3.犯罪心理
今学期の選択授業では犯罪心理学の講義を受講する事にした。大雅はというと、昨年落とした必須講義を受講している。その為友人のいない俺は、肩身が狭く一番後ろの端の席に座った。
この講義の講師は細身で猫背気味の初老の男で、瓶底眼鏡をかけておりいつもきっちりとスーツを着用している。そして神経質なのか、いつも講義が始まる10分前にから、右手首に付けたシルバーの腕時計を毎分毎に確認している。そして、時間前に座っている学生たちに対しても席の端から端まで品定めをするかのように目を通している。その背格好からもまるで獲物を威嚇するカマキリを彷彿とさせる。
~♪~
始業のチャイムが鳴る。
チャイムが鳴り終わると同時に講義室の扉が開き、黒髪ボブで色白細身の女子生徒が入ってきた。服装は、黒を基調としており、パーカーにゆったりとしたジーンズとラフな装いであるが、すっと通った鼻筋を活かすようなきちんとした化粧をしている事や、艶のある髪型、シルバーで揃えられたピアスとリングが合わさり韓国のアイドルを彷彿させた。
教授は彼女が入って来るや否や、キッとにらみを利かせ、
「次回からチャイムが鳴り始めての入室は遅刻と同様に扱います。」
と嫌味を口にした。
彼女は教授を一瞥したのち、表情を変えないまま一列目に置かれたレジュメを受け取ると、彼女も一人で受講しているのか、自分が座っている席の2列前の斜めの席の一人分空きがある席に座った。
悪びれる様子が無いところや所作を見る限り、肝が据わっているようだが、社交的ではなさそうだ。
しかし、彼女が教室に入って来てから雰囲気が変化したのを感じる。彼女が若干遅刻ギリギリに入室したからということや、気が強そうに着席したからというだけではなさそうだ。
異様な雰囲気を生み出しているのは、彼女に向けられる周囲の目であった。彼女は明らかに好奇の目にさらされている。
「あれだよ、前話してたの。3年の水瀬萌花。ね、全然分かんないでしょ。」
隣の列の席に座っている男子二人がこそこそと話している。どうやら彼女について話しているようだ。どうやら水瀬という女子は、ちょっとした有名人らしい。更に、その話題はどうやら良いものではなさそうである。
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「このように、加害者Aは幼少期から同級生の給食に洗剤を混ぜるなどの行動を起こしている。児童相談所や警察も動いていたが、その際実施した心理鑑定では異常は見受けられず、突発的なストレスで行動に移したものと思われた。しかしながら、数年後Aは、Aの友人でもあった被害者Bを刃物で刺殺したのち、Bの遺体をバラバラにするという凄惨な事件を引き起こすに至った。
それでは、近くの者同士でグループをつくり、加害者Aの行動の動機について意見交換してください。」
教授は当時高校1年生であった女子生徒が起こした殺人事件の概要を説明を行った後、加害者Aの思考や心理状況についてのグループワークをするよう班分けを促した。
俺は突如グループを作るように、という一人受講生ゴロシの言葉に怯えるも、幸いにも自分と同様に一人で参加していた者4名でグループを作ることになった。
そして、同じく余り者だったあの”有名人”らしい水瀬と同じグループになった。
「そしたら始めようか。まず自己紹介からしよう。俺は、3年の石田。よろしくね。」
「私は2年の柏木っていいます。どうぞよろしくお願いします。」
同じグループになった2人が先に自己紹介を始めた。先に話し始めた短髪のスポーツマンの様な雰囲気をまとった好青年は1年先輩らしい。その彼に続いた、長髪で少しふくよかな柔らかい印象の女子は面識こそないものの同学年のようだ。
座っていた位置の流れとしては、先ほど陰口を言われていた水瀬が自己紹介をする番であり、俺と先に自己紹介した二人は一斉に水瀬に目線を向ける。
「・・・3年の水瀬。よろしく。」
教授に嫌味を言われた時と同じく、ツンと冷たい表情のまま水瀬が挨拶をする。サバサバしていると思った。彼女の話し方は、寡黙というよりも人に干渉されたくないという明確で強い意図が感じられる。
「2年の小日向です。よろしくお願いします。」
俺も挨拶を手短に済ませると、俺たちのグループも議題である、犯罪者Aの心理状態についての議論を進めることにした。
「なるほど、柏木ちゃんは、Aは実は家庭環境や学校での友人関係のトラブルが原因で極度のストレス状態にあったっていう意見だね。」
田中は年上であり、リーダーシップもあるようで、進行役を買ってくれた。
「はい、Aは成績優秀で担任からの評価も良く品行方正な生徒として見られていますし、捜査では家庭環境に問題はないとの結果です。しかし、父親が医者、そして母親が東大卒という事からも日頃からプレッシャーを受けやすかったのではないでしょうか。」
「なるほど。確かに捜査だけでは分からなかった事実があるのかもしれない。でも、少なくともAは、心理鑑定をパスしているよね。ハル君はどう思う?」
「確かに、同級生からのAに対しての評価はごく普通だったとありますし、突発的な行動だったと考えられもしますね。でも、突発的な行動で遺体を解体するのはあまりにも異常ではないでしょうか。」
「生まれながらの殺人鬼それだけよ。」
突如、水瀬が俺の意見を言い終わる前に語気を強めてそう言った。
「おそらく発達障害や脳の異常があって、言ってしまうと、私たちが思う“人間”ではなかったのよ。この世の中に彼女が生きる場所なんてなかっただけ。多分、擬態して生きていたんだろうけど、彼女にとっても楽な事ではなかったはず。」
俺と水瀬以外の2人は彼女の強い発言に一瞬固まった。何とか、進行役をしてくれている石田がフォローするように続けた。
「たしかに、Aは所謂サイコパスやソシオパスと呼ばれる人物だったのかもしれないけど、高い知能がゆえに心理鑑定をパスできたのかもしれないね。これは心理学の領域を超えているかもしれないけど、Aのような人間を更生させる手立てはあると思う?」
「あるわけない。この世のどこにもAのような人間の居場所はないし、A自身も生まれてきた事を恨んでいたはず。肉食動物を草食動物の群れの中で飼うようなものよ。死ぬまで自分の本能を抑えて周囲に擬態できないなら、そんな奴らを炙り出して犯罪を起こす前に消すしかない。」
水瀬はまた強い口調で続けた。
「なるほど、、、。ハル君はどう思う?」
石田は徐々に邪険な雰囲気になりつつあることを懸念したのかまた俺に話を振ってきた。
「確かに水瀬さんのいう事は分からなくもないですが、それなら犯罪者は生きる価値が無いって聞こえますね。」
「そう、そのままの意味だけど。」
「・・・そうですか。でも現状、犯罪を起こす前に処罰するのは難しいですよね。」
「そうね。未然に犯罪者予備軍を見つけられていない、もしくは、見つけても対処できていないのが現実ね。Aも初動で手を打たなくてはいけなかった。」
水瀬が持論を展開すると、ずっと静かにやり取りを聞いていた柏木が独り言のようにつぶやいた。
「Aもそういった意味では被害者かもしれないですね。誰にも本当の自分を理解されない中孤独に生きていたのかもしれない。時代が、国が、環境が違えばもっと違っていたのかもしれない。」
柏木がそう独り言のように弱々しい言葉で呟いた。
「殺人犯の気持ちなんてどうでもいいわ。そんな人間は、生まれてきたことが罪なんだから。」
水瀬がまた冷たく言い放った。
水瀬の意見に対して完全に間違っていると言い切る事は出来ないが、正しいとも言い切れない。そもまま、俺たちのグループのディスカッションは重々しい形で終了した。
講義が終わってからも俺は水瀬の言葉が頭の中でぐるぐると渦巻いていた。
“生まれてきたことが罪”
この世に適応できない人間が罪だとするならば、この世から逃げ出そうとする人間も罪なのだろうか。そうであるなら・・・・
「それでは、来週は今のグループで発表してもらいます。各人はレポートの提出を忘れないように。」
まさかの来週以降もこのグループで作業をする必要があるようである。他の2人は社交的で当たりだが、水瀬はどうやら強い思想の持ち主の様で先が不安である。
「来週からもまた一緒みたいだね。課題の事で相談もあると思うし今のうちに連絡先好感しておこうか。」
石田の様なリーダーシップのある先輩がグループにいてくれて良かった。彼のようなまとめ役がいなかったらどうなっていた事だろうか。
「そうですね。これ、自分のです。」
「よろしくお願いします。」
「よろしく。」
「みんなありがとう。そしたらグループ作っておくね!来週から共同の課題もあるみたいだし頑張ろうね。」
この講義は石田のおかげでなんとか乗り切れそうである。
連絡先交換も済ませおえたところで、講義が終了して出ていく人並みを逆らって一人、こちらにずんずんと向かってくる者がいる。
「ハル~~~。終わったよ~~~~~。」
自分の講義が先に終わった大雅が迎えに来たようである。大雅は向かって来るや否や、俺たち4名がスマホを構えて集まっているのを見ると、連絡先交換をしていたことを察したようであっ、という顔をした。
「すいません。」
なぜか俺が誤る。
「ううん。そしたらまた来週ね。」
大雅が来たことを皮切りに解散の流れになりそれぞれ講義室をあとにした。