第一章9「この世からの宣戦布告」
――二年前、白石冬音は全てを失った。
その"全て"とは、最愛の存在であった三藤義弘君。
彼とは、友達だった風花を通じて知り合った。
優しくて、頼りになって、ちょっと貧乏くさいところもあったけど、私はそんな彼に次第に惹かれていった。
でも、彼は私のことなんて覚えていないだろう……。
だって、義弘君が好きなのは――風花の方だったから。
『何でよ……。何で、私じゃなかったの……? 私が幼馴染じゃないから……?』
風花と義弘君が、二人で仲良く歩いている姿を見ると、湧き上がってしまうのだ。……ドス黒い感情が。
それに、風花は――。
『ごめんねー、好きな人を取っちゃってぇ』
この女……。
表では清楚っぽい風花だが、裏では私のことを下に見ていた。
風花は人気者で、誰とでも仲良く接する。
でも、それは彼女の表面的な魅力に、何も知らない馬鹿が寄ってきただけだ。
私は、あの白々しい風花の顔面を何度殴ってやりたいと思ったか……。
女の社会なんてこんなものだ……。
上がいれば、下もいる。
私は、完全に下の側の人間だった。
更に、風花は私に追い打ちをかけるように――。
『ごめんね、ふふ……。やっぱり、男の良さは、顔とお金だよ』
これは、私が見た風花の最も醜い場面……。
風花は浮気をしていた。よりにもよって、義弘君と一番親しかった友達――龍弥と。
かわいそうな義弘君……。好きだった風花に裏切られて、更には友達にも裏切られて……。
その後、ショックで日に日に痩せ細っていく義弘君を、私は見ていられなかった……。
だから、私も義弘君も"全て"を奪われてしまったのだ。
――たった一人の女のせいで。
でも、そんな私にとって、大チャンスができた。
それは――。
『風花が……。交通事故……?』
天罰が下ったと思った。
因果応報というのは恐ろしい……。幸せの絶頂にいた風花を、奈落へと突き落としてしまったのだから……。
風花は死んだ。……龍弥とのデート中に、乗用車に二人とも撥ねられて。
憎いことに、風花がいなくなってニヤリとしてしまった自分がいる。
人が死んでしまったのに、喜んでしまうなんて……。私はなんて醜い人間なのだろう。
でも、悪魔が囁やくのだ……。
"義弘君と二人で幸せになって――風花に復讐しちゃえよ"と。
――だから、私は悪魔の誘惑に乗った。
すると、それまで抑えていた感情が、一気に爆発した。
それに、今まで風花にされてきた嫌がらせが、一気にフラッシュバックしてきたのだ。
だから、私は……。復讐の鬼になったのだ。
必ず、義弘君の本物の"彼女"になって、二人で風花よりも幸せになってやる……。
その歪んだ想いを抱えたまま、私は彼の後を追ったのだ――。
―――――
「おい、白石さん。返事をしてくれ」
義弘は、彼女の部屋のドアをノックする。
しかし、応答は無かった……。
桃崎さんと口論になり、白石さんはショックを受けて自室に閉じこもってしまった。
――不思議な気分だった。
今まで毛嫌いしていた女の子に対して、こんなにも必死になっているのは。
少し前の僕なら、白石さんのことを無視していただろう。
でも、彼女をこのまま無視するのは、なんとなくだが駄目なような気がするのだ……。
すると、一緒についてきてくれた月森さんが――。
「三藤、ちょっと聞いてくれる?」
「何だ?」
彼女は真剣そうな顔をしていた。
そして――。
「冬音っちはね……。三藤のこと、本当に好きなんだよ」
「そ、それは、分かってる」
「三藤の本物の"彼女"になりたいって、冬音っち言ってたでしょ? ……あれにどれだけ冬音っちの想いが込められているか、分かる?」
「そ、それは……」
分からない、とは言えなかった。
だって、僕は恋愛を封印したんだ。
そんな不安定な幸せに縋るなら、安定した未来を手に入れて、確実に幸せになった方がいい……。
すると、そんな僕に月森さんは、ニッと明るい笑顔を見せてくる。
「仕方ないよね。だって、三藤も怖かったんでしょ? 恋愛が……」
「そうかもしれないな……」
「でも、それは冬音っちも同じ……」
「どういうことだ?」
僕が訊くと、月森さんは――。
「いつも冬音っちが言ってたんだ。"義弘君、私と一緒にいて、嫌じゃないかな?"って」
「そ、そんなことを……?」
意外だなと思ってしまった。
いつもウザいくらい絡んでくる白石さんなのに、そんな恋に悩む乙女のような繊細な一面があったなんて……。
「多分、だいぶ無理してたと思うよ……。三藤のことで頭いっぱいで、ここ最近は食欲も無かったし……」
「そうか……」
何だか、白石さんのイメージが少し変わった気がする。
でも、冷静になれば、それは考えなくても分かることだった。
彼女だって一人の女の子だ。多感な時期に繊細になってしまうのは、僕らと同じだ……。
「そういえば……。白石さんが言ってたけど、本物の彼女にするのに、月森さんまで一緒に……みたいな話があっただろ?」
僕がそう訊くと、月森さんは少し恥ずかしそうに笑った。
「あー、あれね……。あれは、"男の子は皆、ハーレムが大好き"って冬音っちが言ってたから、アタシまで巻き込まれちゃったわけ……」
「つまり……。僕がハーレム状態で喜ぶと思ったから、"月森さんも一緒に彼女にしちゃえ"って、そういうことなのか?」
「その通り。……まあ、喜んで参加したアタシが言えることじゃないけどね」
「よ、喜んで参加した……?」
あれ……? その話の流れだと、月森さんは自分の意思で、僕のもう一人の彼女になろうとしてたことになるが……。
そう思っていると、月森さんは――。
「あ、えっと……。今のは忘れて……! ただの独り言だから……」
「は、はあ……」
何だかよく分からないが、これで引っ掛かりが一つ消えた。
後は、白石さん本人だな……。
「しかし、このままだと埒が明かないな……。今は一人にしてあげる方が得策か?」
僕がそう言うと、月森さんが――。
「それは多分、冬音っち悲しむよ?」
「そう言われてもな……。応答が無いんじゃ、どうしようもないだろ?」
白石さんだって、今は一人になりたいはずだ。
だから、ここは無理に刺激せずに、熱りが収まるのを待った方が良いような気がする。
すると、月森さんが――。
「……こういうとき、女の子って、刺激的なことを言われたらゾクッとして、戻ってくるんだよ?」
彼女はそう言うと、ウィンクをしてくる。
「え、刺激的なこと?」
僕からすれば未知の領域だ……。
駄目だ……。話を聞けば聞くほど、余計に混乱してきた……。
すると、そんな僕に、月森さんが――。
「三藤にしかできないこと、あるんじゃない?」
「そ、そう言われてもな……」
僕にしかできないこと、か……。
それでいて、刺激的なことか……。
そんなことを言われても、白石さんが戻ってくるような、刺激的な言葉は思いつかない。
「……あっ」
いや……。一つだけあるな……。
でも、これを言ってしまえば、もう後には戻れないことを意味するぞ……。
でも、仕方ない……。
僕の頭では、これしか思いつかなかったから。
これは、僕に本物の"優しさ"を教えてくれた白石さんへの恩返しだ。
だから、僕は息を呑んで、覚悟を決める。
そして――。
「白石さん。その……。もしかしたら僕、白石さんの"復讐"に……協力できるかもしれないぞ?」
とうとう言ってしまった……。
これは、僕が封印してきた"恋愛"というものを、再び解き放つことを意味している。
女は嘘つき……。
でも、僕も嘘つきだ。
だって、恋愛を封印するとか言っておきながら、気になり始めていたんだ。
――白石さんのことが。
これで、後には退けなくなった……。
長い沈黙と緊張感……。
今、僕と白石さんの間には、ドアという壁がある。
――いや、それだけではない。
僕らの間には"風花の呪縛"という壁があるのだ。
あの頃から、僕らを苦しめてきた風花が残した呪いだ。
すると、僕の脳内に、あの言葉が流れてくる。
『ごめんね、ふふ……。やっぱり、男の良さは、顔とお金だよ』
僕は奪われた――恋と友情を。
そして、白石さんも奪われた――三藤義弘という男を。
だから、僕と白石さんは"全て"を奪われたのだ。
――たった一人の女のせいで。
それなら、風花に対して"復讐"したいという白石さんの気持ちも、理解できてしまう。
だから、白石さん……。一人で背負い込むな……!
すると、そう思った瞬間、目の前の"壁"がゆっくりと開いた。
すると、そこから――。
「隙あり! チュ……!」
「なっ……」
僕の頬に感じる艶めかしい唇の感触……。
完全な不意打ちだった……。
これで、四回目だな。さすがに、ここまで頬にキスされると、慣れてしまう……なんてことはなかった。
そのせいで、顔に熱が一気に込み上げてくる。
すると、そんな僕に白石さんは――。
「ふふ、可愛い……♡」
「な、泣いてたんじゃないのかよ?」
「泣いてたよ? でも、泣いてる場合じゃないもん。だって――」
彼女はそこまで言うと、会話を区切った。
そして――。
「本物の"彼女"に、なってくれるんでしょ?」
いつもなら、すぐに拒絶するのだが、今回ばかりはそうもできない。
だから、僕は――。
「し、しばらく考えさせてくれ。僕だって、まだあの頃のトラウマが抜けたわけじゃないんだ……」
慎重になりたいという意味で、そう答えた。
すると、白石さんは――。
「なるべく早く"答え"を見つけてよね? ふふふ……」
「本当に申し訳ない……」
いつものように、彼女は妖しく微笑むのだった。
―――――
義弘と冬音のやり取りを横目に見ながら、桃崎莉那は、自室に戻った。
そして、自分の机の上に積まれた"参考書の束"を見つめる。
「はあ……。先を越されたわ……」
いつもの猫口調ではない私……。
このときばかりは、本当に自分が自分じゃないように思えてしまう。
そして――。
「この参考書……。もう必要ないから、捨てておくわ……。そうでしょ? 義弘……」
参考書の束を手に取り、次に私はこう呟く――。
「本当は、私が先に……渡すはずだったのにね」
切ない気持ちを捨て去るように、私は参考書の束をゴミ箱へ入れた。
そして、ベッドへダイブし、枕に顔をうずめる。
「私の隣に、ずっといてよっ……! 義弘……!」
私はそう訴えると、心置きなく泣いた。
今回ばかりは、冬音に義弘を譲ったが、やっぱり、彼を取られるのは嫌だ……!
――いつか、この想いが報われますように。
もう、自分の気持ちには嘘をつけない。




