第2話
次の日。金曜日の朝。学校に登校すると、二人は早速職員室に呼び出された。理由は勿論、昨日夜遅くに学校に忍び込んだ事に対してのお咎めだった。一見完璧に見えた彼らの不法侵入だったが、ミサトのリュックサックに書かれていた『六年二組 橘ミサト』という名前を、警備員の丸山が覚えていたため、こうして足が付いたのだった。
「全く、幼稚園児じゃないんだから、持ち物に名前なんか書かなくてもいいだろ。」
担任の説教を終え、職員室から出てきたところで、カズヤが憮然とした表情で、隣を歩いていたミサトに声を掛けた。対するミサトも、随分とムスッとした表情で答えた。
「何言ってんのよ。『持ち物にはちゃんと名前を書きましょう』って、一年生の頃からずっと言われてたでしょ?」
「で? 今日たっぷり怒られたからな。さすがに昨日の今日で夜の学校に侵入するのはマズいと思うぞ。どうするんだ?」
「うん、ちょっとアプローチを変えてみようかなって。」
全く反省している様子のないミサトが、思案顔を浮かべている。
「アプローチを変えるって、どういう事だ?」
「ほら、カズヤも見たじゃない。あの脳内に流れ込んできた不思議な記憶。」
「あ、あぁ。」
「あの中で、図書委員の女の子が『太刀川』って名札を付けていたでしょ?」
「あれ? そうだっけ?」
カズヤが首を捻る。
「そう。『太刀川』って、珍しい苗字だし、きっとそんなにいないと思うの。」
「…ってことは?」
「そう。卒業生の名簿を片っ端から調べて『太刀川』っていう苗字の女の子を見つけ出せば、何らかの手がかりが掴めると思うのよ。」
「へー。それは大変だ。じゃあ頑張って。」
感情を押し殺した抑揚の無い声で喋り、その場を立ち去ろうとするカズヤ。しかし、寸でのところでミサトに首を掴まれてしまった。
「勿論、一緒にね。」
カズヤには、その時振り向いて見たミサトの表情が悪魔に見えたと言う。
「よぉ、カズヤ。昨日は災難だったな。」
カズヤが教室に入り、自分の席に着くと、友人のケイスケが話しかけてきた。
「あぁ、全くだよ。」
カズヤはうんざりとした様子で応え、脱力するように机にランドセルを置いた。
「それで、何か収穫はあったのか?」
ケイスケのその質問に、一瞬沈黙するカズヤ。確かに、何か収穫はあったのだが、それを一言一句間違いなく友人のケイスケに伝えた所でおそらく信じては貰えないだろう。そこでカズヤはひどくぶっきらぼうに、
「別に、何も。」
とだけ言って、椅子に腰掛けた。
「なんだ。つまんねーの。」
ケイスケが随分と不満そうな声を上げる。その時、六年二組の担任、佐藤昇一が教室の中に入ってきた。佐藤の年齢は二十代後半。髪はスポーツ刈りより少し長めのボサボサ頭で、黒縁眼鏡をかけている。何をするにしても全く融通の効かない堅物先生として、生徒達からはあまり好感を持たれていない先生だった。
「げっ! ヤベッ! 先生来た。じゃあ、カズヤ。またな。」
「おう。」
そそくさと自分の席に戻るケイスケ。担任の佐藤が、日誌を教壇に置き、クラス生徒全員の顔を見回す。
「えーっ。皆さん。分かっているとは思いますが、夜の学校に侵入してはいけません。特にカズヤ君と、ミサトさん。いいですね!」
二人に視線を移し、釘を刺す佐藤。見つめられた二人は小さな声で返事をするしかなかった。
「はい、じゃあ出席を取ります。」
放課後、二人は図書室の資料エリアで、卒業生名簿のコピーを閲覧していた。現在、二十年目まで遡った名簿を調べている。二十一年目の卒業生名簿に手を掛けたところでカズヤが音を上げた。
「もーっダメだ! ミサト! 俺ちょっと休憩するから。」
椅子に大きく背もたれし、体を伸ばすカズヤ。そんな様子のカズヤに、ミサトが呆れた様子で声を掛ける。
「もーっ! 根気が無いわよね、カズヤは。そんなんじゃ良い探偵にはなれないわよ!」
(いや、元々なる気無いから。)
そう言い返したいカズヤだったが、言い返すだけの気力さえも、もはや薄れていた。それから、ミサトだけが更に一時間ほど延々と卒業生名簿を眺め続け、時折メモを取るなどしていた。午後五時少し過ぎ。名簿を見ていたミサトの手がパタリと止まった。
「終わったわ。」
「お、おぉ。お疲れさん。」
頭を机にうつ伏せていたカズヤが、ミサトの一言で顔を起こした。
「それで、結果は?」
「笹宮小学校設立以来、過去六十年間の卒業生全員の名簿を調べた結果、『太刀川』という苗字を持った卒業生は、九人。その内女性は四人だったわ。」
「まだ多いなぁー。」
椅子にもたれながらカズヤが声を上げる。
「うん。でも幸い、今回は無事に対象者を一人に絞れたの。」
「ど、どうしてだ?」
「眼鏡よ。」
「あ。」
カズヤがハッとする。
「私達が記憶の中で見た太刀川さんは、その顔こそ詳細に憶えていないものの、ぼんやりと眼鏡を掛けていたのだけは憶えている。そして、卒業アルバムの顔写真にあった写真でも眼鏡をかけている太刀川さんは、この人ただ一人しかいなかった。」
「じゃあ…」
「そう、おそらくあの記憶の中に映っていた『太刀川』さんは、今から十六年前に卒業した、この『太刀川玲』さんで、間違いないと思うわ。」
ミサトがノートに書かれた太刀川玲の文字に赤ペンで大きく丸を付けた。
「まぁ、普段は眼鏡を掛けてるけど、卒業アルバムの写真撮影の時にだけたまたま眼鏡を掛けていなかったとか言う場合もあるかもしれないけれど、違ってたらその時にまた考えるわ。」
流暢に自分の推理を語り終えたミサトを見て、カズヤが驚嘆の声を漏らす。
「お前って、普段アホだけど、こういう時は天才だよなぁ。」
「ん? 何か言った?」
きらりと尖ったシャープペンシルを手に取り、笑顔で微笑み返してくるミサト。
「いえ、何でもないです。ミサトさん。」
「よろしい。さて、じゃあそろそろ帰ろっか。」
こうして、二人は図書室をあとにした。階段を降り、下駄箱の所でカズヤが尋ねる。
「それで、明日はどうするんだ? やっぱり行くのか、その太刀川玲さんって人の所に。」
尋ねられたミサトが、上履きを下駄箱に戻しながら答える。
「えぇ、勿論よ。住所を見てみたらこのすぐ近所みたいだし。明日の朝にでも行ってみるわ。」
下駄箱に置いてあった運動靴に履き替えるミサト。一方のカズヤも運動靴に履き替え、下駄箱の外へと出る。
「俺も一緒に行こうか?」
「え、いいよ。習字あるんでしょ?」
「いや、習字は昼からだから。朝だけなら付き合うよ。」
「バカッ! 付き合うだなんてそんな…。」
もじもじとするミサト。そんな様子のミサトを冷ややかな表情で見つめるカズヤ。
(いやいや、ミサトさん。残念ながら、それは無いから。)
これ以上ツッコむと面倒な気がしたカズヤがミサトの肩をポンと叩く。
「じゃあ、明日の朝九時に校門の所で待ってるから。」
「うん、じゃあまた明日ね。」
「おう。」
次の日。土曜日の朝。二人は午前九時少し過ぎに校門前で落ち合い、そのまま『太刀川玲』という女性の自宅へと向かった。
「それで? その太刀川って人の自宅はここからすぐ近くなのか?」
歩きながらカズヤが尋ねる。
「うん、丁度学校から五分くらいの所らしいよ………って、あった! あそこよ!」
ミサトが彼らの少し向こうにある、茶色い屋根をした二階建ての家を指差す。それからしばらくして、二人は玄関前のインターホンの前に立ち尽くした。
「そういえば、何て理由で来る事にしてるんだ?」
「え? そんなの何も考えてないわよ。」
あっけらかんとした表情でミサトが答える。そんなミサトの反応にカズヤが動揺する。
「何も考えてないって、お前バカッ! 何もなしに来て、会わせて下さいなんて言っても不審がられるだけだろうが!」
「えー。じゃあカズヤだったらどうするの?」
「そりゃあ、昔の卒業生が今どんな風な生活を行なっているか、社会活動の一環で調べに来ましたとか何とか…」
「じゃあ、それで。」
そう言うやいなや、ミサトが何の躊躇いも無く、インターホンを押した。ピンポーン! と威勢の良い音が室内に響き渡る。
「バカ! お前、何勝手に押してんだよ? ちょっとは待てっつーに!」
「まぁまぁ。大丈夫だって。」
『はい? どちら様ですか?』
インターホンから五十代前後の女性の声が聞こえる。その問い掛けにカズヤが少し慌てながら返答をした。
「あ、はい。突然の訪問、申し訳ありません。私達、笹宮小学校六年二組のものなのですが、社会科の授業で卒業生達の今を調べに行こうという企画で尋ねたのですけど、もし宜しければ一度お話願えないでしょうか?」
カズヤが語り終えるとしばらくの間、沈黙の時間が流れたが、十秒ほどして
『えぇ、いいですよ。』
という声が聞こえてきた。
「本当ですか? ありがとうございます!」
インターホン越しに深々と頭を下げるカズヤ。
『それじゃあ、ちょっと待っててね。』
インターホンからそう言われた後、二分ほどしてから、玄関の扉が開かれた。
「はい、こんにちは。それじゃあ二人とも、とりあえず中にいらっしゃい。」
出てきたのは先程の声の主であろうと思える五十代前後の女性だった。髪には若干の白髪が混じり、長めの髪を後ろで一つに留めている。しかし、顔全体の表情は非常に柔和な印象を与える優しそうな女性だった。
「それでは、失礼します。」
女性に促され、二人は室内へと入っていった。
二人は六畳ほどある和室の客間に通された。部屋の中央には木製のテーブルが敷かれ、二人はテーブルの脇に置かれた座布団に腰を下ろしていた。
「お待たせ。」
女性が、麦茶を二杯お盆に載せて入って来た。やがてそれらを二人の前にそれぞれ置き、二人とは対面するように、テーブルの反対側に座った。
「初めまして。私はここの家で主婦をしています太刀川照子と申します。今日は何でも卒業生の話を聞きに伺ったそうね。」
にこりと微笑む照子。その表情を受けて、カズヤが自己紹介をする。
「はい。本日は急な訪問申し訳ございません。えっと、笹宮小学校六年二組の野上カズヤと申します。こちらの女の子は同じクラスの橘ミサトさんです。」
「初めまして、太刀川さん。橘ミサトです。」
外行き用のにこやかな笑顔で、礼儀正しい挨拶をするミサト。
「はい、こんにちはミサトさん。綺麗なお嬢さんね。きっと将来美人になるわよ。」
照子のその言葉にまんざらでもない表情を浮かべるミサト。
「…それで、今日は卒業生達の今を調べに伺ったと?」
照子が、本題を切り出す。その問い掛けにカズヤが答えた。
「はい。一応確認させて頂きたいのですが、照子さんは笹宮小学校の卒業生で宜しかったでしょうか?」
ここで、即座に『太刀川玲』の事を聞かずに、まずは(おそらく母親である)照子に卒業生の当否を問い尋ねたのは、目的となる話の前にワンクッション置く事で相手の警戒心を無くし、話の流れの中で自然に『太刀川玲』の情報を聞き出すためだった。
「えぇ、確かに私は四十年前の笹宮小学校の卒業生です。」
その発言を受け、カズヤが二つ目の質問を問い掛ける。
「じゃあ、旦那さんや、お子さんなども同じ卒業生なんですか?」
「いえ、旦那の方は会社の方で知り合いましたので、小学校は全く別です。ただ、娘の方は、そうですね。同じ笹宮小学校の卒業生です。」
「へぇ、娘さんがいらっしゃるんですか。」
ごく自然なイントネーションでカズヤが相槌を打つ。
「…えぇ、まぁ。」
「名前は何て言うんですか?」
「玲です。王へんに、命令の令を合わせた玲という漢字を使っています。」
ビンゴ。カズヤが心の中でガッツポーズをする。そして本題に切り込んだ。
「ちなみに、娘さんは今どうされているんですか?」
その質問を問い掛けた瞬間、照子の表情がわずかに鈍り、室内の空気がどんよりと濁った。何か間違えた? カズヤがそう思った次の瞬間、ミサトがカズヤの背中を小さく叩き、照子の向こう側にある仏壇に視線を向けろと目で合図する。カズヤが仏壇に視線を向けた時、カズヤは全てを理解した。仏壇には、若い女性の写真が飾られており、おそらくあれは、彼女照子の娘、玲という女性の写真なのだろう。という事は…。
「…娘さん、亡くなられているんですか?」
申し訳無さそうに、その言葉を述べたカズヤ。その言葉を受け、照子が静かに頷く。
「…はい。私達の一人娘、玲は七年前に交通事故で亡くなっています。いえ、どうかお気になさらずに。もう随分と昔の事ですから…。」
寂しげな表情を浮かべる照子。そんな照子の表情を受け、カズヤは何も問い掛けられなくなってしまった。
「それじゃあ、お疲れ様。社会科の授業頑張ってね、二人とも。」
玄関口。照子が二人に別れの言葉を送る。
「はい。ありがとうございます。本日はお忙しい中ありがとうございました。」
すっかり元気の無くなったカズヤとは対照的に、随分と元気な声でミサトが謝辞を述べた。あれから、カズヤの起こした失態をカバーするかのように、ミサトが上手くインタビューを進めていったのだが、肝心のカズヤはすっかり意気消沈してしまった。おそらくあれから、自分がどんな質問をしていたかさえ、カズヤはまともに覚えていないだろう。照子に別れを告げ、帰り道を歩き出す二人。しばらくして、カズヤがようやく声を出した。
「…お前、気付いていたのか?」
その言葉に、ミサトが前を向いたまま答える。
「えぇ、部屋に入って、しばらくしてからね。仏壇に女性の写真が置いてあったから。普通、余程の事じゃないと仏壇に誰かの写真なんか置かないでしょ。だから何となくピンときたのよ。ただ、その事を言おうとしたら、ちょうど太刀川さんが部屋に入って来ちゃって言い出せなかったのよ。ゴメンね。」
カズヤの方を向き、両手を合わせるミサト。対するカズヤは、終始空ろな表情で答える。
「いいって。はぁー…。俺、物凄いKY発言だったな。今年第一位だよ。」
海より深い、大きな大きな溜め息をするカズヤ。
「そうね。第一位だったわね。まぁ、でも男子なんてほとんどKYみたいなもんだし、カズヤは同じ学年の男子の中では、まぁまぁ空気読める方だから、そんなに気にしなくてもいいと思うわよ。」
「…それ、慰めてくれてるのか?」
「まぁ半々? それにしても困ったわね。まさか男の子だけじゃなく女の子までも、この世にいないというのは予想外だったわ。」
「完全に行き詰ったな。」
「せめて、男の子の名前だけでも分かると良いんだけど…。」
両腕を組み、思案顔を浮かべるミサト。カズヤがそんな様子のミサトを眺めていると、二人は小学校入り口の校門に到着した。
「とりあえず、俺、今日はもう帰るわ。これから習字もあるし。」
「うん。私はもうちょっと考えてみるから。」
「それじゃあ、また月曜日、学校でな。」
「うん、またね。」
カズヤが手を振り自宅の方へと歩き去っていく。一人残されたミサトは、小さく唸りながら道を歩いていた。すると突然、後ろから男性の声が聞こえた。
「もしもし、お嬢さん。」
その声にミサトが振り向く。
「何ですか? っていうか、誰ですか、あなた?」
「ははっ。私はただの売れない画家ですよ。そんな事よりも、随分とお困りのようですね。もし宜しければ一度お話頂けませんか?」
そう言って、男は右手を差し出した。




