喪服を纏った公爵令嬢のその後
カルナ・リンツァは公爵令嬢である。
その美貌と才覚によって王太子の婚約者となったのは十歳の頃だが、十六歳の今。
彼女は喪服を纏っている。
なぜか。
婚約者が死んだからである。
王太子が死ぬなど滅多とないことだが、彼は王侯貴族の通う学園に通うようになって変わってしまった。
男爵家の庶子と恋に落ち、カルナと距離を取るようになったのだ。
カルナとしては元々愛着も何もない、政略上結婚せざるを得ない男だったので、特に何もしなかった。
身分が低すぎる愛人を持つことは問題だが、王家がそれをよしとするのなら従うのみ。
故に、二人の邪魔になることもなく、淡々と日常を過ごしていた。
カルナは二人がどのように過ごしているか知らなかった。
クラスメイトと親しく過ごし、勉学に励み、放課後は王太子妃となるための勉強をしていた。
休日とて半日ほどは休んでいられるが、午後からはやはり王太子妃に必要な勉強が待っている。
以前であれば午前中に王太子との交流があったが、没交渉となったので十歳以来の自由時間を楽しんでいたのだ。
で、ある日。
王宮での勉強を終えて帰宅し、晩餐を囲んでいたところに王宮よりの急使が到着したのだ。
ちょうどデザートを食べ終えたところだったカルナは彼の対応をしたのだが、放課後に庶子と外出していた王太子が庶子ともども殺されたのだという。
あらまぁ、と。
それしかカルナは言わなかった。
内心では「ずいぶん時間が掛かったのね」と続けていたが、高度な教育を受けた彼女はさすがに声には出さなかった。
元々、王家の求心力は落ちて久しい。
現在の王は愚王である。
それでも政治が崩壊しきっていないのは、宰相を筆頭とした家臣や文官たち、そして王妃が尽力しているからだ。
激しい浪費を重ね、贅を尽くそうとする王を諫め、なんとか増税をしないでいいように努めてはいるが、凄まじい速度で国庫が消耗されていっている。
建国以来六百年、王家が積み重ねてきた財を、たった一人の王が食いつぶそうとしているのだから大概である。
その息子である王太子も、王妃の努力虚しく、顔面こそ整っているが中身は王の生き写しであった。
故にカルナには優秀さが求められた。
七つ年下の第二王子は当時の王太子どころか、現在の王太子よりも優秀だったが、それが鼻につくと王は嫌っている。
故に。
彼は王子としての教育こそ受けさせてもらえているが、王太子にはさせぬとばかりにその手の教育は受けさせてもらえていない。
まあ、王太子は、王太子教育をサボりまくっていたのだが。
そういった事情もあって、王太子は常に命の危機があった。
しかし王が、近衛騎士を多く配属させて守っていたのだ。
だからこれまでは問題なかった。
しかし、王太子は、近衛騎士の守りがあっても尚難しい場所に出向くようになってしまった。
庶子が好んで行きたがったのは王都の平民街である。
慣れ親しんだ空気で、肩ひじ張った振る舞いが逆に疎まれる環境を彼女は好んだ。
しかし、王侯貴族が紛れ込むには適さない。
近衛騎士とて雑踏の中にエアポケットを作れるほどの人数が配置されていたわけではないのだ。
そして何より、庶子と王太子が訪れるようになって半年ほど経過しても、何事も起きなかった。
だから周囲も油断していたのだろう。
少し通りを外れた場所にある、行きつけになった、ちょっと小洒落たカフェ。
勿論貴族向けの店と比べればランクは格段に落ちる。
しかし素朴な味の良さというものを知った王太子は、庶子ともどもそこを気に入っていた。
その店に行くために、通りを外れて人通りが格段に少なくなった道を歩いていた時だ。
近衛騎士の十倍以上の人数のごろつきが彼らを襲撃した。
近衛騎士たちは善戦した。
しかし、二人を逃がすことも出来ず、命を散らした。
そして庶子と王太子も害され、身ぐるみ剝がされてポイ捨てされたのだ。
それを家の中からこっそり見ていた平民が事後になって通報したことで、二人の死亡が判明したのだ。
ごろつきたちは「この辺りでは見ない顔」としか言えぬ顔立ちと服装でしかなかった。
こっそり見ていた程度だし、全員が激しく動いていたのだから、瞳の色だの個々のしっかりした特徴だの、分かるわけもない。
彼らは身ぐるみ剥がしたらさっさと通りの向こう側――賑わっている方へ去っていったという。
まあ、カルナはごろつきたちの主が誰かなど、見当はついている。
王太子に王になって欲しくない人々のいずれか、あるいは複数なのだろうな、と。
ある程度の家格なら私兵を持っていることも珍しくないし、そうでなくとも裏と繋がりがある。
近衛騎士は手練れではあるが、一人で十人だの二十人だのを相手取る戦いは覚えていない。
しかも連携して向かってくる集団を、咄嗟に捌くだなんて訓練は受けていないのだ。
ご愁傷様。
それがカルナの気持ちだった。
勿論王太子と庶子には何も思っていない。
あんな盆暗と淫売を守って死ぬハメになった近衛騎士たちに向けてである。
カルナだったらとっとと見切りをつけて、二人を見捨ててとんずらこいている。
増援を呼ぶとか何とか言って、衛兵の詰め所に行けばいいだけなのだから楽なものだ。
まあ、咄嗟で、素人相手ならと判断を誤ったのが運の尽きだ。
「それで、わたくしはどうなりますの?」
「王太子殿下がお亡くなりになられた以上、一か月は喪に服していただきたく」
「一か月でよろしくて?」
「はい。王妃陛下からはそのように伺っております」
王ではない。
使者も、王は嘆き悲しんでいるばかりで、何一つしていないことを分かっている。
しかし王妃が実質の王だというのは周知の事実。
故に、そのように伝えた。
「分かりましたわ。学園には休学届を出します。
その上で家で殿下の安らかな眠りを祈っております」
「では、その旨、陛下にお伝えします」
「ええ、よしなに」
使者が帰った後、晩餐を終えた家族に話を伝え、カルナはもう詰め込み教育を受けなくていいという満足感の中ぐっすり安眠した。
ひと月の間、彼女は喪服を着ていたが、家族は次の婚約のために手続きを済ませてくれた。
この事態を予想していた、あるいは事が起きずともこうなるよう仕向ける予定だった家は、カルナを狙っていたのだから、その家々に話をするだけでよかった。
こっそりと令息たちの釣書が届き、両親が実際のところを伝手を使って調査する間、カルラはそれはもう怠惰に生きていた。
形式として喪服は着なければならない。
なので喪服に見えるデザインの黒一色なワンピースを着て昼寝をしたり、ゴロゴロしながら娯楽本を読み漁ったり。
時には弟のダンスの練習相手をしたりもしていたが、基本的にネチネチゴロゴロしていた。
喪服は着ていたが、肉類魚類はバッチリ食べていたし、おやつも食べていた。
カルナは元々大人しい少女などではなかったし、勤勉でもなかった。
ただ、元々の素質として、勉学に優れていたに過ぎない。
一般的に神童と呼ばれる子供たちのように、ある程度の年齢を過ぎたら平凡に落ち着くような存在でなく、優秀さが加速度的に増していくモノホンであっただけだ。
本来の気質はこのひと月から分かるように、怠惰である。
しなくていいことはしない。
これは王太子と庶子が親しくなっていく過程でも分かる通り。
そして情緒が育っていない。
顔だけは一級品だった王太子に欠片ほども愛着がなかったことから分かる通り。
ただ、貴族の娘としてはある意味向いている。
怠惰であるために、彼女は必要なことはさっさとやって怠ける時間を作ろうとする。
邪魔が入らぬよう完璧に仕事もこなす。
そして余計なこともしない。価値がないからだ。
結婚に関しても、情緒の関係で愛だの恋だのを気にしないから誰が相手でも不満は言わない。
余程人間性に難があるなら不満に思うかもしれないが、子作りの時だけ我慢すればいいだけの話だと割り切るだろう。
故に。
彼女は次の婚約に関しては両親に完全にお任せで、限られた時間を余すことなく味わい尽くした。
この数年ほどは自由な時間などほとんどなかった反動である。
メイドたちは湯あみさえサボろうとするのを宥めすかして毎晩浴室に連行していたし、いっそ黒いネグリジェを買えば着替えなくていいのでは?などとホザくカルナに却下をし続けた。
何分、彼女が本当にやると言ったら命令は聞かなくてはならない。
喪服に見えるがリラックスするのに最適なワンピースはせめてもの抵抗だったのだ。
そんなカルナの嫁入り先として選ばれたのは、ジェント侯爵家だった。
繊細な運営を必要とする難しい領地を持ち、社交シーズンも一週間王都にいればいい方。
大事なのは治水の要でもある領地をきちんと治めること。
そして豊かな水量で以て作られる特殊な農産物を絶やさないこと。
そのために当主は常に領地を駆けずり回り、学者と治水に関する議論を重ね、時には自ら貯水池やダムの様子見をしてその時々の事を決める。
当主の補佐として、また家の中のことを統治する女主人として、カルナは最適である。
怠惰ではあるが仕事に関してはぬかりなく、また人を見る目も十分にある。
学術は一度学べば十覚えるような天才なので、当主や学者連中とも話は可能だ。
嫁ぐまでの間に一通り学んでおけばまたとなく役立つだろう。
他の家を押しのけてジェント家が選ばれたのは、偏に優秀な嫁が来ないと領地が危ういと拝み倒されたからである。
国の北部から西部にかけて、ジェント侯爵家の治水に依存する領地ばかりがある。
リンツァ家は東部地方に領地を持つのであまり関係はないが、しかしジェント家の産出するコメを使った料理は好ましいと思っている。
カルナも、月に一度か二度出されるパエリアが好物だ。
そんなわけで、二人は喪が明けて早々に顔合わせをした。
ジェント侯爵家の跡継ぎは、カルナの予定に合わせて王都に来ていたので。
「初めまして。カイン・ジェントと申します」
「カルナ・リンツァでございます」
「この度は話を受けていただき、感謝の極みです。
あなたの望む生活を守るよう努力いたします」
如何にも真面目そうな青年は、緊張しているようで堅苦しい喋りを崩さない。
どちらかというと、というか完全に学者タイプのようで、騎士とは違って筋肉が多くついているようには見えない華奢と言っていい体格をしている。
しかしカルナとしては、厳つい男は苦手である。
自分を抱き上げて欲しいとかそういった欲求はないので、別段外見に文句はない。
どちらかというと、求めるのは誠実さだ。
互いに交わした契約を守り、支えあえる人物とこそ結ばれたい。
と、カインが卓上に一枚の書類を出す。
「今回、両家の間で出された僕たちの関係についてをまとめて来ました。
お互いに確認をした上で、追加項目があれば協議したいと思っています」
「まぁ」
彼は彼なりに考えてくれていたようで、一項目ずつ読み上げ、己なりの解釈と理解を述べてくれた。
曖昧な線引きは許されない。
そういう態度でいてくれるところは好感触だった。
なのでカルナも遠慮なく意見を言い、線引きを明確にした。
自分の利だけでなく相手の利にもなるように条件を動かすこともした。
限定された期間のみの関係ではないのだから、その時その瞬間だけのことを考えてはいられない。
どちらも不満なく暮らせるようにしないと、関係は容易く崩壊する。
関係の崩壊した家庭ほど居心地の悪いものはない。
カルナの本質は怠惰だが、怠惰でいられる環境作りにも余念はないのだ。
「子供は長子が?それとも長男が家を?」
「当家は長男が嫡子です。ですが、四人連続で女児だった時は長女が後継者となりました」
「なるほど、分かりました」
「気負う必要はありません。無理せず、生まれた子を健康に育ててくださればそれで構いません」
「えぇ、そのつもりでしてよ。授かりものですものね」
こんな会話でさえ条件として書類に書き込まれていくものだから、カルナはふとこんなことを言った。
「月に一度で構いませんから、パエリアを出していただけますか?」
「……?当家は毎週花の日に出していますが」
「あら。産地だとやはり食べる頻度が高いのですね」
「魚介でも肉類でも出ますし、それ以外でも味付けはこの辺りとはまた違うでしょうね。
好ましい味付けのものを、ということでしたらレシピをお持ちいただければそのように」
「いいえ、その土地の味に馴染んでこそ嫁すということです。
それに、突拍子もない味付けではないのでしょう?」
「それは勿論。国内に流通しているありきたりな調味料で作ります」
「でしたら問題ありませんわ。
甘ったるい菓子のようなパエリアは食べられませんけれど、食事としてのパエリアなら食べられますもの」
そう言って微笑むカルナに、カインは少し考えてから言う。
「喫茶の時間には、僕の好みでマフィンが多く出されます。
カルナ嬢の好みのものがあれば、そちらも出すよう指示をしておきます」
「まあ、マフィンは好物ですわ。
プレーンなものも、チョコチップが入ったものも、ドライフルーツ入りも。大抵のものが好みです」
「ならばよかった。
茶葉も、もし気に入らなければ速やかに好ましい銘柄に変更しましょう」
そんな風に話し合ううちに、書類は予備だったらしい三枚の白紙を使い切っていた。
それを二人で確認しあい、頷きあう。
最後には握手を交わすほどに、二人は理解しあっていた。
カインは根っからの生真面目で、自分の使命に一直線であまり他人にかまう余裕がない。
ついでに言えば女っ気のない暮らしをしてきたので淑女の扱い方は雑なところがある。
カルナは生来怠惰でありつつも才覚により大体のことが出来、また人の機微にも敏感なので人を纏める仕事がうまい。
しかし情緒が熟していないので男女の機微は一切分からないし分かろうとも思っていない。
そんな相手のことをこの三時間ほどの話し合いで理解した二人は、無理をして相手に合わせなくてよいという安心感を得た。
カインは、安心して家を任せられる才女が妻となってくれるなら申し分ない。
しかも必要以上に構う必要もないし、それで怒りもしないとなれば気が楽だ。
カルナも、仕事さえ果たしていれば文句がないという夫予定者に満足している。
ベタベタひっつかれるのも、お茶だ観劇だにしつこく誘われるのも嫌いなので、適切な距離感を保てそうなところも好感触である。
二人はその後、カルナの卒業を待って結婚した。
治水に関して奔走していたカインに決め手を与えたのはカルナで、怠惰に寝っ転がりながら読んでいた、他国の学者による論文の書き手を領地に招こうと提案したのだ。
結果として、招かれた学者は若さ故の体力によるフィールドワークを数年続け、己の理論では最適と言える解決策を導き出し、数百年悩まされてきた治水の問題を解決してしまった。
解決する頃には、カインとカルナの間には男児二人に女児一人が産まれており、いずれも健やかにすくすく育っていた。
しかもカルナは色んな面倒の解決として、選び抜いた未亡人を教育係として雇った。
元貴族で育児経験もあった彼女は夫妻の子を熱心に育て、どこに出しても恥ずかしくないようにしてくれている。
カインも負けておらず、品種改良を長くしていたコメがやっと日の目を見た。
気候の差にも強く、実るコメの量も多い。それでいて品質も良いという厳選に厳選を重ねたコメは、その後ジェント家の特産品となり、高級品となった。
また、どれだけ成功し、問題が激減しても、カインは領地を巡って直接領民の声を聴くことを止めなかった。
書記官を連れ、細かい不満や悩みを書き留めさせ、可能な限り解決していた為か、流出する人材は少なかった。
というか、むしろ流入してくる人材が多く、出ていくのは一時的な療養だとか用事などでの短期的で戻ってくる前提のものたちばかりだった。
そんな二人は、睦まじい夫妻として有名だった。
カインとカルナは喫茶の時間に屋敷にいたなら二人で揃って好物のマフィンを囲んだし、カインは領地をめぐる時には必ず花を持ち帰ってカルナの土産にしていた。
そしてカルナもまた、カインをよく支えた。領地に降りかかる悩みごとの解決に協力するのはもちろんのこと、夫の顔色や仕草から体調を察し、本人でさえ自覚のなかった体調不良を理由にベッドに押し込むことも何度もあった。看病とて彼女はまめまめしく行ったという話は美談として領民に広く知られている。
そんなカルナが何度かカインに言った言葉がある。
「わたくしにもう喪服は着せないで頂戴ね。
あなたはわたくしが儚くなった後に追いかけてきて」
情緒の育っていなかったカルナを育んだのは、土地か、カインか。
答えは誰も知らないが、かつては未知だった感情が育ったことだけは確かである。