神の国(3)
テントから1キロメートルほど森の中を歩くと、小さな小屋が見えてきた。農作業に使われていたのか、鎌や鍬などが小屋の前に置かれているが、どれも随分錆びてしまっていて使い物にはならない。
アイリスは静かに小屋の戸を開け、中で寝ている子供のそばにしゃがみ込んだ。額を触ると、昨日までの高熱は治まり、呼吸もだいぶ落ち着いていた。アイリスはほっと胸を撫で下ろす。
もう少しだけ彼の様子見をしたいところだが、巡礼はこの日で最終日だ。最後にもう少しだけ薬を投与して、今後の身の隠し方について手紙を残して去るしかない。
薬を入れたアンプルを取ろうと立ち上がったところで、アンプルの向きが昨日と変わっていることに気がついた。
「まさか魔女が神官してるとは思わなかった」
声に聞き覚えがあった。昨日と全く同じ状況だ。
「アモン少佐に小娘を尾行する趣味がおありとは。もしかして昨日から見られてました?」
振り返らずにアイリスが答える。
「小屋から出てくるところは。気になったので昨日別れたあとにこの小屋の中を見させてもらいました」
小屋の外から子供を見下ろしながらジルベールは続けた。
「子供を匿っているとは思いませんでしたが。審問にかけず隠匿するのは罪と知っているでしょう」
「この子に触りましたか?」
「そんなわけ無いでしょ。近づいてもないです」
「今ばっかりは少佐殿が潔癖であることに感謝します」
「そんなことまで知れてるんですか…」
笑ってはいたが、アイリスが振り返ると、彼の指先は銃の引き金にかけられていた。逃げたり、怪しい行動をすれば撃たれるだろうと息を呑む。
「それで、その液体は?子供を使って何を?」
ジルベールはアイリスが手に取ろうとしたアンプルについて尋ねた。
「薬です」
「正規品ではないでしょう。王国府の承認印がない」
「よく見てますね。自分で調合したものです」
アルバティアでは食べ物も薬も、全て王国府の承認を受けなければ販売することはできない。
とりわけ薬は人の命に関わるため、個人での調合や使用を禁じていた。魔女を「悪魔と通じ、生命を冒涜するもの」と定義づけるこの国では、例え人の命を救うものであろうとアイリスは魔女に他ならなかった。
「認めるんですね」
「何と言い訳しても異端審問ですから」
「それはどうでしょう」
ジルベールが小屋に足を踏み入れようとした途端、アイリスは「ストップ!」と叫んだ。
「銃持ってる相手にストップは意味がないと思うのだけど」
「そうじゃないです。危険なので小屋にあまり近づかないでください」
アイリスがそう言うと、ジルベールは少しばかり何かを考えていたようだったが、大人しく一歩引いた。
所属組織が異なるとはいえ国軍少佐は一般神官に比べればかなりの地位と権力を持つ。アイリスの、ましてや魔女の言うことを大人しく聞くとは思えなかったため驚いた。
「捕まえるつもりならひとりで来ませんよ」
彼女の表情を見てジルベールは答えた。
「確かにこの子供、昨日に比べて随分と顔色が良くなってますね。明らかに回復している。もしあなたの作ったものが本当に効くのなら審問にかけるのは勿体ない」
「これは今回の災厄には偶然効いた、というだけで万能ではありませんよ」
「その液体じゃない。君を殺すのが惜しいと言っている」
アイリスは彼の発言に耳を疑った。国軍の少佐ともあろう人が、どういうつもりか魔女を軍に差し出すつもりがないらしい。罠である可能性はあるが、彼を味方につける以外に解決策がないのも確かだ。アイリスは意を決する。
「私は神を信じていません。本当に神がいるのなら、なぜこんなに人が苦しんでいる災厄が建国からずっとなくならないんですか」
本心を口にしたのは初めてだった。だが、彼には嘘偽りなく話すのが得策だと思い、続けた。
「いえ、神はいるんでしょうね。資料でしか見たことありませんが、フォルドとの戦争は流石に神業としか言えません。でも、待っていても、祈っても、災厄から救ってくれないことは確かです。だから自分で解決しようと思って」
正確には自分1人ではなく師匠がいるのだが、それを話すのは師匠に迷惑がかかるため黙っておいた。しかしジルベールはそれもわかっているようだった。
「誰かの入れ知恵でもないとこんなもの作れないと思うけど、今はいいや。それよりもあなたが生かすに値するか判断させてもらいたい」
そう言うと彼は少年を指さして「その子とここで一週間過ごしてもらえますか」と言った。
「念の為君を使ってその子供の穢れが本当に除けているか確認したい。今回の災厄は広まるスピードも致死率も高かった。もしその薬に効果がなく、穢れを除けていなければ君は高確率でお陀仏だ。使えれば生きるし、使えなければ死ぬ。わかりやすいでしょう」
「仕事があるのですが」
「なんだそんなことか。むしろ効果には自信があるんですね」
少しだけ不服そうに彼は続けた。
「仕事の方は僕が適当に話を通しておきます。1週間経ってふたりとも生きていたらその子は責任持って里親の手配をしますし、あなたのことも殺しません」
「それは信じていい話ですか?」
アイリスは少年を抱き寄せた。
彼女の災厄や薬に関する知識を欲しているのであれば、彼女を上に報告したくないという話は真実だろう。だが、子供まで助けるという話は彼の嘘かもしれない。
「信じなくてもいいけど、じゃああなたは軍の警備をくぐり抜けてここからその少年を逃し、次のまともな人生を用意することができるのですか?僕は上にも顔が利くので可能ですが」
「少佐殿にメリットがないです。目的はなんですか?」
アイリスが訝しげに聞く。
「その子を助けるのはあなたの信用を得たいからです。あなたには生きていたら僕の依頼をいつくかこなしてほしい。いわゆる禁忌とされていることを含むので、あなたにも興味を持ってもらえるような内容だと思います」
彼の答えになるほど、とアイリスは呟いた。
おそらく薬の調合や、人の生死に関わるようなことなのだろう。具体的には?と聞いたが、死ぬかもしれない人間に詳しく話すのは時間の無駄でしょうと断られた。
「わかりました。私としてもひとりで隠れてこんなことするのは限界があると思っていたんです。権力を持った協力者が得られるのは願ってもない」
「はは、来週生きて会えることを楽しみにしてます」
小屋の扉を閉めようとするジルベールを「そうだ、少佐」とアイリスが呼び止めた。
「生きてたら、ついでに合コンセッティングしてもらえますか?」
「それ、遺言にならないといいね」
笑い声とともに、外からガチャンと錠の落ちる音がした。
6/30 修正