堀田基の場合
中学、高校と男子にもステータス、みたいなものが存在する。
クラスでそれなりに目立つ存在がいればそこのグループの中にいれば安全だし、周りの目もあるからだ。
俺はどっちかというと目立たないほうで、まぁクラスにいるそれなりの位置のそれなりのポジションにいる。
あれは確か、雨だった。
天気予報が外れて、傘を忘れたときだ。
ため息ついて灰色の空を見上げた。
「雨、だな」
諦めて走ろうと思ったら、となりに誰かが来た。
俺よりも背が高く、スラッとしたやつだった。
「うん…雨だね」
「堀田、だっけ」
俺の名前を覚えていたのは、意外だった。
そいつはクラスでも人気の女子にも人気の、俺とは縁のないやつ、坂上だった。
「坂上君」
「堀田君さ、雨が止むまでどっかで暇潰ししねーか?」
それが、坂上海翔との出会いだった。
***
俺と海翔はたまたま同じ大学と学部を受けていて
無事に合格すると、海翔はそのルックスと大人びた雰囲気を纏い、大学で一番目立つであろう、軽音部に所属した。
すぐに注目を集め、同じ学年なら海翔を知らない人はいないし、むしろ他学科にも海翔の存在は知れ渡っていた。
そんなの海翔は気にしないけと、一緒にいる俺としては、視線は気になるわ、よく分からない女子の集団が絡んで来るわで、大変だった。
そんな折、海翔がある人を連れてやって来た。
「堀田、ちょっといいか?」
授業が終わりパラパラと人が帰っていく中、海翔は少しはにかんだような顔をして立っていた。
「どうした?」
海翔は何も言わず、その後ろにいた女性が顔を出した。
少し茶っぽい髪は綺麗にカールしていて
手足はとても細く、笑うとえくぼができていた。
大人びた雰囲気とは裏腹に笑うと無邪気でとても愛らしい人だつった。
つまりは、美しくもあり可愛くもある、完璧な女性だ。
「はじめまして。川原彩乃です」
そう告げると小さく会釈をして、真っ直ぐな目をする。
「えっと…」
返すべき返事に困り俺は海翔の方をみた。
海翔が今度は本当に照れていた。
「俺の彼女なんだ 」
俺は思わず川原の、方を見て、海翔を見て、と忙しく視線を移動させつしまった。
あの海翔に彼女?
今まで特定の彼女など作ったことがなかったのに。
ここまで入れ込んでる海翔など俺は見たことがなかった。
「まじで?」
海翔と川原は顔を見合せて笑い会う。
そのふんは完全に恋人だった。
「まじ。彩乃、こいつ俺の大事な友人の堀田基。仲良くしてやって」
川原はにこにこしながらこちらを見て
「堀田君、よろしくね」
川原の最高の笑顔を見て、少し胸が高鳴ったが、それより、
なにより海翔が彼女を紹介してくれたことに感動してしまった。
***
それ以来、川原はよく俺たちとつるむようになった。
授業もそれなりに被っていたし、自然と川原ともよく話すようになった。
海翔が今までの彼女となかなか一緒にいるところなんて見なかったし
それを海翔自身が望まなかったことだ。
海翔は本気で彼女を好きなんだなと誰から見ても分かる状態だった。
川原もいつも女子に囲まれていたし、それこそ女子大生を謳歌していた…と思っていたのだが。
いつものように授業を終えて、教室を出ると、いつも川原といる集団が入口付近に固まっていた。
「あ、堀田君じゃない」
一度同じクラスになったかなかったかぐらいの知り合いに声をかけられた。
ぱっと見、リーダー格のような女だ。
「よっ!何してるの?」
「ちょうどい、堀田君も飲み、行く?今あと何人か男子誘うと思っててさ。どうせなら、坂上君も」
と海翔はこんなところまで人気さは浸透している。
「飲み?随分急な話だね。それより川原は?」
「彩乃?さぁ、まだ教室残ってるんじゃない」
さっきとうって変わった態度で冷たい声と、周りの友人たちの興味のなさ。
俺はその団体の脇を通り抜けて、教室に踏み入れた。
パラパラと人が動いている。
「予定があったら連絡ちょうだいね!」
その言葉を聞き流して中に入ると
一番奥の窓際の席の窓のカーテンが少し揺れている。
ベランダが唯一あるこの教室。
何となくそこに足を運ぶと川原はつまらなそうに外を見ていた。
「川原」
川原は振り向くといつものように笑う。
可愛いえくぼが見える。
「あ、堀田じゃん!」
今日の彼女はさらっとしたドット柄のシャツと黒の無地のスカート。
「今日飲みなんだろ?行かなくていいのか」
隣に行くと、時間が夕暮れ時の空が見える。
「あぁ、あれ?あんなの海翔が目当てだろうから、興味ないよー」
そういいながらまた手すりに寄りかかり外を眺める。
「そんなことさっき言ってたな」
彼女はやっぱりね、とため息をつく。
彼女は背伸びをしてこちらを見た。
「海翔と付き合う前にひとつ決めたことがあるの」
「決めたこと?」
「そう」
彼女は、少し笑ってでもどこか照れくさそうな顔をした。
「私は飽きっぽい性格なの。それでもいいの?」
「え?」
「海翔はこう言ったわ。川原こそ俺飽きっぽいけどいい?」
「それってさ」
「お互いに土つぼにはまらないように、そう決めたの。こんな恋愛のくだらない世界はもう嫌だからって」
どこかに、行ってしまいそうな気がした。
彼女が言うくだらない世界は、俺にとっての生活範囲だから
彼女が異世界に、踏み出してもう俺とは同じ世界にいてはくれないような。
ひとりにされるような気がしたんだ。
ただ佇んで一歩も進めない。
***
しかし、置いてかれたのは俺ではなく、海翔だった。
ゼミが終わり、俺はとある論文の制作に終われ、教授のもとに残っていた時だった。
夕陽かおちて、教室は淡いオレンジ色だ。
外にはテニス部がいて、掛け声が聴こえるのだ。
海翔は恐らくもう部室にいるだろう。
何やらせても人並みの俺は、声をかけられるバンドなんて少ない。
海翔が、いなかったらバンドを組めていたかどうかもあやふやだと思う。
時計は6時を回っているにも関わらず外は昼間のように明るかった。
ちらばった資料や本を片付け、腰をあげようとしたときだった。
「堀田だ、何してんの?」
声をかけられ振り向くとそこには紺のワンピースを身に纏った川原がいた。
手には何も持っていなく、後ろで手を組んでいる。
「川原か。何って、ゼミの課題」
ほら、見てみろよと机の上を指す。
川原は俺の前の席に座り込み、頬杖をつく。
「居残り?」
「ま、そんな感じ。海翔と違って俺、要領悪いからね」
「海翔か関係ないでしょ?」
「ないけど、比較対照には望んでいなくてもされる」
本を鞄の中に入れてチャックを締める。
さりげなくスティックがあることも確認する。
それでも、海翔に必要とされている内はそれに応えたい。
それがあのとき地味な俺に話しかけてくれた海翔への恩返しなのだから。
「マジックアワーって知ってる?」
川原は窓に視線を移してじっと何かを見つめていた。
「知ってるよ。まさに今だろ?夜と昼間と夕方が混ざったようななんていうか薄い紫のような空」
まさに窓から見えてる景色はその通りだと思う。
青空でもなく、夕日でもなく、夜でもない今の時間帯だ。
何だか吸い込まれてしまいそうな空。
「そうだけど。定義はこう。光源となる太陽がないため、限りなく影がない状態。これが日没後数分しか続かないからマジックアワーって呼ばれてる」
そういえば、と机のうえに乗せた手に影がついてないことに気づいた。
思わず息を飲む、そんな光景が広がっている。
「光と影って二つでひとつみたいなところあるじゃない。でもこうやって互いが存在しないときもあらのよ。光は太陽がないと現れないし、影は光がないと無なの。なんにもない。形すらない」
どこか遠くの目をしていて、俺は何も言えずに彼女を見つめることしかできなかった。
「でも、そう考えるとただ影はついていってるだけね。まるで私みたい」
「何言ってるの?光でしょ?影ってのは俺みたいなこと言うんだよ」
「海翔が光?」
「そう…かもしれないけど」
「とにかく!川原は光!眩しいくらいの!みんなの憧れに決まってるだろ」
川原は目を丸くして俺を数秒間見つめたあと、吹き出した。
「そんなに力説しなくても」
「いや…そのだってさ…」
「海翔は光だよ。間違いなく。でも堀田くんが言うように私も光だったらきっと互いに反射して、何が正しくて、何が嘘か。そういうのもわからなくなるのよ」
川原は立ち上がり窓の外を後ろに手を組んで外を眺める。
どこか違う世界にいってしまいそうなほど、背中が切ないのだ。
「海翔は川原のことすごく考えてるし、川原も海翔のこと、考えてるでしょ?お互い助け合ってるみたいで俺は素敵だと思うけど」
「ありがと。でも私は何だか違う気がするのよ。光に埋もれてしまいそう」
振り向き、こちらを見て笑う。
「じゃあ、またあとでね」
手を振りそのまま歩きだそうとする背中に呼び掛けた。
「川原!」
川原が振り向いてこちらを見つめてくる。
「海翔から離れるつもりなのか?」
しばらくの無言のあと、首を横に降った。
「そのつもりは、今のところないかな。だから堀田くんは気にしなくて大丈夫だよ」
ばいばいと手を振り教室を出て走っていく。
その走っていく先に人影が見えた気がした。
窓が少し開いていてそこから風が吹き抜けて、俺は席にそのまま腰を下ろした。
彼女は、川原は。
新しい世界に入り込もうとしている。
くだらない世界に飽き飽きで目をそらしたあの子は
とうとう新しい世界へ、突入していった
ヒカリナ/Base Ball Bear
そんな歌が頭を過った。