16 熊は同伴を受け入れる
数か月後。
宰相の息子、ナイジェル・エマーソン侯爵令息は、重苦しい気持ちでかつての婚約者が待つウォルコット侯爵邸に向かっていた。
馬車の窓から鬱々と外を眺めながら、すっかり変わってしまった「救世の乙女」のことを想い、溜息をつく。
聖なる力で魔獣を退け王国を救った可憐な少女。
その明るさと無邪気さで王太子と自分達をたちまち虜にし、たとえ彼女が選んだのが自分以外の男だったとしても、生涯をかけて守り支えていきたいと思わせてくれた聖女ラナ。
だが最近の彼女はいつも苛立った様子で、度々ナイジェル達を呼びつけては、婚約していた頃の令嬢達の情報を根掘り葉掘り聞き出そうとしてばかりいる。
かと思えば、むやみと貴族令嬢を呼び集め、贅沢な茶会を催したり、高価なプレゼントを贈ったり。
喜んでラナの周りに侍る令嬢達もいるにはいるが、多くの家門は王太子妃の過剰な振る舞いに困惑気味だ。
一方で、政治のことなど何も知らないのに、寄付の乱発や頼まれてもいない救護施設の新設を繰り返し、やたらと人気取りの福祉事業に金をつぎ込んでは行政官達を悩ませている。
聖女はすでに十分尊敬されているのだから、何もせず大人しくしていてくれればいいのに、次から次と余計なことを思いつくラナに、最近のロバートやナイジェル達はすっかり疲弊していた。
今日開催される夜会も、ラナが熱心に行っている活動の一環であった。
王都には、少し前から聖女が後援する音楽院というものができており、「聖女の歌声を持つ」と言われる美しい声の娘達が国中から集められていた。
この音楽院で彼女らにみっちり声楽のレッスンを施し、優秀者を集めて「救世の乙女聖歌隊」を結成する。そして、聖女の偉業を次の代まで歌い継いでいく………というのがラナの考えたプランだった。
今日は、教育の成果を貴族達に報告し、聖女への感謝を伝える会である。
そのため、在院生から成績優秀な者が数名王宮に招かれ、夜会で聖女を讃える歌の数々を披露することになっていた。
ラナは、これに例の4人組を招待すると言い出したのだ。
しかも、ナイジェル達元婚約者をエスコート役に指定して。
「彼女達がまた悪女の格好をしたり、平民なんかを連れてきたら、元婚約者の貴方達が恥をかくでしょう?
今度の夜会は、露出の多いドレスは禁止するつもりだし。
だけど、彼女達がまた変な相手を見つけてきて貴族達の笑い者になるのは可哀想だから、元婚約者のよしみで貴方達がエスコートをしてあげて欲しいの。
勿論ドレスなんか贈らなくていいし、エスコートも会場に入るまでで構わないわ。夜会ではいつも通り私の側にいてくれていいから。
あと、流石にロバートは無理だから、ヘルガのエスコートは公爵様にさせましょう!」
何だかわかるようなわからないような理屈だが、ラナの頼みならこちらは諾々と従うしかない。
何しろあの4人のことになると、ラナはひどく神経を尖らせるのだ。
最近、王太子夫妻の預かり知らぬところで彼女達と各地の令嬢・令息が結託して何やら怪しげな動きをしているという噂もあり、夜会で勝手な真似をしないよう、牽制も兼ねてナイジェル達を差し向けるつもりなのだろう。
ナイジェルは気が進まないながらもウォルコット侯爵家に書状を届けさせた。
元婚約者の唐突なエスコートの申し出に、マージョリーの方で断ってくるかと思ったが
「当日はよろしくお願いします」
と簡単な返事がが返ってきただけだった。
リチャードやクリストファーのところにも、エスコートを承諾する手紙が届いたらしい。
婚約破棄から2年近くが経つとは言え、正直この役目はかなり気が重い。
馬車がウォルコット侯爵邸の門をくぐった瞬間、ナイジェルはまたひとつ溜息を落とした。
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婚約していた頃よく訪れていた侯爵邸のエントランスは、ナイジェルの記憶とほとんど変わっていなかったが、漂う空気はかつてないほどキンキンに冷えきっていた。
実際に室温が低いわけではないのだが、出迎えてくれたウォルコット侯爵と、ずらりと並んだ侯爵家の使用人が、よくもうちの敷居を跨げたものだと言わんばかりに、ナイジェルに向かって全身から冷気を放出しているのだ。
それでいて表向きは皆にこやかな笑顔を浮かべているのが余計に恐ろしい。
通り一遍の挨拶が済んだ後は話の接ぎ穂も見えず、ナイジェルは居心地悪くマージョリーを待っていた。
「お待たせしました、エマーソン侯爵令息」
マージョリーの声にホッとして振り返ると、ホールの階段を足取りも軽やかに、二足歩行の熊が降りてくるところだった。




