第一章8「衝突」
今、三藤義弘は、嫌っていたはずの女の子から勉強を教えてもらっている。
女とは関わらないと決めていたのに、桃崎莉那さんのアドバイスは的確すぎて、皮肉にもすごく助けられている。
「ここは、文脈から登場人物の心境を抜き出せばいいのニャ!」
「お、おう……」
「ふむふむ……。やはり、義弘は文章から登場人物の心境や背景を読み解くのが、少し苦手なようだニャ」
すごい……。たったあれだけで、僕の苦手分野を一瞬で分析している……。
普段は猫口調で、ぐーたらしている桃崎さんなのに、今の彼女は全くの別人だ。
もしかして、本当に天才キャラなのか……?
それとも、普段の彼女はただの天然なのか……。
僕がそう思っていると、隣で教科書の問題を解いている月森さんが――。
「そういえば……。莉那ちゃんって、学年成績トップじゃなかった? この前、担任の木村先生に証書か何か渡されてなかったっけ?」
彼女がそう言うと、桃崎さんは――。
「……それは秘密だニャ」
「あー、その反応……。さては、自分の能力を隠すタイプの天才だなー? すごいよね、もし成績トップだったら……」
「能ある猫は爪を隠すのニャ〜」
月森さんがいくら褒めても、桃崎さんは自分のことをはぐらかす。
これは、本当に成績トップを維持する天才キャラなのか……。
それとも、ただの尾鰭の付いた噂に過ぎないのか……。
僕が疑問に思っていると、今度は白石さんが――。
「ねえ、桃崎さん」
「何だニャ?」
「ぶっちゃけ、義弘君のこと、本当はどう思ってる?」
そんなストレートなことを質問するのだった。
何を訊いてるんだよ、白石さん……。
これでは、桃崎さんが返答に困って、勉強どころではなくなるだろ……。
すると、僕がそう思っている間に、桃崎さんが――。
「うん。義弘のことは大好きだニャ〜。将来は、ミーの立派なご主人になってくれるのニャ~」
な、何を言ってるんだ、桃崎さんも……!?
彼女の返答は、さすがの白石さんでも予想外だったのか、驚いた顔をしている。
「え、えっと……。その"好き"は、どこまでの範囲? ライクなのかラブなのか……」
「もちろん、ラブの方だニャ!」
そうハッキリと口にする桃崎さん。
「え、ええ……?」
すると、ついに白石さんは唖然となってしまう。
「お、おい……。ラブだったら、僕のことが恋人的な意味合いで好きって意味になるだろ……」
僕がそう言うと、桃崎さんは――。
「何か問題でもあるのかニャ?」
「いや、問題というか……。桃崎さんは、僕のことが嫌じゃないのか?」
桃崎さんとの関わりは、そんなに長くはない。
学園入学時に同じシェアハウスになって、そこから一回顔を合わせただけで、なぜか急に頭を撫でろと部屋に来るようになったのだ。
なので、僕のことを好きだと言う理由が、全く見つからない……。
すると、桃崎さんは――。
「一目惚れ……って、やつだニャ」
「ひ、一目惚れ!?」
それを聞いて、僕は心臓が飛び出るかと思った。
僕のどこにそんな要素があるんだ……?
もしかして、マジで僕をからかっているのか……?
そうだよな……。女というのは嘘つきな生き物だ。
きっと、桃崎さんも白石さんと同じで、僕の反応を見て楽しむタイプの人なのだろう……。
そう思っていると、桃崎さんが――。
「義弘の顔は、マタタビに似ているのニャ〜。だから、ミーは一目惚れしてしまったのニャ」
「いや、どんな顔だよ!?」
僕の顔がマタタビ!?
一体、どんな見方をしたら、人の顔がマタタビに見えるんだよ!?
すると、それを聞いた白石さんと月森さんが、ツボに入ったのか大笑いしてしまう。
「あはははは!! 義弘君の顔がマタタビって、それ人間として見られてないじゃん!」
「ぷっふふ……! マタタビって猫が好きなやつでしょ? 良かったね、三藤。猫ちゃんにモテモテだねー!」
「ふ、二人とも、馬鹿にしやがって……」
多分、顔がマタタビに似ているなんて言われた人間は、人類史上で僕が初めてなんじゃないかな……。
このままでは、僕はマタタビに顔が似ていると、ずっと二人にイジられてしまう……。
すると、桃崎さんが――。
「だから、誰にも義弘は渡さないのニャ。……たとえ、仲良くしてくれている冬音でも紗玖美でも、だニャ」
二人に向かって、挑発するようなことを言う。
段々と不穏な空気になっていく……。
すると、言われた二人は――。
「それって、もう交渉決裂ってことでいいのかな……?」
「アタシたちで、三藤をシェアするっていう話だったよね、莉那ちゃん……?」
急に何を言っているんだ、二人とも……?
何だかすごく不穏な空気だ……。三人とも顔は笑っているが、目が笑っていない……。
それに、僕をシェアするって何だよ……?
疑問で埋め尽くされていく僕の頭。
僕の知らない裏で、何かが始まっている……。
前からそんな予感はしていたが、これで疑惑は確定になった。
そう思っていると、桃崎さんが――。
「そもそも、冬音が"風花に復讐"したい理由……。前から、ミーは良く思ってなかったのニャ」
なぜか、彼女も風花のことを知っていた。
すると、桃崎さんに言われた白石さんは――。
「私はね……。風花ちゃんに全てを奪われたんだよ? 大好きだった義弘君を……」
あの頃の僕に似ている……。
友達だった龍弥に風花を取られ、全てを奪われたと落ち込んでいた僕に……。
白石さんも、僕と同じ感覚を味わったのか……?
そう思っていると、白石さんは更に話を続ける。
「私から義弘君を奪っておいて、風花ちゃんは……。アイツは、龍弥とかいう他の男子と浮気してたんだよ? そんなの、許せないよ……。絶対に許せない……!」
白石さんの怒りが迸った。
普段の彼女からは考えられないほど、感情的になってしまっている……。
「し、白石さん……」
これで、納得できた。
白石さんが、どうして"風花に復讐する"なんて言い出したのか。
彼女も僕と同じく、風花の嘘の"犠牲者"だったのだ。
だが、その風花は、もうこの世にはいない……。
だから、そんな風花よりも幸せになって、見返してやろうと彼女は思っていたのだ。
それが、白石さんにとっては、最高の復讐方法だと知っていたから……。
すると、そんな白石さんに、桃崎さんが――。
「だからといって、義弘の気持ちも無視して、本物の"彼女"を作らせるのは、義弘がかわいそうだニャ。……冬音の復讐に、義弘を巻き込まないでほしいニャ」
「……っ!?」
桃崎さんにハッキリと言われた白石さんは、ショックを受けて固まってしまう。
そして――。
「私のこと、何も知らないくせに……。偉そうなこと言わないでよ……!!」
彼女は泣いていた。
それはもう、その場で崩れてしまいそうなほど弱々しく……。
だから、僕は声をかけてあげようとした。
でも、白石さんは――。
「……っ!」
僕が声をかける前に、彼女は部屋から飛び出してしまった。
そして、そんな彼女を見て、月森さんも部屋を飛び出していく。
「あ、冬音っち! 待ってよ!」
こうして、僕の部屋には、僕と桃崎さんだけになってしまった。
どうして、こうなってしまったのか……。
それを確認する時間すら無く、僕だけが取り残されてしまった感覚……。
何だか、すごく嫌な気分だ……。
すると、そんな僕に桃崎さんが――。
「義弘。……冬音の後を追ってあげてほしいニャ」
「え……?」
桃崎さんに、そんなことを言われる。
僕が顔を向けると、彼女は申し訳なさそうに視線を落としていた。
「ミーがしておいてアレだけど……。冬音は今、誰かにそばにいてほしい、助けてほしいって思ってるのニャ」
「助けてほしい……?」
「その"誰か"が務まるのは――義弘しかいないのニャ」
彼女はそう言うと、少し切なそうに微笑むのだった。
何だろう……。この、本来なら座るはずだった自分の席を譲られたような感覚……。
全く……。女というのは面倒だな……。
すぐ泣くくせに、その理由が複雑だったりする……。
でも、僕は……。白石さんに助けられていたんだよな……。
彼女が参考書を買ってくれたとき、僕は素直に嬉しいと思ってしまった。
それはなぜか……? 単純な理由だ。
――その親切さが嘘じゃなかったから。
女なんて皆、嘘つきだと決めつけて、女の優しさなんて全部偽りだと思っていた。
でも、その中でも……。一つくらいは本物の優しさが混ざっていると気づかされたのだ。
だから、僕はこう思ってしまった……。
――だったら、今度は僕が優しさを彼女に教える番では?
僕と白石さんは似ている。
同じように、風花に裏切られたからだ。
それなら、裏切られた者同士……。仲良くすることもできたのではないのだろうか……?
ヤバい……。何だか、自分じゃないみたいだ。女の子と仲良くしたいなんて……。
とりあえず、今は白石さんを探さないとな……。
僕は勉強を放り出して、白石さんを探すことにした。