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伊藤麻由子の場合

あれは、確か一年生の時に取ってたフランス文学の授業だったかな。

私は英語学科で、フランス文学とはあんまり縁がなかったのだけれど、その授業は教室も広いし、いてもばれないからこっそり聞いていた。

一番後ろの席で、みんなが机に突っ伏しているのを眺めながら、話を聞いていたんだ。

でも、ふと視線を左にずらすと、私の他にもうひとり、頬杖をつきながらも起きて聞いてる学生がいた。

少し斜め前の窓際の席な座る後ろ姿。

茶色っぽいロングの髪をハーフアップにしてリボンで留める。

鮮やかなイエローのワンピースが時々風に揺れて

まるで別な世界に行ってるみたいなそんな雰囲気を醸し出していた。

なぜか見つめてしまって、その女性がその視線に気づいたのかこちらを振り向いた。

慌てて目を反らそうと思うけど、振り向いたその表情が美しくて、見つめかえしてしまった。

すると彼女はにこっと笑ってみせる。

その余裕さと優雅さに圧倒されて、それ以来気になって気になってしょうがなくなった。

その人が、川原綾乃ちゃんだった。

「この授業、みんな寝てるわね」

ある日、いつもの席に座ってると、より自然に隣に来て話しかけた。

「…ね。この授業ってそんなにつらないかしら」

「私は好きだよー。フランス文学、最高じゃない。そんなこと言うわりには私は法学部なんだけど。川原綾乃です。あなたは?」

さらりとした笑顔で、どこか大人びた表情で。

「えっと…私も英語学科なんだけど。伊藤真由子です。よろしく」

「よろしくね!いつも真由子ちゃん、一人で受けてたから気になっててさ。こちらこそよろしく」

それから私と綾乃ちゃんはこの授業を一緒に受けた。

二人でたまに先生の噛んだところとかを取り出しては笑っていた。

このときから気づいてはいたんだけど、綾乃ちゃんはかなり頭がよかった。

うまくは言えないんだけど、フランス文学のこととか、経済のこととか、はたまた音楽のこととか本当に法学部なのか?っていうくらい多方面に知識が広まっていた。

彼女と話せば話すほど自分の知識が増えていく。

私はいろんな人と話すよりも彼女と話す方がずっと楽しかったし、面白かった。


***

それは、坂上に用があって軽音部の入り口を出たときだった。

私は一年生の頃から学友会、つまり高校で言う生徒会に入っていた。

いつものように坂上と話したあと、ドアを開けると、目の前に人がいた。

「真由子ちゃん、どうしたの?」

「え、綾乃ちゃんこそ」

「軽音部かー。真由子ちゃん、ロックとか好きなの?」

「まぁ、その好きなんだけど…これは学友会の仕事で、部活を訪ねてただけ」

「そっか!真由子ちゃんが学友会とかそんなっぽい!」

するとドアが開いてギターを持った坂上が顔を出した。

「伊藤、これ忘れ物」

手には真っ白い書類が手に持たれていた。

「あ、ごめん」

「あれ、綾乃じゃん!どうしたんだよ?」

急に坂上が綾乃ちゃんを見るとぱあっと明るくなったのが見えた。

「偶然近くに寄ったから。そしたら真由子ちゃんに会ったんだ」

「お前ら、友達だったの?」

私と綾乃ちゃんを交互に見比べる。

「うん…それより、坂上こそ知り合いなわけ?」

すると坂上は綾乃ちゃんの隣に立って嬉しそうな表情をする。

理解は一瞬でしたけど、次の言葉を待った。

「紹介する。俺の彼女の川原綾乃。そんで綾乃、伊藤は俺の幼馴染み」

綾乃ちゃんはにこっと笑って頭を下げた。

「ええ!?あんた特定の彼女作ったん?」

「そこかよ!もっと感動しろよなー。お前ぐらいだわ、そんなこと言うの」

坂上は笑いながら手に腰を当てる。

「ふふ、でもよかった。真由子ちゃんなら、信頼できる」

その意味を私はあまり深く考えてられなかった。


***

あれから私は坂上や、綾乃ちゃんと過ごすことが多くなった。

もともとロックが好きだった私は、生真面目なイメージをぶち破るように、ライブでは大声を出したり、手を振ったり、時にはモッシュだってした。

時計に当たって怪我をして、手に絆創膏をつけてきたときは、回りの友人に事故でもあったの?とか聞かれてきた。

そんなわけないでしょ、と心で突っ込みながら私はへへへと笑ったっけな。

そうなんだ、昨日自転車にぶつけられちゃって、なんて見え透いた嘘までついて優等生を守ってきたんだ。

でも坂上や綾乃ちゃんの前ではいつもの私をさらけ出せて幾分気持ちは楽だった。

坂上は私が昔からライブ好きなのを知っていたし、綾乃ちゃんはすんなりとそれを受け入れた。

夏フェスだっていった。

アジカンのソラニンだって、そこで3人で聞いた。

ソラニンは盛り上がるというより聞き入るって感じだったから、私は横に揺れていただけだけど、

隣の二人はもう肩寄り添ってうっとりしてるみたいに見えて、何だか置いてかれた気さえした。

それくらい、坂上と綾乃ちゃんの空気は少し違ったんだ。

本当お似合いだなぁってため息が漏れてしまうぐらい。

アジカンが終わって惜しみ無い拍手を彼らが送られたあと、二人はいつものように戻ったから拍子抜けした。

ムードって大事なんだなって分かったんだ。

喉乾いたなって坂上が声かけたから、私と綾乃ちゃんは遠くの芝生に座って待ってることにした。

「坂上と綾乃ちゃん見てるとなんか互いのこと分かってるんだなって思う。合ってるよ。なんていうか夫婦みたいな安定感ある」

目の前を人が行き来しては時に耳に音楽が届く。

夏は暑くて嫌いだけど、フェスで感じる夏は完全に別物。清々しい暑さだと思う。

だから好き。

「夫婦?言い過ぎじゃない?そこまで言われるとは」

「そう見える。坂上があんなに嬉しそうに彼女紹介してるの思い出したらそんな気してきた」

「真由子ちゃんには海翔、いろんなこと話してるみたい」

「腐れ縁だからね。いらん情報も入る」

綾乃ちゃんはこんな暑さでも汗をかいてもなんか美しく見えるし爽やかだ。

「私と海翔は互いを理解してるわけじゃないの。むしろ分からないくらいよ。」

「え?」

「でもそれでいいの。理解しすぎると嫌な部分を受け入れよう、受け入れようって変に気を使う。それは疲れるし、面倒よ。だからあえて互いを謎に包ませるの。すると、気は使わぬとも、今なに考えてるのかなっていいベクトルで興味が湧く。それは実験をしてたら想像していなかったところから新たな発見をしてる気分になるのよ。それはとても素敵だわ」

人混みを掻き分けて両手に缶ビールを持ってこちらに駆けてくる。

その姿は嬉しそうで、今まで見た坂上だ。

「海翔ー!こっち」

海翔、か。

そういえば坂上の下の名前は海翔だったな。

海に翔ぶと書いて海翔、昔はそう呼んでいたのに。

海ちゃん、まゆちゃんなんて呼んで。

いつの間にか小学生になり、中学生になる頃には互いを名字で呼んでいた。

それは、世間体なクラスのヒエラルキーを気にしての呼び方だった。

思春期も手伝って、恥ずかしさを覚えたからだ。

その時から私は優等生、坂上はヒエラルキーの一番上、かっこよくて、目立つ存在だった。

ヒエラルキーを越えて世界すら違う。

でも家の近くで坂上と偶然会うと、いつもと変わらない声で話しかけてきた。

また、彼女できたよ。

今度も、続かなかったよー。

俺ってダメなやつだよ。

こんなかっこよくて、目立つヒエラルキーに君臨する坂上が弱音を吐くと私は興味ないふりをしてとても嬉しかった。

悔しいのだけれども。

でも今隣で笑う坂上と綾乃ちゃんは本当に幸せそうで見ているこっちも微笑みたくなる。

あの坂上が誰かを愛しく見つめる目は本物だったんだ。

世界が違う二人を身近に感じながら、私はまたへへへと笑うしかないのだ。



***

「伊藤?なぁ、伊藤」

声をかけられるまで私は昔の思い出に浸って話を聞いてなかったことに初めて気づいた。

「え?ごめん、堀田」

授業があったあとの、空き教室に残って私と堀田は机を挟んで座っていた。

堀田に坂上のことについて相談があると持ちかけられたからだ。

ここ最近の坂上は元気がないし、フランス文学の教室には綾乃ちゃんの姿は見かけなかった。

だから、坂上のことを尊敬して止まない堀田の相談は内容を聞かなくても坂上と綾乃ちゃんのことだと安易に想像できた。

「だからさ、海翔のこと。あいつ最近元気ないけどさ、伊藤は川原と会ってる?」

「全然。最近講義来てないみたいね」

「このあいだ川原に会ったんだけど、俺にこう言ったんだよね。光に埋もれてしまいそうって」

「光に埋もれる?何それ?」

「海翔がそれだけ影か光かって言われたら、光ってこと。それは同時に眩しくて自分が消えてしまいそうってことじゃないの?」

「堀田にしてはずいぶん文学的な台詞ね」

「俺今真面目に話してるんだけど」

「私には坂上よりも綾乃ちゃんの方がずいぶんと光に近いと思うけどなぁ」

「俺も。でも川原の場合の光って、なんか違う世界に行ってしまうような気がして、不安になる」

「あんたが不安になってどうするのよ」

「そうなんだけどさ…」

黙る堀田は不安に押し潰されそうに見えた。

坂上のことのに自分のことのように捉えて話す堀田は今までに何回も見てきた。

その友情が何だか気持ちわるいなぁって思うときもあったし、羨ましいなぁとも思ったことはある。

今回もそうなんだなって頭の隅で考える。

「嫌なのはさ、俺には何にも海翔の為にできることってないんだなって痛感することなの。俺はたくさん海翔に助けてもらってるのに。全くふがいないよ」

私は黙ってその話を聞いていた。

窓の外を見ながら堀田はどこか遠い目をしている。

綾乃ちゃんと連絡が取れなくなって、初めてここまで人に影響を与えられる彼女の存在はもっと色を濃くした。

それは坂上はもちろん、堀田も、私もそうだ。

私だってふがいないよ。

なんて堀田には言えなかった。

堀田よりも長く坂上の側にいた私でさえ、今のあいつに何ができるか皆目検討もついてない。

私だって堀田と同じ。

坂上に助けられてきたことは手のひらでは数えきれないのに。

この小さな手では坂上の秘める想いなんてを掴むことだって、触れることだって、恐らくできないのだから。



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