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プロローグⅠ

※この作品はフィクションです。実在の人物、団体、地名は一切関係ありません。



誰もが自身だけの奇跡を体験したことがあるはずだ。

奇跡とはいわば日常の停止であり、未知の世界からの贈り物である――――



 あ、いつものあの娘だ。

 ガタゴトと疾走するバスの揺れに身を委ねながら、俺は入り口付近の吊革に掴まる一人の少女に目を向けた。白いブラウスに大きな麦わら帽子をかぶっているその少女は、この薬局や不動産屋の広告でいかにもやっつけで着飾った、味気ない車内では水と油並みに浮き上がっている存在だった。


『次は、天川1丁目、天川1丁目です。法律の相談には・・・』


 無駄にハキハキとした女性のアナウンスが、独り言のようにこれまた無駄な情報を喋りだす。おら、お前らさっさと降りてそこのお嬢さんに席をお譲りしろ。少女の前でくっちゃべってるどこぞの学校の制服を着た2人組に、トゲのある視線で念力をかけてみるが降りる気配は全くない。

 それどころか一切ブザーの鳴らなかった車内からは、当然のごとく誰一人降りることはなく、法律に強いらしい天川1丁目はスルーされた。

 誰でもいいから法律の相談しにいけよ。しけた奴らだなあ。


『次は、小松原、小松原です。処方箋の受付や・・・』


 滞りなくバスが進み大きなT字路に差し掛かったところで、正面に緑地に黄色の文字で「ナムナム」と書きなぐられた看板が見えた。

 本格インドカレーと書かれたのぼりを見るとインド料理屋なのだろうが、行ったことはない。けれど閑散としたこの旧商店街の通りにあるその店は一際異彩を放っていて、そこまでバスが来るといよいよ憂鬱さが雪だるま式に大きくなっていくチェックポイントになっていた。

 ここまで来るとあと少し。彼女が降りるのは次の次、そして俺はその次のバス停だ。

 「いつ見ても、綺麗だよな・・・」誰にも聞こえないようにボソリと呟く。帽子の下から覗かせる彼女の横顔はそれほど年は離れていないはずだが、自分よりも少しだけ大人っぽい凛とした清楚な顔立ちで、俺の好みの直球ど真ん中だった。

 ブラウスの肩から剥き出しになっている、白く透き通った肌はいつ見ても綺麗を通り越して美しく、例年より強い日差しの中でも日焼けとは無縁のようだった。


『小松原、通過いたします。次は、千代ヶ原、千代ヶ原です。お買いものに便利な・・・』


 とうとう車内アナウンスが俺に終了のお知らせを告げる。こうなると憂鬱さは一気に最高潮へと加速していった。


『次、止まります』


 3年前ぐらいに、新商店街として生まれ変わった千代ヶ原で降りる客は多い。ガサゴソとせわしなく荷物をまとめる音が募り、今までのスルーっぷりが嘘のように即行でブザーが車内に鳴り響く。

 まあ無理もない。なにせ有名私立高校(ということはあの2人組はそこの生徒か?)に大型モールや流行のファッションショップなどが軒を連ねるショッピング通り、更には本線のジャンクション的役割を担っている電車の駅まであるとすれば、有象無象の休日を謳歌する輩が降りるのはむしろ必然だ。

 「ふん。死んじま・・・いや、死ねばいいと思います」気が付いて慌ててセリフを変えてみるが、結局意味が変わってないことに言ってから気付いた。

 無性に抗いたかった。俺はこの車内でも少数精鋭である休日を謳歌できない人種だ。楽しげに笑うあいつらが憎らしい妬ましい。けれど謳歌する有象無象の中には、なかなかどうしてあの白き少女も含まれていたのだ。



 俺の中のどうしようもない葛藤などなんの意味もないといわんばかりに、バスは減速を始め千代ヶ原のバス停が視界に入ってくる。「今日も、話しかけれなかったな・・・」と、声に出してしまうと余計にむなしくなって吊革を握る手に力をこめた。

 もう何度も会っているのに、俺は名前すら知らない。高嶺の花。こんな言葉が現実に存在するなんて、彼女に会うまで俺は知らなかった。

 やがて、脱力したように彼女の小さな手が吊革からスルリと抜け落ちた。麦わら帽子を両手で心なしか形を整えると、ズリ落ちたショルダーポーチの紐をかけ直して有象無象の輩が屯する出口の方へと向いた。


『ご乗車ありがとうございました。千代ヶ原、千代ヶ原です』


 アナウンスよりもややフライングで開かれたドアから、次々と押し出されるようにして乗客が降りていく。なぜか席の方から割り込んでくる輩に道を譲っていた彼女も、とうとう順番が来て料金入れに小銭を入れた。

 「さようなら」俺は誰にも聞かれないようにそう呟くと、無意識に小さく手を振ってしまっていた。幸いにも車内にはほとんど乗客は残っていなかった。


『発車いたします。ご注意ください』


 窓の外を歩いていく彼女の後ろ姿を、名残惜しく見つめる俺を引き剥がすようにバスは動き出す。

 さようなら、至福の時間。こんにちわ、くそったれな時間。あんなにあの少女と近くに居たはずなのに、届く気がしない遠い自分が憎くくて仕方がない。


『次は、青葉山、青葉山です』


 俺は即行で、車内に降りる意思表示を轟かせた――――



 



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