も伊藤と会えば悪口ばっかりで、何時も何て言えばいいか分からなかったから…」
「もう、藤田さんって、小学生の男の子みたいですね。私がどれだけ辛かったかわかりますぅ?」
「ゴメン、本当にゴメン!もう悪口なんか言わないから。」
「べ、別に、謝って欲しくないから。」
明は段々と打ち解けようとしたが、由香の方は相変わらずツンツンしたままだった。
「由香先輩も子供みたいですよ。」
「小百合、先輩をバカにしてるの!?」
「由香先輩、藤田さんに悪口を言われてもその後をずーっと目で追いかけてますから。署内の女の子ならみーんな知ってますから。」
「ヤダ!止めてよ。」
「伊藤…、そうだったのか?」
「ち、違ーう!違いますう!」
由香は、暫くは何を言っても同じだと悟る。そして、貝の様に黙り込んだ。
「い、伊藤?」
「嫌よ!」
「え…。」
「昨日やさっきみたいに、男らしく私の事を『由香』って呼んでよ!」
「あ、由香…ちゃん!」
「ちゃんも要らない。」
「じゃ、…由香…。」
「ありがとう、藤田さん。」
「由香…、苗字だと、何かぎこちないから、呼び捨てでいいよ。」
「えっ…どう呼んだら良いの?」
「藤田か明でいいよ。」
「じゃ、じゃあ…、明さんっ!」
「由香…、ハハハハハ。」
「ウフフ…。」
仲を取り持った小百合のおかげで、2人はようやく笑顔を取り戻した。
2人は食事を楽しみながら会話を続けた。
このレストランの中で、2人に嫉妬してる者が居た。
(いいなぁ、2人仲良くて…。)
嫉妬の主は小百合だった。
(幾ら高級宝石店に行くからって、そんなにオシャレしないわよ。私だって、藤田さんの事、好きだったのに、藤田さんも由香先輩一途だから…由香先輩に一途なんだから…、チェッ、仕方ないか。)
小百合も明を好きになっていたが、相思相愛の2人には適わなかった。
(お幸せに、乾杯!今日は飲むぞーっ!)
小百合は仲むつまじくなった2人をワインの入ったグラスを1人傾けてから、一気に飲み干した。
「ち、ちょっと小百合、あなた確か、お酒飲めなかったでしょ!」
「あ、あへ、しぇ~んぱぁい、そうれ゛しだあ。」
「もう、この子ったら…何時までも手が掛かるわ!」
「小百合ちゃん、大丈夫?」
「由香先輩、藤田さん、ばんら~い!」
グラス一杯のワインで酔っ払った小百合の介抱で幕を閉じた由香の誕生日だった。
翌日から、禁酒を宣言した(させられた?)小百合の豪傑話は別の機会があれば…。