第二章3「梅野さんはストーカー……?」
三藤義弘は、校内休憩スペースにある自販機を見て固まった。
「うわ……。値上がってる……」
いつも飲んでいる缶ジュースの値段が違っていた。
あのジュースの分量には似合わない数字が、そこには表示されている……。
物価が上がったとは耳に新しいが、まさかこんなすぐに影響を受けるとは……。
「僕みたいな貧乏人には、厳しい世界だな……。まあ、そのために特待生を目指しているのだが……」
僕がそう呟いたところで、不意に――。
「ふ、ふーん……。あなた、特待生を目指していますのね」
記憶に新しい女の子の声が聞こえた。……自販機の横の隙間から。
「うわあ!? う、梅野さん!? ど、どこから出てくるんだよ!?」
人が一人くらい入れそうなスペースが、自販機と壁の間に空いている。
そこから、ニュッと姿を現したのは、梅野明綺歩さんだった……。
「"梅野様"とお呼びなさいよ。……何回言わせるんですの?」
「ご、ごめん。う、梅野、様……」
何か、この呼び方は慣れないな……。
ただ、そう呼ばないと、梅野さんは納得してくれなさそうだ……。
すると、梅野さんは――。
「ふん! 分かればよろしいですわ。あなたとわたくしの身分の差を弁えなさい」
「身分の差って……。いつの時代だよ……?」
「う、うるさいですわね! とにかく、わたくしには敬意をもって接すること。いいですわね?」
「は、はあ……」
面倒な女だな……。
これは、白石さんとは、また違った方向性で面倒だぞ……。
というか――。
「な、何で、こんな隙間から出てくるんだよ?」
自販機と壁の隙間……。
彼女は、普通なら考えられない場所から登場したのだ。
もしかして、何か目的があってこんな場所にいたのか?
ただ、その目的が思いつきそうもない。……というか、思いつきたくもないな。
すると、梅野さんは――。
「た、ただの偶然ですわ」
「ぐ、偶然?」
頬をピンクに染めながら、どこか白々しい彼女……。
――いや、偶然にしては不自然すぎるだろ!?
そんな僕の心のツッコミなどお構い無しに、梅野さんは話をどんどん続けていく。
「偶然と言ったら偶然ですの! わ、わたくしも飲み物を買いに来ただけですわ! そしたら、あなたが来たから……」
「いや、何で僕が来たからって隠れるんだよ!?」
「ううー、そんなの知らないですわあああ!!」
「意味が分からん……」
もはや支離滅裂だ……。
とりあえず、ギャーギャーとわめく梅野さんを無視して、お目当ての缶ジュースを買う。
しかし、そのタイミングで――。
「あ、あの! じゅ、ジュースくらいなら、わたくしが奢ってさしあげても、いいですわよ?」
梅野さんはそう言ってくるが、もうお金を入れてボタンを押してしまった後だった。
「いや、いいよ。僕みたいな貧乏人でも、ジュースくらいは買えるから」
僕は、落ちてきたジュースを手に取り、少し嫌味っぽく口にする。
すると、梅野さんは――。
「そ、そんなこと言わないでくださいまし! その……。貧乏くさいって言ったのは、謝りますわ……」
あのときの傲慢さが嘘のように、梅野さんはしおらしくなってしまう。
「大丈夫。もう気にしてないから、頭を上げてくれ」
「で、でも……」
「じゃあ、そういうことだから」
「あ、待って……!」
僕は梅野さんの横を通って、足早にこの場を去った。
――その数時間後。
「いけない! 借りてた本、図書室に返すの忘れてた……」
僕は借りていた本を片手に、図書室へと急ぐ。
そして――。
「良かった……。何とか間に合ったな……」
図書委員に返却の手続きをしてもらい、僕は図書室を後にしようとする。
すると――。
「き、きき、奇遇ですわね! あ、あなたも、図書室に用がありましたの?」
「うわあ!? 梅野さん!?」
図書室の出入り口で、彼女とバッタリ鉢合わせしてしまう。
「だーかーらー、"梅野様"とお呼びなさい!」
「ご、ごめんって、う、梅野様……」
最近、やたらと梅野さん……じゃなくて、梅野様と鉢合わせするな……。
さっきの自販機のときもそうだったけど、偶然にしては出来すぎているような……。
まあ、気のせいか。……多分。
そう思っていると、梅野さんが――。
「あ、あなた、読書がお好きですの?」
そんなことを訊いてくる。
「まあ、そこそこだな。……勉強するのに、教科書や参考書だけでは飽きてくるからな」
「ふ、ふーん……。随分と勉強熱心なお方ですのね……」
彼女はそう口にすると、じっくりと品定めするように僕を見つめてくる。
「な、何……?」
「べ、べべ、別に……! な、何でもありませんわ……! あまりこっちを見ないでくださいまし!」
「いや、見てきたのはそっちだろ……」
「ううー……。このお馬鹿……!」
何だか、すっごく気まずいんだが……。
それに、梅野さんは、何か他に話したいようにも見えるが、どうやら言葉に詰まっているようだ。
早く教室に戻りたいが、ちょうど通せんぼする形で梅野さんが目の前に立っているので、先に進めない……。
気まずい空気が流れ、変な汗が出てくる……。
すると、梅野さんが――。
「も、もし、良かったら……。というか、仕方ないから……。どうしてもと仰るのなら、このわたくしが、放課後に紅茶を、ごご、ご一緒してあげても、よ、よろしいですわよ……?」
「……へっ?」
何、その無駄に長い上から目線!?
多分、梅野さんは僕と紅茶を飲みたいようなのだが、何でこんな急に……?
すると、僕の反応を見た梅野さんは――。
「だーかーらー、仕方ないから、このわたくしが紅茶をご一緒してあげるって言ってますのー!」
「いや、意味が分からん……。何で急に紅茶……?」
僕がそう口にすると、梅野さんが――。
「もう、察しなさいよ、このお馬鹿あああ!!」
猛スピードで逃げてしまった……。
「何、あれ……?」
気にしたら負けなのか……?
まあ、いいか……。どうせ、僕のことをからかっているだけなのだろう……。
僕はそう無理やり飲み込んで、ようやく図書室を後にした。
そして、更に数時間後――。
「ふう……。木村先生の手伝いで、体育倉庫に用具を片付けることになったけど、これは結構しんどいな……」
薄暗い体育倉庫に詰められた用具たち。
そこへ、バレーで使用する得点台やネットを無理やり押し込んで、一息つく。
すると、そのタイミングで――。
「き、奇遇ですわね。ここ、こんなところで会うなんて……!」
「うわあああ!! 何で体育倉庫にもいるんだよおおお!?」
体育倉庫に積まれた跳び箱の陰から、梅野さんが姿を現した……。
もはや、どんなところから出てくるんだよ……というツッコミの前に、梅野さんとの遭遇率の高さに驚いてしまう。
これは、もしかしなくても――ストーカーされてる?
僕がそう思っていると、梅野さんは――。
「もう、単刀直入に訊きますわ! ほ、放課後、お時間ありますの?」
そんなことを訊いてくるのだった……。
「悪いけど、放課後は桃崎さんと、テスト対策をするんだよ」
「桃崎さん?」
小首を傾げてしまう梅野さん。
そういえば、彼女は桃崎さんのこと知らないんだったな……。
「あの猫耳のヘアバンドを着けている女子だよ」
僕がそう口にすると、すぐに梅野さんの顔が曇っていく。
どうやら、あのとき口論になったことを引きずっているみたいだ。
「ああ、あの小生意気な猫耳娘でしたのね……」
「そう。……だから、放課後は時間無いんだよ」
僕がそう言うと、梅野さんが――。
「そんなに大事なことですの? そのテスト対策って」
「いや、テスト対策は誰でも大事だよ。特に、僕のような特待生を目指している身分にはね――」
どんな大学の特待生にも受かってみせる……。
その最初の壁として立ちはだかるのが、中間テストだ。
ここで、点数を八割以上キープできないと、近年の学歴向上社会における特待生は厳しいと、木村先生に言われてしまった。
そのことを梅野さんに説明すると、彼女は納得したように何度も頷く。
「そうでしたのね……」
「だから、桃崎さんにテスト対策をしてもらっているんだよ」
「ふーん……。生真面目なことですわね、二人とも……」
僕が桃崎さんの名前を出すと、梅野さんは必ず表情を曇らせる。
よほど、桃崎さんに対して嫌悪感があるみたいだな……。
まあ、あんな口論をした後だから、そこは仕方ないのかもしれない……。
しかし、僕がそう思っていると、梅野さんが――。
「そのテスト対策……。わたくしに任せてもらえませんこと?」
「……へっ?」
急に何を言い出すかと思ったら、梅野さんがテスト対策……?
すると、唖然とする僕に、梅野さんが――。
「何ですの……? わたくしがテスト対策をするのが、そんなに意外ですの?」
「いや、そうじゃなくて……。もう桃崎さんが教えてくれるから――」
「あの猫耳娘よりも……わたくしの方が上手く教えられますわ」
「え……」
食い気味に、自信満々という様子で口にする梅野さん。
もしかして、梅野さんは桃崎さんに対抗しているのか……?
それとも、単なる優等生アピールをしたいだけなのか……。
僕がそう思っていると、彼女は――。
「わたくしなら、各国主要都市の大学卒で、選りすぐりの家庭教師をお呼びして、最新科学の根拠に基づいた徹底的な環境下で、あなたのことを勉強させてあげられますわ」
「いや、そこまでしてくれなくてもいいぞ……?」
「おーっほっほっほ! 遠慮なさらなくてもいいですわよ? 少なくとも、あんな小生意気な猫耳娘よりも、もっと効率よく勉強させてあげられますわ!」
ヤベえ……。何か話がどんどん大きくなっている……。
梅野さんってもしかして、スイッチが入ったら止まらなくなるタイプの人か……?
僕がそう思っている間にも、梅野さんの豪語が続く……。
「しかも、わたくしも幼少期から英才教育を受けていて。それでいて、テニスにおいても優秀で――」
こうして、彼女の自慢話を含んだ豪語は、数時間にも及んだ……。
しかし、このとき、僕は気づいていなかった……。
体育倉庫から立ち去る、一つの人影があったことに……。
その人影は――猫の耳があった。