09 熊は鎖に繋げない
早朝、ヘルガ達は公爵領を見下ろす高台に立っていた。
高台からは、再建されたばかりの橋を行き交う荷車や、土壌改良が進む農地、簡素ではあるが設備の整った新しい小さな学校などが見渡せる。
広場に集まった子ども達がやっているのは、グレイソン式朝の体操・第二のようだ。
近くの養蜂場からは、3か月前にアラベラが発見し研究と改良を重ねてきた、魔力を帯びた花を見分けて蜜を集めるミツバチの集団が朝日に照らされながら飛び立っていく。
耳元を掠めていく穏やかな羽音と、眼下に広がる公爵領の活気ある姿。この3か月取り組んできたことの成果を、4人は信じられない思いで見下ろしていた。
胸にもこみ上げるものがある。とても…………とても…………
「………吐きそう」
ヘルガが膝に手をついた。
橋の落成が嬉しくて、昨夜村の皆と一晩中祝杯をあげ過ぎた。
この3か月で少し日焼けして、少し逞しくなった令嬢達だが、朝まで呑んで騒げば流石にヘロヘロである。4人はグリーンピースみたいな顔色で弱々しく微笑み合った。
「だいじょうぶでずがみなざん」
おばちゃん達と歌い過ぎて、喉がガラガラのマージョリーが気遣う。
「あなたの方がよっぽど大丈夫かですわよマージョリー。公爵領の復興を眺めて感慨にふけるのもいいけれど、そろそろ領主館に戻ってこの二日酔いと貴女の喉を治しましょう」
ダイアナの一言で一同はよろめくように高台を降りていった。
※※※※※※※
午後、令嬢達は再び庭園でお茶の席を囲んでいた。
紅茶にたっぷり入れてもらった採れたての蜂蜜は、うっすら魔力を帯びていて、二日酔いにも喉の傷みにもよく効く。
同じ蜜で作った美容液のおかげで寝不足のお肌も潤いを取り戻していた。
魔力蜂蜜は開発途上でまだ生産量も少ないが、いずれ量産体制が整えば公爵領の新たな名産となるだろう。
「この3か月無我夢中でしたけど、どうにか目鼻がつきましたかしらね」
「ええ、これからも継続的に様子を見守っていく必要はあるでしょうけど、多分もう私達がぴったりくっついていなくても大丈夫だと思いますわ」
「さて、どうしましょうかこれから」
「折角ですから、この調子で皆様の領地を順に回っていくのはどうでしょう?公爵領ばかり助けていただくのは心苦しいと常々思っておりましたの」
「宜しいのですか!父が喜びますわ。公爵領での成果を手紙で報せたらうらやましがっておりましたもの」
「ふふ、では次はフィンチ領にまいりましょうか。
不思議ですね、ほんの少し前まで私達あんなに自信を無くして萎れていたのに。
自分にこんなことができるなんて本当に驚きですわ」
笑顔で話し合っていると、ふいにマージョリーが真面目な顔になった。
「昔、何かの本で読んだんですけど……
ある木こりが森で子熊を捕まえて、納屋に鎖で繋いでおいたんですって。子熊は逃げようとして鎖を引っ張るんですけど、まだ力が弱いから鎖は切れないでしょう?何度やっても逃げられないと、そのうち子熊は諦めてしまう。
やがて身体が大きく強くなっても、自分にこの鎖を切ることはできないと思い込んでしまった熊は、自分の本当の力に気づかないまま、ずっとボロボロの鎖に繋がれれていた…という話なんですけれど。
私達も、この熊と同じだったんじゃないかと思うんです。
幼い頃に婚約という鎖に繋がれて、それに従うのが幸せだと思い込んでいた。
いつの間にか大きく強く成長していることにも気づかず、やりたいことも自分から諦めて、ただただ鎖に依存していたんです。
私があのままナイジェル様と親愛と信頼を育んでいけたら、その鎖は或いは強固な「絆」と呼べるようになっていたかもしれません。でも、彼にとっての2人を繋ぐ鎖は、私が思っているよりずっと取るに足らない、脆いものだった……」
マージョリーは一瞬暗い目をしたが、すぐ顔を上げて続ける。
「いずれにせよ、私達を繋いでいた鎖はもうありません。
おまけに鎖を失ったことで、私達は自分に『やりたいことを自分の頭で考え、それを実行する』力があることに気がついてしまった。
今となってはもう誰にも私達を鎖で繋ぐことはできないでしょう。
だって、私達はとっくの昔に大きくて強い人喰い熊になっていたんですから!」
そう言うと顔の両側で手を構え、熊が襲いかかるようなポーズをとったので、ヘルガ達は笑い転げた。
笑いながらも、自分はいつの間にか「鎖で繋ぐことのできない熊」に成長していたのだという思いが、確かな自信となってそれぞれの心に根付くのを感じていた。




