第一章7「猫みたいな女の子」
三藤義弘にとって、最初の壁は中間テストだ。
このテストで、全教科において八割以上の点数を取らないといけない。
だが、白石さんが買ってくれた参考書に付属している、教科別の模擬テストの成績を見て、僕は言葉を失った。
「国語は八割まで届かなかったか……」
この問題集と学園の授業のレベルは同じくらい……。
つまり、今の自分では、最初の壁を超えられないということを意味していた。
あと一歩という点数だったが、やはり、全教科八割以上の点数となると厳しいようだ。
すると、白石さんと月森さんが――。
「あー、疲れたよぉ……。私じゃ、半分くらいの点数が限界だったよー……」
「あ、アタシ……。一点だったんだけど……」
二人とも、僕と同じ模擬テストの問題をやったが、難しくて唸っていた。
「悔しいな……。まだまだ勉強量が足りないんだな……」
僕がそう言うと、月森さんが――。
「すごいなー、三藤は……。アタシだったら、もう特待生諦めてるよー」
「将来のためだからな……」
「ふふ。そういうところ、カッコいいよ……とか言ってみたり?」
「褒めすぎだ」
「またまたー、照れちゃって、この、この!」
「ウザいからやめてくれ……」
僕の隣からニッと笑顔を見せる月森さん。
今は模擬テストの結果を見て放心状態なので、おふざけはやめてほしい。
それに、頭を使った後で体がダルいので、そろそろお開きにしてほしいのだが、彼女たちは部屋に戻る気は無さそうだ。
すると、そこで――。
「義弘〜」
間延びした声とともに急に部屋のドアが開き、そこから姿を現したのは、白い髪の女の子……。
「なっ……。桃崎さん……!?」
出た……。桃崎莉那さんだ……。
長く伸びた白い髪に、猫耳の付いたカチューシャ……。
そして、眠そうに目を擦りながら、ヨロヨロとこちらに向かって歩いてくる姿は、まるで甘えてくる子猫のよう……。
しかも、パジャマじゃないかよ……。
そのせいで、せっかくの美少女でありながら、どこか残念な印象を持ってしまう。
すると、その桃崎さんが――。
「義弘〜。頭、撫でろニャ~」
のんびりとした猫口調で、彼女はそう言ってくる。
「またか……。というか、その猫口調どうにかならないのか?」
「ミーは人の姿をした猫なんだニャ~。この話し方じゃないと、猫の神様に怒られるのニャ~」
「ね、猫の神様……?」
ヤバい……。ますますワケが分からなくなってきた……。
「それよりも、義弘〜。早く頭、撫でろニャ~」
このように桃崎さんは、結構イタいキャラをしている。
やっぱり、僕の周りにいる女の子は、変なのが多い……。
特に桃崎さんは、僕に頭を撫でろと頻繁に部屋にやって来て、見た目通り猫のように甘えてくるのだ……。
そのせいで、僕の貴重な勉強時間が消えていく……。
すると、そんな桃崎さんが僕の膝に腰を下ろし、僕に背中を預けてくる。
そのせいで、彼女の頭が邪魔で参考書が見えない……。
それに、彼女の髪から甘いシャンプーの匂いが直接鼻に入り込んできて、次第に恥ずかしくなってくる……。
これは、色々とマズいな……。
僕がそう思っていると、桃崎さんが――。
「ん〜、義弘〜。早く早く〜」
「全く……。何で僕なんかに頭を撫でられたいんだよ……?」
「義弘は頭を撫でるのが上手いのニャ~。ほれ、遠慮なく撫でろ撫でろ〜」
「し、仕方ないな……」
撫でないと、このまま膝から動いてくれなさそうにないので、頭を撫でてやる。
指の間を流れていく桃崎さんのサラサラした髪の感触……。
ヘアケアーに疎い僕でも、彼女の髪が手入れされているというのは、よく分かる。
すると、頭を撫でられた桃崎さんは――。
「ん~。気持ちいいのニャ~」
心地良さそうに、僕の空いた片方の手に頬ずりをしてきた。
甘える仕草が完全に猫だ……。本当に中身が猫なのか……?
僕がそう思っていると、両側から湿っぽい視線を感じる……。
「な、何? 白石さんに、月森さん……?」
僕がそう訊くと、二人は――。
「むー、何か妬いちゃうなー……」
「三藤って、莉那ちゃんには甘いよね……?」
何だか二人とも少し不機嫌そうだ……。
「これは仕方なくやってるだけだ……。誰が好き好んで女の子の頭なんか撫でるんだよ……」
女は嘘つきだ。
だから、きっと桃崎さんも、僕のことを愛嬌で騙すつもりなんだろう。
全く……。厄介な女に目をつけられたものだ……。
これでは、本当に勉強どころではなくなってきたな……。
すると、白石さんと月森さんが――。
「わ、私も……。頭を撫でてください、ニャン……♡」
「あ、アタシの頭も、撫でてください、ニャン……♡」
二人とも揃って、なぜか猫口調で言いながら、両側から密着してくる。
しかも、その状態から、僕の腕に頬ずりをしてくるのだ……。
そのせいで、僕の周りが猫っぽい女の子だらけになってしまう……。
「ど、どういうつもりだ?」
白石さんと月森さんの豹変に、僕は驚きを隠せない。
すると、二人は――。
「こ、こうやって、桃崎さんと同じように猫口調で甘えれば、私も義弘君に頭を撫でられるかなって思って……」
「は、恥ずかしいけど、どう……? アタシの猫口調。か、可愛いかな……?」
どうやら、二人とも桃崎さんのマネをすれば、僕に頭を撫でてもらえると思ったらしい……。
「気持ち悪いな……」
僕が冷たく言うと、二人はムッとした表情になってしまう。
「ひどーい! 何で桃崎さんは良くて私たちじゃ駄目なんだよー! こんなの贔屓だよー!」
「そうだよー! こうなったら、三藤がギャフンって言うまで甘えまくってやるよー!」
月森さんの言葉を皮切りに、二人は僕の腕にしがみついて頬ずりを再開してくる。
「や、やめろって!」
「やだやだー! もっともーっと甘えさせろー!」
「アタシの魅力が伝わるまで、甘えまくってやるー! アタシの方が、莉那ちゃんよりも可愛いもん!」
駄目だ……。これは、完全にスイッチが入っているな……。
もはや勉強どころではない……。このまま、彼女たちのなすがままになるしかないのか……。
そう思っていると、桃崎さんが――。
「ニャ? 義弘、テスト勉強をしてたのニャ?」
僕の模擬テストの用紙を見て、ようやく彼女は、僕がテスト勉強をしていたことに気がついたようだ。
「見ての通りだよ。……今度の中間テストで、八割以上の点数を取らないといけないんだ」
僕がそう言うと、桃崎さんは徐ろに立ち上がる。
そして、僕の方へ振り向くと、彼女は――。
「ふっふっふ。ミーが、勉強を見てあげるのニャ!」
そんなことを自信満々に口にするのだった。
――でも、そこで僕は少し違和感を感じた。
なぜだろう……? 何か、自信満々な桃崎さんの表情の裏に、どことなく悲しみを感じるのは……。
だが、気のせいかもしれない……。最近、色んなことがあって、疲れているからな……。
「……え、桃崎さんが僕の勉強を? 全教科で八割以上、取らないといけないんだぞ?」
失礼だが、桃崎さんが勉強できそうなイメージは無い。
でも、彼女はあの余裕っぷりだ……。
まさかとは思うが、実は天才キャラだったりするのか……?
すると、桃崎さんは――。
「うふふ……。いいから、この私に任せなさい。義弘?」
「え、桃崎さん……!? ね、猫口調は……?」
突然、猫口調じゃなくなる桃崎さん。
おいおい、まるで別人のようにガラッと雰囲気が変わったぞ……。
何か、さっきまでのんびりした雰囲気だったのに、一気にデキる女っぽくなった……。
もしかして、桃崎さんって二重人格だったりするのか……?
唖然とする僕に、桃崎さんは――。
「取らせてあげるわ――満点を」
その瞳には、確かな自信が満ち溢れていた。