私の婚約者は「自分で考えろ」と「勝手なことをするな」をよく使う
風が心地よい午後、教会で婚約式が行われていた。
大勢の出席者に見守られ、司祭の前で貴族の令嬢と令息が向かい合う。
令嬢はアリナ・アスール。肩の長さほどのハネのある栗色の髪、服装は青い薔薇の意匠を施された空色のドレス、目元はパッチリしており、どこか小動物を思い起こさせる愛くるしさを漂わせる。
令息はレイモンド・ブルム。金髪で琥珀色の瞳、顔立ちは彫刻のように整っており、容姿に見合う才知を誇る。しかし、表情は硬く、笑顔を見せない。石を彷彿とさせるグレーのスーツを着こなしている。
アスール家は子爵家、ブルム家は伯爵家。互いにメリットがあるからこそ交わされた婚約であり、極めてオーソドックスな政略結婚である。
司祭の進行の元、式は粛々と進む。
「私アリナ・アスールは婚約を誓います!」
「私レイモンド・ブルムは婚約を誓います」
アリナは嬉しそうに微笑むが、レイモンドは終始笑顔を見せなかった。
アリナはレイモンドに対し、スーツの色も相まって「石のような人だ」という印象を受けた。
婚約式が終わり、アリナとレイモンドは教会の中庭で二人きりになる時間を設けられる。
相変わらずほとんど表情を変えないレイモンドに対し、アリナは持ち前の明るさでこう切り出す。
「レイモンド様、私を愛して下さいますか?」
レイモンドは淡々と答える。
「……自分で考えてくれ」
“愛する”でも“愛さない”でもなく“自分で考えろ”。
二択問題に無理矢理三択目を作るような、答えになっていない回答だが、アリナは笑顔で返す。
「分かりました! 自分で考えます! じゃあ、私を愛して下さる、ということで!」
レイモンドはちらりとアリナを見る。表情は変わらない。
「ああ、それでいい」
アリナは両手を嬉しそうに握り締める。
「やった! では私もレイモンド様を愛します!」
レイモンドは返事をしないが、アリナはさらに続ける。
「それじゃ、私とレイモンド様はものすごく愛し合っていると、私の友達に言いふらしてしまってもいいですか!?」
これにレイモンドは――
「勝手なことをしないでくれ」
――とピシャリ。
アリナは素直にうなずく。
「分かりました、やめておきます!」
二人は中庭を出て、この日はこのまま別れる。
婚約式当日の男女のやり取りとしては、百点満点中何点ぐらいのものなのか――いささか採点が難しいところである。
***
この国では貴族の婚約から結婚までの期間は半年、というのが一般的である。
その間は男女として交際を重ね、絆を深めることになる。いわば結婚に向けての助走段階といえる。
アリナとレイモンドも慣例にならい、週に一、二度ほどの頻度でデートを行う。
王都内の並木道を歩く。
アリナは笑顔で、レイモンドは特に感情を出さない真顔で、木々を見つめる。
「どの木も緑が生い茂ってますね」
「ああ」
「植物っていいですよね。見ているだけで気持ちが洗われるっていうか」
「そうだね」
ほとんど会話は弾まない。
とはいえアリナは気にする様子もなく、話題を振り続ける。
「木といえば、木にできる食べ物ってどれも美味しいですよね! リンゴとか、桃とか、ミカンとか……」
レイモンドは話題に乗ってこない。
「レイモンド様は何かあります? 木にできる食べ物で好きな物……」
「栗かな」
「栗! いいですね~、ほのかな甘みがあって美味しいですよね!」
「……」
やはり会話のキャッチボールにはならない。
だが、アリナは笑顔のまま、レイモンドに振り向く。
「緑を見てたら、なんだか踊りたくなってきました。ちょっと踊ってもいいですか?」
レイモンドはぼそりと答える。
「自分で考えてくれ」
「はいっ! じゃあ踊ります!」
アリナは並木道で踊り始めた。
手を振り、腰を振り、実に楽しそうに踊る。
レイモンドは立ち止まり、アリナの踊りをじっと見ていた。
さらにアリナは――
「よっと!」
ドレス姿であるにもかかわらず、後方に宙返りを決めてみせた。
さすがのレイモンドも目を見開いた。
「やった! 今のどうでした!?」
レイモンドはアリナに近づく。
「頭を打ったらどうするんだ。勝手なことをしないでくれ」
「は……はい! ごめんなさい!」
***
またある時のデートでは、二人は公園を歩いていた。
公園内には小さいが池もあり、その周囲で数人の子供たちがワイワイと遊んでいる。
アリナはそんな彼らを物欲しそうに見る。
「あの、レイモンド様」
「なんだい?」
「ちょっと池の方に行ってきてもいいですかね? あの子たちが楽しそうで……」
「自分で考えてくれ」
「では、行ってきます!」
許可を取れたと判断し、アリナは池の方に向かう。
レイモンドは池や子供たちに興味はないのか、ついていくことはしなかった。
アリナは子供たちに話しかける。
「何してるの?」
「水遊び!」
「ここさ、魚やザリガニもいるんだぜ!」
「とても楽しいよ!」
アリナはしばらく池で遊ぶ子供たちを眺めていた。
その時だった。
「うわぁっ!」
一人の子供が池に落ちた。
「大変!」
アリナは迷わず池に飛び込むが、その子供はあっさりと自力で池を出てしまった。
結果、アリナはただずぶ濡れになっただけだった。
「いやー、濡れちゃいました……アハハ……」
笑いながら、アリナが池から上がる。
レイモンドはハンカチを差し出しつつ、こう言った。
「勝手なことをしないでくれ」
「はい……」
二人は最寄りの民家に向かい、きちんと体を拭けるタオルとアリナの仮の服を借りるのだった。
***
ある日のデート、二人は昼食のためレストランに入った。
白身魚のソテー、甲殻類のスープ、新鮮なサラダなどを堪能する。
一通り食べ終わると、アリナが一言。
「あの、デザートも頼んじゃっていいですかね?」
レイモンドはハンカチで口を拭きながら答える。
「自分で考えてくれ」
「分かりました! じゃあ頼んできます!」
アリナは立ち上がり、店員の元に向かう。
やがて、店員がマフィンとモンブランを運んできた。
どうやらモンブランは自分用だと気づいたレイモンドは怪訝な表情をする。
「このモンブランは?」
「レイモンド様の分も頼みました。以前“栗が好き”とおっしゃっていたので」
レイモンドは顔を背ける。
「勝手なことをしないでくれ」
「す、すみません!」
アリナはうかつなことをしたと反省する。
ところが、レイモンドはフォークを手に取ると、モンブランをパクパク食べ始めた。
瞬く間に完食してしまった。
自分が勝手に頼んだものを、しっかり食べてくれたレイモンドに対し、アリナは感謝の眼差しを向ける。
レイモンドはやはりあまり感情を表に出さず、唇をハンカチで拭いていた。
***
アリナはレイモンドを邸宅に招き、紅茶を淹れていた。
「どうぞ」とティーカップを差し出す。
レイモンドは紅茶を一口飲む。
アリナはドキドキしながらそれを見守る。
レイモンドはティーカップを置く。そして、もう一口、二口と紅茶を飲む。
「お味はいかがですか?」
「自分で考えてくれ」
「えーと、美味しいということでいいですか?」
「まあ、それでいい」
「やった!」
アリナは拳を握る。
「私、紅茶には自信があるんですよ。将来的には自分で作ったブレンドを商品として出したいな、と思ってまして……」
「……」
レイモンドは無言で紅茶を飲む。
「あ、そうだ。商品名も決めました!」
「ん?」
「『アリナとレイモンド様のラブラブブレンド』という名前で売り出します!」
レイモンドは眉をひそめた。
「勝手なことをしないでくれ」
即答されたので、アリナはふふっと笑った。
「冗談ですよ、冗談」
レイモンドはそれに不機嫌になるでもなく、上品に紅茶を飲み続けた。
***
アリナとレイモンドの交際はひとまず順調だった。
ところが、婚約期間もあと一ヶ月ほどという頃、事件が起こる。
アスール家の不祥事が発覚したのである。
当主であるアリナの父は王国から受け取っていた公金を、演劇鑑賞や美術品の購入に使っていた。紛れもない横領であり、アスール家は処分を受けることになった。
かろうじて爵位剥奪こそ免れたが、領地の大半は没収。アスール家は“名ばかり貴族”といっていい状態になってしまった。
処分や騒動が落ち着いた頃、アリナとレイモンドは夜の公園で二人きりで会っていた。
アリナから呼び出したのだ。
「来て下さいましたね、レイモンド様」
アリナはコバルトブルーのドレスを着ていたが、夜の闇も相まって、どこか喪服を思わせる雰囲気を纏っている。
実の父親が不正をしていたということで、その表情は暗く、いつもの明るさは微塵も感じられなかった。
一方のレイモンドはいつも通り、グレーのスーツを着ている。表情も真顔である。
アリナはぐっと口元に力を入れてから切り出す。
「私との婚約を……解消して頂きたいのです」
レイモンドは答えない。
「なので、あなたとの関係を、今日限り……ということにしたいのです」
レイモンドはやはり答えず、アリナもうつむいたまま、長い沈黙が続く。
やがて、レイモンドの唇が開く。
「婚約の破棄にはそれなりの理由がいる。それを伺いたい」
「はい。私の父は公金を横領し、アスール家は陛下から処分を受けました。領地の殆どを没収され、今やかろうじて貴族という風体です。そんな状態で私とレイモンド様が結婚しても、レイモンド様が得られるものは何もありません。だから、婚約を解消したいのです」
答えをあらかじめ用意していたかのように、すらすらと述べる。
レイモンドの表情は変わらない。
「それは、自分で考えたのかい?」
「……もちろんです! 両家の今後のことを考えて……」
「そうじゃない」
「え?」
「君は私と結婚したいか、したくないかを聞いてるんだ」
アリナは答えに詰まってしまう。
「勝手なことをしないでくれ」とレイモンド。
息を呑むアリナ。レイモンドは続ける。
「私は……幼い頃から、自分の本心をそのまま出すのが苦手だった。それを恥ずかしいと思ってしまう人間だった。例えば欲しいオモチャがあっても、両親に素直に『あれが欲しい』とは言えず、“察してくれ”とばかりにオモチャを眺めたり、遠回しにねだってみたり、そんなことばかりしていた。当然、買ってもらえないことが多かった。そして、それは仕方ないことだと思っていた。本心を言えない自分が悪いのだから、それぐらいの代償はやむを得ない、と認識していた」
珍しくレイモンドが多弁になったかと思えば、初めて聞く身の上話が始まる。
アリナはきょとんとしてしまう。
「この性格は……おそらくずっとこのままだろう。そんな私だけど、今は……今だけは思い切って、本心を告げようと思う」
レイモンドはまっすぐアリナを見据える。
「私は……君を愛している」
アリナは目を見開いた。
「婚約式の時、君の『愛してくれますか』の問いに私は『自分で考えてくれ』と言ったね。あれも素直に愛するとは言えず、“察してくれ”という合図だった。そんな私に君は愛想を尽かすこともなく『愛して下さるということで』と返してくれた。あの時は本当に嬉しかった。その後、皆に言いふらすと言い出した時はさすがに焦ったけどね」
レイモンドがかすかに笑む。初めて見る顔だった。
「並木道でデートしていた時、木々の緑に誘われて踊り出した君に、私の胸はときめいた。ダンスする君があまりに眩しくて、鼓動が速まった。私とてこれまで数多くのダンスを見てきたが、あんなことは初めてだった」
「え……」
「宙返りをした時はヒヤッとしたけどね」
「ドレスで宙返りはさすがに危なかったですね」
レイモンドの独白は続く。
「公園の池で、子供のために迷わず飛び込んだ君を見て、なんて素敵な人なんだろうと思った。私が“栗が好き”と言ったことを覚えていて、私のためにモンブランを頼んでくれていた時は、本当に感激した。君の淹れてくれた紅茶は、毎日飲みたいと思うほどに美味しかった」
今までのデートを振り返り、心底楽しかったと語る。
アリナは頬を赤らめる。
「私の人生は貴族として約束された道、石のような道を歩くものだと思っていた。頑丈に舗装されているけど、横道に逸れることは許されず、彩りも少ない道……だが、そんな私の道に君という花が現れた。その花はあまりに鮮やかで、朗らかで、瞬く間に私を魅了した」
アリナを“花”に喩える。
「だから……私は君と結婚したい。君と別れたくない。君は……どうだい? 答えを聞かせて欲しい」
レイモンドに真剣な眼差しで見つめられ、アリナの目から不意に涙がこぼれた。
「私も……ずっと一緒にいたい! レイモンド様と結婚したいです!」
レイモンドの胸の中に飛び込む。
「ありがとう……」
そのままレイモンドはアリナを抱きしめた。強く、優しく、そして全てを包み込むように。
……
二人は公園のベンチに並んで座る。
「さっきレイモンド様、自分は石の道を歩いてるようだって言ってましたよね」
「ああ、そうだね」
「実は私がレイモンド様に抱いた最初の印象がそれだったんです。“石みたいな人だな”って」
「……」
黙り込むレイモンドを見て、アリナは失言をしたと焦る。
「あっ、ごめんなさい!」
レイモンドは首を横に振る。
「いいや、嬉しいんだ。君が本当に正確に私のことを見ていてくれたことが」
「レイモンド様……」
アリナは夜空を見上げる。
「ですが、レイモンド様と私の結婚、おそらくレイモンド様のお父様は反対なされますよね」
「だろうね」
レイモンドは淡々と答える。こういう時、気休めを言わないのがレイモンドの気質である。
「だが、父は私が説き伏せてみせる」
不安そうなアリナに、レイモンドはこう言った。
「大丈夫。私に任せてくれ。なにしろ“石”は熱せられると、ものすごく熱くなるものだからね」
婚約者の力強い言葉に、アリナも自分の全身が火照るのを感じた。
***
二人はその足でブルム家の邸宅に向かう。
リビングのソファで、黒檀のテーブルを挟んでレイモンドの父と対峙する。
そして、結婚することを改めて打ち明けた。
「悪いが、そうはいかんな」
レイモンドの父は露骨に不機嫌そうな顔つきで告げる。
「今アスール家と繋がりができれば、メリットがあるどころか、余計な荷物を抱え込むだけだ。そんな縁談を進めることはできん」
不祥事を起こした家と結びつくことなどできない。一家の当主としては健全とすらいえる判断である。
やはり無理かとアリナはうつむくが、レイモンドはまっすぐ父を見据える。
「メリットなら、あるさ」
「なに?」
「私は大好きなアリナと結ばれることで、自分の力を最大限に発揮することができる。アリナも記憶力やいざという時の決断力に長けた令嬢だ。必ず私の支えになってくれる。私とアリナの二人三脚で領地経営や事業拡大を行えば、ブルム家は空前の発展を遂げることになるだろう。これがメリットでなくてなんだと言うんだい?」
父親に“大好きなアリナ”と堂々と言ってのけるレイモンド。
アリナですら驚いてしまう。
「冗談を言ってるのか?」
レイモンドの父は苦笑するが、レイモンドは即座にこう返す。
「私が冗談を言うような人間に見えるかな」
レイモンドの父は黙り込む。実の父親だからこそ分かる。この息子が冗談など言うわけがない。あまりにも説得力がある言葉だった。
そして、息子の決心を変えることはできないと悟った。
「お前の器量ならばわざわざ私に報告などせず、結婚を強行してもよかっただろうに、なぜアリナ嬢を連れて報告に来た?」
レイモンドは答える。
「私は自分自身で考えたことをきちんと父上に伝えたかったからね。それに勝手なことはしたくなかった」
この瞬間、隣に座るアリナはなぜレイモンドが「自分で考えろ」と「勝手なことをするな」をよく使うのかが分かった気がした。それは彼自身の信念でもあったのだ。
レイモンドの父はふっと笑う。
「分かった、好きにするがよい。アリナ嬢、こんな息子だが……どうかよろしく頼む」
アリナは元気よく「はい!」と応じる。
アリナとレイモンドの結婚は認められた。
若い二人が退席した後、レイモンドの母が夫に紅茶を淹れる。
「今の気分はいかが?」
レイモンドの父は紅茶を一口飲むと、短く息を吐く。
「息子が自分を越えていくというのは少し寂しいし悔しいが……決して悪い気分ではないな」
その後、アリナとレイモンドは当初の予定通り結婚。
アスール家を、いやアリナを見捨てない決断をしたレイモンドに、世間は大いに驚いた。中には没落した家に情けをかけることで名声を得ようとする偽善的な行為だと批判する者もいた。
だが、レイモンドはそんな喧騒は気にせず、石のように堂々と構えていた。
***
年月は流れた。
レイモンドは父親への宣言を有言実行してみせた。
アリナの支えを受けつつ、領地経営や事業拡大に尽力し、ブルム家は彼が結婚する以前と以後とでは明らかにステージが違うといえるほど大きく成長した。
さらにアリナの実家であるアスール家にも支援をし、その再興に力を貸した。
レイモンドの能力や影響力は、今や王家やそれに準ずる名門貴族にも一目置かれるほどになっている。
アリナもまた、自分で作った紅茶ブレンドを商品化し、その才能を世に知らしめた。
一般的に考えれば悪手だった両家の結婚は、両家に大きな利益をもたらす“大正解”となった。
やがて二人は一児をもうけた。名前はロイク。
父譲りの金髪と端正な顔立ちと、母譲りの明るい気質を持ち合わせた男子に成長する。
ある晩の食卓で、ロイクはこんな質問をする。
「ねーねー、パパとママは愛し合ってるの?」
アリナは得意げな表情で答える。
「私はもちろんパパを愛してるわ。あなたはどう?」
レイモンドは本を読みながら顔も上げずに答える。
「自分で考えてくれ」
アリナは笑う。
「ロイク、パパがこう答えてくれるってことは“愛してくれてる”ってことでいいのよ」
「うん、そうだね! パパ、はっきりと自分の意見を言えないところあるからなぁ」
幼い息子に何もかも見透かされており、レイモンドはバツの悪そうな顔をする。
「あ、そうだ! 今度友達にウチのパパとママは毎日ラブラブですって言っちゃおうかな!」
「あら、いいわね。どんどんやってちょうだい」
二人の思いつきに、レイモンドはたまらず口を挟む。
「勝手なことをしないでくれ」
レイモンドは顔を覆い隠すように本を持ち上げ、その耳はほのかに赤く染まっていた。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。