07 令嬢の告白②シックス石畳とダンゴムシ事件
用意されたお茶はすっかり冷めてしまっているが、誰も気にする様子はない。
使用人達も、失恋酒場のこのひと月、こちらから呼ばない限りはできるだけそっとしておいてほしいと言い含められていることもあり、領主館に来て初めてかもしれない令嬢達の明るい笑い声に驚いていたとしても、わざわざ様子を確かめに来るようなことはなかった。
「マージョリーとヘルガのおかげで、考え方のコツは分かりましたわ。なるほど………そういう意味でしたら、私にも確かにやりたいことがあります」
3人の目が、興味津々にダイアナに注がれた。
「私、腹筋を割りたいです!」
「ファッ…………!?」
「ファッ◯ンじゃありません。腹筋……腹部の、この部分の筋肉のことですわ」
ダイアナは自分のお腹を押さえてみせる。
「我が家は代々武門の家系、グレイソン家に生まれたものは、その身体を鍛え抜き、強靭な筋肉を身に纏うことが何より推奨されますの。
そのため、身体の様々な部位に対応したグレイソン家秘伝の鍛錬方法があれこれ言い伝えられているんですけど、その中に、腹部を鍛えると脂肪が減って、その下から6つに割れた石畳のような筋肉が浮き上がってくる、というのがあるんです」
未婚の令嬢には全く未知の世界の話に、3人は目を丸くして聞き入った。
「これをグレイソン家では『シックス石畳』と呼んでおりまして、ある意味武人の基本装備のようなものとみなしているんです。
私は、祖父や父のシックス石畳を見ながら育ってきましたし、兄達や、最近では弟達の腹筋が鍛錬によって割れていくのを横で羨ましく眺めていました。
大声で言うのは憚られますけれど、母や祖母にも、うっすらシックス石畳がございますのよ?
ところが、何を間違ったのか、私がグレイソンらしからぬ姿に生まれてしまったばっかりに……」
なるほどそういうことかとヘルガ達は頷いた。
ダイアナは極めて見目麗しく、柳のようにたおやかな姿態の持ち主である。
王国中の令嬢が羨む美貌も、グレイソン家の筋肉密集地にあっては苦労のタネだったとみえる。
「折角の恵まれた見てくれを筋肉に埋もれさせることがあってはならじと、私の意向を無視して家族が突っ走ってしまったのです。
アーバスノット家との婚約の決め手が私の外見だったこともあって尚更。
グレイソンの娘として、最低限の武術と馬術は修めさせて貰えたものの、日に当たってはシミができると大騒ぎされ、虫に刺されては跡が残ったらこの世の終わりと大騒ぎされ、とてもじゃないけど腹筋を割りたいなんて口に出せる空気じゃありませんでした。
本当は、太陽の下で思いっきり身体を動かして汗を流し、兄弟達のようなシックス石畳を手に入れたかったのに」
「今からでもできますわ。ご家族だってきっと許してくださいます。
『聖女を虐めた挙げ句婚約破棄された、シックス石畳の伯爵令嬢』……如何にも『強敵』って感じで素敵ですわ!」
ヘルガが何故か嬉しそうに胸の前で手を組んだ。
「歌と踊り、現場で働いてついでにご当地グルメを堪能、思いっきり運動して腹筋を割る……いい感じに願望が集まってきましたわね。
アラベラは如何?遠慮なく何でもおっしゃって」
指折り数えながら、マージョリーが促す。
「……わた、私のやりたいことは、本当に、皆様と比べものにならないくらい、人には言えないものなんです……」
皆に見つめられたアラベラは、真っ青な顔でカタカタと小動物のように慄え出す。
「あああ、無理におっしゃらなくても大丈夫ですよ!」
「そうですとも!それに、どんなお望みでも私達笑ったり否定したりなんかしませんわ!!」
「もしかして、海賊王に、アラベラはなる………?」
ざわ…つく3人を前に、アラベラはギュッと目を瞑って言葉を搾り出した。
「わ……わ……私はッ…………ム………………シ…………………を愛でたいのですッ!!」
※※※※※※※
「ム………………シ………………?」
「ム、シ………虫、ですか?足が6本の、あの、虫?」
「足の数は問わないです!6本でも8本でも百足でも、足が無くて伸び縮みするやつでも!」
「ひぃ」
「そうですそうなんです皆そういう反応なんです無理もないです全部私が悪いんです」
「イイエッ!大丈夫ですアラベラ。今のは武者震いです!あなたの『好き』を誰も否定したりしませんッ!そうですよね、皆さんッ!ホラッ」
「はいぃ……アラベラ、変な声を出してごめんなさいね。だ、だ、大丈夫ですから、ど、どうぞお続けになって……」
「すみません皆様……でも、虫の世界は本当に奥深くて驚異に満ちているのに、理解者がとても少ないのがすごく残念で。
皆様が庭や森に一歩踏み込んで、足元や木々に目を凝らせば、そこには信じられないほど多様で重層的なもう一つの社会が広がっていることにお気づきいただけると思いますわ。
それに我々が如何に彼らの恩恵を受けているかということも、是非知っていただきたいんですの。
虫たちの身体の構造や能力、生態は、魔法の研究をする上でもとても参考になるんです。彼等こそ、この地上で最も種類が多く、最も繁栄している種族と言っても過言ではありません。
それなのに、私達が知っている虫なんて、世界中の虫のほんの一握りなんですよ!貴女が今日出会う虫が、もしかしたらこれまで誰にも知られていなかった凄い能力を持つ虫かもしれないんです!」
可愛らしく、どちらかといえば気弱なアラベラがこれだけ熱を入れて話すところを見るのは初めてだった。
「虫」と聞いて及び腰になったヘルガ達も、アラベラの熱に知らず知らずのうちに惹き込まれた。
思えば、自分達も周囲に理解されず悲しい思いをしてきたのだ。虫のことを知りもせずに嫌ったり怖がったりするのでは、自分も王都のあの人たちと変わらないのではないだろうか………
「勿論、こんな話今まで誰にも言えませんでした。実はほんの3歳か4歳の頃、虫絡みで大失敗をしたことがあるんです」
それは、同じ年頃の小さな子ども達と、その母親達が参加する、ボストン伯爵家の茶会で起きた。
当時、アラベラと仲が良く、同じくらいの虫好きでもあったボストン家の令息ジェラルドと、茶会の時に自慢の虫をこっそり見せ合う約束をしていたのだ。
「私は、庭で集めたとびきり艶の良いダンゴムシをたくさん小さなバッグに詰めて持っていきました。そしてジェリーは、帽子いっぱいのピッカピカのヤスデを………」
「う、うわああああ」
それでも子どもなりに気を回して、アラベラとジェラルドは大人から離れ子ども達だけで遊んでいる場所の片隅で、隠れるようにお互いの宝物を披露したのだ。
後ろから覗き込んだ令息達と、一部の勇敢な令嬢達から英雄のように扱われてしまったのは、決して2人の本意では無かった。
他の子たちに虫に興味を持って貰えて嬉しくなったジェリーとアラベラは、希望する子には触るときの注意点を伝えてダンゴムシを手に載せてやり、その場は大変に盛り上がった………母親達が迎えに来て、自分の息子娘の手に載っているものを見るまでは。
「……もしかして」
ヘルガがお行儀も忘れてゴクンと唾を飲んだ。
「そのボストン家のお茶会というのは、王国の貴婦人の間で密かに語り継がれている、あの………?」
暗い目をしてアラベラが頷く。
「そうです。王国史上最大の失神者を出したという、あの『ボストン茶会事件』です。
事件について、私とジェリーが責任を追求されるようなことはありませんでしたが、私達はあれから表立って虫を愛でることはできなくなってしまいました…」