06 令嬢の告白①歌と踊りと現場とグルメ
「……どういうことでしょう?」
不穏な言葉に、ヘルガが首を傾げる。
「では、私を例にお話ししますね?
私、幼い頃歌と踊りが大好きで、屋敷の中でも庭でもよく大きな声で歌って踊っているような子どもだったんです。
それも、声楽の先生に教わるような歌や、舞踏会用のペアダンスじゃなくて、市井で流行っている歌とか、皆で輪になって太鼓をドンドコ叩きながら踊るような、ちょっとお行儀の悪いものばかり。
小さい頃は、こっそり使用人の宴会に混ぜて貰って一緒に踊ったり、庭師のおじいさんから古い民謡を教えて貰ったりしたものでした……」
マージョリーのこの行動は、マナーの先生に見つかれば叱られはしたものの、ウォルコット家の面々には概ね微笑ましく受け止められていた。
幼いマージョリーにも、自宅以外では好きに歌ったり踊ったりしないように気をつけるくらいの分別はあったから。
それが急に問題になったのは、彼女がナイジェル・エマーソン侯爵令息と婚約した10歳のときだった。
ウォルコットの屋敷を訪れていたナイジェルの父親で宰相のエマーソン侯爵が、庭園で薔薇を摘みながら鼻歌混じりにステップを踏むマージョリーを見かけてしまったのだ。
「宰相閣下は、将来王国を背負って立つ息子の婚約者が、そんな浮ついた態度では困るとお考えになったようでした。
エマーソン侯爵邸でそんな振る舞いをされては堪らないし、いくら気をつけているといっても日頃これでは外でうっかり鼻歌のひとつも出ないとは限らない、今のうちに悪い癖はキッチリなおしておいて貰いたい、と」
そうして、彼女は歌うことも社交以外のダンスも禁じられた。
「辛かったですよ。以前は兄がよく町に連れて行ってくれていたんですけど、広場なんかで歌や踊りを見たら我慢できなくなるかもしれないからと言って行かせてもらえなくなりましたし。
だからあの頃は、やたら図書室に籠もっていましたね。図書室では歌うわけにいきませんから。
おかげで蔵書を片っ端から読破して、博識などと言われるようになって宰相閣下には喜ばれましたけど」
話を聞いていた3人は、マージョリーが対外的には「博識で冷静な淑女」と見られていた理由に納得した。
「いつかはナイジェル様と結婚する以上、婚家の意向に沿うため己を曲げることは仕方ない、悪いのは令嬢らしからぬ自分の方なのだからとずっと諦めていました。
でもこうして事情が変わって、悲しかったけど、ふと思ったんです。あら?私また歌っていいんじゃないかしら、って。
どうせもう婚約の当ても見込みもないんだから、こんなことしたらお嫁に行けなくなるかもなんて考えなくていいし、家名にこれ以上泥を塗る心配だっていりません。聖女様の一件で、私何もしてなくても既に泥まみれなんですもの」
マージョリーの言葉に力が入った。
「それに、よく考えてみて下さい。
『庶民の歌と踊りが大好きな侯爵令嬢』と聞くと、やっぱりどこかお行儀の悪い感じがしますでしょう?
でも、『聖女を虐めた挙げ句婚約を破棄された、庶民の歌と踊りが大好きな侯爵令嬢』だったらどうです?
前半が衝撃的過ぎて『歌と踊り』云々がかなり薄まると思いません?」
その言葉に、アラベラが思わず目から鱗といった様子で「まあ…」と呟いた。
「要するに、私達の評判が地を這ってる今なら、何をやっても大抵のことは悪評の下に隠れてしまうと思うんです。
ですから、これまで貴族令嬢らしくないからと諦めていたことや、人には言えないけどやってみたかったことが皆様にもあったら、この機会にやってみませんか?
海賊王を目指すとか賭博黙示録令嬢になりたいとか仰ったら流石に止めますけど」
結婚か、門戸は狭いが職業婦人の道か、はたまた実家で飼い殺しか修道院行きか、年頃の貴族令嬢の身の振り方などそれくらいに限られていると思っていた3人にとって、これは全く新しい考え方だった。
「そうですね……わたくし、ついぞそんな風に考えたことなど無かったですけれど…………そもそもずっと王太子妃教育を受けていたから、自由な時間も少なかったですし……………あ」
口籠っていたヘルガが、不意に何かに気づいたかのように顔を上げた。
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「ありますわ!人には言えないけどやりたかったこと…………わたくし、わたくし、ずっと現場に出たかったんです!」
頬を上気させたヘルガに3人が怪訝な目を向ける。
「現場……ですか?」
「はい。王太子妃教育というのは、マナーや立ち居振る舞い以外にも、本当に多岐にわたって王国や政に関する知識をぎゅうぎゅうに詰め込むんです。
結婚して王太子妃になれば、王妃殿下の補佐に就いて実地に学んでいくことになるのですが、婚約者の間はただもうひたすらに座学とケーススタディですわ。
授業時間だけじゃなく、公爵邸にいる時も予習復習に追われるんですけど、未来の王太子妃たる者、それで容色が衰えることなどあってはならないということで、勉強以外の時間は美容に全振りでしたの。
王宮から専門の人員が派遣されて、延々とスキンケアしたり、体型を保つために運動したり、食事を制限したり…」
過酷、とは噂に聞いていたが、王太子妃教育のあまりの実態にマージョリー達は息を呑んだ。
これではまるで、マナーと教養を詰め込んだ綺麗なお人形を作っているようなものではないか。
「それが当たり前と思って過ごしておりましたから、王太子妃教育自体はそこまで辛くなかったんですけど、得た知識を役立てる機会を全く貰えないことがとても辛かったんですの。
実際の人々の暮らしや、各地の領主の政策をこの目で見て確かめたかったし、父と弟が公爵領の今後について話し合っている場にも同席したかった。
魔獣の被害で人々が苦しんでいるときも、教育と美容ばかりで私は何もさせて貰えなくて…聖女様のようにはなれなくても、現場を見て、現地の方の言葉を聞いて、私にもできることをしたかったんです」
肩を落とすヘルガにダイアナが寄り添う。
「本当に真面目でいらっしゃるのね、ヘルガは。
あんなことがなければ、きっと素晴らしい王太子妃、ひいては国母になられたことでしょうに」
「………あとそれから」
蚊の鳴くような声でヘルガが続ける。
「出かけた先で現地の美味しいものをイロイロイタダイテミタカッタデス…………」
庭園に令嬢達の明るい笑い声が弾けた。