『忘却の都市』会話
青年はドアを通るなり、遠慮もなく部屋へと進んだ。
まるで、何年も前からここに住んでいるかのような自然な動きで、ソファにどかっと腰を落とすと、深く息を吐いた。
「助かった、ほんと。いやー、この都市に住めるなんて夢みたいだよ!」
俺は『早川悠人』と名乗る青年を観察する。
服の着方、話し方、仕草——どれも、同い年ぐらいの「普通の青年」に見える。
けれどその「普通」が、昨日感じたこの都市の住民としてのイメージとなぜか微妙にずれているような気がした。
そんな俺の視線には気付かないまま、陽気に言葉を続ける。
「優しい隣人もいるし、言うことないね!そういえば、いつからここに住んでるの?」
一瞬、答えを探す。 昨日——のはずだ。
しかし、その言葉がすんなりと出てこない。
言葉が喉の奥で絡まるような感覚に戸惑いながら、とっさに口にした。
「……最近。」
彼はその言葉に特に違和感を持つ様子もなく、軽くうなずいた。
「へえ、じゃあ俺と同じか。まだあんまり周りのこと分からない感じ?」
「……そうかもな。」
俺の曖昧な返事を気にすることもなく、楽しそうに部屋を見回している。
「俺、ずっとこの都市に憧れてたんだよ!応募して、奇跡的に当たってさ!ほんと俺たちラッキーだったよな~」
彼は笑いながらそう言った。 だが、その言葉に微妙な違和感を覚えた。
(応募?ラッキー?)
言葉には出さない。
ただ、心の中でその言葉を反芻する。
まるで、この都市に住むことが特別なことのような口ぶりだった。
確かに整った都市で住みやすそうな場所ではある。
だが、俺はまだそこまでの魅力を感じていない。
何より——。
応募なんてした記憶はない。
その後も、彼は自分がどれだけこの都市のために努力してきたかとか、これからここでどんな夢を叶えたいかとか、楽しそうに語り続ける。
彼にとっては何気ない会話だったのかもしれない。
しかし、俺にとっては、どこか不自然な時間が流れていた。
一通りしゃべり終えると、彼は時計をちらりと見て立ち上がった。
「いや、ほんと助かったよ!また今度、ちゃんと飯でも奢らせて!」
そう言いながら、軽い笑い声とともに玄関へ向かう。
その姿に俺はただ「ああ……」と曖昧に返す。
青年がドアを開けて外へ出た、その瞬間、扉越しにふと大家の声が聞こえた。
「お待たせしました。『早川悠人』さんですね?鍵はこちらになります」
「ありがとうございます!いやー、ほんと夢みたいですよ、この都市に住めるなんて!」
彼の声はどこか弾んでいる。
大家も何か返しているが、完全には聞き取れなかった。
ただ、時折 『選ばれた』『運がいい』という単語が断片的に耳に届く。
扉を背にしたまま、ぼんやりと考えた。
俺は、どんな生活を送っていた?
そもそも、「普通の生活」とは何なのか。
それを本当に知っているのか?
改めて窓の外を見る。
相変わらず都市の光は規則的に並び、道路も人の流れも奇妙なほど整っている。