12. スパイ
それからもライラ嬢とその取り巻きは、ことあるごとに私と兄に突っかかってきた。特にアンネ嬢は威勢がいい。彼女の家はもともと裕福な商家で、最近男爵位を叙爵された、いわゆる新興貴族だ。彼女自身も貴族社会で玉の輿を狙いたいという気持ちが強い。殿下を落としたライラ嬢に強い憧れを抱いているのではないかと兄は分析していた。
変な言いがかりをつけられては堪ったものじゃない。極力、学院内では目立たない方がいいと考えて、兄や仲のいいクラスメイトといる時以外は隠遁魔法を使って隠れることにした。本来高度な魔法のはずだが、ずっと使っているうちに慣れて、無詠唱でも使えるようになっていた。これならスパイにも暗殺者にもなれそうだ。
今日も隠遁魔法を使って、旧校舎にある図書館の分室に向かう。部屋に入ろうとすると、結界が張ってあった。今日はリアスが先に来ているようだ。わざと自分の魔力を結界にぶつけて、リアスに自分の存在を知らせる。すぐに気づいたのか私が通れるサイズの穴を結界に開けてくれた。
「リアス、久しぶりね。だいぶ未来視は安定して視れるようになってきたわ。」
「それはよかった。で、何か面白いものは視れたか。」
「ええ。断片的だけど。マティアス殿下の最期を視たわ。」
「へえ。面白い。どんな最期だった?」
「戦争だったわ。殿下は要塞を取り囲まれて、戦火に焼かれて死んでいったわ。」
「ふーん。マティアス殿下が戦火に焼かれるってことは、近いうちにトヴォー王国、フィーラ帝国、ニオ共和国で戦争が起こるってことか。このうちトヴォーとフィーラは友好国だ。攻め込んでくるのはニオだろうな。もしフィーラがニオの手に落ちれば、武力に劣る我がトヴォーも危ない。その前に何とかしないと。」
「ええ、そうね。」
深くため息をついた。すると少し好奇心に満ちた顔でリアスが覗き込んだ。
「そういえば最近殿下と話しているところを見かけないけど、お前は相手の眼を見なくても、他人の未来を視ることができるのか?」
「え?逆にリアスは相手の眼を見ないと神眼を使えないの?」
「ああ、俺はその相手の眼を見ないと鑑定できない。」
「そうなの……。私は相手を強く思えば未来を視ることができるわよ。ゆかりのものがあれば確実ね。」
「遠隔でも神眼を使えるってこと?いいなあ。」
「でも、未来の中で、自分が視たい瞬間を切り出して視ることができないの。人生で何か大きな出来事が起こる瞬間が視えているみたいだけど。」
「まあ、万能ってわけじゃないのか。」
ふと、リアスの手元にある紙束が目に入った。
「で、あなたは何か分かったの?」
「ああ、これを。」
資料は、ライラ・オングストレーム子爵令嬢に関する調査書だった。
彼女は子爵の私生児として生を受けた。母は屋敷勤めのメイドだったが、主人のお手付きに合い、妊娠が分かった途端に屋敷を追い出された。彼女は故郷のニオ共和国へ戻るしかなかった。その地で彼女は十五歳まで育ったが、ある日、オングストレーム家の別荘で火災が発生する。嫡男と次男は相次いで命を落とし、長女は意識不明、今も寝たきりだ。後継を失った子爵は、慌てて隣国から彼女を呼び戻した。今も母親はニオ共和国に住んでいて、定期的に連絡をとっている。調査書には、学院入学後、複数回ニオ共和国の外交官と接触していることも書いてあった。
「これって……!」
「ああ、真っ黒だろ。」
調査書を持つ手が震えた。
「こんなの調べたら、すぐわかることだぞ。そんな女に皇子が現を抜かすなんて、お前の国どうなってんだ。」
「私に言われても……。」
「だからといって、俺たちから、これを皇宮に渡すわけにいかないしな。」
「ちょっと待って、私に考えがあるわ。」
実は皇太子指名はまだだ。ずっと"優秀"だと言われ続けていたマティアス殿下が皇太子に指名されると言われていたが、この調査書で皇帝の気持ちは揺らぐに違いない。そう、第二皇子・フレデリク派にこの情報を売ればいいのだ。
「いいのか? つまりそれ、お前の家の政敵だろ?」
「……そうね。まずは父に相談してみるわ。」
マティアス殿下への想いはいつしか私の中から消え去っていた。今あるのは、家族への愛と、国家への忠誠心。そして……。この赤い瞳を見ると、自然と胸がざわめくのは、ただの気のせいだろうか。




