第二章1「テニス界の新星」
「ラブ、フィフティーン!」
審判のコールがテニスコートに響く。
月森紗玖美にとって、テニスは聳える山……。決して妥協してはならない険しき道だ。
アタシはラケットを握りしめて、相手のサーブと対峙する。
そして――。
「すごいね、紗玖美!」
「まだ入部して数カ月だけど、負け無しじゃん!」
試合に圧勝すると、テニス部の先輩たちが、拍手を送ってくる。
「アタシは、まだ負けるわけにはいかないですから! これからも、どんどん勝ち続けますよ!」
アタシがそう豪語すると、先輩たちが――。
「これは、期待の新星だね!」
「だねだね! これなら、県大会も余裕で優勝できそうだよ!」
褒めすぎだよ……。
でも、この調子なら県大会のみならず、全国制覇も夢では無いかも……。
そう思っていると、さっきの試合相手である梅野明綺歩が、駆け寄ってくる。
その顔は――悔しさで満ちていた。
「どうして毎回毎回勝てませんのー!? わたくしは幼少期からテニスの英才教育を受けてきましたのにー!」
明綺歩は一気にまくし立てると、ムッと頬を膨らませる。
ウェーブのかかった長い桜色の髪。
そして、彼女は試合で外していたトレードマークである"ティアラ"を、手に取って着用する。
「あ、相変わらずだね、明綺歩……」
アタシがそう言うと、明綺歩は――。
「何がですの……?」
すっごく不機嫌そうに、こちらを睨んでくる。
「いや、そのティアラ……」
「ああ、これですの? これは、わたくしが初めてお小遣いで買ったティアラですの。いうなれば、わたくしの"お守り"ですのよ?」
「お小遣いでティアラかー……。やっぱり、お嬢様は住む世界が違うなー……」
さすがは、資産家の一人娘だ……。買い物の次元が違う……。
そう思っていると、明綺歩は――。
「おーっほっほっほ! 羨ましいのでしたら、紗玖美の分も買ってあげますわよ?」
嫌味たっぷりに、明綺歩は高笑いをしてきた。
「いや、いいよ!? だって、アタシ……。そういうの似合わないし……」
仮に買えたとしても、そういったキラキラしたものはアタシには似合わない。
昔、ドレスとか"大人の女っぽいもの"に挑戦してオシャレしたことがあるけど、どれもイマイチだったんだよなー……。
何でだろう……。やっぱり、女の子っぽく無いのかな、アタシ……。
そのことがコンプレックスで、試合に勝ったのに気分が沈んでしまう。
すると、明綺歩が――。
「な、何、落ち込んでますのよ!? 紗玖美は充分に魅力的な女ですわよ! このわたくしが言うのですから間違いないですわ!」
大慌てで、落ち込むアタシのことを褒めてくれる。
相変わらず、単純な女の子だ……。可愛いやつめ。
「ううー……。そう言ってくれるのは、明綺歩だけだよー!」
「わああ!? い、いきなり抱きつくなんて、レディーとして、はしたないですわよ!? は、はは、離れなさい!」
「やだよー!」
こうやって、じゃれ合うと明綺歩は良い反応をしてくれる。
「ひゃ!? さり気なく、わたくしの胸を触らないでくださいまし!」
「ふむふむ、明綺歩はバランス型だなー……?」
そう言ってやると、明綺歩はすぐに顔を真っ赤にしてしまう。
「な、ななな、何を言ってますの!? 女の子同士で、こんなこと……」
「ほれ、ここがええんかー?」
「ひゃあ!? ああっ! や、やめ、て……!」
「あははは!! ごめんごめん!」
さすがに危ない空気になってきたので、彼女から離れる。
そして――。
「……ふう。さっ、明綺歩から元気もらったし、これからサーブの練習だね!」
アタシがそう言うと、明綺歩は目を丸くさせる。
「え、えええ!? まだ練習しますのー!?」
「当たり前じゃん! アタシは全国大会まで負けるわけにはいかないの!」
「ちょ、ちょっと、休憩しませんこと……?」
「駄目! ……ほら、サーブの練習するから、向こうのコートに入って!」
「そ、そんなあああ! あんまりですわあああ!」
そう。アタシの夢はプロ……。こんなところで止まってはいられない。
なので、すぐさまラケットを握り、サーブの練習に入る。
すると、そのタイミングで――。
「ひっついてくるな、二人とも!」
聞き覚えのある男の子の声が聞こえた。
その声の主を探すと、フェンスの向こうに――三藤義弘がいた。
しかも、あの"二人"も一緒だ。
「義弘君、一緒に帰ろ!」
「義弘〜。頭、撫でろニャ~」
そう……。アタシにとっては"恋敵"となる、白石冬音と桃崎莉那だ。
二人は、三藤にベッタリとひっついている……。
羨ましいなー……。あんなにベッタリで……。
アタシは、思わずサーブを打つのも忘れて、三藤たちのイチャイチャを見つめてしまう。
すると、冬音が――。
「帰ったら、お部屋デートしよ?」
そんな甘ったるいことを三藤に言うのだった。
すると、言われた三藤は――。
「な、何だよ、お部屋デートって?」
「読んで字のごとく、お部屋に行ってデートするんだよ! もちろん、義弘君のお部屋でね!」
「あいにく、僕は中間テスト対策で忙しいんだよ……」
「ふふ、嫌って言わないんだね?」
「嫌」
「なんでよー!?」
二人とも、イチャイチャしすぎでしょおおお……!
しかも、今度は莉那が――。
「義弘は、ミーと日向ぼっこするのニャ~」
「だから、テスト対策で忙しいって言ってるだろ……?」
「テスト対策もミーが引き受けるニャ~。だから、日向ぼっこもするのニャ~」
「テスト対策だけ頼むよ……」
むー。三藤のやつ、女の子に挟まれて鼻の下なんか伸ばしてぇ……。もう爆発しろ、お前ら……!
すると、ここで三藤が口にした"あること"を思い出す。
『月森さんはな。馬鹿だけど、色んなものを犠牲にしてテニスをやってるんだよ。だから、悪く言ってやるな……』
その言葉を思い出して、思わず顔が熱くなってしまう。
アタシが三藤のことを好きになった理由……。
それは、三藤にとっては何気ない一言だったんだと思う。
でも、アタシにとっては――人生を変えた言葉だった。
これ言われたのって、アタシが入学したての頃だったよね……。
だって、"勉強音痴"で"馬鹿"だと言われてイジメられてたアタシを、三藤は助けてくれたんだもん……。
「三藤……」
そのことを思い出していると、不意に――。
「紗玖美ー! どこ向いてますのー!?」
ネットの向こうにいる明綺歩が、大声を上げてくる。
しまった、三藤のことに目が行き過ぎて、サーブ練習のこと忘れてた……。
「ご、ごめん、明綺歩!」
改めて、アタシはサーブのフォームを取る。
そして、その間にも、三藤たちは門へと向かっていく。
ああ……。あの三人の中に、アタシも入れたらなぁ……。
でも――。
「いけないいけない……。今はテニスに集中しなきゃ……!」
プロになると決めた以上、この道は曲げられない。
「アタシは"テニス界の新星"……!」
そう自分に言い聞かせて、アタシは心の迷いを絶つ。
そして、渾身のサーブを放った。




