プロローグⅣ
昼休み。本来なら修一のラジオを静聴する時間だが、今回はそれどころではなくなった。
俺は心の中で(誰だ、誰だ・・・)と何度も唱えながら、教室を隅から隅まで見渡していた。
ハゲジジイの授業中に、なんの前触れもなく届いた「キガツイタ?」と書かれた紙飛行機。ただの悪戯にも見えるが、俺はなんの疑いもなく、これを投げた奴はこの時間のループになんらかの形で関わっていると思った。
容疑者はこの教室に居る生徒全員。さらに言えば俺の席より左側に居る生徒。動悸が自然と早くなる。俺は慎重に生徒一人一人に目をやった。
涼しげな風が、カーテンを揺らしながら教室を吹き抜けた。この塾では授業中は冷房が効いているが、休み時間はケチっているため止まる。そのせいで長い昼休みでは、あっという間に蒸し風呂になるため窓は全て開き切っていた。
隣でまた、長々とこれから我が母校野球部をボコボコにするであろう相手校の紹介が聞こえてくる。もう5度目だ。主将のはきはきとした熱血コメントは流れる前から知っていた。
『それでは、本日行われた第一試合、城山第一学園との試合を振り返ってみましょう』
アナウンサーの言葉と共に聞き耳を立て始める男4人衆。結果を知っているせいか、俺にはその図が滑稽に見えて無性に笑いが込み上げてきた。どうやら時間のループと共に性格が少々ひね曲がってきているらしい。
あともう少しで彼らの表情は落胆の色に染まる。あの清々しい金属音が彼らに引導を渡すのだ。俺は平然を装いつつ、心の中でニヤニヤ笑いながらその時を待った。
『カキーンッ』 『カキーンッ』
「あれ?」俺は首を傾げた。
今、芯を捉えた音が違う場所でも鳴らなかったか?聞き間違いかもしれないが、右隣の修一のラジオとは別に、左側からも微かに同じような突き抜けた音が聞こえた気がした。
今まではどうだっただろう。自分の席より左側を気にしたのは今回が初めてだったし、比べるのは少し難しい。
俺はまた教室を見渡した。周りでは一緒に弁当を食べている奴らや、いまだせっせとノートを書いている奴など様々な生徒が昼休みを謳歌していた。
ふと、ある物が目に留まり「あいつか」と、俺は窓際の席の無表情でノートにペンを走らせている一人の女子生徒に目を向けた。
壁にもたれかけるように、紛れもなくラジオがポツンと置いてあった。
少し強めの風が吹き込み、彼女のおさげをゆらゆら揺らした。視界に入った前髪を片手で払って、またペンを走らせた。
あんな奴いたっけ?俺はこの塾にかなり前から通っているが、記憶にない。
「なあ修一。あの窓際の席に居る子、誰だっけ?」既に落胆模様の修一に尋ねると、修一は一瞥して「んあー?さあ知らないな。新入りじゃないか?」と、邪険にしたような素っ気ない返答を寄越した。
頼むから、八つ当たりはしないでいただきたい。
正直、彼女は教室の中でもかなり地味な存在だった。
暫く観察していたが誰と話すわけでも話しかけられるわけでもなく、ただ一心にノートをとり続けていた。まるで彼女だけが世界から切り離され、彼女だけの世界が並列しているようだ。
髪形も俺が言うことではないが、少々古臭い雰囲気がするし。なにより日曜日だというのに、制服(あいつも城山第一学園の生徒か)で塾に来ている時点で「真面目か」とツッコミを入れるほかない。
しかしこうして観察していると、一つ重大なことに気が付いた。「・・・巨乳、だな」思わずそう口にしてしまうほど、彼女の胸は遠目に見ても豊かだった。制服の上からでも、同年代の胸(手前に居る奴)に比べたら差は歴然だ。
なるほど、神は誰しもに一つは優れたものを与えると言うが、あいつに与えられたのはあの乳か。そういえばどことなく横顔も誰かに似ている。グラビアアイドルかなにかにあんな奴がいただろうか。
「よしっ」俺は息をはいて席を立った。そのままずんずんと一直線に彼女の元へと歩み寄っていく。
かなり接近しても、こちらに気付くことはなかった。とうとう机まで辿り着いても、彼女は見上げもせず、ひたすらノートをとり続けていた。
なんでこんなにガン無視なんだよ。俺ってそんなに影が薄いのか、などと若干の不安を抱えつつ。耐えかねた俺は「おい」と少女に声をかけた。
「・・・なんですか?」少女は全くの棒読みの返事をした。それもまだ顔を上げることもなく。反応してくれるかも不安だったが、ここまで無関心な反応するぐらいならしなくていいよと思うレベルだった。
修一の物より少しコンパクトなフォルムのラジオは、まだ我が母校の醜態をさらし続けていた。
「なあ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」思い切って俺が話を切り出してみると、「なんですか?」と先ほどと全く一緒の返事が返ってきた。なんだろうこの会話が出来ていそうで出来ていない感じは。
「あのさ、もし間違ってたら悪いけど。お前、さっきの授業中俺に紙飛行機投げなかった?」
その時、少女の眉がぴくっと僅かに動いたのを、俺は見逃さなかった。
「やっぱりお前の仕業か。これはどういうことだ。お前知っているのか?」捲し立てるように俺は質問を続ける。それでも少女は返事をすることなく、ペンの動きも止めない。
俺はいよいよ腹が立った。羞恥なんて関係ない。胸ぐらを掴むついでにおっぱい揉んでやろうかとも思ったが、そこは俺も紳士だ。なにも包み隠さず、一気に核心をついた質問をしてみた。
「お前は、時間がループしていることを知っているのか?」
少女のペンが止まった。コツコツと物言いたげにペンの先を叩き、それから大きくため息をついた。
風が教科書のページをパラパラとめくった。そして、同じようにおさげを揺らしながら、少女は初めて俺を見上げて言った。
「知ってます。だって、ループさせているのは私ですから」
無表情で、確かにそう言った。
「は?それ、は・・・どういう??」想像よりも斜め上すぎる答えに、俺は思わずたじろいてしまった。
そんな俺が煩わしく映ったのか、少女は「だから、私がループさせているんです。質問の答えはこれでいいですか?」と、少し強い口調で言い放った。
こいつが、ループさせている?時間を?展開がすっ飛び過ぎて訳が分からない。
「お前!なに言って・・・」俺が最後まで言い切る前に、彼女は口元にひとさし指をたててそれを制した。「声が大きいです」そう言って彼女は目配せをする。
近くに居た数人の女子生徒がチラチラこちらをうかがっていた。俺が咳払いをしながら目を向けると、虚を突かれたようにあたふたと視線を逸らした。
ちょっと興奮しすぎたか。小さく息を吐いて気持ちを落ち着かせて、俺は彼女に向き直る。
「お前、名前は?」
「人に名を聞くときは、まず自分の名前から名乗り出るのが常識」違いますか?と言わんばかりに少女は小賢しく首を傾げた。いちいち癇に障る奴だ。
「俺は神谷。神谷 大介。神様の神に、谷間の谷で神谷。おら、言ったぞ。お前の名前を聞かしてもらおうか」
こんなに懇切丁寧に自己紹介したのもいつ以来だろうか。少女はそれを聞いてなぜか考え込む素振りを見せた後、ノートに目を落としながら呟いた。
「ニナ」
「あ?なんだって?」
「私の名前。「ニナ」」一度聞き返しても、相変わらずの無表情で少女は答えた。
「ニナ、か。なんか外人みたいな名前だな。どんな漢字で書くんだ?」
俺が興味本位で尋ねると、少女は無言でノートにその名前を刻んだ。
『偽名』
おい、これはどう考えてもバカにしてるだろ。ツッコんでいいんだよな?
「お前これ、嘘じゃないだろうな?」
「なぜ、あなたに親に付けてもらった名前を嘘呼ばわりされなきゃいけないの?」真顔で返されると、俺は言葉に詰まった。
確かに、正論ではある。なぜだろう。先程から俺は会話で負けている気しかしないのだが。
「・・・わかった。じゃあ偽名」俺が今一度かしこまってその名を呼ぶと、「・・・なに?」と少女は当然のように返事をした。
「お前は、なんで時間をループさせている?どうやったらループは終わる」
俺が丁度その言葉を告げたところで、ラジオでは強豪校の栄冠と我が母校の散々たる結果を伝えていた。離れたところで修一達の落胆の声が上がる。
そして目の前の偽名も、机に肘をつきひどくくたびれきったため息をついた。
「城山第一学園が勝たない」
「はあ??」俺は目を丸くして偽名を見た。偽名は頬をぷくっと膨らませて、今度は苛立ち気味に「城山第一学園が勝たない」、とまた呟いた。
まさか、そんなことのために時間をループさせていたのか?そう考えた途端、怒りなんてノンステップで飛ばしてただただ呆れ果ててしまった。私利私欲なんてものじゃない。
「お前そんなことで・・・。ていうか勝てるわけないだろ」
「・・・どうして?」またしても真顔で聞き返す偽名。その瞳は幼い子供の「ねえどうして?」と同じレベルぐらいの純粋さだった。
「うちは超弱小野球部。それに対して相手は甲子園常連校だぞ?どう考えても奇跡でも起こらない限り勝てないだろう」
今日の試合は、誰がどう考えようと、どう勝負が転ぼうとうちが負けるのは目に見えていた。もはや確実と言っていい。勝ち負け以前に不戦勝で2回戦に進んで大騒ぎしている学校だぞ。相手校はその遥か雲の上を目指してるんだ。試合をしていても土俵が違う。ステージが違う。
「じゃあ、うちの学校は勝てる」それにも関わらず、なにをどう解釈したのか偽名は自信たっぷりにそう言い放った。
「奇跡とは、どれだけ低い確率でも起こり得るから奇跡。確率が完全なる0%ならそれは奇跡じゃない。たとえ1%でも、0.1%でも、0.01%でも。その事象が起きる可能性があるならば、それは必然なんだよ。だから、城山第一学園は絶対に勝てる」
突然偽名は、解き放たれたように饒舌に語りだした。一体どこにスイッチがあったのだろうか。なにやら難しい言葉を並べているが、最終的に屁理屈にしか聞こえてこないのはなぜだろう。
「じゃあもうめんどくさい。確率0%でいいよ」
「ちなみに、この世界において確率0%は存在しない。この世に100%の事象が存在しないのと同じ。この二つは、表裏一体のものだから」
いかん、さらに哲学めいた話に突入してきた。面倒くさい。この少女になにを言ったところで、彼女の持つ真理は揺れることさえないようだ。
「とにかく、うちの学校を勝たせればいいんだな?」俺が問いかけても、偽名は答えることなく再びノートに目を落とした。
窓の外から聞こえる小うるさい蝉の鳴き声が、今が夏だと必死に主張していた。
ほのかな胸の高鳴りを感じていた。なんとかここまで抑えようと努力していたのだが、急速に膨らんでいくこのワクワク感は、心の中で叫ばずにはいられなかった。
俺は嬉しかった。本当ならこの少女を恨むべきなのに、憎むべきなのに。この世界で一人じゃなかった。このループを抜け出す術があることを知ったことがなにより嬉しかった。
自分で思っていたよりも俺は犯されていたのだろう。孤独感に。絶望感に。それから解放されるのなら、どれだけこの少女が悪態をつこうと爽やかな笑顔で許せる気がした。
「わかった。俺がその奇跡を起こしてみせる。それでこのループとはおさらばだ」
俺は力強く、拳をにぎりしめた。こんなにもなにかをやろうと感じたことは久しぶりかもしれない。偽名は「頑張って」と、目を合わせずに呟いた。
――――これが、このループの脱出を賭けた我が母校野球部との戦いの始まりだった。
「あーそれはそうと。お前この問3間違ってるぞ。これはこうするんだ」
「・・・わざと間違ったの」偽名は不機嫌そうに悪態をついた。
次回でプロローグは最後です。