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The Ending Note  作者: 四 詢
8/20

8.長崎-2


「...おはようございます。」

「おう。」

 半目でリビングへ向かうとすでに準備万端の領木が、ゆったりとコーヒーを飲んでいる。

 なんでこの人、朝からきまってるんだよ・・・。

 俺は10個ほど設定したアラームの8番目で漸く目を開ける事が出来た。

「そろそろ出るぞ、さっそと顔洗ってこい。」

「領木さん、なんで、朝からそんなに元気なんですか。」

「仕事してたらそうなる。」

「社会人って凄いですね。」

 俺は半目のまま洗面台に向かい、冷たい水を顔面に浴びせる事で強制的に目を開かせた。

 外の景色はまだ真っ暗で深夜の様だが、領木はいつ見ても真昼間のオフィスにいる様に、シャキッとしている。人類は遺伝子で朝型、夜型が決まっているというが、彼にはその括りがないのだろうか。かく言う俺は確実に夜型である。



 車を走らせ領木に案内されるまま港へと向かう。どんどん街灯も無くなっていき、まるで深夜の森の中を走っているようだ。

 港に到着する頃には暗闇が薄まり、周囲が見渡せるようになってきた。

 車を降りると海の香りと湿度がどっと体を包み、海に来たことを実感させた。

「俺、朝日を見るのも海に来るのも久しぶりです。」

「そうか。」

 小舟泊めてあるが、おばあさんの弟の漁師はまだ来ていないようである。海を眺めていると1台の軽トラがやってきた。

「おはよ~。」

 助手席から降りてきたのは加奈恵さんだ。昨日あれだけどんちゃん騒ぎをしたが、彼女も変わらず元気そうだ。

「え、加奈恵さんも来られるの知らなかったです。よろしくお願いします。」

「あれ言ってなかったっけ。義彦おじさんが、今日二人を連れてくって聞いたけんさ、暇だから来ちゃった。」

「俺、釣り初めてなんです。よろしくお願いします。」

 加奈恵さんと話していると、運転席から初老の男性が降りてくる。

「冬弥くん、久しぶりやね。」

「義彦さん、お久しぶりです。今日はお世話になります。」

「はは、相変わらず硬派やね。さあ、どれ位成長したか、腕前を見せてもらおうか。」

「・・・いえ、あっちでは釣りはしてないんです。」

 義彦と呼ばれた老人は、話に聞いていたおばあさんの弟のようだ。雰囲気が少し似ているが、おばあさんの穏やかな気品の良さとはまた違った、漁師ならではの、逞しさを感じさせる。

 領木は義彦と親しげに話しているが、釣りの話題では苦々しい顔をしており、やはり釣りは気が進まないのかもしれない。

「こんにちは。君は、、、」

「領木さんのところで働いています。小日向春といいます。」

「春君、よろしくね。釣りは初めてかい?」

「はい、初めてなんです。」

「うんうん、そうか。でも大丈夫、冬弥君が手取り足取り教えてくれるけん。君は、船から落ちらんければそれでよかけんね。」

「分かりました。」

 義彦が持ってきた、膨張式のライフジャケットや長靴を身に付けて船に乗る。今日は風も吹いていないし、陸にいるときには凪に見えていたのにいざ船の上に立つと、グワングワンと船が揺れている事を感じる。

「わああ!領木さん~~。めっちゃ揺れてます。」

 まだ船に乗り込んでいない領木に助けを求める。

「はっ、情けない。」

 いつもの調子で見下しながら、領木が船に乗り込んでくる。しかし、両足が船につくや否や、領木も同じように、少し船が揺られたところでペタンと静かにしりもちをついて倒れてしまった。

「っくそ。」

「え?!」

 俺が驚いていると、加奈恵がこれ見よがしに領木に茶々を入れる。

「はははは!冬弥君本当に変わってなかやん。バランス感覚なさすぎ!」

「領木さん、だから釣りに行くの嫌がってたんですか?」

「・・・・黙れ。今のはわざとだ。」

 どんな強がりだよ、と突っ込みたいところだが、機嫌を損ねそうだったので抑えた。

「俺、もう慣れてきたんで掴まっていいですよ。」

 領木は顔を真っ赤にしている。そんな姿を見て、申し訳ないが笑みを浮かべずにはいられなかった。



 義彦が船を出し、30分程度揺られたところで、釣りのポイントを探すべくレーダーを操作しだした。俺はその様子が珍しく、隣で船の操縦やレーダーの操作を見させてもらった。

 領木はその間もふらふらとしており、しまいには椅子でもない地べたにへたり込んでおり、そんな姿を見てまた加奈恵さんにばかにされていた。


「よし、じゃあ糸を垂らしてごらん。」

 義彦がポイントを見つけ、釣り糸に餌を付けて釣りの準備をしてくれた。俺は言われるがまま、糸を水面に投げ入れた。

「釣りって、竿を使うイメージだったんですが、手でもできるんですね。」

「色んな釣り方があるけんね。初めは、こっちの方がいいと思って。糸に針がいくつもついてるけん、一度に多くの魚が釣れるとよ。サビキっていうさね。」

「へえ。勉強になります。糸は、いつ引き上げたらいいですか。」

「そうやね、ある程度糸を下ろしたら、手に魚が糸を引く感触があるやろ?そしたら少しずつ手で糸を巻いてみらんね。」

「分かりました。やってみます。」

 しかし、感触といってもなかなか反応が分からない。いつまで待ち続けていると、義彦が俺の手から糸を取ると、するすると巻き始めた。

「うん、来てるね。巻いてみらんね。」

「え、きてます?全然分からなかったです。」

 言われるがまま糸を巻く。確かに糸を巻いていくにつれて何かがかかっている感触がする。そしてそれは、巻き上げるにつれて次第に大きくなる。

「ほら見てみり、2匹かかっとるよ。」

「本当だ!!!やったー。」

 糸を更に巻き取り、ついに釣り上げる。魚は船の中に入ると、元気よくバタバタと跳ねまわった。

「わあ!どうしようどうしよう。すみません、どうしたらいいですか。」

「ははは。こうやってパッと掴んで針を取るんよ。取ったらここに投げる。」

 義彦は、慣れた手つきでパパっと魚から針を取ってしまうと、船の床にある蓋を開け、中にある水槽に放り込んだ。先ほどまで不自由に、床の上でバタバタと跳ねていた魚は、水槽に入った途端、素早く泳ぎまわっている。

 感心してみていたがそれどころではない。あともう1匹が残っている。

「さあやってご覧。」

 義彦が優しく教えてくれたが、出来るだろうか。恐る恐る魚に手を伸ばす。手早く掬い上げるが魚の硬い刃物のような鱗が手に触れた瞬間まるで電気が走ったような衝撃にびっくりして手を放してしまい魚がまた床の上にころがってしまう。

「領木さん~~~~~。」

 思わず領木に助けを求める。しかし領木の方を見ると床に突っ伏したまま顔だけをこちらに向け俺と目が合うと力なくただ首を振るだけだった。

 領木はあてにならないと思いがっかりしていると、ぱっと伸びた手が床の魚を鷲掴みささっと針を外し水槽に投げ入れた。

「あれイサキやね!美味しいよ。」

「一瞬見ただけでなんの魚か分かるなんて加奈恵さん流石ですね。」

「ふふ、伊達に漁協で働いてないよ?でも春君も筋がいいしすぐ慣れるよ。」

「またやってみます。」

 俺は夢中になりながら釣りを続けた。領木も少し揺れに慣れたようで隣で手釣りをしていたが、なぜだか領木の糸には全く魚がかかっていなかった。領木は一言も発さず、どこか虚ろな目で水面を見つめていた。集中しているというより、むしろ力無くぼうっとしているように見えた。


「わあ、領木さん見てください。大きいのがかかってます。」

 糸を引き上げていると大物がかかっているようで領木に自慢をする。

「ふん・・・。」

 領木の目には光が無かった。

 その瞬間、船がひときわ大きな波に揺られた。俺はバランスが取れなくなり、体が大きく船から飛び出してしまった。

「わ、あ、あああ!・・・だめだ!!」

 俺は、何とか船の内部に体重を残そうと踏ん張ったが、修正不可能な程に体が傾いてしまっていた。

 体が倒れ、視界が傾いていく様がスローモーションのように映る。

 先ほどまでぼうっとしていた領木が、目を見開いてこちらに手を伸ばしてくるのもゆっくりと目に映る。俺はその手を取ろうとするも、間に合わず頭から豪快に海に落ちてしまう。

 “バシャーン!!!”

 体が落ちた瞬間、体に付けていた膨張式のライフガードがボンっと音を立てて膨らんだ。おかげで俺の体は簡単に水面に浮かび上がる。しかし、春の海はまだ冷たく、一気に全身が冷やされて心臓に痛みを感じる。

 焦りからパニックに陥ってしまい、浮いているにも関わらず、必死に両手を動かしバタバタと藻掻く。そのせいで、海水が口の中に入り、更にパニックを増長させる。

「おい、春!捕まれ!!!」

 上空から領木の大声が聞こえ、俺は少し冷静を取り戻した。声のする方へ目線を向け、顔をあげると領木が船の淵から必死にこちらに手を伸ばしている。太陽光と波で視界は不良であるが、領木の長く逞しい腕は、薄目でも存在を主張してくれている。懸命に手を伸ばし領木の腕に捕まる。

 突如、逞しい力で俺は持ち上げられた。そして必死に、船の淵に捕まり船の上へ這い上がる事ができた。

「っはぁ、、、はぁ、、はぁ、、、。死ぬかと思った~~。」

 海の中で藻掻いたのと、這い上がるために体力を消耗してかなり息が上がっていた。

「春君大丈夫?!」

 加奈恵と義彦も心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。

「大丈夫です。心配かけてすみません。領木さん、ありがとうございました。助かりました。」

「ふんっ。」

 領木は、船の上が苦手だろうに機敏に動き、助けてくれたが、先ほどの事は何でもなかったかのようにいつもの彼らしく振舞っている。

「とにかくケガが無いようで良かったよ。体も冷えただろうし、もういい時間だから戻ろう。」

「はい...っくしゅん。」

 海風にあてられて、体が一瞬で冷えてしまった。寒さに体が震えだし、くしゃみがでる。少しでも体温を保持しようと体操座りの体制で顔まで屈め縮こまるが効果は薄い。

「おい。」

 目を開けると、領木が自分のジャケットを脱いでこっちに差し出していた。本当の病人は領木であるが、周りには隠していることと、この寒さに耐えられそうになかったのでありがたく受け取る事にする。

「ありがとうございます。」

「春君これも。」

 加奈恵がそう言って、船中からありったけのタオルをかき集めて俺を包んできた。まるで雪だるまのようになり、大分寒さは緩和された。



「海って憧れますけど、やっぱり怖いですね。」

「嫌いになったのか。」

「そこまでじゃないです。来て良かったですよ。」

 体操座りをする雪だるまになった俺のすぐ隣で、ジャケットを貸してくれたから寒いのか、領木も同じようにしゃがみ込んできた。二人並んで海を眺める。行きは揺れにはしゃいでいたが、慣れてしまったのか、それが心地良く感じ始めている。まあ、領木にとっては落ち着かないだろうが。

「なんか、海を見てると自分がちっぽけに思えますね。」

「お前はそもそもチビだ。」

「領木さんから見たら、みんなチビでしょ!俺平均身長ですもん。」

 これだからハイスぺ高身長は。恨めしそうに領木を横目に見る。領木は高飛車な様子は戻っているが、揺れに慣れずに縮こまる姿は、大きな猫の様だ。せっかくの高身長もここでは意味を成さない。そんな彼を見ていると、少し気分が良くなる。

「初めて船に乗ったのに、大海原の上ってなんだか懐かしいというか、来たことがある気分なんですよね。不思議です。」

「お前、変な奴だな。」

「なりません??やっぱり、俺たちの祖先が海から来たからでしょうか。」

「さあな。」

「俺、中学の時に父が亡くなって、生前に希望していた海洋散骨をしたんです。だから、自然とこれまでは海は避けてたんですが、同じくらい憧れもあったんですよね。」

 何故だか分からないが、気が付くと亡き父の話を口にしていた。

 こんなことを突然聞かされる、領木のリアクションが心配になったが、黙ったまま俺の話を聞いてくれている。

「両親はずっと前に離婚してて、その時は縁も切れていたので、母の希望で散骨自体は業者にお願いしたんです。俺はただ、父の遺骨を乗せたボートを見送ったんですけど、だからか、ずっと父は遠くを旅行しているって気持ちで過ごしていました。でも今日来てみて、もっと早く来たら良かったなって思いました。」

「これから行けばいい。」

 領木なりの優しさだろうか。

 それよりも何も、今更だが俺は余命宣告をされた人にこんな話を振るなんてどうかしていたんじゃないだろうかと思えてきた。昔から、思い付きで話始めてしまうところがあったが、ここまで馬鹿だったとは。何とか、別の話題を振ろう。

「海洋散骨か・・・それもいいな。」

 俺が脳内で議論を繰り広げているうちに、領木が名案だとでも言わんばかりにそうつぶやいた。

「......。」

「いや、俺も死んだら海洋散骨にしてもらおうと思ってな。両親とは離縁してるし、俺だけおじいさんの墓に入るのも難しいだろう。うん、、いいな、そうしよう。」

 領木はそう、結論付けるように、最後は独り言のように話していた。

「おい、そんな顔をするな。俺はさらさら死んでやる気はないぞ。ただ人間はいつか死ぬだろう。俺のような完璧な人間は凡人と違ってどこまでも計画性があるんだ。」

「えっと・・・・・。そうですね、誰もいつ死ぬかなんて分からないですし、準備は大事ですよね。」

 成功する人間とはまさしく彼のような人物だろう。俯瞰して物事を見ており、現実的に判断して行動が出来るのだろう。

 こんなに無能な自分はいたって健康で、単に時間を消費するだけで生産性が無いというのに、世の中は本当に不平等だ。これ程、有能な者を早期に連れて行こうというのだから。

 だからこそ、俺は神様なんてものが存在するとは思えないな。

 だって、そうだとしたら、俺のような罰当たりな人間をこの世に生み出さなかっただろうから。

 いや、神様がいるからこそ有能な人間を早く連れていきたがるのだろうか。

***


「わあ、大漁やん!今日はイサキ祭りやね。」

「イサキっていうんですねあの魚。」

 港について水槽の中を確認する。こうしてみると、全然魚の種類について知らなかったと実感する。

「でも、春君が身を挺して釣ったのはアマダイよ。小ぶりだけど高級魚さね~。」

「わあ、あの後釣ってくれてたんですね!やったー身を挺したかいがありました。義彦さん、船に乗せてくれてありがとうございました。」

「また、いつでも来んね。魚も沢山持って行っていいけんね。」

「はい、また来ます!」

「冬弥君、また連れてきてあげんね。」

「はい。ありがとうございました。」

 領木は、礼儀正しくお辞儀をしながらお礼を言っているが、まだ青い顔をしている。

 これだけ船上が向かないのでは、釣りが嫌いになるのも無理はないだろう。不器用ながらも俺に付き合ってくれた優しさを噛み締めた。


 帰りは、加奈恵さんも載せて橘宅へと向かった。

「春君、寒くない?」

 後部座席から、加奈恵さんが心配して声を掛けてくれる。

「はい、大丈夫です。」

 領木が運転しながら、無言で車内の暖房を強めた。気を使ってくれたのか、運転手も引き受けてくれている。不愛想で何を考えているか分からないが、こういう優しさがあるから嫌いになれない。

「本当ににノロマだな、お前は。」

 黙っていればい良い印象で終わるのに、この男は憎まれ口を叩かないと済まない性格をしているらしい。もしくは照れくささを隠そうとしているのだろうか。

「迷惑かけてすみません。」

「ふんっ。」

「でも、領木さんでも苦手な事ってあるんですねえ。」

「ふふっ。」

 俺が領木に茶々をいれると、我慢できなかったのか後ろで加奈恵も笑い声を漏らす。

「俺は漁師じゃない!別に釣りの能力が無くても、何も困らないからな!!」

 そう、強がりながらも、運転している横顔は恥ずかしそうに耳が朱に染まり、眉間には皺が寄っている。そんな彼の様子を見ていると、不意に昨日の卒業アルバムを思い出してしまう。

「そうですね、領木さんは社長様ですもんね。釣りが出来なくても、船の上で生まれたての小鹿ちゃんになっちゃっても全然問題は無いですもんね。」

「春・・・お前、覚えてろよ??」

 領木はぎろりと横目でこちらを睨みつけ、怒りと恥ずかしさで震えながら答えた。俺は、心底彼が運転しており手が離せない事に感謝した。


「でも、海って上から見るのと入ってみるのとじゃ、全然違いますね。落ちた時、めちゃくちゃ怖かったです。」

「分かる。私も、小さい頃は夏場はプールじゃなくて海で毎日のように泳いどったけど、何年たっても海は怖いと思うな。簡単に攫われちゃうけんね。」

「そうなんですね。でも、いつかしっかり準備をして、広い海を泳いでみたいです。魚って陸に上がったらあんなに不自由なのに、一度水槽に入ると鳥が空を飛ぶように素早くてびっくりしました。」

「そうよね。海の中で出会ったら、絶対に魚に触る事は出来んけんね。」

「かっこいいですね。そういえば、領木さんは船の上はダメなのにダイビングはするんですよね。」

「・・・死にたいか?」

「ひぃ。」

「っふん、ダイビングのライセンスも持っている。」

「だ、ダイビングしてみたいなあ!海って神秘ですね。地球の7割が海っていうし、魚になったら世界中旅し放題なんですかね!」

 先ほどの、領木の圧は怖すぎたので忘れよう。

「ふふっ、さすがに生活圏はあるんじゃないかな。」

「確かに、それはそうですね。でもロマンがありますよね。」

「そうね、海について解明されているのはたった5%程度っていうしね。実は、浦島太郎の話みたいに深海に文明があったりして。」

「夢ありますね。」

「最初は大人しい子かと思ったけれど、春君って好奇心旺盛で怖いもの知らずなのね。」

「そうなのかもです。新しい潜水艦のテスト搭乗の募集があったら、立候補したいくらいです。」

「えー、それはもはや自殺行為やない?」

 加奈恵は俺の発言が冗談と思ったのか、笑っていたがもしそんなチャンスがあれば俺は本当に立候補しても良いと思った。能力やスキルが必要であったり、人に迷惑がかかるならば辞めるだろうが、そうでないのならば、死ぬ前に何か新しい発見があるとするなら、それで命を落としても最後に役に立てるし、幸運なことではないのだろうか。

「そういえば、数年前に観光用の小型潜水艦の事故がありましたよね。」

 潜水艦の話をしていた事で、ふと潜水艦の整備不良が原因で乗客乗員全員が事故死したニュースがあったことを思い出した。

「そういえばあったね。あれは胸が痛くなったね。しかも、SNSに搭乗者に対するアンチコメントが殺到しとったとやろ。遺族の気持ちになると、悲しかね。」

「乗っている方がかなりの資産家だったこともあって、批判のコメントが多かったみたいですね。」

「やっかみもあるのかもしれんね。冒険って魅力的やけど、計画を立ててる時が一番幸せなのかもしれんね。」

「でも、俺はいくら人に哀れまれたとしても、自分の人生最後の瞬間にやりたいことが出来たら幸せじゃないかって思うんですよね。不謹慎ですが、一番いい最期じゃないですか。だから、あの事故の被害者も可哀そうとは思えないんですよね。」

 俺の発言に、加奈恵は絶句したように驚いたような顔をして一瞬押し黙った。

 ああ、また俺は群衆から外れた意見を言ってしまっただろう。

「そういう意見も一理あるかもしれんね。考え方なんて、人それぞれだから反対意見があっても自分を貫く強さが必要っさね。」

 加奈恵は、やはり俺より人生経験があり、大人なのだろう。自分とは違う意見であっても受け入れる柔軟さを持ち合わせている。

 ふと隣から視線を感じたが、領木がじっとこちらを見ていたが、何も言わずに運転を続けた。一瞬の彼の表情は、何か物言いたげであったと思ったが、意図は読み取れず領木がそれを言葉として発する事もなかった。



***


「まぁまぁ!春ちゃんぐっしょりして、海にでも落ちたの?」

「実は、そのまさかなんです。」

 俺はまだ乾ききっておらず、ところどころ濃淡ができた服を、より際立たせるようにおばあさんに両手を広げてアピールする。

「あらあら風邪ひくといけんね。早くお風呂に入ってらっしゃい。」

「ありがとうございます。」

 釣った魚の功績を褒めてもらおうと思ったのだが、おばあさんは俺が濡れている事にまず驚いていた。

 風呂から上がると、3人は何やらせっせと作業に打ち込んでいる。

「お風呂いただきました。あれ、皆さん何をしてるんですか。」

「今みんなで鱗とりに励んどるんよ。お隣さんにお裾分けするのにも、下処理しないと逆に迷惑になっちゃうからね。」

「なるほど。俺もやります。」

 やったことが無い為、周りの様子を伺うが、加奈恵は手際よく鱗をとっているのに対して領木は辺りに鱗をまき散らすは身を傷つけるはで散々のようだ。

 だが、これ以上領木の機嫌を損ねないよう茶々を入れるのはやめておいた。

 結局俺と領木は全く役に立たず、ほとんど加奈恵さんとおばあさんがやってくれた。

「すごい!とっても豪華ですね。」

「春君たちが頑張ってくれたけんね。飛行機の時間もあるでしょうからさっそくいただきましょう。」

 刺身やてんぷら、煮つけといった魚づくしのメニューがテーブルいっぱいに広げられている。

「美味しい!!新鮮なお魚ってこんなに美味しいんですね。」

「ふふふ。そんなに急がなくてもまだまだあるわよ。」

 あまりの美味しさに箸が止まらなくなる。領木もいつも通りクールぶった表情を浮かべているが、心なしかいつもよりも箸が進んでいるように見える。

 たった数日であったが、とても濃い時間を過ごすことが出来た。俺にとっても長崎は、既に特別な場所になりつつある。


「大変お世話になりました。」

「おばあちゃん、ありがとう。またすぐ帰ってくるね。どうかお元気で。」

「こっちこそ忙しいのにありがとうね。お父さんも喜んでるわ。私も、あなたの孫を見るまで元気でいなくちゃね。」

 おばあさんは、また目のシワを深めて微笑みかけてくれた。

 しかし、俺が知る限り領木に恋人の影は感じられないし、おばあさんの願いが叶う望みは薄いだろう。

 領木がどう答えるのかと様子を伺うが、またいつもの猫かぶりモードになっており、ただ、「そうですね。」と同意してほほ笑んでいた。

 おばあさんの前に見せる領木と、普段の高飛車な領木、どちらが本物だろうと考えていたが、恐らくどちらも彼自身なのだろう。俺は、ここでの時間を過ごして何故だかそう思った。


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