第二章5「明綺歩の宣戦布告」
桃崎莉那が、まだシェアハウスに引っ越す前のこと――。
私は、家の前で悠々と眠るあの猫が嫌いだった。
理由は、私とは違って――自由で愛嬌があったから。
私の家は門限が厳しく、自由なんて無かった。
そのせいで、他人と関わる時間も無く、クラスでも孤立していた。
だから、高校に上がったときに自分を変えるべく、思い切って上京しようと今のシェアハウスに引っ越したのだ。
そして、運命の出会いをした――。
あれは、私が高校に入学したての頃……。
テニスコート近くを通ったときに、私は"それ"を目撃した――。
『うう、ぐす……』
大きなポニーテールの髪型をした女の子が泣き崩れていた。
そして、そんな彼女を庇うように、毅然とした風格で立つ男の子。
彼と対峙する女子グループは、学内でも有名なイジメっ子グループだった。
そんな彼女たちに、彼――三藤義弘は、堂々とこう口にする。
『月森さんはな。馬鹿だけど、色んなものを犠牲にしてテニスをやってるんだよ。だから、悪く言ってやるな……』
彼の言葉を聞いて、私は電撃が走ったような衝撃を覚えた。
世の中、こんな優しい人もいるのか……。
それに、ちょっと不器用そうで可愛い……♡
――もう、一目惚れだった。
多分、それは助けられた"月森さん"という女の子も同じだったと思う。
だって、彼が堂々と立つ背後で、頬を微かに染めていたから……。
親からの愛情を受けずに育った私にとって、この出来事はカルチャーショックだった。
それと同時に、少し嫉妬してしまった。……あの女の子に。
だから、私は――。
『義弘〜。頭、撫でろニャ〜』
あの嫌いだった"猫"になることを選んだ。
猫は自由だ。
そして、愛嬌がある。
猫は、私の足りなかったものを全部持っているのだ。
皮肉だけど、私はあの猫に、自分の足りないものを気づかされたのだ。
彼のような、優しい人に包まれて生きていたい……。
でも、今の私では、彼を独占できる気がしない。
だからこそ、私は"猫"になって、自分の全てを賭けて彼に甘えることにしたのだ。
そうすれば、彼は嫌でも私に注目してくれる……。
そして、いつか私の愛嬌に気づいてくれる。
そう思って、恥ずかしさを無理やり飲み込んで、私は彼にアタックをし続けた。
だけど、現実は甘くはなかった――。
―――――
私が今いるのは、学内の休憩スペース。
そして、隣には――月森紗玖美がいる。
皮肉にも、あのとき同時に義弘のことを好きになった者同士が、こうして肩を並べているのだ。
すると、紗玖美が――。
「少しは落ち着いた、莉那ちゃん……?」
「そうね……」
彼女は、私のことを心配してくれる。
さっき、体育倉庫で梅野明綺歩と義弘が一緒にいたのを、私は見てしまった。
――胸が苦しい。
そのせいで、私は思わず泣きながら逃げてしまった。
こうして、どんどん恋のライバルが増えていく……。
彼のことを独占したいのに、私の想いに反するように、現実はどんどん厳しくなっていくのだ。
すると、紗玖美が――。
「莉那ちゃんも……。三藤のこと、その……。す、好きなんだよね……?」
彼女の問いに、私はすぐには答えなかった。
「……まあ、そうね」
私がそう答えると、紗玖美は――。
「ホント、罪な男だよね。……三藤って」
「そうね……」
さっきから、私の返答がワンパターンで煮えきらない。
そのせいか、紗玖美もそこから、しばらくは会話してこなかった。
そして、数分が経過したときだった――。
「冬音っちが言ってたんだけどね……。もし、三藤があのまま優柔不断だったら、そのときは……。三人一緒に、三藤の彼女になろうって言ってたんだ……」
「そういえば、そうだったわね……」
「うん。そうすれば、三藤はハーレムだし、アタシたちも三藤とずっと一緒にいられるから一石二鳥だって、冬音っちは言ってたんだけど……」
そこで、紗玖美は視線を落とす。
「でも、そんなの……。何か駄目な気がするんだよね……」
「まあ、それも……。一つの"愛の形"なのかもしれないわね」
私がそう言うと、紗玖美は意外だったのか驚いた顔をする。
「えっ? さ、三人とも三藤の彼女だよ? そんなの、三藤が三股かけた変態みたいじゃん……」
「でも、お互いの合意の上なら、そういう付き合い方もあると思うわ。……だって、紗玖美も義弘と一緒にいたいでしょ?」
そう……。恋愛は、好きな人に選ばれなければ意味が無い。
だったら、たとえ恋人が複数いたとしても、好きな人と一緒にいられれば、それで良いと思っている。
「そ、そうだね。できれば……というか、絶対に一緒にいたい……! アタシが三藤に選ばれないなんて、正直考えたくないな……」
彼女は、思っていることを正直に話してくれた。
「なら、三人一緒に義弘の彼女になるのも、彼と一緒にいる手段として考えておいてもいいと思うわ」
「そ、そう、だよね……」
「確かに、世間体的には最悪な愛の形だろうけど……。でも、あくまで世間で見た形ってだけで、私たちにとっては、選ばれないよりもマシなんじゃないかしら?」
私がそう言うと、紗玖美は――。
「そう、だよね……。確かに、三藤に選ばれないなんて、そんなの考えたくないもんね。だったら、ハーレムエンドでも全然良いかも……」
彼女は納得して、首を縦に振った。
何だか、私の恋愛の価値観を押し付けたようで申し訳ない気持ちになる……。
「まあ、それ以前に、義弘が私たちのことを選ぶのか、まずはそこの問題なのよね……」
「た、確かに……。三藤、女の子嫌いみたいだし……」
人間の恋愛は複雑で難しい……。
もし、パズルが組み合わさるようにもっと単純なら、どれほど楽だったか……。
相手や自分の好み、そして、運や付き合い方……。その全てが上手くいかないと、人間の恋愛は成立しない……。
そう思っていると、紗玖美が――。
「ふふ……。じゃあ、アタシたちが……。三藤に"女の味"を教えちゃう?」
「……え?」
紗玖美は何かが吹っ切れたのか、さっきとは打って変わって、すごく乗り気だ。
そして――。
「それに、何か明綺歩も三藤のこと好きっぽいし……。明綺歩に先を越される前に、アタシたちが三藤のこと、メロメロにさせちゃおうか!」
「さ、紗玖美……?」
何かが彼女の心に火をつけたのか、紗玖美はあんな大胆なことを口にするのだった……。
そして、そのタイミングで――。
「あれ、月森さんに桃崎さん?」
噂をすれば何とやら……。件の義弘が休憩スペースにやって来た。
――でも、梅野さんは一緒では無かった。
それに、なぜか義弘の手には、ジュースが"二人分"用意されている。
すると、同じことを疑問に思ったのか、紗玖美が――。
「え、そのジュース、一人で飲むの……?」
彼女は、義弘が抱える二人分のジュースを見て驚いた顔をする。
すると、義弘は――。
「いや……。何か、梅野さんが"紗玖美と桃崎さんに"って……」
私たちに、梅野さんがジュースを……?
突然のことに理解が追いつかず、私と紗玖美は顔を見合わせて固まってしまう。
そして、続いて義弘が――。
「いやー、僕もよく分からないんだが……。梅野さんが"お二人とも隅で泣いてそうだから、わたくしからの励ましのプレゼントですわ"って……」
うわ、やられた……。
恐らく、梅野さんは、私が体育館にいることを知っていて、その後の展開も読んでいたみたいだ……。
――チョロいくせに、なかなか頭の切れる女だ。
義弘の言葉を聞いて、私は思わず笑ってしまった。
「うふふ……。あはははは!」
「ど、どうしたの、桃崎さん……?」
「いや、見事にやられたって思ってね……。梅野さん、なかなか手強いわね……」
「へ……?」
義弘は理解できないというふうに、首を傾げてしまう。
まあ、無理もない。……これは女同士の戦いだから。
そして、紗玖美も――。
「アタシたちも負けてられないね、莉那ちゃん」
「そうね……。うふふふふ!」
私は、紗玖美と顔を見合わせて笑い合う。
そして、私たちは義弘の抱えるジュース……"梅野さんの宣戦布告"を受け取った。
すると、義弘は――。
「えっと、二人とも……?」
何も知らない彼は、自分が"四人"もの女の子に狙われていることに気がついていないだろう。
――紗玖美と冬音の三人で結託しての、義弘争奪戦か。
天国にいるという義弘の元カノ――風花は、今の私たちをどう見ているだろうか?




